妹により敵国へ吹っ飛ばされた公爵令嬢。そこは皇帝の寝室だった。二つの恋に揺れ動く物語
アーリア・エルデルク公爵令嬢は恋をしていた。
このマリ王国の英雄、ルディウス・ガード将軍にである。
隣国のトリス帝国と国境で激しい戦をしているマリ王国、彼は最前線で剣を振るって戦っている英雄だった。
黒髪碧眼の若き英雄ルディウス。
憧れない女性はいない。
一度だけルディウス・ガード将軍と皇宮の夜会で会ったことがある。
金色の髪を結い上げ、背までさらりと長い髪を流した美しきアーリア。
白のレースを使ったドレスをふわりと翻し現れれば、ダンスの相手を申し込む男性達が殺到する。
歳は18歳。
アーリアが何故、いまだに結婚していないかというと。
「お姉様。お姉様は恥ずかしげもなくよく夜会に出てこられますわね。」
意地悪な笑みを浮かべるのは妹のカレンシアだ。
カレンシアはこれみよがしに、マリ王国のミルド王太子と腕を組んで現れた。
アーリアとカレンシアは双子である。
「わたくしが夜会に出ていけないという事はないでしょう。」
「うふふふふ。ショックで寝込んでいるかと思っていましたわ。わたくしにミルド王太子殿下の婚約者を取って変わられたのですもの。」
悔しかった。
エルデルク公爵家で双子だが姉に生まれたからと、アーリアがミルド王太子の婚約者に選ばれたのだ。
それを不服とした妹のカレンシア。
何かと目の敵にして、アーリアの足を引っ張る真似をした。
「お姉様とわたくし、どこが違うというの?学園の成績だって似たようなものじゃない。
それなのに、ずるい。わたくしだって王太子妃になりたいの。」
そう言って、ミルド王太子に色仕掛けで迫った。
ミルド王太子はカレンシアの身体を使った色仕掛けにあっという間に落ちてしまった。
アーリアは信じられなかった。
結婚前の男女が褥を共にした。なんて恥ずかしい。みっともないのだろう。
貴族の令嬢としてカレンシアの事を軽蔑した。
アーリアは扇を手にして、カレンシアをあざ笑った。
「さぞかしいい気味と思っているのでしょうね。でも、わたくしは下賤な真似が出来なかっただけだわ。貴方と違って。」
「下賤だなんて。酷い。わたくしは愛するミルド王太子殿下の物に早くなりたかったの。ただそれだけなのに。」
ミルド王太子にしなだれかかるカレンシア。
ミルド王太子はその肩を引き寄せながら、
「同じ顔なのにお堅いお前と大違いだな。カレンシアは私にとってなくてはならない女性だ。婚約解消してよかった。」
彼の事を愛していたわけではない。それでも、厳しい王妃教育を5年間やってきたのだ。
金髪碧眼。文武両道。ミルド王太子は憧れる令嬢も多い優秀な男だった。
未来のマリ王国はミルドが国王になる事によって安泰だろうと言われていたのだ。
そんな彼があっけなくカレンシアの色仕掛けに落ちたのは信じられなかった。
それなりに、勉学も出来るミルド王太子の役に立ちたいと、頑張って来た。
ああ、でも…いつの頃からだろう。
カレンシアの方へ笑顔を向けるようになったのは…
いつの頃からだろう…
自分へのお茶の誘いが無くなり、カレンシアと共にいる姿を見かけるようになったのは…
泣きたかった。
色々な貴族の男性が、アーリアにダンスの誘いを申し込んでくる。
「アーリア嬢。ぜひとも私と共にダンスを。」
「いやいや、私と共に。」
「いや、私の方がダンスは上手いですぞ。」
婚約解消されたアーリア。しかし、妃教育も受け、美しくて有名なアーリアは求婚相手に事欠かない。
それでも…
ミルド王太子殿下を盗られた悔しさは、あまりにも辛かった。
そんな中、スっと手を差し伸べられたのだ。
「ルディウス・ガードと申します。是非、最初のダンスのお相手は私と。」
ガード将軍と言えば、マリ王国の英雄である。
隣国トリス帝国とは戦中で、国境で激しい小競り合いを繰り広げていた。
ガード将軍は王都に用があって来ていたのだ。
用事がすめばすぐに戦場へ戻らなければならないはず、
それなのに何故?ダンスをしている場合だろうか?
アーリアは優雅に微笑んで、
「それではガード将軍。貴方とダンスを。」
妹のカレンシアが悔しそうに見ている。
わたくしがガード将軍と踊るのがそんなに悔しいの?
貴方にそんなに憎まれているの?
貴方はいいじゃない。王妃になれるのだから。
わたくしは王妃になれなかった。
せめて英雄様とダンス位踊ったっていいでしょう?
ガード将軍は力強いリードで、アーリアは白のドレスを翻し、二人はダンスを踊る。
踊りながらアーリアはガード将軍に聞いてみた。
「前線に戻らないでよろしいの?今、戦で大変な時でしょう。」
「勿論、明日の朝一で馬を飛ばして戻るつもりだ。せめて一夜位、夢を見たっていいだろう。
一度、戦に出てしまえば、なかなか戻る事が出来ない。」
「でも…貴方様が戻るのが遅れれば負けてしまかもしれませんわ。」
「副将軍に任せてある。2日も持たすことが出来ぬ程、軟ではない。それよりも、なんて美しい。アーリア。私はそなたとダンスを踊りたかった。」
「何故?わたくしとダンスを…」
「それは…」
ガード将軍は顔を寄せて来た。
「そなたを初めて見た時から、好きだった。王宮の庭で薔薇を摘むそなたを見かけた。あまりの美しさに私の胸はときめいたのだ。」
「あの…それってもしかして妹の方かもしれませんわ。わたくし、王宮で薔薇を摘んだ覚えがありませんの。」
「え???」
慌てて、ミルド王太子にべったりくっついているカレンシアの方へ視線を向ける。
ガード将軍は慌てたように首を振って、
「同じ顔をしているが、あんな恥知らずな女性ではない。私の恋は、王妃教育を受けて気品の溢れるアーリア嬢のはずだ。」
まぁ…真っ赤になって…なんて可愛らしい方。
ガード将軍は熱を籠めたように、
「私は明日には前線へ戻らねばならない。今宵、そなたとダンスを踊った夜を忘れない。
有難う。アーリア嬢。」
アーリアはガード将軍を見上げて、
「貴方様が戦に勝って、又、お会いできる日を楽しみにしておりますわ。」
ガード将軍は嬉しそうに頷いた。
ダンスが終わった後、二人でテラスに出て話をした。
ガード将軍は空を見上げて、
「なんて今宵は美しい夜空だ。星がキラキラ光っている。この空はどこにでも繋がっているのだろうな。私は、そなたと過ごした今宵を忘れたくはない。星空を見るたびに思い出そう。」
「わたくしと貴方様は先程、お会いしたばかりですわ。」
「そうだな。もっと共に語り合う時間があればいいのに…手紙を戦場から出そう。返事が欲しい。かまわないか?」
「ええ、構いません。わたくしの手紙でよろしければ書きますわ。」
「その手紙を楽しみに、私は戦い続ける事が出来る。有難う。アーリア嬢。」
将軍様が自分の書く手紙で慰められるのなら、書こう。
そう、思うアーリアであった。
翌日の朝、ガード将軍は前線へ馬を飛ばして帰ったと人づてに聞いた。
一夜の短い時間、共にいただけなのにアーリアはガード将軍の事が忘れられなくなった。
それから、手紙が送られてくるようになった。
戦の事は書いてはいない。
彼は自分の事を書いて来た。
生まれは北の都で、両親は貧乏で貧しい生活をしていた事。
そんな中、王都の騎士団へ憧れて、一生懸命、自己流で身体を鍛え、剣技を学んだとの事。
腕を見込まれて、正式に王都の騎士団へ入る事が出来て、国の為に懸命に励んだ事。
騎士団での堅苦しい生活や、自分の趣味。
武器屋へ古びた剣を見に行くことが趣味とか、酒は安酒場で飲むのが好きだとか、甘い物が食べたいとか…
ガード将軍は自分の事を細かく書いてきた。
そして、アーリアに早く会いたいと…
アーリアはそんな彼の事を愛しく感じた。
「なんて可愛らしい方…わたくしも自分の事を書きましょう。」
便せんにびっしりと自分の事を書いた。
ただ、エルデルク公爵家の長女と生まれただけで、幼い頃にミルド王太子殿下の婚約者に決まった事。
長年に渡る王妃教育はとても辛くて、遊ぶ暇もなかった事。
そんな中、唯一の楽しみは忙しい合間に、紅茶を飲んで一息いれる事。
お気に入りの焼き菓子があって、王都の店でメイドに買わせて、いつもその焼き菓子を休憩で食べている事。
ともかく、考えつく事を色々と書いた。
国境でトリス帝国を相手に懸命に戦うガード将軍になんとも言えぬ愛しさを感じた。
結婚する事は無理だろう。前線で戦っている軍人等、両親が許すはずもない。
それでも、ガード将軍の事が愛しい。愛しくてたまらない。
手紙を心待ちにするようになった。
数通のやりとりを繰り返し、ガード将軍と文通をするようになって、一月程経った頃。
妹のカレンシアが部屋に訪ねてきた。
同じ屋敷で暮らしているカレンシア。
だが、食事も別で、部屋もお互いにわざと離れた所にあって、仲が悪く顔をめったに合わせなかった。
そんなカレンシアがわざわざ訪ねて来たのだ。
「お姉様。ガード将軍と文通しているそうね。」
「ええ。前線で戦うあの方の心の慰めになればと文通をしているのよ。」
「お姉様が幸せになるなんて許さない。」
「え?それはどういう事かしら。」
カレンシアはアーリアを睨みつけて、
「姉だからって、同じ顔をしているのに、お姉様はミルド王太子殿下の婚約者だった。
だから、わたくしは盗ったのよ。そうしたら今度は英雄様との文通?」
「ガード将軍とは結婚出来ないわ。」
「あら、解らないじゃないの。お姉様はうんと不幸になればいいんだわ。わたくしはお姉様が憎い。だから…」
手に黒く輝く玉を持っている。
禍々しい光を放っていて。
アーリアは嫌な予感がして後ずさりする。
「カレンシア。何?その玉は?」
「悪魔の玉よ。王家の秘宝を盗んできたの。お姉様なんて不幸になればいいんだわ。」
そう言うと、カレンシアは黒い玉を投げつけた。
足元に魔法陣が展開されて、黒く魔法陣は輝いて…
アーリアはその魔法陣へ飲み込まれる。
アーリアは気が遠くなった。
気が付いてアーリアは驚いた。
身を起こせば首筋に刀が押し当てられているのだ。
目の前には絹の衣を着た男性が、豪華なベッドの中央からこちらを見ていた。
刀を押し当てているのは黒服を着た男性で、アーリアは何がどうなっているのか、頭が追い付かないでいた。
銀の髪のベッドの中央でこちらを見ていた男性。
目鼻立ちが整っており、凄い美男である。
アーリアは慌てて、
「あ、あの…わたくしは…」
男性はぎろりとアーリアを睨み、
「俺の寝所に忍び込むとは、どこの間者だ。首を刎ねる前に聞いてやろう。」
「違うんです。わたくしは魔法陣で飛ばされてきたのですわ。貴方様は?ここは?」
「トリス帝国、俺は皇帝グリフィス。俺の寝所だ。」
「グリフィス皇帝っ??」
敵国のそれもグリフィス皇帝の寝所へ飛ばされた?
悪魔の玉によって…
アーリアは真っ青になった。寝る前だったからそれも寝間着姿である。
グリフィス皇帝は自分を守護する警備の者に向かって、
「俺自ら、尋問しよう。刀を引け。」
首に押し当てられていた刀が目の前から無くなって、アーリアは安堵する。
「いきなり寝所へ現れて申し訳ございません。わたくしは、マリ王国のアーリア・エルハウス。エルハウス公爵家の娘でございます。妹がわたくしを黒い玉の力でこちらへ飛ばしたのです。敵国の公爵家の娘。それも皇帝陛下に無礼を。どんな裁きでも覚悟致しますわ。」
アーリアは瞼を瞑る。
ここで斬り殺されても仕方がない。
グリフィス皇帝の寝所へ、いきなり現れたのだ。
グリフィス皇帝はニヤリと笑って、
「敵国の公爵家の娘か。これはまた、美しい。俺は政務で忙しく、いまだ結婚していない。
お前を傍に置いてやろう。このような美しき女性を我が国では見た事がない。」
グリフィス皇帝が荒々しくアーリアの腰を抱き寄せる。
アーリアは思わず抵抗していた。
鮮やかに蘇るガード将軍と踊ったあの夜。
彼の微笑む顔が忘れられない。
わたくしはガード将軍を…ルディウス様を愛しているのよ…
一度しか会ったことがない。あの方を…
グリフィス皇帝はアーリアの身体をベッドに押し付け、その顔を上から見下ろして…
怖かった…
助けてルディウス様っ。…わたくしは貴方様と…
思わず強く目を瞑る。次に来る事を覚悟した。
ふと、グリフィス皇帝が自分の上から身体を離したのに、アーリアは瞼を開けて。
「客室へ泊るがいい。我が客として、もてなそう。」
「わたくしは…マリ王国の…」
「構わぬ。間者だとしても、二度とマリ王国へ返さん。お前はいずれ、俺の子を産むことになろう。」
こうして、アーリアはトリス帝国の皇宮で暮らすことになった。
グリフィス皇帝はアーリアの事が気に入ったらしく、片時も離さない。
「お前はマリ王国、王太子の元婚約者だったのだな。」
ソファのグリフィス皇帝の膝の上に横抱きに乗せられていた。
端正で美しい皇帝の顔が近くて、ドキドキするというよりも、恐ろしい。
敵国の皇帝なのだ。緊張する。
アーリアは頷いて、
「ええ、妹に盗られましたの。妹はわたくしの事をとても憎んでおりましたわ。公爵家の長女というだけでどうしてミルド王太子殿下の婚約者になれるのって…。
妹カレンシアはわたくしと同じ顔なのです。双子ですから…
妹にしてみれば、それはもう、悔しかったでしょうね。わたくしも…悔しかった。」
「何が悔しかったんだ?」
「一生懸命、王妃教育を受けて頑張って来たのに…婚約解消されてしまった…ですから、悔しかったのですわ。」
「だったら、皇妃になれ。」
驚いた…敵国の人間が皇妃になれるはずがない。
「わたくしはマリ王国の公爵家の娘ですわ。」
「関係ない。とやかく言う人間は殲滅する。」
「反感をわざわざ買う事はないでしょうに。わたくしよりも、もっとふさわしい方を…」
ぎゅっとグリフィス皇帝に抱き締められた。
「俺はそなたでなくては嫌だ。そなたは心に思う者がいるのだな。」
ドキっとする。
片時も忘れた事はなかった。
ルディウス・ガード将軍
一度しか会った事のない相手だけれども、彼と手紙をやりとりして、魂が繋がっている。
そう感じたのだ。
敵国の英雄が思う相手だと知ったら、自分は殺されるのではないのか。
グリフィス皇帝はニヤリと笑って、
「俺に知られたくない相手と見える。だったら忘れさせてやろう。トリス帝国の素晴らしさをアーリアに見せよう。マリ王国との戦なんて我が帝国にとって大した事はない。忌まわしいあの男さえ、殺せばな。」
「ルディウス様をっ…」
「そうだ。ルディウス・ガード将軍。忌々しい男だ。奴を殺せば…」
「ルディウス様が死ねばわたくしも死にます…」
「アーリア。」
「わたくしはルディウス様を…」
アーリアは瞼を瞑って、呟くように…
「愛しております。」
グリフィス皇帝はハハハと笑って、
「だったら、忘れさせてみせよう。トリス帝国の皇帝の名にかけてな。」
マリ王国の公爵令嬢だという事が知れ渡り、周りからの風当たりをアーリアは心配した。
だが、グリフィス皇帝のひと睨みで、周りは何も言えず静かになる。
文武両道、凄い美男の皇帝を狙う貴族の令嬢も多かったはずだ。
だが、グリフィス皇帝、30歳。
気に入る令嬢がいなかったらしく、今だ独身だった。
しかし、アーリアの事は酷く気に入っているらしく、何をするにもアーリアを連れ回した。
とある日、政務の手伝いをアーリアはやらされていた。
こんな重要な書類を敵国の公爵家の娘にやらせていいのかしら…ああ、でも戻る事がわたくしは出来ないのだから、構わないという事ね。
手際よく書類を片付けていると、グリフィス皇帝が背後か抱き締めて来た。
「アーリア。疲れた。膝枕してくれ。」
「膝枕ですかっ?恐れ多い。」
「ああ。膝枕だ。」
仕方ないので、ソファに腰かけて、グリフィス皇帝を膝枕してやった。
グリフィス皇帝はぽつりと話しをし始めた。
「この帝国の貴族の女どもは大嫌いだ。むしろ憎んでいる。」
「え?どうしてですの?憎んでいるって…」
「昔、とても心優しい令嬢がいた。少し、お前に似ていたな。俺はその令嬢と結婚したかったんだ。まだ学生だった俺はその令嬢に近づいて、仲良くさせて貰った。こうして膝枕して貰って…とても癒されたんだ。ただ、その令嬢は身分が低かった。男爵家の令嬢だった。
彼女と結婚したかった。でも…馬車の事故にあって死んだ。
この国の貴族の令嬢達が殺したに決まっている。皆、虎視眈々と俺の事を狙っていたからな。
俺が選ばなかったら、仲良くしなかったら彼女は死ぬ事はなかったのだろうか…」
「その方をとても愛していらしたのですね。」
「お前には細心の注意を払って、守りをつけている。それに俺がいつも傍に居て注意している。あやつらには手出しさせぬ。だから、俺と結婚して欲しい。」
アーリアは、グリフィス皇帝が非常にまじめな性格で、トリス帝国を良くする為に精力的に働いている姿を間近で見て来た。
いつも、明るく強気で周りを引っ張っていく姿も。
わたくしはルディウス様の事を忘れられないのに、グリフィス皇帝の事が気になって…
この方も人間なのだわ。
身を起こすと、強くアーリアを抱き締めて来た。
「頼むから俺の物になってくれ。アーリア。愛している。お前の事を…
ベッドで初めて見た時に、天使が舞い降りて来たのかと思った。いや、女神か…俺の妃はお前しかいない。」
「貴方様はわたくしが嫌と言っても、強引に妃になさるのでしょう。わたくしはマリ王国へ戻る事が出来ないのですから。」
思わず拒否の言葉が出てしまう。
グリフィス皇帝はまっすぐにアーリアの瞳を見つめて、
「強要したくはない。お前の心が欲しいのだ。」
「わたくしの心…」
「それとも、お前はまだ、ガードが好きなのか。」
わたくしは…わたくしはルディウス様が忘れられない。
「あの方は星空を見て、わたくしを思い出そうと言って下さいました。あの方は…わたくしの事を今も思ってくれていると…」
涙がこぼれる。
「星空が何だ。だったら、こっちへ来い。」
窓をバンとグリフィス皇帝は開けた。ここは三階。星空はあまり綺麗に見えない代わりに、皇都の街の灯りがキラキラと輝いて。皇宮は高台にあるから、皇都の街が良く見えるのだ。
「見ろ。これが俺が治めているトリス帝国の皇都だ。これだけ開けている街はどこの国に行ってもない。星空がなんだ。お前の為なら俺は自らの手で、この輝く灯りの頂点にお前を添えて見せる。
星空を見て思い出すだと?お前は俺の傍にいて、いつでも俺の顔を見ろ。あの灯りの頂点で俺と共に輝け。それがお前の生き方だ。お前が思う男は負け犬だ。俺ならお前を手放したりはしない。
アーリア。お前の心が手に入らずとも、これは命令だ。俺はお前を皇妃にする。覚悟しておけ。」
テラスから見える皇都の灯りを背にして、叫ぶグリフィス皇帝。
強がる姿とは反対に、何だか心の中で泣いているような気がして…
アーリアは走り寄ると、グリフィス皇帝に抱き着いた。
「泣かないで下さいませ。わたくしは傍におりますから…」
「泣いてなんかいない。」
そう言いながら、グリフィス皇帝はアーリアを抱き締め返した。
眼下に見える皇都の灯りがキラキラと、そんな二人をいつまでも照らしているのであった。
ガード将軍への想いと、グリフィス皇帝への想いに揺れるアーリア。
そんなとある日の事である。
皇宮の庭をグリフィス皇帝と共に散歩をしていた。
噴水の傍のベンチに二人で腰かける。
グリフィス皇帝はアーリアの手を握り締めて、
「お前との結婚式を二か月後に行う事にした。」
「国境では戦中と言うのによろしいのですか?」
「戦は軍部や騎士団へ任せておけばよい。それにしても、マリ王国はしつこい。リュテス領が欲しいが為に何度も攻め込んで…」
「え???リュテス領はマリ王国の物だから、帝国軍を追い出すのに必死だとマリ王国の民達は聞いておりますわ。」
「ハハハハハ。あそこの領地は金山があるからな。どちらも所有を主張しているという所が本当の所だ。ここだけの話、あのリュテス領はどちらが正統な所有権があるか等、あってないような物だ。古くから戦でどちらかの国へころころと所有が変わった場所だからな。」
その時、噴水が輝いて、金の玉を持った一人の男が二人の目の前に現れた。
「アーリア。助けに来るのが遅れてすまない。王家の秘宝、金の玉を使って、助けに来た。我が名はルディウス・ガード。グリフィス皇帝と見た。」
ガード将軍が黒い剣でグリフィス皇帝に斬りかかる。
どこから出たのか、数人の護衛達がグリフィス皇帝とアーリアを守るように前に出て、ガード将軍の剣を跳ね返し、皆、一斉に彼に襲い掛かった。
数人の攻撃にも余裕で相手をするガード将軍。
そして、あっという間に護衛達を倒してしまった。
「アーリアを渡して貰おう。」
グリフィス皇帝とアーリアに近づくガード将軍。
ああ…懐かしきルディウス様。
わたくしを助けに来てくれたのね。
でも…わたくしは…
わたくしの心は…
「ルディウス様。わたくしは戻りませんわ。」
「アーリア。私はずっとそなたの事を思っていた。だから、国王陛下に我儘を言って金の玉を借りて来たのだ。アーリアが帝国にいる事が掴めたから。星空を見てずっとアーリアの事を思っていた。帰ろう。マリ王国へ。さぁ…」
グリフィス皇帝にアーリアは抱き締められる。
「アーリアは皇妃になる。渡しはしない。」
アーリアはそっとグリフィス皇帝から離れて、ガード将軍の前に立つ。
そして…彼に向かって、
「わたくしも貴方様の事をずっと思っておりました。でも…わたくしの今の心はグリフィス皇帝陛下と共にあります。皇帝陛下の傍にいたい。わたくしはグリフィス様の事を愛しております。」
ガード将軍は悲しそうに微笑んで、
「全ては遅かった訳だな。いや、アーリア。君と共にいられなかった私には、結婚も出来なかった私には君を愛する資格等、無かった訳だ。ここで皇帝を殺したとて、戦は終わらない。私は潔く諦めよう。ただ、願わくは…」
グリフィス皇帝の前に跪くガード将軍。
「どうか、皇帝陛下。アーリアを幸せにしてやってください。そして、願わくは戦を終わらせるように貴方の手で努力してくださいませんか?沢山の人が死にました。マリ王国もトリス帝国も…貴方の手でマリ王国と話し合いをして、どうか戦を終わらせて下さい。それが私からの願いです。」
アーリアもグリフィス皇帝の顔を見上げて、
「わたくしからもお願いしますわ。終わらせることが出来る戦なら終わらせて下さいませ。わたくしも、これ以上、人の犠牲が出るのは望みませんわ。貴方様は皇都の灯りの頂点にわたくしと共にありたいとおっしゃいました。わたくしは沢山の人々の笑顔溢れる灯りの上に、貴方と共にありたい。そう思えますわ。」
グリフィス皇帝は頷いて、
「マリ王国に話し合いを提案しよう。お互いに条件でもめるかもしれんが…アーリアの、そしてガード将軍の願い。俺が責任を持って叶えよう。」
アーリアは嬉しかった。
ガード将軍は、金の玉を光らせて、
「私はマリ王国へ帰ろう。アーリア。どうか、幸せに…」
「ルディウス様も幸せになって下さいませ。」
「さようなら。アーリア。」
「さようなら。ルディウス様。」
金の玉が輝いて、ガード将軍の姿は消えた。
さようなら…わたくしの初恋…さようなら…ルディウス様…
それからしばらくして、両国の戦は終わりを迎えた。
揉めていた領地は、両国共有と言う事で、金山の収益も半分ずつと言う事で話がついた。
そして今日は結婚式。グリフィス皇帝とアーリアのめでたい日である。
マリ王国から、ミルド王太子とカレンシアが客人としてやってきた。
元婚約者と仲が悪い妹、その妹のせいでこのトリス帝国へ飛ばされたのだ。
どんな顔をしてカレンシアは来るのだろう。
結婚式の前の夜、カレンシアがどうしても会いたいと言ってきたので、皇宮のテラスで会う事にした。
ただ、自分に害を加える危険があるので、護衛数人を着けてもらって、心配したグリフィス皇帝が共に来てくれた。
カレンシアはアーリアの顔を見るなり、
「わたくしはお姉様を殺そうとしたのよ。黒い玉を使って飛ばした。最も危険な所へ。わたくしを訴えなさいよ。お姉様はトリス帝国の皇帝と結婚する事になったわ。憎い…憎いお姉様。お姉様が幸せになってはいけないのよ。」
「どうしてそう思うの?カレンシア。」
「だってそうでしょう…わたくしは身体まで使ってミルド王太子殿下を手に入れる位に下賤な女…お姉様は、そんな事をしなくても素敵な男性に好かれて…同じ顔なのに…どうして違うの。成績だって。わたくしは一生懸命勉強した…お姉様に負けない為に…お姉様は軽々と良い成績を取ってしまうから。何故?何で?どうして?憎いお姉様。わたくしを訴えなさいよ。わたくしを…」
アーリアはカレンシアに向かって、
「貴方の事、わたくしも憎いわ。それでも貴方はわたくしの妹なの。そして、マリ王国のいずれは王妃になるのでしょう?わたくし達に出来る事をやりましょう。憎しみを捨てて、両国の平和の為に共に尽くしましょう。憎い妹…でも、わたくしにとってたった一人の妹…わたくしは貴方を許すわ。」
そっとカレンシアを抱き締める。
カレンシアは涙を流して、
「ごめんなさい。お姉様。ごめんなさい…本当はわたくし、お姉様が羨ましかったの。
ずっとお姉様のようになりたかった。わたくしは罰を受けねばならない。お姉様を危険な所へ吹っ飛ばして殺そうとしたのだから。」
「罰を受けるというのなら、その分、マリ王国の為に働きなさい。両国の平和の為に貴方の出来る事をしなさい。それがわたくしから貴方への願いよ。」
カレンシアは大泣きしながら、
「わたくしが出来る事を、両国の平和の為に出来る事をやります。ですから…本当にごめんなさい。」
小さい頃は仲が良かった。
一緒に良く花冠を作って遊んだ妹…
「お姉様。上手く出来ないの。どうしたらいいの?」
「カレンシア。こうして作ればいいのよ。」
「わぁ、綺麗。お姉様。大好き。」
憎い妹でも、それでも愛しい妹…罰する事は出来ない…
アーリアは許すことにした。
翌日、グリフィス皇帝とアーリアの結婚式が派手に行われて、皆に祝って貰って、アーリアは幸せだった。
抜けるような青空広がり、二人の行く末を表すかのように、明るい日差しがあたりを照らして…
「愛していますわ。グリフィス様。」
「俺も愛している。やっと俺の物になったな。アーリア。」
結婚した後の二人はとても仲が良くて、沢山の子に恵まれた。
アーリアはトリス帝国の為に尽くし、グリフィス皇帝の傍で幸せな生涯を送ったとされている。