婚約破棄された伯爵令嬢、戦勝祝賀パーティーで喝采を受ける
「セシリア・ベネットとの婚約をなかったものにする!」
新年を祝うパーティーの挨拶でジョナス・ゴドルフィンが突然そう言った。当事者である私は寝耳に水だった。
王立修学院は諸侯の令息令嬢が集う由緒ある学校。ジョナス・ゴドルフィンの父は臣下でありながら国家の政務を取り仕切る執政という立場でした。それもあってジョナス・ゴドルフィンは毎年生徒を代表して新年の挨拶を行っている。
その挨拶の冒頭が婚約破棄。会場を見渡せば、顔を合わせクスクス笑っている人もいれば、下を向いて笑いをこらえている人もいる。婚約破棄は私以外全員知っていた? エイミー・アシュトンだけがこれ見よがしに満面の笑みを私に見せている。
私が知らない婚約破棄を事前にエイミーだけがジョナスから聞いていた。そして、どちらの案かは分からないけど、エイミーが皆に言いふらした。こんないじめを、私はこのところずっと受けている。
ジョナスとエイミーは体を許す関係でした。偶然、二人が抱き合って唇を奪い合う姿を校舎の裏庭で目撃してしまった。別れて、とジョナスに頼みました。ジョナスは、おまえが俺に体を許さないからこうなったんだと言い放ちました。
それからジョナスも変わりました。いじめに一枚噛んでるのを隠そうともしない。令嬢たちはともかく、令息たちも私を白い目で見るようになっていた。
ジョナスはジョナスで自分の不貞を公にされたくない。元々体を許さない私への怒りもあったのでしょう。逆らえばどうなるか。私に恐怖を植え付けようとしていた。
そもそも私とジョナスの婚約はジョナスがしつこく言い寄って来て、私のお父様が口を挟み、最終的に親同士が話し合って決めた。乗り気だったのはお父様の方。
ジョナスは金髪碧眼で成績優秀。運動も出来て将来は約束されている。婚約が決まるとお似合いのカップルだと皆が言ってくれました。私もこの人と結婚するんだなんて浮かれてしまってその気になってしまった。
皆が祝福していたなんて、嘘だったようです。ずっと前から令嬢たちは私に嫉妬していた。
婚約する前は令息たちから私の元へ毎日のように手紙が届けられていました。私を射止めるのは誰か、なんて下世話な会話が耳に入ったりもした。
もちろん、令嬢たちもそのことを知っています。彼女たちは令息たちの人気が私に集まるのを我慢ならなかった。私が独り占めしているように思っていたのです。その上で、私が令嬢たちの一番人気だったジョナスをものにした。
見当違いも甚だしい。ジョナスはただ単に、お前らとは違うんだってことを他の令息たちに分からせたかった。お父様が首を突っ込まなければ私との結婚なんてジョナスは考えもしない。本当は、私と寝たと他の令息たちに自慢したかっただけ。
エイミーはというと、ジョナスの一番の理解者だった。ジョナスに私への愛はないと分かっていた。でも、嫉妬はしていたのでしょう。ジョナスとの婚約が決まると他の令嬢たちの嫉妬心を焚きつけて、私を追い込んで面白がっていた。
「私はこの度、国王陛下の命によりカミラ殿下と婚約することにあいなった」
ジョナスは王族の方と結婚する。令息令嬢がお祝いの拍手をした。エイミーも喜んで拍手をしている。
これも私以外全員知っていたこと。令息令嬢から見れば、私や私の父はジョナスや執政ゴドルフィン公の邪魔していた存在。その私たちにジョナスが勇気を振り絞って絶縁状を叩きつけた。ざまぁってわけですか。皆が面白がるわけです。
お可哀そうなのはカミラ殿下。まだ十五歳。結婚は二、三年先だとしてもジョナスとエイミーの関係はずっと続く。
二人は絶対に離れられない。両方ともどうしようもなく性格が歪んでいる。彼らにしてみても自分たちと同じ性根の者なんて他にいないことは十分理解している。
いずれカミラ殿下は二人の関係をお知りになるでしょう。初めはジョナスの外見や所作に騙されたとしても、あの二人の恐ろしさにおいおいと気付いていく。
でも、申し訳ありません。私はもういっぱいいっぱいです。この張り詰めた緊張感からやっと抜け出すことが出来ました。私はこんな目にもう二度と会いたくはないのです。
割れんばかりの拍手の中、私は会場を後にしました。
三月になれば王立修学院も卒業です。ホントならそれを待ってジョナスと結婚となったのですが、私は故郷に帰る。こうなってよかったのだと心から思う。
新年のパーティー以降、ジョナスが怖くて学校には行けませんでした。私は部屋から一歩も出ていません。私の日々は王都から離れられるのを待つ、ただそれだけだったのです。
一ヶ月たった頃、お父様から手紙が届きました。王命が下ったようです。正式にジョナスとの婚約は破棄され、私には新たに婚約が決められました。お相手を誰にするかデリック王陛下がお心をくだかれたそうです。
あのパーティーからお父様の手紙が届くその間、ジョナスはお見舞いと称して花束を持って何度かここに来ました。どうせエイミーとの関係を口外するなと脅しに来たのでしょう。騒ぎになってカミラ殿下との婚約を邪魔されたくはなかった。
新たに私のお相手となったのはオルグレン辺境伯の令息ダリル殿ということでした。デリック王陛下とは偽りで、きっとジョナスの御父上で執政のゴドルフィン公が手を回したのです。
頑なにジョナスと会うことを避けた私に対して危機感を覚えた。そして、これから先、私が何を言い出すかを恐れた。私の口封じです。辺境に追いやってしまえばいい。二度と王都レノで私の顔を見ることはなくなる。
人のいいお父様のことです。陛下がお心を痛められたと誰かから聞いてそれを真に受けた。陛下からその言葉を直接頂いたわけではない。お父様は王都レノにいないのですから。
この街の風景はもう見たくありません。カーテンは閉めたままの暗い部屋で、考えるのは故郷のことばかり。希望に満ちて王都レノの地を踏んだ私には戻れない。
メイドが心配して、私の様子をお父様に知らせたのでしょう。元気を出しなさい、卒業式には皆が待っているよ、という内容の手紙が、宝石の縫い付けられたドレスと共に届けられました。
ですが、私は出席しませんでした。
令息令嬢のメイド同士、お付き合いがあるのでしょう。メイドが卒業式の話を私に聞かせてくれました。誰がどんなドレスを着ていたとかです。懇意にして頂いていた令嬢たちが私を心配しているとか。
どの話も私の頭にはすんなり入って来ませんでした。ですが、一つ耳に付いたことがありました。ダリルです。新たに婚約相手となったオルグレン辺境伯令息。彼もまた、卒業式に出席していませんでした。
それから私は彼のことが気になり始めました。そういえば学校で彼と会った記憶がない。四月になれば王都を離れます。それまでに一度会ってみてもいいのではないかと私は考え始めました。日にちは数えるほどしかありません。
そう思いながら一日二日経つと、居ても立っても居られないようになっていた。私は執事に命じて馬車を用意させました。
☆
オルグレン卿の王都別邸は執政ゴドルフィン公の屋敷に引けを取らない大きな屋敷でした。門を抜け、広い庭を走り、ロータリーに馬車を付けます。
執事と共に私たちは屋敷の前に立ちました。執事がドアをノックしようとするその前に、ドアが開かれる。
「もう来る頃かと思っていました」
私より背が低く、目がクリクリとした、例えるならフクロウのような男が立っている。
「よろしく。僕はダリルだ」
この人がダリル。私と生涯共にする人。
血の気が引いていくのを感じた。王都を出れば何もかも解決すると私は思ってた。いい当てつけです。皆、このことは知っていたのでしょう。エイミーたちの笑っている顔が目に浮かびます。
私へのいじめはまだ終わってない。オルグレン卿もグルだった。財力にものを言わせゴドルフィン公と話を付けた。息子に結婚相手がいないなんておくびにも出さず、傷物を引き取ってやる体で私を買った。
突然、ダリルの手が私に向かって伸ばされた。私に何かしようとしている。
ですが、その手は私の前で止まった。
これって中産階級で流行の握手? ってやつですか。紳士が淑女に? それも初対面の相手に? いくら私が自分のものになったとはいえ、私のことを馬鹿にし過ぎです。
「あ、そうか。つい癖でね」
ダリルは一方の手で頭を搔きながら、空になった方の手をズボンで拭った。
照れている? ってことですか。手をズボンで拭うなんて、他に紳士らしい振る舞いがあるでしょうに。もう帰りたくなりました。もう誰とも会いたくない。
「さぁ、はいった、はいった」
私の背に手が回されました。
背中は押され、私は無理やり屋敷に入れられました。私の執事は外に置いてけぼり。ドアが閉められます。
私は一人になってしまいました。
「ちょうど今、友達も来ているところなんだ。彼らに君を紹介したい」
はぁ?
今、この人は友達って言った? この人に会いに来る令息がいる? 私には誰もいないのにこの人に友達? 学校も行っていなく、卒業式も出ないのに?
嬉しそうなダリル。
笑顔に嘘はないように見える。どうやら友達っていうのはホントのよう。そういえばこの人、卒業式にも出ないのにやさぐれた感じが全くない。
ひとりぼっちでないから。
よっぽどの友達なんでしょう。どういう人たちだろう。私は好奇心にかられてしまい、先に進むダリルの背中をつい追ってしまっていた。
大きなテーブルのある部屋に入りました。そのテーブルのお誕生日席に、窓を背にして令息が座っている。組んだ足をテーブルの上に放り投げていた。
やっぱり。
そういうことでしたか。かっこだけはちゃんとしているところを見るとどこかの令息のようですが、やっぱり学校で見たことがない。オルグレン卿は私の他にもお金で買った人がいた。どこかで拾って来た人にお金を渡していいお洋服を着せ、友達に仕立て上げた。
期待した私が馬鹿でした。ダリル・オルグレンはさしずめ遊び人。田舎から観光気分で王都レノに来たおのぼりさん。学校なんて初めから行く気はさらさら無かった。卒業式に出ないなんてまともな考えじゃないけれど、理由があって家を出られない私とは全然違う。
他にも三人。一人は顔に見覚えがあります。確か、チェスター・ケンドールとおっしゃいましたか。ほっとしました。まともな方もいらっしゃった。いいえ、まともとは言えないかも。
元教師。政治を批判して王立修学院を追い出されました。他に大柄な方に、細身で長身の方。どこにでもいそうな人たち。彼らについてははっきりとしている。服装もそうだけど歳が離れすぎている。間違ってもダリルの友達だと言えない。
不意に、誕生日席の令息ごとくな人が腰を上げたかと思うと私に向かって一直線に、テーブルの上を歩いて来ました。
テーブルの端で立ち止まる。私を見下ろしている。なんて恐ろしい目つき。
「これはこれは、デネット嬢。お初にお目にかかります」
テーブルの上で右足を引き、左手を広げた。そして、テーブルから飛び降りるとすぐ目の前に立つ。顎に手が触れる。私の顔が軽く上げられた。
「噂にたがわぬ美しさ。ダリルにはもったいないな」
そう言って部屋を出て行ってしまいました。驚いたのとその勢いに呑まれたのとで私は抵抗することさえ忘れてしまっていた。
「今日の授業はここまでとしましょう」
ケンドール先生は私に礼をすると本を脇に抱え、出ていかれました。他の二人も私に礼をするとケンドール先生について行きます。
「あの方たちは?」
「ケンドール先生は知っているよね。首になったので僕が雇いました。大柄な男はベン・グット。土建屋、手配師。人足の調達、道の整備、土地開発、治水、埋め立て、農地開発開拓。戦闘では工兵もする。国家事業でカシ河河口の埋め立てがあったろ。終わってしまって職にあぶれていたんで僕が雇った。今やってもらっているのは我が領地の農地開発。のっぽはアラン・アビントン。ここの庭師。背が高いから庭師にしたんだ。でも、実は元傭兵部隊の長。専門は弓。最近のクロスボウばやりで職にあぶれていた。で、さっきテーブルの上から君に挨拶をしたのがブラッド王太子」
「ブラッド王太子殿下?」
あ、あれが。
始めて見ました。王立修学院は諸侯の令息令嬢の学校。王族は基本、城でお学びになられます。街には出て来ません。
「驚いたろ」
奇行が目立ち、デリック王陛下も手を焼いていると聞きました。いいえ、おそらくはゴドルフィン公に嫌われているのでしょう。廃嫡も噂されています。
「賭けをしたんだ。それに僕が勝ってね。それから僕の家に入りびたりさ」
ダリルが言うには、老いた旅の戦士と近衛騎士が路上で決闘を始めた。多くの野次馬が集まって来て、その中にブラッド殿下もいらした。ダリルはちょうどそのそばにいて、どっちが勝つか賭けようとブラッド殿下に持ち掛けられた。
ダリルは、賭けの相手がブラッド殿下とはその時夢にも思わなかった。いいよ、って気軽に返事をしたそうです。
ブラッド殿下はというと、その近衛騎士の実力を十分分かってらっしゃる。なにせ近衛騎士は輪番で城に常駐しています。訓練をしているところもご覧になったでしょうし、我が国ゴドーの威信もかかってる。当然、ブラッド殿下は近衛騎士が勝つとおっしゃいました。
一方、ダリルは老いた戦士を選んだ。これで賭けは成立し、今度は何を賭けようとなる。ダリルは金貨一枚を提示するとブラッド殿下は、金貨一枚だと? とおっしゃって鼻でお笑いになったそう。それでダリルはこう提案した。
「じゃぁ、僕は命を懸けるよ。君はそれに見合ったものを賭けないといけないが」
ブラッド殿下はお受けになられました。一生ダリルの下僕となるとおっしゃったそうです。結果はダリルの勝ち。ダリルは旅の老人が誰かを知っていた。東方の剣聖だということです。
ブラッド殿下は負けを御認めになり、それで約束通り毎日ダリルに会いにいらっしゃる。下僕とはほど遠いのですけど。
「うちの料理は最高だ。デザートもちゃんとある。せっかく来たんだ、御馳走させてくれ」
ダリルの言う通り、食事は最高に美味しかった。ここ何か月、私が満足に食事を取ってないことをダリルは分かっていた。
話も面白い。色々なことを知っていた。令息令嬢がするような駆け引きや、他人を貶めるような話ではなかった。他国の変わった風習、気候。動物や虫の習性、植物の話。ずっとこんなに楽しい食事はしていなかったように思う。
「殿下はわざとテーブルの上を歩いたんだ。君が来てすぐに僕らがここで食事をするのを悟ったようだ。ここの飯は上手いもの。殿下も食べてくしね。で、君を見て僕に嫉妬した。ちょっとした僕への当てつけさ。あの人は世間で言うような馬鹿ではない」
その日以来、私はケンドール先生の授業を受けるようになっていました。授業の中心は討論です。場所は日によって違う。天気のいい日は庭でお茶を飲みながら。雨の日はテラスで雨音を聞きながら。王都レノを出て森を散策しながら討論することもありました。
おしゃべりすると楽しいの。皆、色んな事を知ってらっしゃる。人には色んな生き方もあるって知ったわ。聞く話、聞く話、全てが新鮮だった。
毎日がキラキラ光ってた。人生を取り戻したと実感できたわ。私の居場所はここしかない、そう思えた。
ですが、楽しい時間は瞬く間に過ぎていくようです。その頃、国を揺るがす事件が起こっていました。当初、私たちに何も関係ないとばかりに、私は他人事のようにケンドール先生の授業を受けていました。
私たちのようなはぐれ者を世間では誰も相手にはしない。この幸せはもう誰にも邪魔されない、と私は勝手に思っていたのです。
我が国ゴドーと隣国カッソはスサリー地方の領有権をめぐってずっと争っていました。実効支配をしていたのは我が国で、そこに砦を築いて軍を駐屯させている。
夏が来ようとしていた頃、カッソが三万の兵でその砦を取り囲みました。砦に詰めている兵は五百人。我が国ゴドーは砦に援軍を差し向けることとなりました。
指揮を任されたのはブラッド王太子殿下。兵は思うように集まらずその数一万。そのほとんどがオルグレン卿の兵です。デリック王陛下からは近衛騎士団五百が与えられただけでした。
ダリルもオルグレン卿の代行としてブラッド殿下に従います。ベン・グットも工兵長として、長身のアラン・アビントンは弓部隊を率いるとのことでした。
砦に五百人いるとしても、実質は一万対三万。数の上から言っても勝てる見込みはありません。
ゴドルフィン公が軍を指揮すればよかったのです。普段振りかざしていた権力を今こそ使うべき時ではないでしょうか。ゴドルフィン公なら三万を優に超える兵を集められたでしょうに。
出陣の前日、オルグレン邸にいつものように皆が集まりました。戦地に赴く四人の顔を見ると急に涙がこみ上げて来る。
ダリルは私の頬に流れる涙をハンカチで拭ってくれました。ブラッド殿下は私たちに気を遣われたのか、何も言わずにその場を去って行かれました。他の方たちもいつの間にか居なくなっています。
涙が止まらない私にダリルは言いました。
「なぁ、セシリア。四月になっても僕がなぜ王都に留まっていたか理由が分かるか。本来なら僕は君を連れて故郷に帰って盛大に式を挙げても良かったんだ」
考えてもみなかった。こんな時間がずっと続けばいいって思ってた。
「僕はブラッドを絶対に王にする。そのために僕はここにいる。敵が誰かも分かっている」
執政ゴドルフィン公。
「大丈夫。僕は誰にも負けたりはしない。ちゃんと準備はしていた。僕らは元々戦うつもりでいたんだ。残念ながら時期も相手も違ってしまったけどね」
いつかあいつとダリルは戦おうとしている。
「こんなところでつまずくわけにはいかないんだ。それに僕はここに帰って来なくてはならない理由がある。セシリア。君だ。僕は君を絶対に幸せにしてみせる。僕の父上も君が来るのを楽しみに待っている。僕の思ってた通りセシリアはいい子だった。そう伝えてある」
☆
四人が戦場に出て行ってしまって王都レノからいなくなっても、私だけはオルグレン邸でケンドール先生の授業を受けていました。ケンドール先生にはダリルから戦況が届いているようでした。ケンドール先生が逐一私に話してくれます。
紛争地となっているスサリーは国境の南東の端です。ブラッド殿下が指揮する軍は順調にスサリーへ向けて進軍しました。
ですが、どういうわけか途中で道を折れ、北東に軍を向けたと言います。そのまま進んで国境を隔てる山地帯を抜け、敵国カッソ領内に進攻したそうです。
まるっきり明後日の方に進軍したのは王都でも知れ渡っていました。市井で物笑いの種になっています。殿下はカッソ領内で略奪や破壊、農作物の刈り取りなど好き放題やりつつ国境を遠く離れ、更に敵国奥地、カッソ中央へと軍を進めました。
殿下が通った後は死体と焦土しか残らない。食べ物や価値ある物は全て殿下が奪って行ったと言います。何をしに行っているのか。本来の目的と違う行動をする殿下は街中でもちきりとなりました。
やはりブラッド王太子は狂っている。王都レノで話題を集めているのをよそに、殿下はなおも進軍を続けます。ケンドール先生曰く、殿下は自軍の状態にご苦慮なされているのでしょう。防衛体制の手薄な地域を選って進軍しているようなので今は心配いらない。
カッソの中央にロール河という大河が流れています。殿下はその河口周辺の村や都市を手あたり次第、手にかけていく。一帯を焦土に変え、手に入れられるものが何もなくなると今度はロール河に沿って上流に向かいます。
その先は敵国カッソの王都アメデです。カッソの王バディスは慌てて王都アメデに軍を集めました。加えてサスリーを囲んでいた軍三万を王都アメデに戻します。結果、サスリーは危機から脱したのです。
王都レノでは思わぬことに貴賤問わず誰もが喜んでいました。馬鹿と鋏は使いようと執政のゴドルフィン公を街中が褒め称えます。
殿下の軍はロール河から離れ、北上を開始しました。スサリーの状況は把握していました。本国への帰還です。
怒り心頭のバディス王はそれを許しません。サスリーから戻った兵三万に加え、自らの兵一万五千で殿下を追うのです。
カッソ軍の動きは速かった。軽装のクロスボウ兵に加えて全軍がほぼ騎兵だったこともあります。ですが、やはりバディス王が自ら馬を駆り、先陣を切ったのが大きかったと思います。
殿下の軍は重装歩兵が中心です。騎兵には速度で敵いません。国境を越える前に山地帯でカッソ軍に補足されてしまいました。
王都レノでは、ブラッド王太子は終わったと囁かれました。大勢の人を殺し、悪事を働いた報いだとか、日頃からの常軌を逸した行動が徒となったとか。
王家の面汚しとか、死んでもないのに死んでくれて良かったとか。ゴドルフィン公にありがとうと言わなければならない、とまで陰口を叩かれる始末。
許せません。ケンドール先生は勝てるとおっしゃって下さいました。ですが、戦いに勝ったとしても、敵は四万五千の大軍。生きて帰って来られる保証がどこにあるのですか。
私の出来ることはただ祈るだけ。私の大切な人を奪わないでほしい。ダリルは私に手を差し伸べて下さいました。私はまだ、ダリルに何も出来ていないのです。
☆
ブラッド王太子殿下は王都レノでの予想をいい意味で覆しました。凱旋したのです。ケンドール先生のおっしゃった通り、戦いに勝った。それも快勝だった。一万の兵で四万五千を壊滅させ、バディス王をも捕虜にしたのです。
殿下は山を背にして陣を敷いたといいます。両翼にロングボウ兵を据え、中央に重装歩兵を並べました。そして、中央後ろに殿下自らが指揮する近衛騎士団五百。
陣の前はというと、山から切り出した木を使って杭を無数に打ち込みました。更にその前には落とし穴を幾つも掘ります。
対するカッソ軍は平野に展開し、クロスボウ兵六千を一列目、重装騎兵一万二千をそれぞれ二列目三列目に配置。四列目の一万五千をバディス王自らが率いたそうです。
殿下が敷いた陣形は守りに重点を置いたものです。相手が仕掛けて来なければ機能しない。それは見るからに分かりそうなものですが、バディス王は攻撃を仕掛けて来ました。
こちらが少数ということもあるのですが、やはり一番は殿下を許せないのです。
スサリーの攻城戦に参加した敵諸侯は、留守の間に領地を荒野に変えられました。バディス王も接近する殿下の軍に対応するため王都アメデに兵を集めなくてはならず、その間に王直轄地を殿下に蹂躙されていた。
工兵のベン・グットが良く働いたのでしょう。あまりにも良い仕事をしたので街や農地の回復は何年もかかると聞きました。
自軍にどんなに損害が出ようが、殿下を捕らえて八つ裂きにする。カッソ軍はそうしなければ気が収まらなかったのです。
敵カッソ軍一列目のクロスボウ兵が前進を開始しました。クロスボウは機械式の弓矢で、威力もプレートアーマーを容易に貫通させられます。対して弓は長期の訓練や才能が必要であり、クロスボウはそんな必要もなく素人に持たせるには打って付け。狙いをつけ、引き金を引けばいいのです。
ただ、一分間に一、二発しか撃てない。殿下のロングボウは一分間に十発は放てる。射程もクロスボウより断然長い。しかも、殿下は高所に陣取っています。射程も威力も増しましょう。案の定、落とし穴に到達する前にカッソのクロスボウ兵は全滅しました。
クロスボウ兵の壊滅により、より頭に血が上ったカッソ軍は第二列重装騎兵を前進させました。平民の兵なぞゴミ同然と生き残っていたクロスボウ兵を踏みしだき、殿下の陣へと向かって行く。ですが、落とし穴が待っている。
ロングボウの狙い撃ちです。カッソ第二列は多くの損害を出しつつそれでも前進。落とし穴を抜けたとしても今度は無数の杭です。そこを殿下の重装歩兵が押し出して、カッソの騎士を馬から引きずり降ろし、討ち取っていく。カッソ軍の第二列目は壊滅寸前となる。
黙って見ていられなくなった第三列も前進を開始します。ただ、敵も馬鹿ではありません。三列目はただ突っ込んで来るだけでなく、第二列目の騎士たちを吸収しつつ引いては体制を整え、また押し出すを何度も繰り返す。
アラン・アビントンは味方のロングボウ兵を鼓舞しつつ、ずっと弓を弾き続けました。矢が尽きかけると、ベン・グットら工兵が戦場に出て、死体や地面に刺さっているのをかき集める。朝から始まった戦闘は長時間に及び、やがて夕暮れを迎えようとしていました。
四列目のバディス王は、生き残っている兵も合わせ全軍に馬から降りるように指示しました。落とし穴に杭、そして、死体の山。馬を走らせるには足場が悪かったのです。
殿下も野戦陣地を捨て前進を指示しました。勝負を決しようというのです。一万に満たない兵とバディス王率いる二万近い兵が平野で激突致しました。
壮絶な戦いだったそうです。ダリルはあの小さな体で剣を振り、味方を鼓舞しました。
双方が捨て身で戦いました。数の上で劣るダリルは自ら戦場を駆けずり回り、なんとか戦列を維持させます。ちょっとでも乱れれば終わりなのです。
長く続く膠着状態。どちらも全く引かない。その均衡を崩したのは他でもない殿下でした。
ダリルが敵戦列を抑えている間、殿下自らが近衛騎士五百を率い戦場を迂回。バディス王率いる二万近い兵の背後を突きました。平野の重装騎兵は恐るべき破壊力を見せます。バディス王の戦列は瞬く間に崩壊していったのです。
☆
私はダリルにエスコートされ、戦勝パーティーに出席しました。国内の諸侯、令息令嬢全てが城に集いました。
殿下はデリック王陛下の前で跪き、勝利の報告を致します。陛下は皆の前で殿下にこう言いました。
「ブラッド、おまえこそ我が王冠を継ぐにふさわしい」
そして、殿下の手を取ると引き寄せ、抱きしめました。会場は凛とした空気に包まれます。
「陛下、紹介したい者がおりまする」
デリック王陛下は殿下を離し、笑顔を見せました。殿下は踵を返すと皆に向かいこう言いました。
「わが右腕にして盟友。彼がいなければこの戦は勝てなかった。ダリル・オルグレン。そしてそのフィアンセ、セシリア・デネット嬢。さぁ、前へ」
込み合う会場がみるみるうちに二手に分かれていきます。ダリルと私の前に王座までの道が開かれました。
「さぁ、行こう。セシリア」
ダリルに手を引かれ、私は人垣の真ん中を進みます。やがて陛下の前までやって来ました。跪きます。陛下は笑顔で迎えて下さいました。
「よくぞ我が国を救ってくれた。さぁ、皆にその顔を」
私たちは、はいと返事をし、振り返ります。そして、大勢の諸侯、令息令嬢に向けて挨拶をしました。ダリルは右足を引き、左手を広げる。私はスカートの裾を上げ、足を後ろに。
もの凄い喝采です。パーティー会場が割れんばかりでした。それが延々と続きます。
私は舞い上がってしまいました。どんな顔をしていたらいいのか分かりません。呑まれてボーっとしていると手がグッと握られる。ダリルです。満面の笑みでした。
全然動じていない。この人にとってはこの喝采もそよ風。そうです。私はこの人について行けばいい。
終わりの見えない喝采に、グラスが鳴らされました。殿下がフォークで叩いたのです。会場が静まり返ります。
「恐れながら陛下、この場をお借りしてよろしいでしょうか」
デリック王陛下は大きく頷かれた。失礼します、と殿下は陛下に頭を下げ、大勢の諸侯、令息令嬢に向け大音声を発しました。
「諸君らに話すことがある。王都レノにはびこる諸悪の源はこの男、執政ゴドルフィン公爵である!」
殿下は、デリック王陛下の横に控えるゴドルフィン公を指差しました。
「この男はこの私を追い落とすためカッソと手を組んだ。この戦はこの男が、バディス王をそそのかして始められたものだ。私が少ない将兵で戦地に向かわされたのも、物資が届かなかったのも、もちろん、この男の仕業。捕虜にしたバディス王がそう証言した。これ以上の証拠がどこにある。それだけでない。この男は私を追い落とし、嫡男ジョナスに我が妹カミラを嫁がせ、王位の簒奪を企てた。やつの所業は万死に値する」
殿下が近衛騎士に視線を送りました。近衛騎士は素早く動くとゴドルフィン公を拘束し、引き立てて行きます。会場にいるジョナスにも近衛騎士が集まっていました。横にいたエイミー・アシュトンは青ざめている。
そのエイミーに、殿下の視線が止まった。
「エイミー・アシュトン。我が妹を愚弄する者。ジョナスが、我が妹と婚約したというに貴様はなぜそこにいる。構わぬ。そいつも捕らえろ」
エイミーは近衛騎士に引っ立てられて行きました。全部ジョナスがやった、私は何にも知らない、と泣き叫んでいる。
やがて会場から二人の姿は消えました。殿下は今まで見せたことのない笑顔を私にお見せになられた。
「デネット嬢、仇はとったぞ」
そして、耳元で囁く。
「ダリルは見かけこそ悪いが大した男だぞ。いい旦那を貰ったな」
その言葉はダリルにも聞こえていたようです。小さい声で独り言のように言いました。
「そりゃぁ、どうぜ見かけは悪いですよ」
ダリルらしくない。何事にも動じないと思ってました。殿下が私の耳元で囁いたので妬いているのかしら。でも、殿下のおっしゃる通り確かに燕尾服は似合ってません。フクロウというより、どちらかというとペンギンです。
ダリルが拗ねているので、ご機嫌直しに私はキスをして差し上げました。
パーティー会場に大歓声が沸き起こりました。私たち二人は皆に祝福されている。ダリルは大きな目をクリクリと回していました。
「さすがのダリル・オルグレンもデネット嬢には形無しだな」
殿下も笑ってらっしゃる。フラフラとするダリル。
「ねぇダリル。あなたといると私は幸せ。私にとってあなたは最高の旦那様」
《 了 》
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