【截拳道は魔法じゃない。】
「多くの罠をくぐりぬけ、ここまでよくぞ辿り着いた。キサマに我に名乗る栄誉を与えよう!」
「仲間からはリョウと呼ばれている」
悪趣味なほどに大きすぎる椅子にふんぞり返る魔王に、いつものジャージ姿でリョウは応じた。
――この前まで片田舎の村娘にすぎなかったメイベルは、この世界でもっとも劇的なホットスポットにいた。
魔王が現れる前には影も形もなかったという、禍々しいながらに真新しくそびえる城。
そこには各地から徴収された様々な財宝が集まっているという。
噴水は精緻な彫像が水を吐き出しつづけ、壁には絢爛華麗な鎧が飾られ、絨毯代わりに巨獣の毛皮がしきつめられている。
例によって、噴水の彫像はガーゴイルで、鎧はリビングメイルで、毛皮はもちろんキマイラで、全部が襲ってきたが、リョウはことごとくを撃退した。
伝説の剣や神秘の鎧もなにもなく、コンビニにでもいくような化学繊維のジャージを着た截拳道使いはリョウは魔王までたどり着いたのだ。。
「ただのリョウ? 苗字もないのか? 奇妙な男だな。いかなる仕事だ? 魔術師や剣士ではなさそうだが」
……あれ?
メイベルは、そこに来てはじめてリョウがアリスではないことが役に立ったと感じていた。
この世界の言葉が喋れないはずのリョウの自己紹介を、魔王はそのまま理解できた。すなわち。
「生き方という意味では武道家だ。截拳道を使う。生業という意味での仕事は海賊でスナーク狩りだ」
「スナーク? なんのことだ?」
「お前のことだ魔王。他の世界からやってきたアリス。そして別の世界の均衡を崩す。それがスナークで、それを狩るのが俺たちだ」
ほう、と魔王は笑ってみせた。
他世界から来たということを指摘されても、魔王は大して驚いた様子もなかった。
その理解の早さこそが、リョウとメイベルの考えを肯定していた。
「やはりか。お前も他の世界から来たというわけか。だが……それなら、お前はどうなんだ? リョウとやら?」
「なにがだ?」
「お前もこの世界で多くのモンスターや私の配下を倒したきた。それはこの世界を破壊することではないのか」
「……はァ!?」
挑発めいた言葉に、リョウの後ろにいたメイベルが熱くなった。
この場で唯一の、この世界の住人であるメイベルが、だ。
なにをいっているんだ。この魔王は。
「あんたが! 何に使うか知らないけど!変な金属を集めたりしたせいであたしの村や……この世界の経済はメチャクチャよ!
そのせいでオーガやワイバーンは家や餌場を失ったり、ヒュドラは腹が減ってコインなんて食べたりした! アニさんが倒したモンスターたちは! 全部! あんたの……!」
「いや。メイベル。それは違う。俺はこの世界で食事をし、水を飲み、酸素を減らしている。それはこの世界の均衡を崩しかねない行動には間違いない」
「――だろうな。そこの小娘は知らないんだろうが……我々は、いうなれば外来種だ。我々が何かを行動するたび……それこそ、この城を目指すだけで、それはリスクの高い行動だ」
「俺の体内では害のない雑菌も、この世界では致命的である可能性も有った。逆もだがな。俺が生きているのはたまたまだ」
言葉の分かる能力があっても、雑菌という概念そのものをメイベルは理解していない。
アリスは言葉を翻訳できるが、知らない言葉の意味合いも理解できるわけではない。意図がわからない言葉は、やはり意味不明な言葉として伝わる。
もしも、メイベルに説明するならば、環境が違えば世界ごとに全く異なる進化をするというところから説明すべきだったろう。
ある世界ではドラゴンが存在し、ある世界では恐竜が栄え、ある世界では恐竜人が誕生したりもした。
そうなれば、目には見えない微小な世界でもそれは否定できず、他の世界ではすでに死滅したり淘汰されたウイルスが、他の世界では猛威を振るうことも有り得る。
「武道家よ。キサマのしていることは、この魔王と大して変わらない。
だがな。私はキサマを評価している。共にこの世界を支配しよう。世界の半分を統治してくれまいか」
世界の半分で勧誘とは破格であるし、交渉と報奨として悪くはないのかもしれないが、相手のことを理解していなさ過ぎる。
魔王の目の前にいる男は勇者やなんかではない。リョウなのだ。
「なにを勘違いしているんだ? お前は」
「……はえ?」
マヌケな、実にマヌケな言葉が漏れた。
声を変質させる魔法でも使っているのだろうか幼さすら感じる。実年齢はメイベルと大差ないかもしれない。
そしてなにを言うのかと、メイベルもリョウを注視した。
「最初に言っただろう。俺は正義の味方でも勇者様でもない。海賊だ。
数多の世界を……鏡の海を走り抜ける海賊で……他の次元を気ままに流れ、誰も行ったことのない場所へ行き、食ったことのないものを食い、戦ったことのない相手と戦う。自由に行きたい場所にいく海賊。それが俺たちだ」
「ならば、ならばこそ、この世界を支配しないか?」
「救いようがないな? 魔王さんよ? お前、世界を支配したいなら……なんで他の世界になんか来たんだ?」
そういえば。メイベルはそう思った。
この世界を好き勝手にできるほどの力があって、なぜこの世界に来たのか。
メイベルは奇妙に、リョウは半ば事情を察しながら、回答を待ったが、魔王は答えなかった。
「征服したいなら産まれた世界を征服して見せろよ。それが筋だろう」
「……黙りなさいよ」
「逃げるだけなら良いさ。アリスという才能を使って他の次元に逃げる。
潰れるくらいなら逃げるのも作戦だ。だが他の世界で教えてもらった知識を振りかざして王様気取り。
そんなダセえヤツと組みたいわけなんて――」
「うっさいよっ!」
その声は、魔王としての威厳なんてカケラもなかった。
メイベルはとっさに寝小便をしたことを隠そうとする弟のことを思い出していた。
羞恥を紛らわす手段を持たない子供、そのものだった。
「お前、落ちこぼれなんだろう? 俺の海賊船にも魔術師がいるが……あいつがもしこの世界を征服しようと思えば、もっと早く征服できているだろうな。
ここに来るまでの道中、オリハルコンがクズ金属として投げ売りされているのを見たよ。硬すぎて加工できない金属とか呼ばれてな。
この世界では魔術……特に錬金術の進歩が他の世界に比べて遅れている。それに付け込んで、お前は他の世界の魔術技術を持ち込んで魔王を気取っているんだ」
「……それって……? アニさん」
「アイツは魔王なんかじゃない。まだ技術的に発展途上世界で粋がっている……幼稚園で掛け算を披露して良い気になっている中学生だ」
魔王が叫んだ。
無様ですらあるその裏返った悲鳴が、リョウの推測を肯定していた。
「儂を! この我を! 侮辱するな! 私は最高の魔術師なんだ! 落ちこぼれなんかじゃない! 僕をバカにするなぁああああ!」
マントを振り払った中には、威厳のある魔神ではなく、まだ若い……メイベルと大して変わらない、メガネがずり落ちそうにやつれた少女だった。
その顔には魔力増幅のためのタトゥーが刻み込まれているが、それが大したものではないことはマジックで書いた落書きのような歪んだ線と非対称さで魔術に疎いリョウとメイベルにもわかった。
「一人称くらい統一しろ」
「うるさい! うるさい! うるさいよ! お前に何が分かるんだ! 僕は、僕は頑張った! それを! “イアンは禁術を使った”なんて告げ口しやがったヤツも、退学になんてしやがった教授も! くそ! くそ! みんな死ね!」
「知らねえよ」
「うあああああ! うあああああああ!」
魔王の……逆ギレ少女・イアンの周囲から電撃や炎がほとばしるが、それはメイベルですら目で追い、バックステップで逃れることができていた。
リョウの動きを見続けたことは無駄ではない。動きが見えている。
そして、もちろん、リョウは攻撃を避けつつ、平然とイアンとの距離を詰めていく。
「くそ! なんでだよ! 当たれ! 当たれよ! 当たれよお! 僕は魔王なんだ! この世界で一番、一番!」
「これは……喧嘩じゃないな」
「一番、いちヴぁあああああああ!」
「弱いものイジメになっちまうな」
リョウが軽く放った水平チョップがイアンの頸を真横から捉え、黙らせた。
人間の頸椎は高速で動かすと、神経の誤作動で意識が飛ぶようにできている。
この世界で下等と呼ばれるゴブリンたちは仲間のオーガのためにリョウに立ち向かい、リョウに傷を負わせたが、魔王はそれすらできなかった。
産まれた世界から逃げ出し、そしてこの世界との共存という戦いからすら逃げだし、支配しようとしていた少女ではリョウに対抗する能力はなかった。
向き合い、歯向かったものだけが喧嘩になる。
「あっさり、だったね」
「――あっさりすぎるな。さすがにこれだけのヤツに支配されるほど、この世界も甘くはないだろう」
「……え?」
「この根性なしを頼むぞメイベル。この根性なしが造った……何かが来る」
魔王城から外を見れば、地面が動いていた。地面が隆起し、黒光りする巨大な腕が持ち上がった。
それに続いて、肩、頭が起き上がり、立ち上がったそれは、この魔王城より大きかったのだ。
「あれ……もしかして、魔導鉄人!?」
「大きくすればするほど材質の強度が必要になるだろうから、このためのオリハルコンをかき集めていたということだな」
武術でどうにかできる範囲をはるかに超えている。
おそらく、イアンは魔王を名乗ってこれを徐々にバージョンアップしながら支配を広げていたのだろう。
地道なことだ。
問題は、イアンがノックアウトされているにも関わらず……それどころか、イアンが意識を失ってから起動しているということは、あれはコントロールされているわけではないということだ。
イアンが動かそうとしたところでその前に殴り倒してしまった、ということが。
「頭のネジの外れた根性なしが造った、頭の最初からない魔法の巨大ロボットか」
「あれは截拳道じゃ無理だよね、さすがに」
「無理に決まってるだろう。截拳道は魔法じゃない……こっちも切り札を呼ぶさ。
もし魔王が外来者でもなく“外法神”だったら使うつもりだったが……仕方ない」
「どこに行くの!?」
「この城には噴水が出ていた。あれを使う」
「噴水を投げるの!?」
「……お前は俺を何だと思ってるんだ……?」
殴り倒されたキマイラの横を抜け、砕け散ったリビングメイルにつまづかないように気を付けつつ、手刀で両断されたガーゴイルのいる噴水まで戻ってきた。
そのあとを追って、魔王をおんぶしたメイベルが到着したとき、すでにリョウは構えていた。
「この程度の岩盤なら、五発か……六発か?」
腰を落とさず、片足を前にだし、右腕を思いっきり伸ばしている。
リョウは、威力を出すために加速を重んじるべきだとメイベルに教えた。一撃に使う筋肉を増やし、加速を増やす。
截拳道における防御とは、それをさせないために相手の肉体の連動を崩し、タイミングを阻害することとする。
その考えでいけば、腕は振りかぶった方が良いだろうが、伸ばしきった腕から放つ突きの威力なんて、たかが知れている――はずだった。
ドン、という音と共に、噴水が曲った。金属と石の集合体であろう五メートルほどの高さと幅を持つそれが、高さ二メートル弱の肉の塊の放った一撃で曲った。
「……は?」
「思ったより脆いな。もう一発でイケる」
同じように腕を構え、呼吸を整え、それだけで放った拳が放たれたとき、噴水は完全に捩じ切れ、盛大に水を撒き散らしている。
たっぷりと水を吸い込んだジャージを引きずるように歩く姿は、それ自体が鍛錬であるとばかりに。汗を流せてちょうどいいとばかりにリョウはメイベルの元へと戻ってきた。
「今のが寸勁だ。筋肉だけでなく呼吸まで連動させ、気を爆発させて威力を出す技だ」
「気って、魔法?」
「截拳道は魔法じゃないと言っただろう」
逆に魔法と言われた方が、まだ納得できた気がする。
停止した状態から放つのは、それ以上の威力で打てばリョウの腕が耐えられないからではないかとメイベルは直感した。
動く標的を相手に打てば自分か相手のどちらかが死ぬ技。オーバーキルなのだ。競技的な格闘では不要がすぎる技術。それが寸勁。
「気というのは丹田から連動させる呼吸法と体幹操作の、この世界の人間がいう魔法とは全く別の概念だ」
そして砕けた噴水が撒き散らした水が床一面に広がり、その中に、影が見えた。
「これ、って……!?」
「“こいつ”が通れる鏡なんてザラにないからな。作るしかない」
巨大な柱が水面を裂いて生え、メイベルの横をすり抜けて魔王城の城壁を崩した。
いや、柱ではない。白く輝く金属の塊。その先端についていた鋭利な形状。そして床の水鏡に映った“それ”の形状に、メイベルは見覚えがあった。いや、思いだした。
幼い日、初めて鏡の中に見た鉄巨人の胸には、虎の頭部のようなレリーフが付いていた。鏡像のようにおぼろげだった記憶が呼び起こされる。
そのときのレリーフが水鏡の中にいた。水面から飛び出ていたのは“それ”だ。巨大ながら鋭利な爪を備えた、獣の腕。
光輝なる白き虎。その威容は、魔王城に収まるような大きさではない。
「来い! 戦虎!」
飛び出した前足が魔王城の壁を打ち壊し、溜まった水が繋がって池のような大きな鏡になる。
それは虎が……戦虎が通ることができるギリギリの大きさになった瞬間、大口はメイベル、リョウ、魔王の三人を一口で飲み込み、そして城から飛び出していく。
戦虎は大きかったが、ゴーレムは更に大きかった。四つん這いになっているとはいえ、戦虎の体高はゴーレムの膝までしか届いていない。
「これで……勝てるの!? アニさん!?」
「微妙だな。さすがにサイズが違う」
「は!?」
「とりあえず捕まっていろ。かなり揺れるぞ」
飲み込まれた三人は、戦虎の額にいた。
どんな経路を通ったかわからないが、メイベルが気が付いたらそこにいた。魔王をおぶったままで。
リョウは見たこともないようなテカテカとした材質の椅子に座っているが、メイベルと魔王がいるのは毛布やらガスコンロ、カップ麺が置かれた後部座席。
荷物を固定するためのネットが掛かっているが、明らかに人間が乗ることを想定したスペースではない。ではないが、メイベルは荷物からロープを取り出し、魔王を縛り付けた。
リョウのいう“かなりの揺れ”に自分一人が耐えられるからも怪しく、魔王の身体を守ってやれる気はしない。
「さあ……行くぞ!」