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鏡竜機神ジャバウォック 多次元海賊戦記  作者: 84g
截拳道と村娘、あとときどき魔王。
4/31

【ゴブリン退治には、ジャージとスニーカー。】

 街道を外れ、どれほどに走っただろうか。

 はじめて鏡を見た日から何年か経ち、短く切り揃えた栗色の髪は少年のようだが、生来備わった人懐っこさで、村でも五本の指に入る美少女に成長していた。

 ……まあ、小さな村だから、そんなにたくさん年頃の娘がいるわけでもないが。

 とにかく、村から出て道に迷ってしまっているが、それよりも、メイベルは走らなければならなかった。

 荒くなる呼吸と高鳴る心臓、嫌な気持ちがないことに、やっと気が付いていた。


 悲しかったのは、村を出たことではない。

 家族のための一番の献身が、共に居るどんなことでもなく、別れることだったことが悲しかった。

 旅に出ること自体は、不安があってもはじめて村の外にでることへの期待が大きかった。

 感情の正体が分からないままにメイベルは、大きな町までの曖昧な地図だけを手に歩み進んだときに“それ”に遭遇した。赤みがかった皮膚にまばらに生えた体毛、豚を思わせる大きな鼻と鼻息。

 ゴブリンだ。

 目が合ったとき、メイベルはきびすを返して街道を外れて森に入るのと同時に、ゴブリンは奇声めいた雄叫びを上げた。他のゴブリンを集める号令だ。

 ゴブリンは臆病ではあるがユーモア以外の知性がなく生物と物質の区別すらつかない。捕まればどうなるか、死ぬまでオモチャになるか死んでもオモチャにされるか、どちらにしろ命はないだろう。

 メイベルは、自分の死に直面しながらも、不思議と胸が躍っていた。

 恐怖すら楽しんでいる自分に驚いており、なるほど。自分に村を出ろといった両親は正しかったのだと奇妙な納得すら伴っていたりして。

 振り返れば、ゴブリンは単数から多数へと増え、それぞれに馬やトロルの大腿骨に革を巻いて取っ手を作っただけの棍棒を担いでいる。雑な武器だがメイベルの頭部を叩き割るだけの破壊力は有しているだろう。

 足の長さからして、メイベルの方がゴブリンたちより少しばかり速かったが、スタミナは山育ちのゴブリンたちの方が勝っていた。

 いつかは追いつかれる。焦るより先に、メイベルはポケットの中から携行食の飴玉を取り出し、振り返ってゴブリンの口へと投げつけた。


「げ、ゲギャ?」

「ゲゲ、ゲゲ!」


 飴玉をかみ砕いたゴブリンの足は止まり、もっとよこせとばかりに笑っていた。

 その足が動くより早く、メイベルはもうひとつの飴玉を別のゴブリンの額に向かって投げつけてみた。

 ダーツか何かのようにビタリと貼りついた飴玉を奪い取るために、他のゴブリンがそのゴブリンの頭に棍棒を振り下ろすのは自然な流れで。

 奪い合いになるとは思ったが、まさか飴玉まで潰してしまうと分かり切っているのに棍棒で殴るとは思わなかった。

 メイベルは、乱闘を始めたゴブリンたちを放置してその場から走り去ろうと藪に足を突っ込んだとき、何かを、踏んだ。


「ガアっ?」

「あれ?」


 立ち上がったそれは、メイベルより大きかった。

 小鬼のゴブリンではない。大きく隆々としたそれは頭が引っ掛かろうが気にせず、首を動かすたびに枝葉をボキボキと折り、散らかす。

 礼儀知らずのゴブリンたちですら、怯えを敬意の代わりとして示す。オーガだ。

 オーガの出現に飴玉ではしゃいでいたゴブリンたちも、殴り合うよりも目の前の女の方が面白いオモチャになりそうだと気が付いた。

 既に飴玉はなく、メイベルには武器になりそうな物は携行食を切り分けたりするためのナイフくらいしかない。この状況を突破するアイデアに関しては、メイベルもゴブリンのように思いつかなかった。

 思わず後ずさり、藪の木が折れ、そして、もうひとつの何かを踏んだ。

 もう一匹、オーガ……!? 飲みこむツバもないほどの緊張の中、メイベルの足元から何かが立ち上がった。

 それは、オーガではなかった。それが何者であるか、メイベルにも、ゴブリンたちにも、オーガにも、分からなかった。


「……喧嘩か?」


 男は、人間であることは間違いないようにメイベルには思えたが、どうにも人種が違う。

 染めたような黒髪に眉毛、やはり真っ黒に輝く瞳は、大型の猫を思わせる澄んだ野生の宝石だ。

 温和そうではあるが、呼吸のひとつまで連動するような力強いたたずまいは、彼が鍛え抜いた肉体を駆使する戦人であることを雄弁に説明していた。

 メイベルが見たこともないツヤのある生地であつらえた上下揃いの貫頭衣……正式名称・化学繊維九十%のジャージ。魔術ではなく科学の結晶だったりする。

 メイベルより年上だろうが、十歳は離れていないだろう青年は、自然体で立っていた。


「ちょっとあんた、何!? なにしてるの!?」

「寝てた」

「見ればわかるわよ!」

「キミが訊いたんだろう?」

「そうじゃなくて! なんでこんなオーガやゴブリンが出るようなところに寝てるのよ、って話!」

「あいつらか? 小さい丸いのとデカイの、どっちがどっちか教えてもらって良いか?」

「はああ!? あんた、ゴブリンやオーガを知らないって……いや! それよりも! 何か武器とか持ってない!?」

「……ああ、もしかしてアレか。修羅場か」

「見ッ! れッ! ばッ! わッ! かッ! るッ! だッ! ろォッ!」

「痴話喧嘩か」

「ちっげーよ! なんであたしがゴブリンやオーガを彼氏にしないといけないの!」

「というか、キミは女性なのか。男だと思っていたな」


 興奮するふたりを見ていて、漫才めいたゲームだとでも思ったのか、ゴブリンの一匹がそれに混ざろうとした。

 すなわち、棍棒でふたりの頭を叩き割るツッコミを入れるゲームだ。

 その棍棒を、ジャージ男は目もくれなかった。

 肩甲骨から先の関節と筋肉を連続させ、くるりと回転。

 巻き取るようであり弾くようであり、ゴブリンも引かれたのか押されたのかすらわからず、棍棒もろともに弾き飛ばされ、尻餅をついた。


「っえ!? なに、なに!?」

「回し受け。空手(カラテ)の技術だな」

「いや、そうじゃなくて!」

「キミが訊いたんだろうに。さっきからなんなんだキミは……ちょっと待て? キミはさっきから何語を――」

「ゲギャァアアアー!」


 無骨な山刀を持ったゴブリンが思い出したように襲い掛かったが、ジャージ男にとっては大した意味はないようだった。

 空気が揺らいだ。

 ゴブリンたちはまたも空中を舞い、一回転して顔面から着地した。

 それがジャージ男が放った回し蹴りによるものだとメイベルが気付いたのは、ゴブリンの脇腹に男の布製の靴……スニーカーの跡が刻まれているのを見つけたときだった。


「とにかく、この喧嘩は俺が買おう。勝負だ! オーガ! ゴブリン!」


 種族が異なり言葉が通じないと分かっていながら、ジャージ男は高らかに宣言する。

 そして言葉は通じないが気迫は通じるものである。残った十数匹のゴブリンは飛び掛かるどころか、後ずさりさえしていた。

 ゴブリンたちは、人間が剣や魔法を用いて自分たちに対抗する場合があることを知っているからこそ、徒党を組んでいる。それが彼らの生存戦略。

 しかしながら素手で。正面から。戦う理由もなく。ただ喧嘩をしようと誘う人間がいるとは思っていなかった。

 そして、その中でオーガだけが動き出す。

 ジャージ男も人間としては決して小さくないのだが、オーガは明らかにデカい。ジャージ男とメイベルが肩車をしてもまだ大きいだろう。

 オーガは自分の背丈と同じほどの木を引き抜き、棍棒代わりに構えてみせた。ゴブリンたちとは違う。ジャージ男に気圧されていない。


「大将はオーガ、キミだな。喧嘩をしてくれるのか……有り難い」


 メイベルの身体は凍り付いたようにジャージ男の背後から動けなくなっていた。状況についていけていない。

 もちろん理解が追いつくのを待つわけもなくオーガは大木を振り上げた段階で、やっとメイベルは把握した。

 この大木の一撃をジャージ男が避けたら後ろのメイベルに当たる。オーガの知能は高くないと聞いたことがあったが、メイベルにとっては致命のアイデアを瞬時に思いつく軍略家だった。

 ――はずだった。


「せェッ!」


 大木を振り上げる動きに合わせ、ジャージ男は跳び、右肘から先、空手で言う腕刀でオーガのあごを真下から叩いた。

 それは、ボクシングなどの打撃系競技で俗にいう“脳を揺らす”状態。

 医学的な脳震盪と同義である場合や、脊椎を動かした際の神経の反射などの複合的要因によって意識消失を誘発する。

 対格差を埋める一撃としてジャージ男はアゴ狙いを決めていた。

 しかしながら、首が吹っ飛ぶような衝撃だったはずだが、オーガの生来持ち合わせる強靭な広背筋は頭部を大地を結わえ付けており、衝撃に耐え抜いていた。

 そして、オーガの木を持っていない方の腕、左拳が、ちょうど技を撃ち終わって無防備なジャージ男の胴体に照準を付けていた。


あぶっ」


 危ない! そうメイベルが叫ぶのも間に合わない一瞬で、オーガの叩き落とすような左拳がジャージ男の脇腹を捉えていた。

 地面に叩き付けられたジャージ男に追撃する大木の一撃が、メイベルとふたりまとめて叩き潰そうと降り注ぐ。

 そのとき。

 ――木より踏み付け(ストンピング)の方が嫌だったな――

 文字通り、瞬きする間もない一瞬で、確かにメイベルはジャージ男の声を聞いた気がした。

 起き上がってから迎撃したのでは受けきれない。

 ジャージ男は草地が焦げると思えるほどの熱を背中から解き放ち、踊るように回転して見せた。

 それは、自身が倒れる前に相手を倒す技術である空手ではない技術。

 中国武術・地功拳のバネ、ブラジル舞踏格闘術・カポエイラの柔軟性を併せたような、足払いという軽妙さすらある語感とは似つかないほどの威力で、オーガの足首を襲った。


「ッガッ!?」


 オーガの転倒に合わせ、足払いの遠心力を利用するように飛び出し、オーガの持っていた木を弾いてもまだ留まらない勢いでジャージ男は空中に飛んだ。

 交差するようにオーガの首に背後からジャージ男の両足が三角形を描くように巻きつく。

 空手にも地功拳にもカポエイラにもない、レスリングや柔術で見られる技術。後ろ三角締め(バック・チョーク)だ。

 オーガの腕が開いているように見えるが、今の状態でオーガが腕を動かすということは肩を動かすこと。肩を動かすということは首の筋肉を使うということに他ならない。更に深く足が極まってしまうだけだ。


 喧嘩タイマンならばジャージ男の勝利。オーガもメイベルも思っていた。

 しかし、空気と化していた一団がいる。ゴブリンたちである。

 今、オーガを救えるのは自分たちしかいない。

 だが、ジャージ男は両足だけでオーガを無力化しており、両腕は空いている。

 未知の格闘術を使う男を相手に攻撃すれば、自分たちも未知の反撃を受けるかもしれない。

 オーガの意識が消失するまでの数秒、ためらう間にもオーガの脳は酸素を欲して足掻いている。


「ッガガーアー!」


 動いたのは、先ほどジャージ男に最初に飛ばされた棍棒のゴブリンだった。

 ジャージ男の戦闘力を一番知っているはずの彼は、ジャージ男に殴り掛かった。オーガを救うために。

 その姿に、残るゴブリンたちもジャージ男に襲い掛かる。

 両腕が開いているといえど、ジャージ男の両足はオーガから離せないし、それを締めるために腹筋や背筋力も駆使している。

 通常の両腕より技の種類は格段に減る。その状況で、ジャージ男は笑った。


「燃える喧嘩になってきたな」


 寝ている相手への攻撃といえば、特別な技術を持たないゴブリンたちには踏みつける以外にはない。

 ゴブリンたちの無数の蹴りがジャージ男を襲う。踏み付けというのはシンプルな攻撃手段ではあるが、練習の必要がなく脚力と体重を込めることができる最強の打撃のひとつである。

 互いに足が絡み合い、仲間の足を蹴ってしまうゴブリンもいたが、それでもゴブリンたちはジャージ男への攻撃をやめなかった。

 ジャージ男も両腕をアップライドに構え、脇を締める専守の体勢を取る。

 オーガの意識が飛んだら、両足の自由になったジャージ男はゴブリンたちを一掃できるだろう。

 部下のゴブリンたちが恐怖を乗り越えて自分の救出に入ったことを理解したオーガは、両腕での反撃を捨て、首に全力を込める。

 仲間たちがジャージ男を蹴り殺すまで意識を保ち続ける。それが自分自身の役割であると本能で察したのだ。


 ――さあ、根競べだ――

 歯を食いしばり、言葉など発すことができないジャージ男は、蹴られながらもその両目を閉じることなく、燃えながら防御に徹す。



 袋叩きにされながらも、オーガとゴブリンの友情を感じ、楽しくなってしまうジャージ男。

 そんな彼を理解できないながらも、メイベルは自分の中に名状しがたい感情、しいていうならば炎のような熱を見出していた。

 逃げ出すのではなく、その戦いを見守らずにはいられない、そんな熱。

 この熱の正体を知るまで、逃げだすことなんてできはしなかった。

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