【大浴場】
「ハァー……ねぇー……アニさん」
「どうした?」
視線は天井に向いたまま、メイベルはリョウに尋ねた。
「……オッドアイの世界……ロックロック、なんとか、できるかな……」
「聞きたいことは、本当にそれか?」
荒れ切った呼吸に乗せて無意識に出たような言葉を、息も切らしていないリョウは冷静に応じていた。
「……違うね。あたし、また昆虫世界とロックロックを重ねてた」
既に滅ぼされていた世界。
ブージャムはリョウのウォーラナバが撃破したものの、昆虫の世界は、既に滅んでいた。
ヒトではないもの、鏡海の広さと壮大さを知ると同時に、過酷さをメイベルに突き付けた光景。
「俺たちはただの海賊だ。この鏡海を全て救えるわけじゃない」
「わかってる。わかってるけど、わかりたくないの」
「だろうな」
「どうして、みんなで助けに行かなかったの。チャンバラー……」
「……本当にわからないなら答えるが?」
「この船が戦ってるのは、チャンバラーだけじゃないから、だよね」
コクとリョウはうなずいた。
慢性的な人員不足。そうでなければブージャムへの切り札、ウォーラナバのパイロットであるリョウが、メイベルの鏡域まで来ることはなかっただろう。
魔王城を目指しているとき、時折、リョウがいなくなることがあった。
あれは他の鏡域へ助っ人や、ウォーラナバの運転のために離れていたのではなかろうか。
そこまでわかっていても、メイベルの心は納得していなかった。
大人の思考力を持っているかもしれない、それでもメイベルの大人になり切れていない部分が、現状に納得していなかったのだ。
巨大ロボット兵器すら格納してしまう海賊船・セカンドジョーカー号の、莫大に広い中の一室。
照明も壁面に埋め込まれ、ドアも自動ドアで取っ手やノブすらなく、完璧な正方形の部屋は、海賊たちには体育館と呼ばれている。
食堂で働いた後、ここでトレーニングを受けるというのがメイベルの日課であり、こうやって疲れ切って倒れてからリョウと会話を通じて世界を学ぶことも含まれている。
メイベルに食堂での疲れは確かにあるし、リョウはメイベルのような船内作業をしていない。
では何をしているのかといえば、聞くまでもない。リョウは拳士で、海賊だ。
メイベルが厨房で格闘をしている間、リョウは他の鏡域へ移動し、その鏡域を支配しようとするスナーク――この日は、他鏡域から優秀な格闘力を持つ人間を集めて人体実験の素体にしようとしていたマッドサイエンティスト――を倒すべく、完全武装をしたロボットレスラーを蹴散らしていたという。
言うまでもなく、金属の敵を素手で。ほとんどひとりで。
それは、リョウひとりで数日で解決できると判断された案件で、実際にリョウは半日でマッドサイエンティストの基地を壊滅させたのだ。
「……あたし、なんか、イヤだ。多くを助けられる方を優先する、っていうの。全部、なんとかしたい」
「ちょいとばかり傲慢だな。身の程知らずでもある。目標としては高すぎて漠然としている。だが、お前らしい」
「アニさんは違うの?」
「ノーコメント。自分語りをするほど若くもないし、答えを教えられるほど修めているとは思ってない。だが、ほとんど同じようなことを言っていた人を、ひとり知ってる」
「誰?」
「牙々御攻也。俺の前にウォーラナバのパイロットだった人だよ。ちゃんと話せなかったが、憧れてた。自分がやりたいことのために全力で生きている、そんな人だった」
その人はどうしたのか、そう聞けるほどメイベルは無神経ではなかった。
ただ無言で続きを促すことしかできなかった。
不意にリョウが視線を向けると、体育館の入り口、イアンが洗面器をふたつ、抱えていた。
「メイベルー。そろそろ行かないと、女湯の時間、終わるよー」
もうそんな時間? 疲れと汗を振り切るように立ち上がり、リョウに会釈してからメイベルは走り出した。
この海賊船は莫大に広い。そして、その中には大浴場も含まれる。
各所にシャワールームはあるものの、大浴場はそこにあるふたつだけで、概ね男湯と女湯で運用しているが、
この船にはそのふたつではくくれない、それこそロックロックの岩人間のように性別のない存在も多い。
そのため、定期的に“その性別”専用の時間が設けられ、女湯を利用するメイベルとイアンはそれまでに入らなければならない。
「今日も訓練、お疲れさま。メイベル」
「イアンもね! 幾魔学、楽しい?」
「うん、まあね」
イアンは、幾魔学という魔術と科学を両立させた、この海賊船の運用に必要な体系を見る見る習得していった。
元々は魔術師として生活し、落ちこぼれとして迫害めいた扱いをされ、魔王として暴走した。
しかし、幾魔学という学問は、イアンに合致していた。
魔術よりも再現性を重んじ、本人の魔力的資質にそれほど左右されない性質は、魔力という資質を問わない。
そして不格好だった魔力増幅用のタトゥーは、モノクロのヒマワリとしてリメイクされ、イアンの笑顔によく似合っていた。
他の鏡域ではタトゥーをしていれば断られる銭湯も多いが、ここは海賊船である。そんなわけもなく、今日も“男湯”“女湯”で分けられたのれんをくぐれば、底上げされた会計席・番台に座ったお馴染みの少女が笑顔で応じる。
「いらっしゃいませ。メイベルさん! イアンさん! 今日はミカン風呂ですよ」
「ありがと。アンちゃん」
はつらつとした笑顔の少女は、どこか気品のある声をはずませる。
銭湯に通うようになってから毎日顔を合わせている、人間の女の子だ。
「ねえ。アンちゃん。今日は次は何湯になるの?」
「はい。女湯はあと一時間三七分でリザーディ風呂になります」
「リザーディって……イアンの同僚の人たちだっけ」
「ええ。みんな良い人ですよ」
かわいらしさというか、花の香りのように耳が幸せになる声。
お姫さまのようなアンは、今日もドテラを着て番台でマネーカードを受け取っている。
リザーディは、初日に食堂で見掛けた赤髪の美女たちの総称だった。
しかしながら、厳密には彼女たちは“女”というにはかなり語弊がある種族であり、銭湯でも時間を分けられている。
その前に入ってしまわなければ、とふたりは疲れと一緒に剥ぎ取るように衣服をロッカーへ投げ入れ、タオル片手にキーを引き抜いてクルリとバンドを手に巻きつける。
給水機や扇風機の横をすり抜け、湯気をくぐって大浴場。
ここしばらく繰り返している、疲れを落とすルーティーン。
他の船員たちの中、空いている洗い場で洗身・洗髪。
まどろっこしい、大浴場が待ち遠しい。そんな平和であるとすら思える日々を過ごす中、風琵朗たちは、激闘の中にいた。




