【ミナモト サン】(2)
「すまないけど、急用ができたかもしれない……よければ、この先の食堂にでも行っていてくれないかな」
慈朗をラリアットで沈め、イアンが泣き止むのを待ってから、キジは別件で離れた。
慣れ切った小走りが、“かも”ではないことを証明しているようだった。
「……こういうところを旅するなら、それは大変だよね」
「うん、そう、だよね」
多くのことを知った。
まず、自分たちの知っている世界というのは本当にごく一部で、知らないことは知っていることの何倍、それこそ言い表す言葉を知らない程に多すぎるいうこと。
歩み進めた食堂では、ここまでも多くの不可解な現象を目の当たりにしてきたが、そこで遭遇したのものと比較しても、別時空の途方もない光景が広がっていた。
食堂の窓の外に広がるのは、来るときに見たのと同じ、だが全く異なる鏡の海。万華鏡のように変転し続ける光の世界。
迷路めいた通路を歩いたせいで気付なかったが、この食堂は船の外壁部分にあり、それで窓の外から外が見えるらしかった
それ以上に目を引いたのは、アットホームですらある食堂に不釣り合いな美女の集団。鮮やかな赤い鉄糸のような光沢のある髪をしている。
美女集団だけならどの世界でも見られる光景かもしれないが、その美女が熟女から幼女まで瓜二つで年齢だけが違うようなのが二〇人以上いるし、家族というにも似すぎている。
ならその一団が一番目を引くかと言われれば難しいところ。
ボックス席には大きな鎌を堂々と置いて邪魔以外の何物でもないのに誰も文句を付けられずにいる美少女。
テーブル席には炎のたてがみをしたのや鋼鉄の毛皮の犬に“マテ”をさせる中年女性。
普通に煎茶を飲んでいるだけだが、明らかにただものではない神父。
当たり前のように殴り合いの喧嘩を実況中継する派手なピンク、マゼンダのスーツを着た少女。
膨大な人数、異質な面々。
メイベルが奇怪な連中が揃っていると、食堂での風景だけで感じ取れた。
「なんていうか……すごいね、メイベル、この船……! これだけ色々な人がいて……外法神と戦っているのね!」
「それよりも、重大な問題があるわ。イアン」
「……私も、ちょっと気にはなってる」
「この食堂、どこから注文するの……?」
「……どこだろうねー……」
ただ、美味しそうな匂いがどこからともなくしていることだけは分かる。
一度も食べたことのない料理が待っているが、人がそれぞれに歩き回り、中には食事関係なくカードゲームをしているもの、食べ終わった器を戻しに行くもの、ただ喋り続ける者。
注文の仕方が全く分からないのだ。
イアンの視線はどこかにヒントがないかとキョロキョロするが、メイベルの視線は手近な相手をロックオンする。
「おーい! ちょっと! すみませーん!」
エプロンの胸の部分には“食堂・ゼンダ屋”のプリント、ちょうどレジ前から出てきたところなので、ここの店員をしている船員だろう。
そういえば食堂前の看板にも書いてあった文字だと認識するのと同時に、メイベルはブンブン手を振りながら、その男の方へ歩いて行った。イアンには考えられないといった顔で付いて行った。
「……俺に声かけてた?」
「ええ。そう。ちょっとここの使い方が分からないの。教えてくれる?」
「それは良いんだけど……俺、初対面だよね?」
「あ! ごめんなさいね。あたし、メイベル! 苗字はないの! 失礼したわ!」
「名乗れってことじゃなくて、俺、怖くないの……? お連れの人、顔、すげぇ顔してるけど」
「初対面の人に挨拶するときは、顔芸する習慣でもあるのかも。失礼だった?」
イアンは青ざめて凍り付いていた。
その声を掛けた男は青ざめるまでもな緑色の肌をし、額からは一本角と口から鋭利な牙を生やし、明らかに人間とは異なった風貌に、左右の拳には“風”と“神”の文字のほのかに光るような刺青。
イアンは魔法世界でよく見かける狂暴なオーガやゴブリンと重ねて警戒していたのだ。
「あたし、マナーとかには疎いの。悪いわね」
「もう良いよ……お姉さんたち、何が聞きたいの?」
フフっと笑い、大きな口の隅をわずかに釣り上げた風神の男は、そう言ってからメイベルたちに食堂のシステムを説明しだした。
食堂はセルフサービス形式。
トレーに置いてある総菜を乗せてレジまで行き、スープ類や麺類、主食を注文して会計する。
どれでも好きなもので定食を作れるが、食べ放題というわけでもないという、初めて体感する注文形式に驚き、“それよりも”と風神の男は付け足した。
「席、取ってる? この時間帯、先に取っておかないと座れないよ。もうちょっと待ってから来るか、あいつらみたいに……“譲って”もらわないとダメだ」
と、先ほどメイベルたちも目を奪われた、込み入っている中でも六人掛けの椅子を占領している大鎌をもった美少女や喧嘩をしている連中を視線で指した。
なるほど。大鎌美少女はその威圧感で退かし、そこに及ばない連中は殴り合っているのか。
なら待つしかない、そう無言の結論が出かけたとき、風神の男がさらに気付いた。
「ふたりって、リョウが連れてきたっていう新しい人たちだよね?」
「ええ。そうよ」
「なら、リョウと相席すれば良いよ……今、いるから」
「あら。アニさんいるのね! ありがとう! 良い提案だわ!」
視線を振ると、リョウは食堂の端、窓際で万華鏡宇宙を眺められる四人掛けのテーブルにひとりで座ってエビチリを中心にした定食にきつねうどんを足して食べていた。
炭水化物、多すぎ。
その姿に安心した様子のふたりに、鬼のような男はさらに言葉を付け足した。
「……お勧めは、筍うどんと筍のてんぷらだよ」
「タケノコ、旬なのかしら?」
「いいや。この船ではいつでも筍が取れるんだよ」
「へえ。海賊船は竹を育てているものなのね」
「……うちだけだと思うけどね」
「忙しい中、色々とありがとう!」
「いいよ、休憩時間だから」
「それならもっとありがとうだわ! 休み時間を使ってくれてありがとう! お名前、聞いてもいいかしら!」
「……ん。俺、源風琵郎。じゃあ……ゆっくり食っ」
食堂の喧騒を割る様にして、その声が響いたのは。船内放送のスピーカー。
その声が、先ほど三号機に乗っていた電子音声のような声だと気付いたが、それを確認する間もないほどに、メイベルは内容に耳を疑った。
〔緊急連絡! 先ほど貨物船を発見! これより我々セカンドジョーカー号は、略奪のため、船を襲撃する! 自由参加だ! 奪い取れ!〕
紹介を受けて登場するように、食堂の窓の外に、その船は現れていた。
メイベルが見る、セカンドジョーカー以外の初めての鏡海を航行する船。セカンドジョーカーより二回りは大きな樽のような船。
それに対して、“略奪”と言ったか?
先ほどの昆虫人間の世界のように滅んだ世界ではない、今もなお、航行している船から、奪い取ると、そう言ったのか?
「……俺たち、海賊だぜ?」
いたずらのようですらあるリョウの言葉に、メイベルとイアンは凍り付いていた。
風琵朗の名前について。
まず、「風琵」で「シチ」とは読まなくはない。
風がいらないです。琵琶湖の琵だけでシチなので。
本来の漢字は“飋”です。
表示されていますか? 大半の媒体では表示される漢字なんですが、一応常用外で機種依存文字です。
で、大半は表示されるはずなんですけど、一部でも表示されない読者さんがいると嫌。
ってことで、いくつか代案が出ました。
ひらがなかカタカナ表記とか。それダサい。なんかニュアンス変わるし。
画像の貼り付け? 面倒だし、それこそ一部の人に表示エラーとか出たら嫌だ。
で、結果として、飋を分解して風琵、表記になりました。
いやまあ、オイオイそれもどうなんだ、という話なんですけど、字面として結構かっこよくね? 風琵朗。これはどっちも機種依存じゃないしね。
もしこれも表示されなかったら?
いや琵琶湖の琵も風も表示されないパソコンってどんなやねん。それもう小説読めないだろ。