【ミナモト サン】(1)
「いや、何も死ねとは言ってないだろ。ただ無能は死んでくれと頼んでいるだけだよ」
なんだ。この男は。
メイベルとイアンはリョウと出会ってからここまで、刺激的どころか衝撃的すぎる現象に遭遇し続けてきたわけだが、この男は不遜さはどの体験と比べても衝撃的だった。
メイベルとイアンは、キジの常識テストのあと、医務室でアレルギーや体質のテストを長々とこなし、とうとうテストではない最初の作業がその男との会話だった。
大きすぎる船内を歩き回り、船の中心か上か下かすらわからないほどのところに、メイベルやイアンにはわからない液晶モニターが立ち並ぶ部屋にいた男。
目的は、船内で使える専用のマネー・カードの登録。
様々な世界からやってきた船員が働くこの船では、どこの通貨も共通の価値を持たない。
例えば、ある世界では黄金よりもコショウが珍重され、紙幣は身体を拭く役にも立たないという世界も多い。
そのため、独自通貨として船内で用いるカードの登録が必須となって来る。
電子マネーか魔術マネーか、その他のなにか、とにかくそんな風情のカードを持たされる。
その管理をしている男のところで冒頭のセリフが飛んできたため、温和なキジもクレームをつけた。
「あー……慈郎。もっと勘違いしない言い方してくれよ」
「勘違い? 何がだ」
「イアンさんとメイベルさんが、まるで歓迎されていないと勘違いするような、さ」
「歓迎するさ。役に立つ人間ならな。役立たずの穀潰しでさえなければよ」
慈郎は質屋と銀行と闇金融を兼ねたような男というが、なるほど。
風体はプレスの行き届いたジャケットとスラックス、ヘアワックスで決めたオールバックに、こちらも何かで固めているのではないかとばかりに鋭い切れ長の目をした美青年。
カネには必要以上にしっかりしていそうな外見通りの冷血さを隠しもしない男だった。
船長のキジは怒っているというより、呆れているようだった。またか、と。
「キルジニ。俺はお前と違ってヒマじゃない。それぐらい分かってるだろ?」
「ああ。お前が他の世界との通商を一手にやってくれて、船員たちの給与査定までな。感謝してるさ」
「感謝を言葉ではなく行動で示すのが優れたリーダーだろうが。役立たずを無尽蔵に増やすなと言っているのだよ。長続きしないヤツばかり連れて来やがってよ」
「悲しいことだけどね」
「……え、どう、なったん、ですか?」
「ここ五〇〇日以内で船員になったヤツは、船を降りたヤツが六割、死体になったヤツが三割半。五〇〇日以内で残ってるのは二〇人にひとりだ」
イアンの質問に明確に答える慈郎。お前のようなヤツは二〇人にひとりではないのさ。そう細い目が語る。
手続きが面倒、どうせ死ぬか逃げるかするんだから先にそうしろ、そういわんばかりだ。
「手続きが面倒だ。どうせすぐに死ぬか逃げ出すんだ。先にそうしてくれ」
まさか本当に口に出すとは思わなかったが、イアンは押し黙ってしまった。
感情が理由ではない。高圧的な態度に反射的に心を閉ざしてしまう。それがイアンが自分の世界でやってきた処世術だった。
圧力に対して敵対することも逃げることもできない、イアンのせめてもの処世術。
その所作が海賊とはいえ不穏当な態度であることは、キジがそれまで皆無だった緊張感を迸らせることから察せられる。
「――口が悪いのは勝手だが、他の船員を攻撃していいわけじゃない」
「その小娘たちはまだ船員じゃない。俺が登録してないからな」
「ふたりに謝れ」
「五〇〇日海賊やっていたら謝るさ。ありえないがな」
キジが苛立ちを表情ににじませだしたとき、それまで沈黙を保っていたメイベルが無表情で右手を差し出した。
喧嘩するなよ、と無言でキジが慈郎の手を取り、握らせた。
互いに、表情が硬いままの握手だった。
「ねえ、あなた、謝る気、ないのよね」
「有るわけがない。俺は自分のしなくていい仕事を省こうとしているだけだからな」
「そう。なら、良いわ。あたしも謝らないから」
「……ん?」
メイベルは握り合った右手を起点にし、構えた左腕を慈郎の喉笛へと叩きつけた。
ウェスタンラリアット。かつてリョウのやっていた技のモノマネは、慈郎の身体をバウンドさせて液晶パネルを叩き割っていた。
「あなた――すっっっっごく、失礼だわ!」
イアンは攻撃されたときとは別の意味で固まっている。
そうして、キジとメイベルは、ノドを強打して憎まれ口を叩けなくなった慈郎にカードを作らせたのだった。
「あいつにメイベルがリョウの妹分だって伝えてなかったからな。いやぁ……ま、あれはアイツと俺が悪い」
カードを作り、慈郎の部屋を出てから笑い出したまキジは、その波が収まる気配のないまま謝罪していた。
それに対し、悪い? あなたは悪くないでしょ? とメイベル。
「監督不行き届きってこと。あいつも俺の部下だから俺の無礼ってこと。
それに慈郎に負担を掛け過ぎているのも事実だし、その環境を整備できていないのも俺。つまるところ俺だ」
「よく分からない。あたしの村では子供が麦をひっくり返したら、子供が自分で謝るわ」
「でも親御さんも謝ってくれるだろう? ただこの船に乗っていたらみんな死にかねないのも事実で、その責任を俺は取れない。命に替えは無いからね」
「……さっきの死亡率、あれって本当なんですか?」
「ああ。だからこの船に乗り続けることを俺は強制できないし、するつもりもない。世界を救うためだとしてもなんだとしても、誰にもそんなことを強制する権利なんてないと、俺は思う」
メイベルは死の危険というもので引き下がるつもりはないようだった。
長生きをしたくないわけではないが、やりたいことを諦める気もない。
しかしながら、イアンはそうとは言えない様子だった。
「イアンさんが他に罪を贖う方法を探したいならそれを手伝いもするけど?」
「その、えっと……どうした方が、良いと思いますか?」
「自分で決める話だけど、決断できないタイプよね。イアンって」
「わからないんです。僕、何がやりたいんでしょう……罪を償いたいんです。でも、ここにいて何をすればいいかも……」
イアンの意志薄弱というよりも、メイベルの意志が強靭すぎるのだった。
自分のやりたいことを見つけてそれを実行できる。自我と決断力とは紛れもなく才能なのだ。
他の才能と同じように、持っている人間にとってはそれが優れた資質であるということに往々にして気づきはしないのだが。
もうひとりの才能持ちであるキジは、先ほどテスト結果を記入した電子端末を起動し、テスト内容に再度確認した。
「あとで言おうと思ってたんだけど、イアンさんが良ければ、幾魔学の仕事をして欲しい」
「き、ま、が、く? ですか?」
「ほとんどの世界で到達すらしない学問だね。たいがい科学と魔法のどちらかしか発展しない傾向が強いから。
幾魔学は魔術による体系を科学で表し、科学の原理を魔法で拡張する。法則そのものを扱う学問なんだ。
イアンさんは魔法の知識も深く、それでいて科学への理解もかなり高かった。適正はあると思うよ」
「僕に、できますか?」
「むしろ君にしかできない。アリスだから言語的なハンディもなく、それだけの知識を持っている人間は多くない。貴重な人材だ。
今、幾魔学の担当リーダーにテスト結果を送ったら楽しみにしてるってさ」
横にいたメイベルは、一瞬、イアンの目玉が取れたのかと思った。
それほどに大粒の涙が頬を伝うことすらなく、ぼとりと床に落ちた。
「僕……そんなこと、言われたこと、ないです……元の世界で……ずっと……落ちこぼれって……科学はできても錬金術に応用できなくて……」
「それは単にイアンさんの才能を生かす場がなかっただけでしょ。幾魔学そのものがなかったんだから」
涙だけでなく今度は身体が落ちた。膝をつき、力の限り、イアンは泣いた。
悲しいわけでもない、怒っているわけでもない、なぜ涙が出るのかイアンにはわからなかった。自分の心がわからなかったから。
その肩をメイベルは抱きしめていた。それがどういう涙か走らないが、メイベルがそうしたかったから、そうした。