【拳と牙を携えて、戦虎は行く。】
鏡海を抜けて黒い穴へと入ると、その世界の丸さを知った。
地球を見下ろす地点、三機の獣型メカは、大気圏外からこの世界へ入り、そして最初から落下していた。
特定の鏡からではなく、世界の穴というべき地点から入ったためだろうか、圧倒的速度での自由落下で、戦虎のコクピットは警報や危険を知らせるライトが回っている。
そして、マイク越しに残る二台のコクピットでもなっているだろうことが察せられた。
メイベルが、初めて体感した“それ”は!
運命的な出会いを果たした“それ”は!
機体の想定されていないシチュエーションでの“合体”だった!
「ちょちょちょちょちょょおおおお!?」
「こ、これ、こ、こおおおおあああああ!?」
〔はっはァ! 舌噛むなよ! お嬢さん方! 地球の反対側まで落ちることァねェからよ!〕
絶叫をよそに、三機は合体に合わせて急速に変形していた。
戦虎の四本の足は折りたたまれ、ミサイルポッドになっていた後ろ足を巻き込むように、竜の胴体が差し込まれる。
飛牙が差し込まれると、虎の腰を覆うように竜の背中がそのまま腰飾りになり、二枚の大きな翼が組み代わり、二本の脚を構成する。
拳魂の背面の無限軌道が外れて虎の背面にとりつき、甲羅は頭部と後ろ足を格納してから左右に割れた。そして前足が変形して重厚な拳が迫り出し、そして虎の前足が折りたたまれた位置へと結合する。
そして合体が終わると同時に、機体は落下をも終えていた。
新たなる大地は、その巨体を受け入れ、歓迎するように衝撃に粉塵を巻き上げる。
虎の胴体、亀の両腕、竜の下半身。そう、この姿こそ。
「戦闘開始ッッ! 戦・虎・拳・牙ッ!」
リョウの絶叫に合わせるように、虎の頭部が変形する。
下顎のパーツが割れて左右に展開し、牙が揉み上げのようになる。
虎の口の中から現れた鉄巨人の顔は、不敵にそのセンサーの瞳を標的へ……先に落下していた外法神へと向いている。
「……ねえ……ちょっと待って……」
圧倒的な威容へと変形合体を遂げたことよりも、メイベルとイアンには聞かねばならないことがあった。聞きたくない事実、吐き気を催すような事実。
だが、聞かねばならなかった。
「これはなに、ねえ、どうなっているの? この世界はどうなったの?」
この世界の“霊長”は、概ねホモサピエンスと同じ姿をしていたが、背中にはトンボのような翅を持ち、額からは触覚、両目の代わりに硬そうな複眼を備えている。
鏡海には無限の世界があり、そこには全ての世界の“もしも”の姿があるのだろう。
僅かずつ違う、だが確かに違う世界。この世界は昆虫が進化して築いた世界。
合体した戦虎拳魂の腰まで届くような大きな植物の建物、そこには蔦のロープウェイがかかり、文明や命の営みが感じられる。
周囲には昆虫人たちがそれを証明するように並んでいた。屍となって。
「この人たち、どうしちゃったの! なんで! ねえ! どうして!」
〔――この世界は枯れちまったんだよ。お嬢さん方。世界の養分を外法神に吸われて、な〕
「それって……つまり……」
「俺たちは間に合わなかった。この世界の時間は止まった。命は……尽きた」
気が付けば、リョウの座っていたコクピットの様子がかなり変わっている。
リョウの手足や腰には戦虎と同じ白色の装具が取り付けられ、頭にはヘッドギア。
座席や操作盤は消え去り、球体の中にリョウが浮かび、周囲が透けたガラスのように全天がモニターとなっている。
操作方法が変わったということらしいが、それ以上に変わっていたのは、リョウの背中だ。
先ほどまでの使命感ではない。明らかに悲しみが、無念が、そして怒りが気炎となって立ち昇っている。
〔落ち着け二号機。お前の責任ではない。無限大の世界を食べ尽くすような敵だ。間に合わなかったのは――〕
「そうさ! 俺のせいじゃない! だがな! 救えるのは……俺たちしかいなかったんだ! 俺たちが間に合わなければ……こうなってしまうんだ!」
怒りに震えるリョウの背中を見て、言葉に出来ない激情を抱えるメイベルと、やはり名状しがたい震えに襲われているイアン。
そのふたりの心は全く違う方向だった。
そしてリョウは怒りながらも目を向けるまでもなく、メイベルが自分と同じ義憤を抱く人間であることを感じ取り、そしてイアンの心の中までも感じ取っていた。
「イアン! お前がメイベルの世界でしようとしていたのはこういうことだ! お前の魔王ゴッコは……最後にはメイベルの世界こんな風にするところだった!」
〔オイオイオイオイ。なんだよリョウ。またそういうの拾ってきたのかよ〕
〔無駄口を叩くな一号機、今は――〕
「僕、そんなつもりはなかったんです! 誰かを殺したりなんて……ただ、ちょっと、思い通りにしようとしてたら、エスカレートしていって、それで……」
「お前のときは俺が“間に合った”だけだ! 世界を滅ぼす前に俺がな!
だが、メイベルの世界では何人もがお前のせいで傷付いたし、他人を傷付けることになったヤツや、命を失ったヤツだっているだろう! 大勢だ!」
イアンの声にならない叫びが、無為に開いた口から放たれていた。魂が抜けるような。
揺れる視線はモニター越しに、倒れ伏した昆虫人間たちへと向いている。
イアンにも、自失する何かがあったのだろう。それで世界にイタズラしてしまった。だが、それで済まないことは、今、イアンがやっと理解した。
「僕、どうすれば、良いんですか……?」
「縋るな! また過ちを犯す気か! お前の道は……」
リョウが腰を下ろし、リードと呼ばれる前方に腕を出す截拳道の構えをとれば、戦虎拳魂がタイムラグなしに同じ動きをする。
メイベルは反射的に理解した。この機体、戦虎拳牙をリョウが任されている理由。
迷わず、躊躇わず、自らの道を進む求道の格闘家。
練達された武術の達人にして、揺るぎない怒りと信念を持つ男。彼以上に戦虎拳牙を駆って外法神を討ち滅ぼすにふさわしい男は、無限の鏡海といえど存在していないだろう。
「自分の意志で決めろ。迷えば立ち止まってもいい。悩め。苦しめ。消えることのない罪を背負い……何年掛かっても! 自分の意志で決めてみせろ!」
この機体は、合体後は搭乗者の動きをそのままトレースする。ならば、仮に相手が体格で勝ろうとも、多勢であろうと、人外であろうと互角以上に渡り合うリョウ以上の適任者はいない。
――しかしながら、リョウの表情には、オーガたちと戦っていたときの余裕はない。外法神への警戒の色が浮かんでいた。