【ガガミコウヤ】
牙々御攻也は主人公ではない。
整っているといえないことはないが特徴のない容姿に、恵まれているといえないことはないが普通な人生。
世界が西暦であることに飽き始めた頃、西暦は終わろうとしている。この世界ともどもに。
ビルの屋上から牙々御が一望する見慣れた世界には、毅然とした破壊が広がりつつあった。
「これが運命だ!」
ふざけるな。そう牙々御は言葉にすらしなかった。それすら癪に障った。
言い放った男、狂笑曲の身体は陶器のように渇き、ひび割れ、既に滅びを待つのみ。
それでもなお、そのスケルツォの余裕が、牙々御の神経を舐める。
スケルツォは勝利を確信しているのだ。自らが滅ぼうとも、自らが作りだしたものは、この世界を、いや、全ての世界を滅ぼすという確信がある。
そもそも、スケルツォは勝利にすら興味がなかったのかもしれないが。
「この世界は! 滅ぶさ!」
「そんなことはどうだって良い! こんな世界! どうだっていい!」
「そうか、そうかもしれないな、なにせ、お前を産んでしまった世界だものなァ、牙々御攻也ぁ!」
「そうだ、そうなんだ、俺が、俺さえいなければ、こんなことには、こんなことには!」
理屈めいた美しい世界は、混沌めいた破壊によって覆されつつあった。
石膏像の森の中でハンマーを振り回す、理想を暴力によって蹂躙するのだ。
それはスケルツォの作り出した二番目の傑作……一番目は……今は意味がない。
その天を摩る巨怪は、鋼鉄とも昆虫ともつかない赤黒い巨体を震わせ、機械的に世界を終わらせようとしていた。
世界という枠組みから逸した巨大すぎる怪物は、スケルツォが滅びようとも止まりはしない。
「さあ! 選べ! 牙々御攻也! 選ぶしかない、選ぶこともできない! お前の運命を!」
ビルの壁面を駆け上がり、花火のようにいくつかもの影が打ちあがった。
スケルツォと同じく亀裂が走り、中にはすでに片腕や頭部が砕けているものもあるが、それぞれに殺意を漲らせている。
獣の頭部をしたオーク、鋼の爪を備えたサイボーグ、強化服めいた衣装の怪人、そして“外見は”ただの人間などなど十数名。
無数の“世界”から招致され、それぞれにスケルツォの軍門にくだった“誰か”だった“誰でもなくなった”怪物たち。
鏡を通り抜け、うつろな鏡像となった誰かだった魔人たち。
誰かに打ち砕かれるまで戦うだけの幻が、主の命に陽炎のようにゆらめいた。
「さあ! 牙々御攻也! キサマの運命だ! 立ち向かってみせろ!」
牙々御は、単独では戦闘力を有さない。
戦いに身を投じる前、平凡ながら善良な学友たちも牙々御を説明するときに悪意なく“良いやつ”としか答えが返せない少年だった。
それが多くの世界の命運を握る存在となった。望む・望まないを問わず。
「うるせぇよ……」
ここで、こいつらに殺されてしまえば良いのかもしれない。
自分が死にさえすれば、それは運命に勝ったといえるかもしれない。
自分が死にさえすれば、“彼女”が消え去ることはないのではないか、何度考えただろう。
しかし、それでは意味がないと、牙々御は確信する。
自分と彼女がいる世界。それが永遠。
どちらかが欠けてもそれは成立しない。
そして、それはもう喪われる。それは確定した。ならばこそ。
「……最後は……一緒に、いさせてくれ……頼む! みんな!」
ビルの屋上が割れる。沸騰する湖面のように熱く、弾けた。
下から吹き上がるように現れた牙々御の仲間たち。
伝説の武将のクローン美少女。
双子の爆炎魔術師の片割れ。
未成年無免許天才医師。
夜だけ人狼になれる狼女。
「双子の……どっちだ、お前?」
「そんなことはいい! 今はガガを行かせる!」
「行け! ガガ! 姉さんたちが待ってる!」
「パーティータイムだなぁ!」
牙々御が冒険の中で得た仲間たちは、全員が疲弊していた。特に爆炎魔術師は片腕を失い、狼女は日中は特殊な能力を持たない。
だが、それでも、倒れるわけにはいかないとわかっている。
口々に叫び、それぞれの持ちうる情報を少ない言葉で共有するが、牙々御のすることは変わらない。
ビルに破壊が染みこみ、崩れて爆散する。
鏡の破片めいた怪人たちと、牙々御の仲間たちの激突する。
破片の中で砕け散ったスケルツォの哄笑めいた断末魔が聞こえたが、そんなものに意識を割いている場合ではない。
牙々御は落ちていく。
このまま死んでしまえたらと思う自分自身に抗うことはしない、死ぬことはできないのだから考えようと考えまいと同じだ。
ある日、世界が変わった。
あの日、彼女が変えてくれた。
人生が始まった。あの機体に乗る使命。
六車線道路を時折はみ出しながら、巨体をふるわせて白い虎の機体が駆け抜けた。
ここまでの戦いを共にしてき愛機が、落下する牙々御を口で迎え、飲み込むことでコックピットへと通す。
コックピットの中で癖のように手に馴染んだ所作で起動テストをしていると、煙を巻いて黒い亀の機体がアスファルトを紙吹雪のように散らしながら着地した。
〔ガガさん、大丈夫ですか?〕
「ああ、問題ない。イケるぜ」
無線機を通して聞こえる冒険の中で出会った弟分、キジの声に反射的に、意地のように、強く応えた。
キジは無限軌道を担いだ黒い亀の機体、三号機を使う少年。
空元気でも不思議と元気が出たのは、この機体に乗ったからだろうか。それとも。
〔行くよ。キジ……ミコ〕
無線機から聞こえてくるもうひとつの声。
仲間たちの多くは牙々御をガガと呼ぶが、彼女は……メアリだけは牙々御攻也から取ってミコと呼ぶ。
可愛すぎるからと止めさせようとしたこともあるが、メアリは頑なにミコと呼び続けた。
彼女だけが特別だった。全てにおいて、牙々御の全てにおいて、メアリだけは特別だった。
無線に続いて、地表に影が差す。
空には赤い竜、メアリの愛機、一号機。
ガガの白虎。キジの黒亀。メアリの赤竜。
それぞれが山のように大きくドーム球場に収まらないほどの巨躯ではあるが、三機が見上げているのは、山のように……そう、誇張もなく、富士山ほどの大きさの巨体を見上げていた。