紅玉とミルクチョコレート
私には一つ明確な弱点がある。
それは、絶対に嘘がつけないこと。
だからその時も、食べかけのサンドイッチを手に真っ白になりゆく頭をなんとか縦に振るしかなかった。
間違っていたらごめんね。これを贈ってくれたのはビーズさん?と、屋上でひとり友人を待つ私の前に現れた彼はいつも通りの緩やかな口調でそう尋ねたのだった。
Re.
―紅玉とミルクチョコレート―
ぴったり一ヶ月前と似ているようでどこか違う浮ついた空気が今日は朝から校内を支配していた。ただでさえ冷たい指先が氷のようになっていたその時からは、体温も日差しも幾分か柔らかくなった気がする。
廊下で堂々とホワイトデーのお返し、なんてイベントをやっている隣を足早に通り過ぎる。
あれから一週間そわそわし、なにも変わらない彼を確認した時点で私にとっては言い聞かせるような達成感と共に終わったことだ。お返しなんていらない。そもそもあれは自分と関係ないことにしたのだ。
とはいえ、この砂糖菓子のような空気にはさすがに居心地の悪さを覚えるのだった。
チャイムの音と共に桃色の髪の毛が弾むように揺れ去っていく。過保護な友人は、確かに目の届くところで守らなければ不安になるだろう姉を昼になるとナイトのように迎えに行く。
本人もこういったイベントの日には無数の面倒くさい目に合っているようなのだけれど、天使の微笑みが霞む事はなかったし、その瞳に宿った意志の色が消えることもなかった。
あんな強さが少しだけ羨ましい。
桃色と共に揺れる真っ白な羽が彼女の自由の象徴みたいに見えた。その後すぐに、自分の背中にも同じようなものが付いている事に笑ってしまう。
飛び上がる訳でもなくぱたぱたと二度小さく羽ばたいてみる。真っ黒のこれは何の象徴だろうか。
もやもやと考えすぎるのはここ最近の悪い癖で、振り切ろうと教室の正面に向き直った時視界の端にうーんと伸びをする彼を捉えてしまった私は、慌ててお昼ご飯を手に屋上へ登る階段へと駆けて行った。
だったはずなのに、どうして追いかけてきたかのようにここに来て、それからきみは今なんて言った?
反射的に頷いてしまった私を見て安堵したような顔。その手にはあの日忍び込ませた贈り物の箱。
穏やかな日差しにきらきらと光る色素の薄い髪をなびかせ、何が嬉しいのか微笑みをたたえている。
一つも理解が追いつかない私のことを知ってか知らずかマイペースに話し始めるきみが、まるでおとぎ話の王子様みたいに見えた。
「姉にね、聞いてみたんだ。学校でチョコレートを貰ったのに、差出人がわからないって。そしたらね」
だって、わからなくていいもの
「それを見て誰か思い浮かぶ相手はいないのかって。それで箱の中身を今一度ちゃんと確かめてみたんだ」
なんで、どうして
「一口食べたら木苺の味がした。あんな綺麗なルビー色のチョコレート、初めて見たよ」
ちがうの
「その時ふとね、ビーズさんの事が思い浮かんだ。多分それはね」
いわないで
「チョコレートがあなたの瞳の色によく似ていたから」
一つ、息を吸うのは同じタイミングだった。
私は今どんな顔をしているのだろう。
きみから目をそらせないのはどうしてだろう。
なんできみは、そうやって全部わかってしまうのだろう。
それからこれ、お返しと木目の綺麗な箱を手渡してきた彼は勝手に満足げな顔をして屋上を去っていった。
添えられたカードにはきれいな文字で感想と感謝の言葉が。そして箱を開けると、中には蜂蜜色がかったチョコレートが並んでいた。
それはまるで、彼の瞳の色のようで―――
そのあと私は友人達が屋上へやって来るまでその場にへたり込んでいたという。
ミルクチョコレートが溶け切った。
春はまだ、始まったばかり。
ハッピーホワイトデー!