第7話 赤い地獄
グレイは今の今まで事情という事情など何も聞かされていない。
だが、公には秘密の組織なのでいつかこういう事になるのではないかなんて思っていた。
騎士である以上、こういう事には慣れている。
命を懸けて敵と戦う事くらい当然の事だ。
「もう一度言うが、出てきな」
「どうしても出て来ないとダメ?」
茂みの中から返ってきた無理やりツヤを混ぜたような男の声はここの職員の誰とも違う。
訪問者が来るという連絡もない以上、全く外部の人間は敵という事になる。
「汚物は消毒しないとな」
グレイが右の掌から炎をちらつかせた。
汚物とは、主に竜の糞や吐瀉物だが、残ったままにしておくと刺激臭を周りに放つだけでなく強い毒性で大地を腐らせる作用を持っている。
本来であれば竜は自分で炎を吐くなり、他の特有能力で浄化や消毒をするという習性を持っているため問題にはならないが、認知症の竜はそれが出来ないケースが多い。
その為、介護する者が炎魔法などで焼却や消毒するなりして処分する必要がある。
もっとも今回の汚物は竜の糞ではなく敵という名の有害ゴミだが。
「ちょっとだけよ〜」
気持ち悪い声とスネ毛の埋まった男の足だけがシンクロナイズドスイミングのように茂みから生えて出てきた。
何かのコントのようにも見えるが、グレイのツッコミは非情そのもの。
「火炎竜巻魔法!」
両の掌を前に突き出し、炎の柱を放射する。
茂みの手前の地面を跳ねた炎が勢いよく渦を巻くと、炎が回転しながら独楽を形成し、飲み込むように茂みを刈り取った。
その炎が舞い上げたのは……足だけ。
「後ろォ!」
「の正面ッ誰だァコルァ!」
背後の気配を感じ取ったグレイが振り向きざまに右の裏拳で殴り飛ばす。
拳の感触が少々甘いのは当たる瞬間に敵が自分で背後へ飛んだからか。
敵が真横に吹っ飛びながら身体を翻して両手を地面に着けてブレーキを掛ける。
止まってグレイを見上げた面は20代後半くらい。
黒髪にリーゼントという少し遅れたヤンチャ感があるが、それよりも目立つ赤い軽鎧。
「ペッ! なんでバレたのよぉ」
片足で立ち不思議そうに首を傾げている男。
反対の右足の腿から先は無く、代わりに血の滴る断面と止血のつもりかベルトで縛られていた。
左の胸には白く0。
殴り飛ばした際にも背中にデカく0と見えたアレが背番号である事に気付いた。
「赤い地獄か」
赤い地獄、通称『赤ヘル』。
ワイドランドを本拠地とする傭兵団である。
先祖代々の歪んだ愛国心に溢れ、基本的には国益の為に行動をするが、結果として国を存亡の危機に追い込んだ事が何度かある『ワイドランドの粗大ゴミ』の蔑称もある迷惑組織だ。
9割が東方系移民の子孫で構成されているという団員にはそれぞれ3桁までの番号が与えられているが、一人一人が戦闘に関する何らかの職業を極めたスペシャリストである。
銀竜騎士団時代に上官から言われた「出来ることなら関わるな。」というセリフの本当の意味を今しがた身を以て体験した。
テロリストなどとの戦闘経験は何度かあるが初手から身体の一部を犠牲にした攻撃なんて初めてだ。
平和な世の中において異彩を放つ必殺への拘り。
騎士団が可能な限りの不殺をもって治安維持に務める影で、何人も殺して磨き上げてきたのだろう。
「斬れば血の匂いするっつーの」
森の奥側から少し焼けた0番の足を振り回しながら出てきたのは、エラまで広がったアゴ髭が印象的なこれも二十代半ばの男。
同じく赤備えの軽鎧に左胸の数字は33。
グレイが33番に向き直り身構える。
0番に集中していたとはいえ、出てくるまでは33番の気配にまるで気付かなかった。
間違いなく一流だ。
「暗黒手術魔法」
足を宙に放り投げながら33番が口にしたのは上級治癒魔法。
気付いたグレイが0番へ追撃に動く前、0番の足の切り口同士が無数の黒い糸で繋がるや否や腿が足を吸い寄せてくっ付いた。
「ぎゃああああああああ!!」
0番が苦悶の表情を浮かべながら崩れ落ちる。
血管に針でも流し込むような強烈な神経の痛みが脳にまで届く中、それでも0番がグレイから離れるように転がった。
追おうとするグレイの背後に33番が回り込む。
「させねーよ」
「チッ!」
グレイが振り向いて魔装するのに合わせて33番も魔装を展開する。
同時に魔装が終わった最初の一撃は奇しくも右ストレート同士。
「おわっと!」
弾き飛ばされた右腕に引っ張られて仰け反ったのは33番の方だった。
追撃を入れようとグレイが踏み込んだ左足に刺さった痛みに一瞬だけフックが遅れる。
それを掻い潜って33番が距離を取った。
「パワーだけなら俺より上か。だが、な」
33番が右手首を捻って鳴らしながらアゴで地面を差す。
グレイが一瞬地面を見やるとマキビシが数十個ほど撒かれていた。
先程の痛みの正体、そして、今もわずかに左足に残る痺れは毒。
魔装していれば毒の効果は軽減され、いずれは浄化されるが、均衡した戦力であれば嫌がらせくらいにはなる。
「忍者か」
異世界に実在していた水蜘蛛やムササビの術といった変な術を扱うセコいスパイというのがグレイの認識である。
想像通り盗賊系で搦め手の使う職業のようだ。
この手のタイプは真正面から戦えばろくな事にならない。
「ヒドイ! オペるなら心の準備を頂戴よぉ〜」
クネクネと乙女のように身体を揺らしながら0番が戦線に戻ってくる。
剥き出しの右足には炎で焼かれた跡こそあるものの、斬った傷跡は全く残っていない。
体力や精神力のダメージは残っていても一丁前の戦力としては十分だろう。
グレイは戦力を分析した結果、この場から逃げて
救援を求める事も視野に入れる。
「おい、ワリィ事は言わねェ。竜を置いておめーはここから消えろ」
そんな中での意外な提案。
敵の目的がジークフリードであるという事がわかったのは収穫だが、一体どうする気なのか?
奴らの行動理念はあくまで国益である。
そうなれば竜を戦力として軍事利用する事が第一に考えられるが……無理だろう。
グレイの頭の中でジークフリードのやんちゃぶりが延々と思い浮かんでいく。
「見逃してやるつーてんの。ほら、さっさと行きな」
当のジークフリードはこんな状況に何を思っているのか、ただボーッと立っている。
日向ぼっこを楽しむお爺さんは、お世話係がこれから二人掛かりでフルボッコにされても何も思わない訳だ。
「わかった」
グレイは魔装を解くと二人の姿を視界に収めたまま後ろに下がる。
十分間合いを取ったところで背を向けて走り出した。
「嘘ぉん! 逃げるの?」
0番が追撃に出ようとするのを33番が手で制す。
「いいのん?」
「本当に行くとは思わなかったが、まあいい。俺としてもあの『グレイ』と戦うのは命懸けだから正直ラクっつーちゃラクだ。それより……」
二人がジークフリードに向き直る。
元最強の英雄竜だが、その面影は残されていない。
鱗の艶色悪く、顔付きに覇気もなく、くたびれたような猫背から弧を描いた骨が鱗に紛れて浮いているのがわかる。
開いた口からだらしなく落ちるよだれに33番が顔をしかめた。
「想像以上に耄碌してんな」
「そうね〜。こんな英雄の姿は見たくなかったわ」
二人がそれぞれの獲物を魔法陣で召喚する。
33番は忍刀で0番は金属のバット。
ジークフリードを挟むように左右に分かれて構えた。
「さっさとぶっ殺して次行くか」
「そういう事か」
二人が反応して振り向いた先には去ったはずのグレイ。
グレイは二人の視線が自分に向いたのを確認してからジークフリードの足元に魔法陣が広げた。
「ちっ!」
即座にジークフリードの身体を竜舎が覆う。
この竜舎『ズームズームD』は内部からの衝撃だけでなく、外部からの衝撃にも強い耐性があり、緊急時は盾やシェルターとして利用する者までいる。
一先ずジークフリードの安全は確保された。
「てめぇ、逃げ帰ったんじゃなかったのかよ」
赤ヘルの目的はジークフリードを殺す事だった。
口振りからは他の竜もターゲットに入っているのだろう。
ならグレイも簡単には引けない。
「一応、この問題児の担当なんでな」