3 繰り広げられた茶番は、どさくさに──
「ってうわあああああああ!」
青年は叫び出した。
「うるさいよー。」
少年は眉を顰めた。
「私は、な、なんて恥ずかしいことを、口走って!!」
頭を抱え出した青年。
「うーん、君が口走ったこと? 何だっけ? ……あ、僕の瞳が綺麗だとか、そういうことだっけ。」
少し考える素振りを見せ、思い当たっても動じない少年と、己の体をくの字に曲げて、悶えている青年。
「それですっ! 忘れてくださいっっ!!」
「えー、何でー? 僕の瞳に乾杯してくれるんじゃなかったの?」
不思議そうに少年は問う。
「そんなこと言ってませんっ!」
「同じことでしょ?」
「恥ずかしさの度合いが違います! 後者の方が増えてますっ!」
眉を吊り上げて少年を見るが、顔は真っ赤である。
「ふーん、そっか。じゃあ、君の瞳に乾杯。」
気怠げに、少年はグラスを持ち上げた。
合わせて、グラスの中の液体が不自然に揺れた。
「いっ、今のは意図的に揺らしたのですかっ、それともあちらの……」
恐る恐る尋ねた言葉は、もう一つの可能性を信じたくない青年によって、尻切れ蜻蛉になった。
どうやら少年の動きをそのまま見ていたのが、良くなかったらしい。青年の恐怖心を煽ったようだった。
「そういえば君、知りたがってたもんね。彼等の正体を。」
青年が尋ねたことには触れず、少年は目を細めた。
「えっ!? あ、いえっ、……はいっ!?」
青年はグラスに集中していて、少年の話していることを中途半端に聞いていた。しかし、それは青年にとっては聞き逃せない言葉だったため、内容は掴んでなくても流せずにいて──、遅れて理解した青年は、ぎよっとしていた。
「どっちなのよー。」
少年は百面相している青年を、内心楽しんで見物していた。
「それは知りたいと言えば知りたいですが、知らなくてもいいかなーと、思い始めてもいて。」
うろうろ、落ち着きなく視線を彷徨わせた。
「その心は?」
「生理的怖さですぅっ!」
力一杯応えた青年。
「まあ、君の生理的怖さは置いといて。」
「ヒドイですっ!」
「だって、興味ないしー。」
つまらなそうに、少年はグラスの中の液体を揺らす。
「なっ、尚更、ヒドイじゃないですかっ!?」
青年は、目を丸くして喚く。
「……だって、知りたいんでしょ?」
青年は少年を見てゾクッとした。
冴え冴えとした冷ややかな月光のような瞳が、こちらに向かれーー。
にこっ。
少年は目を細めた。少年の纏っていた空気が緩くなる。
思わず青年は息を吐いた。
「知らなければ、怖いまま。知ってても怖いまま。」
細められた目は、グラス底が鈍く灯されているかのよう。
「何も知らないまま、間違って怖がる。怖がり方を知り、怖がる。」
紡がれる音は、詩のように流れていく。
「君は、どちらがいい?」
青年に向けられた、相変わらずその綺麗な瞳は、微笑みの形を作り、青年を脅かすかのように見えた。
「もうっ、いいですよっ! 教えればいいでしょう! 覚悟は決めましたからっ!」
半泣きになりながら、投げやりに青年は言う。
青年は知っていた。この顔になると、最早こちらの意見を聞いているようで聞いていない。既に少年の方針が、決まったのだ。
──それこそが全て。
少年の意のまま、興が乗った方へと導かれる。
「うんうん、素直で宜しい! パパ嬉しくなっちゃうよ。」
にこにこと、満面の笑みを青年に向けた。その様子は非常に可愛らしかった。
……が、少年のそのトンデモ発言に、青年は動転する。
「だ、誰がっ!パパですかっ!? 貴方、私を産んでないでしょう!! ん? あれ、パパさんじゃなくてママさんの方で……、あれ、えっと!?」
青年は混乱した!
「うーん、そっか。そっちの常識だと、僕が産むとか言うと問題になるんだっけ? 姿変えようか? 少女らしさを出すとか?」
わりと悩んでいる少年。
「その姿でも十分、少女に見えますっ! というか、そういう話ではないでしょうっ!!」
青年は、腕で空を振り払った。
そんなことをしても、この意味不明な会話が途絶えることはない。
「おや、そうなの? 確かに僕みたいなのは、あまり性別関係ないけどねー。」
頬杖を付きながら言った少年は、
「まっ、どっちにしろ男でも女でも似たようなものか。どっちも口説く対象に、皆なるわけだし。」
視線を上に向け、思案していた。
ふるふると、震えている青年には気が付いていないようだ。
少年は、にこっと笑った。
……前言撤回、気が付いているのかもしれない。
「あっ、もしかしてパパじゃなくて、じいじの方が良かった?その方が設定的に若くいられるもんね。元気? 僕の孫ちゃーん。」
少年は挨拶するかのように、軽く手を挙げた。
「そもそもっ、貴方は、私の血縁関係者じゃありませんっ!」
ダンッ。片足を前に出して、顔を上げた青年は、勇ましい顔つきで少年を睨む。
「ほおー。」
バチッ。
感心したような声を出した少年と、青年の目が合った。
青年は慌てて目線を逸らした。
「いやっ、あの、これは違くてですねっ。」
青年の頬は、赤みを帯びていた。
「まあ、そうだけどねー。」
そんな青年をお構いなしに、背凭れに寄り掛かる。
少年と青年の距離が離れた。
青年はそれにホッとする。
それを見ていた少年は、
「うん?あっ、大丈夫だよ。さっきのは冗談だから、取って食いはしないってー。」
手を軽く横に振って否定した。
「ななななっ、なんのことですかっ!?」
自分の考えが見透かされた気がして、青年は再び慌てた。
「ほら、君を口説いて、食べちゃおうって話。」
「そんな話していましたかっ!?」
青年はぎょっとする。
「さーて、遊びはこのぐらいにしとこっかな。んーっ。」
肘掛け部分にグラスを置き、腕を伸ばした。
「あっ、遊んでいたんですか!?」
「なんだと思ってたの。」
不思議そうに問う。
「全部本気かと……。」
散々遊ばれた青年は疲れており、ぐったりして応えた。
「えー、心外だなー。君と僕との付き合いなのに、見破れないなんて、まだまだだねー。」
「貴方が日頃から無節操なことをしているからでしょう!」
「無節操?」
きょとんと、青年を見つめる。
「知らないうちに、あらゆるものをタラシ込んで!」
「タラシ……? 口説くことかな? 僕は口説いたこと一度もないのに。あ、イテッ。」
少年は、首を竦める。
「実際痛くないけど、暴力反対だよ、君達。えー、何のこと言ってるか、僕には見当つかないなー。」
少年は頭を擦りながら、青年には何も見えない空間を見ていた。
「……初めてそちらの方々と、意見が合致するような気がします。」
青年は疲れたように言う。
「はいはい。じゃあ、認めますよー。でもさぁ、それを言うなら、僕のこと追い詰める前に、皆だって口説いているでしょ?」
「はあっ!?」
またもや少年のトンデモ発言に、青年は目を剥いた。
「え、違うの? 生きとし生けるものは、皆、口説いているんじゃないの?」
「誰しも、そんな羞恥心の爆弾、放っていませんからっ!」
くわっと言い放つ。
「だって、口説くって、相手にこうして欲しいなーって思うことを話して、してもらうことじゃないの?」
少年は首を傾げた。
「……合っているようで、合ってないような微妙なラインですね。」
「それならそれでいいじゃない。……さて、そろそろ頃合いかな。」
何とも言えない顔をした青年を、じっと見て言う。
「えっ?」
「ここにいるのは2等精霊以上と、7等精霊以上だよ。」
ポカーンと口を開けた青年に、笑みを深めて少年は言った。
「おーい、生きてる?」
少年は椅子から降りて、青年の顔の前で手を振る。
「あ、駄目だこりゃ。はい、息してー。さんはい、呼吸ー。1、2、3、4、吸う吸う吸う、2、2、3、4、吐く吐く吐く。」
「すっ、すっ、はっ、はっ、はっ、……はあっ!?」
「残念。吸う息が一つ、足りない。吐く息が一つ余分だよ。」
腰に手を当てて青年を見上げる。少年は青年よりも身長が低いためだ。
「ケホッ! ゴホッ、ゴホッ!」
青年は咳き込む。
「ほら、上手に呼吸しないから。」
少年は青年の背中を擦る。
「えっと、飲み物、飲み物。あ、あれでいいや。」
少年は振り返り、青年を擦ってない方の手で、グラスを手繰り寄せた。
「はい、ゆっくり飲みなよ。」
「あ、ありがとう、ございます。」
少年に渡されたグラスを青年は、礼を言い素直に受け取って、……飲んだ。
ゴクッ、ゴクゴク。
「……はぁ。」
「どう、落ち着いた?」
「なんでしょう、心に爽やかな風が吹き込んだようです。って、これっ!」
一息吐いた青年は、自身が持っているものに気が付くと、目を見開いた。
「ね、大丈夫だったでしょ。」
ポンッと青年の肩に手を置く。
「な、ななっ、なんてものを、どさくさに紛れて飲ませるんですかっ!?」
「大丈夫、大丈夫。ほら、こうして君は生きているじゃん。……ちょっと神々しくなったけど。はい、鏡。」
少年は片手を前に伸ばした。すると、青年と少年の前に、水晶の板が現れた。
水晶の板には、少年と青年が映っていた。しかし青年の姿はというと……。
「はへぇっ!?」
ビタッ!
青年は水晶の板にへばりついた。
それと同時にグラスは落下し──、少年は目で追う。
落ちきる瞬間、少年の瞬きと共にそれは、消えた。
「ななな、なんですかっ!? これっ!?」
「自分の姿に見惚れてても良いけど、ぶつかって怪我しないようにね。」
青年の身体から、銀色の光の粒子が舞っていた。そのため青年が動くと、合わせて、粒子も無駄にきらきら動く。
「ふふっ。」
少年の口角が上がる。
「ねえ、僕が飲んでいたら、どうなっていただろうね?」
鏡に夢中になっている青年は、少年の密やかな声には気付かない。
「成分変えたよね? 後でじっくり、聞かせてもらうよ。覚悟してね?」
この時の少年の微笑みは、美しかった。
そう、後に精霊達は語り継いだのだった。