2 フィルターを通して
「さあ、分かった? えーっと、……。うーん。」
少年は口元に手を当てて、何やら考えている。
「どどど、どうかしたんですかっ!?」
じりっと後退りをすると、背中に何かがトンッと当たる。
「ひゃっ。」
青年は何かと思い、振り返る。背中に当たったのは、開かれた扉だった。
「そうだったっ!! もう下がれないんだあ。」
青年は情けない声を上げる。一旦引っ込んだ涙が溜まっていく。
最早、青年は少年の一挙一動に、恐怖しか感じ得なかった。
「……あれ? 何て呼べばいいんだっけ?」
そんな青年を余所に、少年は呟く。
何かを思い出そうとして、視線を上に向けた。
「どどど、どこに向かって話しているんですかっ!? まっ、まさかっ、そ、そそっちに何かいるんですかっ!? い、いるんですねぇぇぇ?」
青年は答えを聞いてもいないのに、勝手に自己完結して怯えている。
「うん? そういうつもりはなかったんだけど。君、何か君勘違いしてない?」
少年は目を瞬かせた。
「惚けても無駄です!! そそそ、そこに何かいるんでしょう!?」
少年が先程見ていた方向に、震える指を差す。
「え? ……ふーん。」
少年は青年が差した方を見て、合点がいったのか、にやりと笑う。
「へぇー。じゃあそういうことにしておく? 君がそう思いたいなら、そう思えば良い話だもんねー。」
にやにやと再び頬杖をつきながら、青年を面白そうに眺める。
「かっ、隠さないで教えてくださいぃぃ!!分からない方が怖いんですよぉぉぉ!!」
「あれ? 本当に気付いてたんだ。」
少年は目を見張る。
「でででで、どどど、どうなんですかっ!? 4等精霊なんですかっ、それとも5等精霊ですかっ!? も、ももももしかして16等精霊とかですかぁっ!? それだけは勘弁してくださいよぉぉっ!」
手に汗を握りながら、青年は尋ねた。
「16等精霊は、悪い精霊じゃないよー。」
少年は若干ムッとして応える。
「だっ、だって、厄災を持つ問題児説で、有名じゃないですかぁっ!!」
「それは悪い説でしょ?希望を持たせるっていう、良い説だってあるよー。」
この世界では、等級で分かれている精霊達がいる、と発見されている。
4、3、2、1と数が小さくなる程、上位を表す生彩精霊。明色を持つことが特徴だ。生の象徴でもある。
5、6、7、8と数が大きくなる程、上位を表す星彩精霊。こちらは暗色を持つことが特徴だ。死の象徴でもある。
どちらも己の持つ色で属性が分かり、上位になればなる程、濃い色を持っている。
同じ発音のため混同しやすいので、「生」の精霊、「死」の精霊と分けて呼ぶことが多い。
そのため両方のことを指す場合、合わせて生死の精霊と呼ばれてもいる。
「力が強ければ強い程、その分災厄だって起こりやすい。それは上位にいる精霊でも同じことだよ?」
少年は言い聞かせるように言う。
「生死の精霊は、ある程度力のコントロールが利くじゃないですかっ! でも、16等精霊は……。」
青年の言葉が尻窄みになっていく。
「……何が起こるか分からないです。」
青年の目が伏せられ、声のトーンも下がった。
「そう、故に未知数精霊とも呼ばれる。転ぶのは吉か。それとも──」
「凶ですよ。きっと。」
青年は即答する。俯いた青年の表情は、髪が邪魔して見えない。
「まだ分からないよー?」
「そもそもっ!」
青年はキッと睨む。
「未知数なんて、期待を持たせる名を止めればいいんですっ!誤解を生みますっ!」
「ええー? 予想がつかないから、未知数なのに。」
「それでもですっ!」
「ふーん。それが君の考えか。どう解釈するかは、君の自由だけどね。……わー、ありがとっ。」
少年は右掌を上にして、青年には見えない何かを持っていた。
「貴方はどちらの味方なんで……、な、なにしてッ……うわぁっ!?」
青年は少年に問い掛けようとしたが、少年の様子に不審を感じ、少年、正しくは少年の右掌を見て、驚きの声を上げた。
少年の右掌に向かって、澄んだ透明の液体が注がれていた。
注がれるに従って、少年の手から徐々に輪郭を現したのは、カットグラスだった。液体は丁度そこへ収まっていく。
液体はグラス半分程度の量で止まった。
「うん、いい色だね。」
感心したように少年は、液体に見入る。
「そ、そその出所不明の液体、ど、どこから出したんですかっ!?」
「……出所不明って、他に言うことないの?」
少年は呆れたように言うと、手元のグラスに再度視線を移した。
「でも、これで隠す必要ないよね。君だって分かったはずだよ。」
少年はグラスを回して、液体の様子を確認していた。
「ということはっ!?」
「そう、ご名答。」
思い当たった青年に少年は、にこっと笑った。
「精霊達が作ってくれたんだー。君も貰う?」
「遠慮しますッ! いいえ、絶対いりません!! くれぐれも私に、そんな訳の分からないモノ渡さないでくださいよぉぉッ!!」
青年は首をブンブン激しく振っていた。
「そんなに首振ってたら、もげちゃうよー。確かに君が見たことない色合いなのかもしれないけど、危険なものじゃないよ。」
少年は不服そうな表情を見せた。
「……何、言っているんですか? 水と同じ色なんですから、見慣れて……、ハッ! 水そっくりに見せ掛けて、警戒心を下げようという魂胆ですか!? そうはいきませんからねッ!!」
思い当たって目を大きく開けた青年は、鼻息荒く言った。
「水?」
少年は青年が何のことを言っているのか、理解していないようだ。
「水とはですねっ! 無色、無臭の液体のことで──」
「あー、それは分かっているから説明しなくて大丈夫だよー。」
少年は青年の言葉を遮る。
「じゃあ、何が不可解なんですかっ!?」
じりっと、前のめりになって青年は聞く。
「へえー。……に見えないんだね。……って、前髪引っ張るのと頬、突っつくの止めて。君らも少しは期待したんでしょ? はいはい、ちゃんと君らの意向は踏まえるよー。あー、喧嘩しないの。僕は、気にしてないから。えー、それでも怒るの?」
質問には答えず少年は、青年が何も見えていない空に向かって喋る。
「お願いですからっ!! 意志疎通困難な方とお話しするのは後でにしてくださいぃっっ!!」
青年は耳を両手で塞ぎ、そちらを見ないようにして懇願する。
「ほらー、怒られちゃった。じゃあ後でゆっくりということで、ばいばーい。」
少年は青年に向かって手を振った。
「こっちじゃなくて、あっちですっ!」
ビシッと少年を指差した。その指先から、先程の震えは見えない。自棄っぱちになっているようだ。
「えー? 意志疎通困難な方って、君じゃないの? 出来ないって言ってるのに、出来るって君の頭で変換されているみたいだよ?」
やれやれと少年は肩を竦める。
「いっ、意志疎通困難にさせているのは、貴方の方じゃないですかっ!!」
「あらー、気が付いちゃったー? それなら話が早いね、ほらほら出口は君の側だよー。」
少年は青年に向かって帰った、帰った、と手で払うような素振りをする。
「窓口役の貴方に頼るしかないんですっ、こっちは! 仕事してくださいよぉぉ、後生ですからぁぁっ!」
一向に聞く気のない少年に対して、青年は叫んだ。
「ふーん。」
少年はそれを聞くと瞳の焦点を青年に定めた。そして左掌を上向かせ、ゆっくりと指を折る。
「うわぁっ!?」
青年は見えない糸で操られているかのように、少年の前まで引き寄せられた。
「僕は、望んでこの仕事に就いたんじゃない。就かされたんだ。」
感情のない声で告げた少年が、青年の瞳に映り込む。
薄茶色の瞳に、無表情の少年の顔が映った。同様にして金の瞳に、青年の顔が映る。
少年の瞳の中で、時を刻んでいるもう一つの世界に青年は囚われた。
頭に響く声がある。
──彼の瞳は、毒々しくない。故に希少性を感じさせる。
──毒々しい?
──毒々しいとは、 過度な顕示欲と嫌悪感を抱かせることだ。
──その考え方は被害妄想じゃ、
──彼の瞳を見ていると、明日もあるか確認しなければ、と思わせる。残滓によるオクリモノ、否、幻か。
──?
──まだ君には早いか。夕日が海面に当たって、チカチカと琥珀のダイヤを生み出す輝きを持っている。金一色ではない。その色は──、
『──オレンジ黄金の小麦畑。』
その世界で砂金が紙吹雪の如く、次から次へと翻りながら緩やかに落ちていく。不規則な微光を受け、砂金の縁の艶が一時増し、元に戻る。戻っても光沢は失われない。落ちている間に様々な角度で、光が当たる、当たらないを繰り返す。
その流動に魅せられて、想起されていく。
──は、優しくて不器用な美しい神様を、箱庭に閉じ込めてしまった。もし君が──と。それは夢物語か……、──。
そう言って悲しく笑った人がいた。
それが何だったかは思い出せない。
何故だろう。今なら掠った気がする。昔あの人が言っていたことが。
何故だろう。直前の少年の瞳が無機質に見えたはずなのに、翳って見えたのは。
何故だろう。直前の発された声は淡々としていたはずなのに、苦味を帯びて聞こえたのは──、どうして──。
「ごめんっ、やり過ぎたらしいっ! ねえっ、ねえっ! 起きてる!?」
「っ!?」
肩を揺さぶられて、現実に戻された。
少年の心配そうな表情が、ぼやけて目の前にあった。
「どっか、痛い!?」
少年は焦った声で聞く。
「きれい、だった、んです。」
「え?」
少年は意味が分からず、怪訝そうな顔をする。
青年は右目からポトッ、ポトッと零れていく熱いものを、手で触れる。左目からも頬の輪郭に沿って伝うものがある。
「きれい、だったん、です。砂金の砂時計のように。」
青年は、もう一度付け足して繰り返した。どこか舌足らずになってしまったところは、直らなかった。
「そっか。」
少年は目を大きくして青年のその言葉を受け取ると、目を伏せた。