1 離れゆくお願い、近付く泡玉
「だからっ、お願いしますって!」
「だから、出来ないって。」
ガバッと、桃色のふわふわ、もさもさパーマの頭を下げた青年。
青年は、薄赤紫のストライプのシャツに、ベージュのパンツを穿いていた。
その目の前には、豪奢な肘掛け椅子に座っている少年がいる。玉座にも似ているその椅子は、奇しくも少年に馴染んでいた。
少年の長い藍色の髪は編み込まれ、後ろで一つに纏められている。
少年は、白のブラウスの上に紺色のケープを羽織っていた。下は、七分丈のぴっちりとした、薄い灰色のパンツに、鎖状のベアフットサンダルを履いている。
一見、生徒のような出で立ちだが、下がラフな装いのため、大人びて見える。
そこには少年と、青年と肘掛け椅子以外、何も見当たらない。白い空間で占められていた。
他に強いて取り上げるなら、この空間に入室するための扉か。青年が来た形跡をそのまま現すかのように、扉は開かれたままだ。
少年はその肘掛け椅子に頬杖をつきながら、10センチ未満の細い筒状のものを持ち、口に咥えて吹かしていた。
行儀が良いとは言えないが、不思議なことに少年の品の良さは失われていなかった。
ぷかぷか、ぷか。
青年は何か異様なものが、自身の髪に近付いてきたのを感じ取った。
何かと思い、顔を少し上げる。それを見た瞬間、
「うぎゃあぁぁ! またそういう得体の知れない何かを、こちらに向けるの止めてくださいぃぃ!!」
ズザザザザザッと、勢いよく後退った青年は、奇怪なポーズを取っていた。
片足を上げて体を右によじり、右掌を上に、左手の甲をこちらに見せている。バットを握らせるには、打って付けのポーズである。
青年の眼鏡越しに見える、薄茶色の瞳がうっすら涙で滲んでいた。
「えー? 楽しいのに。」
不満そうに言いつつも、少年の口角は上がっていた。
ぷか、ぷかと筒状のものから出てきたのは、泡玉だった。
少年はくるりと筒状のものを指で回す。すると、あっという間にそれが消えてしまった。
少年は周辺に浮いた泡玉の一つを無造作に選ぶと、己の人差し指に乗せる。
「あまり後ろに行くと落ちるから気を付けてよ?」
金色の瞳で泡玉を矯めつ、眇めつ眺めている少年は、怯えている青年へ適当に声を掛ける。
「ふへぇ? は、はひっ!?」
そのヘンテコポーズのまま、首だけギーギーと、ゆっくり動かして後ろを見る。すると、開かれた扉の外は断崖絶壁だったのだ。
「なっ、なななんでこんなことに!? 来たときとは違うじゃないですかあっ!?」
目を丸くして叫んだ。
驚くのは無理もない。青年がこの空間に入る直前の道、即ち、扉の前の道は、敷石だった。その敷石の下には水が流れ、濡れないためには、敷石を踏む必要があったのだ。浅瀬であるため、余程のことがない限り溺れる心配はなかったが。
「何回説明させるつもりさー? ここは、こういう場なの。慣れて。」
少年はふーっと、下方から息を吹き掛けた。すると人差し指から泡玉は浮上する。
何を思ったか少年は、その泡玉を指で弾いた。
「ばいばーい。」
その泡玉は急速に、求めざる青年へと向かっていく。
「こ、こっち来させないでくださいぃぃ!!」
青年の青褪めるスピードが早くなる。
コツンっと、泡玉は青年の鼻の頭に当たる。その瞬間泡玉は弾け、
「ホーッ、ホケキョッ! テッペンカケタカ?」
「う、うげえぇぇぇ!!」
しわがれたオウムのような声の問い掛けに、ヤギの潰れたダミ声のような、応答の叫びが空間内に響き渡った。
「あや?ホトトギスも混じっちゃった。」
おかしいなーと、首を捻る少年。
「ま、いっか。」
ふむ。少年は一つ頷くと、ガクッと地に膝を付けゼーハ、肩で息をしている青年を見る。
「リラックス出来た?」
「リラックスッ、どころか、心臓が飛び出るところです! 下手したらあの世逝きっ! 何して、くれるんですっ!?」
息継ぎしながら、激しく抗議する。
「うんうん、それなら良かったー。歓迎のための演出が、功を奏したんだねぇ。」
しみじみと腕を組んで頷く少年に、目を剥いた。
「歓迎!? 嫌がらせの間違いじゃないですか!? 知ってますっ!? もうすぐ私、死ぬところだったんですよっ!」
「えー? 最高じゃん。」
「何言ってるんですかっ!?」
考えられない返答に青年は、泡を食う。
「……それで死ねるなら、いいな。……羨ましいよ。」
飄々とした態度から一転、僅かに影が差す。少年の纏う空気に重みが掛かった。
存在感は反比例して、ひっそりと希薄になりつつある。
「えっ? 今、何をー」
ボソリと静かに呟かれた言葉は、青年の耳に入らない。
「長く生きても、意味がないことだって……、ううーん、何でもない。とにかく、痛くない方法で死ねるなら幸せだよーってこと。」
にっこりと少年は笑った。
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