9.
前は…と物理室のいつもの光景を思い出す。
あの空間。あの流れ。あの響き。
まだ少ししか経っていないというのに随分昔のことのように恋しくなり、そんな自分が嫌になる。
「私もう空見ないんで。」
そう言うと、前は見てたの、と返してくる。
「毎晩見てました。これでも。」
「何でもう見ないの。」
その理由は、自分でも直視したくないもので、思わず私の視線は彼から逸れた。
「嫌、なんです。」
それだけ答えると、
「何が。」
また小野寺は訊いてくる。
「何が。」「何で。」どんどんどんどん質問を投げかけて私を追い詰めて、一体彼が本当は何を知りたいのか私にはさっぱり分からない。
「嫌ったら嫌なんです。」
「だから何で。」
「だからもう嫌なんです、そういうの。」
そういうのって。まただ。
「だから、そういう…。」
自分が、もう、嫌。力強くそう言い切ると、私の視線は急降下して、やけに艶のある木板が目に入った。その木目をあみだのようにたどりながら、自分が今泣きそうになっていることに気が付く。
「悪い。」
彼は呟いた。余計なことだった、と。その声が一層私を情けなくさせる。
そして滑らかにそれが左の頬を伝った時、彼の体が微かに揺れたのがわかった。
私はそのまま背を向けて走り出した。
久しぶりに女子トイレに駆け込んで誰にもばれないよう涙を拭き取ると、私は素知らぬ顔して教室へと戻った。
それなのに、その放課後、また彼はやってきたのだ。
「木下さん、また来てるよ。」
懲りない、というよりも、もはやただのデリカシーのないやつだ。
ちらりとその入り口に目を向け視線が合うと、また何でもないような顔して頷いてくる。
「彼氏?」
恐る恐る訊いてくるその子に笑って返すと、小野寺のいる方とは逆の入り口から教室を出た。
「ちょっと、木下さん。」
予想通り後ろから追いかけてくる声には気にもかけないで階段を足早におりてゆく。
「ちょっと、待てって。」
隣に並んだ小野寺が覗き込みながら、「その、ごめん、昼は。」と謝ってくるけれど、その存在に目をやることもなく聞こえない振りのまま玄関へと向かう。
「悪かった。」
「余計なこと訊いた。」
「俺が首突っ込むことじゃないよな。」
「でもまさか木下さんが…。」
そこでわざと大きな舌打ちをして睨み付けると、
「やっとこっち向いた。」
彼は笑って言った。憎たらしい。
「先輩そんなキャラでしたっけ。」
内履きを脱いで外履きを取り出そうとすると、私の下駄箱にすっと手が伸びる。
「行こう。天文同好会。」
どうしても彼は私を同好会に連れて行きたいらしい。
「先輩、受験勉強は。」
その手は細くて小さくて、白い。
「俺推薦だから。」
行くぞ。畳みかけるように彼がそう言うと、私はようやく周りの視線がこちらに向いていることに気が付いた。
大きなため息を一つつく。
私が内履きを履きなおすのを確認すると、よし、と小野寺は意気込んで歩き出した。
きっとこの無頓着さとしつこさが帽子大量生産の原動力なのだろう。