8.
私の世界が変容して一ヶ月が経った頃、彼は私のところにやってきた。
「木下さん、先輩が来てるよ。」
そう誰かに言われて指す方を見ると、何でもないような顔して入口に立っている小野寺の姿があった。私はまだお弁当を食べている最中だった。
あぁ、と温い声をだして私が向かうと、ちょっと…と言って小野寺は人気の少ない廊下へと歩いて行った。
「なんでしょう。」
立ち止まり振り返った小野寺にそう訊ねる。
「木下さん、天文同好会やめたの。」
頷きかけて、まだ退部届は出していなかったことに気が付く。
「…まだ、ですね。」
続けて、もう来ないの、と彼は訊きそれには頷く。
一息ついたのち、小野寺は近くの窓を開いて、その枠に腕をかけた。
「愛実がさ…来てほしいみたいなんだ。」
私が首を傾げると彼は続けた。
「落ち着くんだってさ。木下さんがいると。」
それは…どうして、と訊こうとする前に答えは返ってきた。
「俺もよくわかんないけど、余計なこと言わないからじゃないの。」
窓から入って来る冷気は火照りすぎた頬をそっとなだめてゆく。
「余計な、こと。」
そう呟いてみる。
思えばあの時いろんな人の噂に振り回されたっけ。
「うん。言わなくていいこと、きかなくていいこと。」
そう言うと白い大きな息を吐き出して、彼は窓を静かに閉めた。
「今日、眼鏡かけてないんですね。」
今ようやく気が付いた違和感に言葉が漏れる。一ヶ月見ていないとはいえ、どこかおかしいなと思っていたのだ。
「え?」
「あ、今のも余計なことでした?」
「いや。あれは授業と同好会の時だけ。」
そう言って軽く笑う。
笑うんだ。それは心の中で呟いた。
「とりあえず、来いよ。」
それとも何か事情があるの?改めて私の顔を見る。
「いや、事情というか…。」
何。そう訊く声は真っ直ぐなのに、やっぱり冷えていない。
「私別に興味ないんですよ、天文学とか星とか。」
本も読んでいる振りだった、とまでは言わない。
「それで?」
それで、と言われても困ってしまう。
「何かあったの。」
「それって…余計なことにならないんですか。」
今日はやけにずんずん押してくる小野寺につい反抗的にそう返すと、
「だって、きいてほしそうだから。」
と言う。
「私が?」
驚いて自分を指さすと、そう、と頷いて、
「何かあるんなら、言えばいいよ。話ぐらいなら聞いてやれるから。」
力むことなくさらっとそんなことを口にする。
「何か、って…別に何もないですから。」
「じゃあ来いよ。」
「だからもう、行かないって。」
「だから、何で。」
またここに戻る。小野寺は表情一つ変えない。
「もう行く必要がないんです。」
きっぱりそう答える。
「前はあったの。」