4.
次の日いつもの作業に戻った小野寺はマスクをしていた。ただの風邪だったのだろう。
時折こほこほと咳き込みながら、何度も角度を確認している。
帽子には薄手と厚手の二種類があって、模造紙で作った薄手のそれで試し開けをすると、内側からその穴の光の入りを確認するのだ。そこから微調整を重ねて穴の位置が決定されると、ようやく画用紙で作った厚手のそれで完成させる。
彼はその材料だとか見栄えだとかよりも、自分の技術にこそこだわりを持っているようで、帽子作りは愛実に全て任せて、自分はただずっと何度も何度も開けては確認、開けては確認、を繰り返している。
「やってるか。」
入口からそう声を掛けてきたのは顧問の先生だった。大きな体に首を竦めてのしのしと歩きながら定期的にここへやって来る。
「特に問題はありません。」
顔を上げると小野寺は決まってそう答える。
それに「そうか。」と頷きながらのし、のしと先生は二人のいる机に近付いた。
「完成しそうか。」
そうですね…と一度考えてから、「完成させます。」と彼は言い切った。
「二人だとはかどるな。」
「はい。」
彼の返事とともに愛実もこくりと頷く、それを無言で受け取ると、先生はこちらに視線を向けた。
「木下は…。」
目を合わせて私は言葉を待った。
小野寺はまた穴開けに意識を戻し、愛実は先生につられてこちらを見ている。
「相変わらずか。」
いつものようにそれに頷く。
「そうか…。」
動き出すこともなく俯いて黙ってしまった先生に、私も視線を戻してよいものか迷っていると、
「来年は、部長か。」
先生は再度私を見つめた。
小野寺は来年で卒業だ。残るのは私と愛実。ということは必然的に私が「部長」ということになる。
私が何も答えずにいると、「まぁまた…考えれば。」とごまかすように言って、先生は教室を出て行った。
また私たちだけの空間に戻る。
でも同じではなかった。
私の中に何であるかはわからないけれど異様な気持ちの悪さがむわっと立ち込めた。
「どうしよう。」
思わずそう口にしていた。
すると意外にも横から返事があった。
「大丈夫だろ。」
向くと、帽子を覗き込む小野寺の姿がある。隣の愛実はまだこちらを見ていた。
「大丈夫じゃないです。」
小野寺とまともに会話をするのは初めてなのに、今日はどこかそれが許されているような空気で、はっきりそう言い切った。
「何が。」
彼は話しながら作業を続けた。
「部長なんて無理です。」
そんな役割、私にはできない。
帽子と桐を一度机に置くと、小野寺はこちらに顔を向けた。
「何で。」
表情は変わらないけれどどこにも冷たさが浮かんでいない。あぁこれだったのか、私は妙に納得した気持ちになった。どうして私たちが今まで同じ空間を共有できていたのか、それがわかった気がした。
「何でって…。私そういうのだめなんです。」
「…プレッシャー?って言っても部員、木下さんと愛実だけだろ。」
そういうことではなくて、と私は体ごと向きを変えて、二人を見つめた。
「私まともな活動してませんし、何かを担えるような人間じゃないんです。」
まともな活動って…と呟き返し、
「本読んでるだろ。それに別にそんなに気負わなくても大丈夫だよ。俺も何もしてないし。」
と彼は言った。愛実もそれに頷く。
本は読んでる振りです、とは言えないし、皆が無自覚にできているものの正体が私にはわからないんだ、と哲学的なことを言う勇気もない。
「それじゃだめなんです。」
「じゃあ…、他に何かするか。」
それに、天文学にさほど興味はないので何もしたくはありません、とも言えず黙り込んでしまうと、
「同好会なんだしさ。俺はそれだけで十分だと思うけど。」
と彼は言う。
そりゃ小野寺はいい。当たり前のことができるんだから。
でも私は違う。私はだめなんだ。
誰かが代わりに頑張ってくれていて、その傍で素知らぬ顔して呑気にぼんやりする。
そうじゃなきゃ、私は私でいられない。
「そんなに重く考えなくてもさ。形だけでいいんだよ。」
これじゃ話しにならない。私はため息を一つついて元の向きに座り直した。小野寺は、いいやつなのだが根本的な部分がわかっていないのだ。