レイ・アライス 授業監督
魔法陣を完成させると、魔物を放す前に魔法の確認をする。
確認と言っても準備運動のようなもので、レプリカとはいえ初めて魔物を前にすると慌てたりする生徒もいるので、落ち着くための行動とも言う。
自分に巡る魔力を意識し、形にすると魔法となる。軽く魔法を表し、状態を確認する。
「うぎゃあ!?」
一つ役割を果たしたので、次は魔物のレプリカを魔法陣に放すときだな、と思っているとすごい悲鳴が上がった。
レイの視界の端が橙と赤の合間の色が映った方向と、悲鳴は同じ方向だった。
大きな炎が立ち上っていた。
炎の出所は……手のひらに乗っている魔法の炎が制御出来ていない様子だ。故意に大きくしたのではない証拠に、当の使い手の女子生徒はのけ反っている。
「テオルド」
「……うん」
側にいる友人に声をかけると、彼は他にも適切である魔法を使うだろう一年生が手を出す前に、すっと指で女子生徒を指した。
直後、炎の発生源の女子生徒の上、突如現れた水が寸分違わず炎にかかり、魔法を消火する。
「あ、ありがとうございます……すみません……」
手のひらがびっしょりぬれたが火は消えた女子生徒が呆けながらお礼を言い、俯いたところで、他の一年生の女子生徒が駆け寄って何やら言っているようだった。
改めて準備運動を慎重に行い始めた生徒は、周りよりは幼い顔立ちに眉を寄せ真剣な面持ちとなっていた。魔法陣をよく間違えていた女子生徒だ。
「彼女、あれが通常運転?」
横の辺りで、歩き回っていたアルフレッドが手近な一年生の男子生徒に近寄って聞いている声が聞こえた。
さっき炎を暴走させかけた女子生徒をちらりと見ながら、だ。魔法陣の件でもミスが多い子だとは彼も気がついていたのだろう。
普段からなのか、と。
「あー、いえ、過去に一回ありますけど、ウォーミングアップでああなるのは稀です」
対して問われた側の生徒は視線で示されたクラスメイトを見ながら答えている。今までの実習を思い出しながらの返答は、何とも心もとないものだった。
軽く使おうと思って魔法を出して、あのように暴走するのは、高等部の生徒のレベルとは信じ難いからだ。しかし魔力量はありそうだなぁ、と思うことにした。
「まあそういうこともあるよね」
と、感想をもらすアルフレッドは、聞いておいて大して気にしていない様子だ。
実技が苦手な人もいる。緊張しすぎているように見えるからそのせいもあるのかもしれない。
「じゃあ実習の内容に移ろっか」
後からやって来ていた教師から受け取ってきた小さな瓶が六つ。
透明な入れ物には地面に描いたものと似たような魔法陣が描かれ、中には黒いのか紫なのか、茶色なのかという不気味な何かが詰まっている。
今から行うことを思うと、初見の一年生でも薄々分かったはずだ。――これが魔物のレプリカだ。
しかし予想外の形状で、単なる液体にしか見えないからか、小瓶に注目する目は戸惑い気味だ。これが魔物?と。
「聞いてると思うけど、割ったら魔物のレプリカが出てくるから、必ず魔法陣の上で割ってね。失敗したらすぐに僕らが代わりに消して、予備でやり直せるから心配しないで慌てないでね」
アルフレッドが説明しているうちに、レイは一年生に小瓶を渡していく。
受けとる一年生は中にある液体の正体を聞いているので、それぞれ瓶にさえ触れるのをためらったり、受け取っても不気味そうにしたり。差はあれど、全員そんな反応。
――と、
「う、わ、あ」
ガチャン、と背後から何かが割れた音。レイは、瓶を配り終わったところで直ぐ様振り向いた。この授業全員の中で誰か一人は落とすだろう――去年、レイのクラスにもいた――と思ってはいたが……。
振り向いたときには、それはそこに現れていた。割れたのは瓶。閉めてあったときには中には暗い液体があるだけと見えていたものは、瓶が割れ、魔法陣が決壊して溢れ出し、研究所が意図したように形を作る。
黒い塊に四つの足ができ、口のようなものができ、牙が生え、鋭く長い爪が生え、目はない。
毛を連想させるものはない、のっぺりしたものだが、歪な獣のように見えるもの――レプリカの魔物が出現した。
「きゃあああ!?」
一年生のものと思わしき悲鳴が一つだけでなく、複数上がる。化け物でも見たような反応だ。まあ、間違いではないか。
魔法陣の上に出されなかった魔物はレイの前に立ちはだかるが、レイは突然とはいえ慌てなかった。
一年生の魔物のレプリカを使った初めての授業は、動かないし、形状が初見では衝撃的なだけあって自分の目線より下だ。脅威は全くと言っていいほどない。
だから素早く足を踏み込み、腕を突き出し――動かないレプリカに手を突っ込んだ。泥に手を突っ込んだような感触が手と手首付近に伝わり、魔法で燃やす。
一瞬、だ。
耐久が最低レベルのレプリカの魔物は、どろりどろりと溶けたように形を崩していく。
「うわあ、レイ、そんなやり方したら手が」
「濡れた」
レプリカに突っ込んでいた手を振ると、レプリカの一部は水滴みたいに飛び散って、下に落ちると蒸発した風に消えていく。
アルフレッドが「こっちに飛ばさないでよ」とか言うので、ちょっと飛ばしてやりたくなる。そんな何かとんでもないものでも触ったとでも語る目で見なくても。彼はこの魔物のどろどろが苦手なのだ。
「……手、洗う?」
「ありがとう、テオルド。でも乾くと思うからいい」
「僕だったら洗う」
「汚いもので作られてるはずないんだから。気持ちの問題だよ、アル」
もはや液体みたいになって消えていくだけの魔物のレプリカの残骸を見下ろし、小さく息を吐く。手を軽く振りながら辺りを見ると、一年生と目が合った。目が合った。目が合う。
最後に瓶を落としたであろう女子生徒を見ると……やはりと言うべきか例の生徒であった。声を失っている様子をなので、さっきの悲鳴には彼女の声は入っていなかったのだろう。
「す、すみませんでした……」
「大丈夫、予備はあるから。気をつけてね」
新しい瓶を渡すと、恐々と受け取られる。今度は落とさないように、と慎重すぎる手つき。
魔法陣の前に移動するときも彼女の手はしっかりと瓶を握っていた。
「……あの生徒の近くに、行っておく」
「うん」
度重なる出来事で要注意生徒と捉えたのはレイだけではなく、テオルドがこれから魔法を使うのでいつでも消火できるようにと、さりげなく件の女子生徒の近くにいった。
とても助かる。
「アリシア落ち着いてやろうな」
レイも前を通りすぎると、彼女には宥めるような声がかけられ、空回りを防ごうとしているように聞こえた。
緊張は普段から、ということだったのかもしれない。
やがて魔法陣の前で躊躇っていた生徒が一人ガチャンと瓶を落とせば、ガチャン、ガチャンとあちこちで瓶が割れる音が重なる。
部屋のあちこちで、鳴る。
次いで、炎が上がり、風の刃が生み出され、種を媒介として蔓が生え、魔力の塊の水が魔物のレプリカを包む。
学園に通う魔法使いの卵、生徒たちは、ネクタイをつけている。しかしながら、全員が同じ色というわけではない。
それは各生徒の魔法の『属性』によって決まっている。
『火』を生み出し自在に操る『赤』色。
『水』を生み出し自在に操る『水』色。
植物を操り、同時に癒し手でもある『木』の『緑』色。
『風』を起こし自在に操る『紺』色。
そしてそれらには当てはまらない属性『地』の『紫』色。
アルフレッド・ラトクリフは木属性。
テオルド・アダムスは水属性。
アリシアという件の女子生徒は火属性。
そして。
部屋のどこかで起こされた風の余波を受けた拍子に、レイは制服のポケットから飛び出している赤い布に気がつきそれを押し込める。
――レイ・アライス、赤色。