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アリシア・キャンベル 逃亡




「キャンベル!」


 四角い長方形の石が並べられて作られた道歩くのは、少々腹のあたりの恰幅がいい男性。髪の量は頭を覆うには足りないくらいで、灰色をしている。服装は仕立ての良いスーツだが、お腹の辺りがはち切れそうで、ボタンが飛びそうだ。

 しかし現在、険しい表情が相まって、ボタンが飛びそうな原因は怒りではないかと思わせる。


「アリシア・キャンベル!!」


 もう一度、今度はフルネームで生徒の名前を大きく呼ぶ声は中庭の隅から隅までに響き、ともすれば建物の中にまで聞こえているのではないだろうか。

 大声で生徒を呼ぶ教師には表情や声以外に、足取りにも感情が表れており、足音が荒い。足音を聞いただけでも相当怒っている。

 だがそれに対し、彼に呼ばれている名前の主は現れる様子が全くなかった。


 王都、魔法学園の中庭。

 人が見上げれば、空に葉を広げる大きな木が中央に一本。周りを回るようにして石で作られた道が四方から伸びて、繋がるその場所には、寛げるベンチがいくつもあって、テーブルもある。

 屋根のある場所も設けてあり、ただの学校の中庭とは思えないほどだ。

 いつもはこの時間帯、授業を終えた生徒の賑やかな声のみがある場所に、教師である男性の声は響き渡っている。

 その場にいた他の生徒は何事かと興味を示す者もいれば、声の大きさに顔をしかめる者もいる。隅の方ではその場からも去っていく生徒も。

 しかし男性教師に近づいていく様子の生徒はいないし、教師もまた辺りの生徒の顔を睨むように見渡すが目当ての生徒はいない様子。

 中庭の中央辺りをちょっと過ぎたくらいで足を止めて、周りにぐるりと視線をやる。


「キャンベル!  あとで私のところに来るように!」


 しかしここに来るまでにも何回か繰り返し呼ぶ生徒が現れないことで眉間によりしわを寄せ、ついにそう言い捨てて去っていってしまったどうやらここ周辺にいることは確信しているらしい。


 それからたっぷり二分。

 去って行った教師が立っていた場所から十メートルほど離れた位置。中庭の隅、建物にほど低い、植木が隙なくずらりと並ぶ一角。


「ふぅ」


 植木の向こう側から見えないようにしゃがみこんだだままため息をつく女子生徒がいた。クリーム色の髪が肩を少し越えたくらいの長さの頭を抱え、じっとしていた体勢をそろりそろりと解いていく。

 アリシアは、響く声がなくなった植木の向こうをこっそり覗こうと思って膝立ちになり、頭をひょっこり覗かせる。

 そこに、


「アリシア・キャンベル」


 後ろから、ついさっきまで中庭に響いていたような声。――まずい。アリシアの頭が警報を鳴らした。


「ぎゃあっ!  す、すみませんすみませんすみません」


 途端にビクリと一瞬地面から浮くほど跳ね、悲鳴をあげたアリシアはすぐに自らのクリーム色の頭を抱え、一心不乱に謝りだす。

 自分の出来る限界のものすごい早さで、とにかく許してもらえるようにと。


「なーんてね、アリシア。おれだよ」


 しかし次に聞こえた声は先程の声とは違ったものだった。

 おれ?

 急に変わった声に頭を抱えていたアリシアは聞いたことのある声のような気がすると、しかしおそるおそる顔を上げる。


「れ、レヴィ……」


 すると背後に立っていたのはよく知る同級生だった。名前を呟き、認識して、アリシアは体から急激に力が抜けて、地面にへたりこんでしまう。


「驚かさないでよ……本当にびっくりしたんだから……」


 ぺたりと座り込んだまま、心の底から言ったのに、レヴィはアリシアを見下ろしてけらけらと笑っている。


「いやぁ、女子にあるまじき悲鳴だったなー」

「だって、アンダーソン先生そっくりだったから……!」


 こちらは心底笑いが含まれた様子で言われて、アリシアは項垂れ座り込んだまま反論する。

 アリシアが隠れていることを知っていながら、この友人は教師の声真似をして驚かせてきたのだ。冗談抜きで心臓が止まるかと思った。声真似が、似すぎていた。

 今はばっくばっくと大きく打つ鼓動を感じながら、勘弁してほしいと泣きたくなる。

 そう、アリシアこそフルネームを「アリシア・キャンベル」恰幅のいい教師に呼ばれていた名前の持ち主であった。


「で、今度は何しでかした?」


 低い植木の生える裏、アリシアと同じようにレヴィが芝生の上にしゃがんで近い目線で向き合う形になる。やはり教師に呼ばれていたときからいたらしい、理由を尋ねられた。

 今度は、という聞き方が慣れていて、アリシアは罰が悪くなる。今度はなんて言わなくていいのに。事実だけど。

 それに呼ばれていたときから様子を見ていて、教師がどこかに行った直後を見計らっておどかさなくてもいいのに。報告しない友人で良かったけれど。とか何とか頭の中でぶつぶつ思う。


「今度『は』って……ただ課題が終わらなくて、授業のあとに居残りで調合頑張ってたんだけど……」


 アリシアは小さな声で事の顛末を語った。「失敗を、してしまって……」と最後は消えそうなほどの小ささで。

 授業内での課題が一人終わらなかったため、実はほんの少し前まで居残りで続きをしていた。しかし派手に失敗をしてしまって()()()()()()爆発が起きてしまった。鍋は焼け焦げ、臭いは酷く。

 焦って右往左往していたときに、ちょうど教師が様子を見にやって来て、逃亡を計った。


「どうしてそこで逃げちゃうかな」

「ど、どうにかしようとしてたんだよ!? だけど、」

「そんな暇もなくアンダーソンが来ちゃったと」


 弁解を先回りされて、その通りだったので何度も頷く。

 アンダーソンとは、アリシアの名前を呼んでいた教師だ。薬の調合の授業の教師で、まさにアリシアに居残りを課した張本人である。

 常に仏頂面で体も大きいことから、アリシアは大の苦手としている教師だ。薬の調合が上手くできないことで、その感が強まっていることは否めない。


「どんな失敗したって?」

「……ちょっとした……」

「ちょっとした」


 復唱されて、視線をさ迷わせてしまう。


「しっかしあれをミスするかぁ……」


 同じクラスのレヴィは、同じ授業を同じ時間で受けている。アリシアが何の課題で残っていたのかも知っている。


「というか、失敗ってこの前もしてただろ?」


 内容を聞いてのレヴィの悪気はない言葉に、アリシアはぐっと言葉に詰まる。失敗もまた、珍しくないこと。むしろ毎度のこと。それはアリシアも自覚するところだった。


「そう、なんですけど」

「あー、ごめんごめんアリシア。でもどうせアンダーソンのとこいかなきゃじゃないの?」


 どんどん顔を下に下に、終いには地面を見つめるアリシア。

 そんな状況になって、軽口を叩いていたレヴィが謝るが口先だけで、また現実を突きつけてきた。

 ――「あとで私のところに来るように!」

 とアリシアが隠れていることを見越して、大きく言い残していかれた言葉があった。

 そうでなくとも、調合の失敗をそのままにしてきたことといい、結果課題はまだ出来ていないことといい、教師の元へ行かなければならないのだ。

 ただ問題は、その勇気がすぐに湧くかと言えば……覚悟がそんなにすぐに決まるなら逃げないし、逃げても呼ばれたときに出ていけただろう。


「……怒られるよね」

「それはこれまで中等部から似たようなことを重ねてきたアリシアがよく知ってると思うんだけど? どう?」

「すごく怒られる」

「だろうな」

「逃げると、反省文もついてくる」

「妥当だな」

「鍋爆発してて、飛び散ってたから、掃除も大変」

「アリシアがやったことだしな。さっきちょっとした失敗って言ってなかったっけ? 爆発って、何入れたら爆発……」

「課題も完成してないから、後日また居残り」

「そこも仕方ない。アリシア、よく中等部から上がれたなぁ」

「ニコラにお世話になりました……」

「おれは?」

「レヴィも」


 もちろん。


「レヴィ」

「後は何があるわけ?」


 アリシアは震える手を握り合わせ、レヴィを見上げた。ごくりと喉を上下させ、口を開く。


「すごく、怒られるの」

「さっき聞いた」


 居残りをしていたのはアリシア一人。他の生徒が時間内にクリアした課題を、居残りを始めて一時間でも完成させられなかった。

 それなら未だしも、課題を置いて逃亡。それでもまだまし。課題の調合を派手に失敗した跡を残したまま、逃亡。

 呼んでも出ていかず、教師はご立腹。最悪だ。

 そんなことになったのは、誰であろう自分のせいで。わざとでなくても、つい逃げてしまったのであっても、結果は同じだ。関係ない。

 教師の元へ行ったときのことを考えると、ぶるぶる震えてきはじめたアリシアはさっきの数倍泣きたくなる。


「…………レヴィ助けて!!」


 最終的に、目の前の友人に泣きついた。

 アリシア・キャンベル、十六歳。

 魔法学園高等部一年生。

 一年生内では落ちこぼれと言われている。









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