レイ・アライス 家族
この国で最も立派で美しい建造物とは、王の居る城だ。この国を統治する存在として王が存在する。その王が住み、政治の中心でもある場所が王城なのである。
レイは制服で、一人で歩いていた。
養父は自身の兄に会いに行った。その間にレイはルークに連れて行かれ、ルークがレイを王城にまで連れてきた口実に使っていた彼の兄たちには会った。しかしあまりに構われるので、こっそり抜け出してきた。
外に出て庭園を歩く。
「どうしようかな……」
どうせ夜になるまでには戻らなくてはならない。するとどうせまたあの兄弟に会うのだ。
自分はもはや子供ではなく、そもそもここに拾われて来たときもそこまで子供ではなかったのだが、あれだけ構われるのは何なのか……。
しかし、誰も彼もがやはり手紙と同じく、レイを責めなかった。笑顔で、久しぶりだと迎え入れてくれて。むしろ心配してくれた。
ふぅ、と息を吐くと、息は白くなる。雪は降っていないが冬の外、空気は冷たい。
視界の端に突如空間に闇が生まれ、小さな黒猫がぽつんと座っていた。気がついたが、レイは構わず歩き続ける。
『お主、さほど我を拒絶しなくなったな』
下を見ると、黒猫は隣を歩き、こちらを見上げていた。
「……別に、もうルークは目覚めたし、私はこれからあなたと付き合って行かなくちゃならない。一々言ってたらきりがないから、その姿なら何も言わないことにした。だけど、学園とか人がいるところでは出てこないで」
他の人に影響がなければ、一目で妖しいと感じる人型を見せなければいい。
それに今は一人だから放っておいているのだ。どうも、この悪魔はどこかに行けと言うなら素直に消えてくれるらしい。以前からこれ見よがしに出ては、消えていたのはそういうわけで。
また一つ、出たため息も白く染まる。
「それから、学園長が学園の東の森には入るなって」
東の森に、管理外の本物の魔物が出た。
元々王都は魔物が出ない地だ。その理由は、どうやら対策が取られているからで、しかし学園の東の森は本物の魔物を放すためのエリアを設け、魔物を避ける力を弱めているのだという。
そこに悪魔の力が干渉し、魔物が産み出された。魔物と悪魔の関係は一体何なのか。
とはいえ、アルフレッドが東の森で教師を見かけたというのは、以前授業中に本物の魔物が、なぜか複数も出たことによる原因究明と警戒のためだったとか。
『我はお主がいる場所にいることになる。お主が入るからには仕方がない』
あの日魔物が生まれたのはレイがその森に入ったから。
自分のせいか、と理解はしていたことを指摘され、気分が沈む。
幸いにも、本物の魔物に会う実習はこの先あるかどうか。学園長も対策を取ってくれていると言うが……。
「一番良いのは契約を破棄すること。……思ったんだけど、そっちから破棄してくれる気はないの?」
悪魔と契約したレイは、学園長から様々な忠告を受けた。
悪魔との会話には気をつけること、出来る限り力は使わないようにすること。そういった言の根にあるのは、これから悪魔と付き合っていかなければならない、ということだった。
悪魔との契約破棄は契約者側からは出来ない、と。そして悪魔にとって人間との契約は興味本位の遊びであり、かつ彼らにとっては些細な時間でしかない。
死ぬまで続く。
だがもしも、契約を破棄してくれる奇特な悪魔であるとするなら。
『無いな。一生をかけ、我の玩具となるがいい』
だが、会話が出来るとはいえこれも結局は悪魔なのだ。人間を玩具と見る言葉が返ってきた。
『本当に、お主は変わり者だな。悪魔を喚ぶ人間は力を手に入れ、その力を手放そうとはしない』
だから自分は喚ぼうとして喚んだのではないと、何度言えば分かるのか。
『そもそも、契約を破棄すればどちらからにしろ契約者は死ぬ』
その言葉に、下を見た。
『と言ったらどうする?』
果たしてこれは、嘘か真か。
その声に面白がるものが表れていたとしても、目が何か光をちらつかせても、そこから人間が読み取れる「真実」はない。
「迷惑をかけるより、ずっといい。……構わない、と言ったら?」
『それならばお主が自ら死ぬことにより契約を終わらせることと、変わりあるまい。それを望むのであれば、すれば良い』
悪魔は、赤と金の目を細めた。それも面白い、と言いたげな。
レイは、考えた。今言ったのは、売り言葉に買い言葉で出てきたものだ。何もかもを面白がるような口調の悪魔への嫌悪からのもの。
しかし、契約破棄は実質見込めない。それならば、この先事が露見し、周りに生じる迷惑を考えると――と、考えてしまう思考の一部があった。
「俺は、とても構うな」
一つの声が、割り込んできた。
他に誰もいないと油断して会話していたため、驚き周りを見る。やはり他に誰の姿もない。
だが、葉々が僅かな風で擦れ合う音よりも、爽やかな声がしたのだ。
反射的にレイは、足元の黒猫に消えるようにと視線で言うと、黒猫は大人しく溶けるように姿を消した。
それから、聞き覚えがあるかもしれない声に何気なく残った頭上を見上げる。
と、
「レイ、お帰り」
一本の立派な木の上、太い枝の付け根に、一人の男性がいた。
見つけて、レイは一瞬目を見開いたが、すぐに呆れてしまう。何をしているのか。
「……そんなところで何をしてらっしゃるんですか、陛下」
無防備にも木の上にいる男性こそ、この国の王で四人の子持ちの父親でもある人である。
そうこうしているうちに、彼は身軽におりてきた。
「水臭いな、陛下なんて言うな。お前は家族なんだからな、我が娘よ」
「私は、あなたの弟の養子なんですけど。それに、お一人ですか」
「一人も一人だ。今回はかなり上出来の身代わり人形が出来た。今頃ばれている頃かな。それより、だ。結婚願望がなくて一人で邸に住んでいた弟が、娘にしたいなんて凄い勢いで来たから了承して、戸籍上は渡したが、レイは俺の娘でもあることに変わりはない」
かなり滅茶苦茶なことを言う一応この国の王は、頭や肩についた葉っぱを払っている。
木登りとは、小さな頃を思い出す。この人もいつの間にか子どもに混ざってたな、と。
何を隠そう、レイが昔出会ったその人は王族で、王様の四人目の男児で、いわゆる王子と呼ばれる身分であった。
養父は王の弟で、あの様子でも一応王族である。彼は兄である王の補佐についているが、王城の外で生活することを望み、あの邸で暮らしている。
それを知ったのは拾われてどれくらい経ったあとにだったか。
王族が捨て子を拾うという、昔のレイはかなり特殊な立場にあった。一般家庭ではないのだから、今考えるとそう簡単にはいかないだろうに。
今とて中々に特殊な立場ではあるが、王様の子どもとなるよりは複雑な状況ではない。
余談であるが、ルーク・クロイゼルの「クロイゼル」という名字は便宜上つけられたものである。王族に名字はない。
レイ・アライスの「アライス」という名字も、偽のものであったりする。もちろん学園長の許可の元のことだ。
「娘って……息子が四人いますよね」
「残念ながら俺の息子たちには可愛さが皆無だ」
「私にだって可愛さはないはずです」
「いやいや、あるある。その本当は逃げたいけど逃げないとことか、何だかんだ言って、面倒そうに見えるけどされるがままなところとか、時々見える不安そうな目とか……」
「もういいです」
全く持って身に覚えのないことを言われて鳥肌が立つ。逃げないんじゃなくて、何だかんだ言って隙がないだけだ。
それより護衛なり何なりといないのかと、告げ口するべく広い庭園に視線を巡らせる。
「死んでもいいとか思うな」
すとん、と耳に落ちた声があった。
吸い込まれるように前を見ると、穏やかに微笑みをたたえるこの国の王がおり、しかしそうしながらもその目は。
「そういうことを考えるのは許さないぞ」
怒っていた。静かな怒りによってその目の翠はより鮮やかにその色を魅せる。
レイは、この人物に呼び止められる前の会話を思い出す。そのことを指しているのだと。
「レイ、お前はこの国で禁忌と呼ばれるものを起こしてしまった。その事実は変わりない。だからと言って、ここから先、俺たちのことを考えてお前の命を粗末にするな。誰も迷惑なんて思わない。それでも迷惑だって思うなら、迷惑をかければいい。家族だろう」
ルークが眠ってから、目覚めてから、この人に会ったのもはじめてだ。手紙が来た。気に病むな、息子は負けないからと。レイのせいではないと。
レイの髪をくしゃりとその大きな手でかき混ぜ、その言葉を止めたのは他でもない彼の親だ。
「ルークだって起きただろう? 起こしてくれたんだろう、レイが。――ありがとうな。よく頑張ったな」
優しく見下ろすその目はまさに親のそれ。
目から涙を流して、それを見せまいと下を向くレイは、頭をぽんぽん叩かれた。
違うんだ。涙が出てきたのは、安心ではなくて。どうしてそんな風に言えるのかということ。だって、息子は死んでしまうと思われていた、絶望的な状態だったのに。
「ほら、そんなところが可愛いんだよな」
笑って言われただろう言葉はからかうもので。
「可愛いくないって言ってます……」
「敬語やめろよ、水臭い」
なぜか養父よりも若く見える王は、若々しく笑って、レイの髪をぐしゃぐしゃにした。
「いやしかし、何かとんでもない話をしながら聞き慣れた声がやって来たかと思えば、悪魔とか」
「……はい」
「レイ、気をつけろ。悪魔は人間とは違う」
学園長に何度か釘を刺されたことと同じことを、王も言った。笑っていた顔とは反対に、真剣な顔つきで。
「分かっています。……これ以上のことにならないように、気を付けます」
「気負いすぎるな。お前の味方は周りにいる。一人で事実を背負う必要はない」
拾われた直後、一時期本当に父親のように接してくれていた王は、重ねて念を押した。
レイは涙を拭って、頷く。自分は、恵まれすぎている。
「……ところで、ここで何をしているんですか?」
泣き顔を見られたことへの誤魔化しからと、我に返って指摘した。
「お父さんが会いに行ったはずなんですけど」
養父はこの人に会いに渋々行ったのでは?
それなのに、会いに行ったはずの人物は目の前にいる。もう会ったあとだということは考えられない。
すると色彩以外では王には見えない言動をする王は、頭を掻いた。
「エセルバートも来てるのか。……お父さんか、羨ましいな我が弟は。俺なんて面の皮の厚すぎる息子からの『父上』と可愛いげのない息子から時々『父さん』て呼ばれるくらいなのにな。レイ、お父さんって言ってみろ」
王族なのだから『父さん』も奇跡だろうに。聞いたこともそっちのけで、意味の分からないことを嘆きはじめる。
「へいか」
「それ、それ駄目だ。子供に陛下陛下呼ばれすぎてもう駄目だ」
事実王様なんだから仕方ないだろう。
この王は、彼自身の弟にしてレイの養父を「偏屈」で「頑固」で「わからず屋」の「小言屋」と言うが、まったくもってこの王は昔から「柔軟すぎ」て「自由すぎ」て「前例に捕らわれなさすぎ」る。さっきの発言も、今も。
「レイ、見つけた」
涼やかな声が聞こえて、見てみると。
声の主以外にも、金髪翆瞳の一族がやって来るところだった。
いつの間にどこに行っていたのか、という王子たちと、あの人形は何のつもりだと兄に詰め寄る養父。
斯くして、さっきよりも人員の増えた金髪翆眼の一族に囲まれたレイは「家族か……」と呟いた。
この温かな恩人達にまた助けてもらいながら、悪魔と付き合い続けていくのだ。
きっと、ずっと葛藤し続ける。本当に、自分はここにいてもいいのか、と。それでも生きて、道を模索し続けるしかない。
決意に、途方のない道に差し掛かった気分が混ざり合った。
次、最後に一話、おまけのようなものです。




