レイ・アライス 帰宅
――本日、晴天
雪が降る様子もなく青く青く澄んだ空、太陽は眼下に見えるもの全て照らす。その光は学舎の中までを明るくする。
「レイ、やったね!」
実技試験及び筆記試験が終わり、通路の壁に順位が張り出された。
約一年前まではずっと上位を保っていたレイは、ここ最近その頃に比べると冴えない順位をとっていた。しかしここに来て返り咲いたのを見て、アルフレッドが声を上げた。
「うん」
レイはといえば、間に合ったとほっとしていた。
ルークが起きてから、定期試験が迫っていたため懸命に詰め込んだのだ。実技試験も無事に終えた。
学園長からは正反対の属性で目立つかもしれないが、いっそ『水』属性も使えることにしてはどうかという提案が正式にあった。
悪魔との契約を破棄する方法は無いというからには、これからも付きまとってくる問題だ。この先悪魔によって現れた『氷』の魔法を出してしまう可能性はどんどん高まっていく。
幸いにも、そう望んだことはないからか、人間では考えられないほどの力にはなっていない。
ただ、気を抜くと本来の属性より先にそちらの魔法が出てくるという、逆転が起こっている。力の調整は可能だ。
これから考えるしかない。これから――
「へえ、レイは私がいない間どんな感じだったのかな?」
順位表の前から去ろうとしていると、涼やかな声が耳に届いた。
「あ、クロイゼル先輩だ」
そこには、『病気の療養』から復帰したルークが制服を身につけ歩いてくる姿があった。隣にはシリウスがいる。
さっきのアルフレッドの言葉を聞かれていた。げ、と思いながらも、顔には出さない。
シリウスは何も言っていないかと、ちらりと見ると、彼は首を傾げた。何だ?という風に。
……気が滅入っていた自覚があったので、言われていないことを願うしかない。
「レイは私のいない寂しさでそんな場合ではなかったのかな?」
「何言ってるんですか。普通でしたけど。普通」
「普通ねえ」
「からかうの楽しみすぎだろ」
ルークの隣にいるシリウスが、呆れたように呟いた。
「何、何か言った?」
「いーや」
聞こえているだろうにルークはわざと聞き返し、思う通りの返答をもらっていた。こういうところが、ルークらしくもあり、図太いとも思う。
――彼は、帰って来た
ルークは重度の流行り病にかかり、一年間学園に姿がなく、療養中とされていた。その長さから心配されていたが、こうして何事もなかったように、変わらぬ姿で戻ってきた。
誰もそれに疑問は抱かなかった。彼は国で一番の治療を受けられる立場にあり、歳月に対して奇跡的に治ったのだと、大きな安堵で迎えられただけだ。
シリウスもまた、そのはずで。
「良かったな」と目が合った彼は、確かにそう口を動かした。
「さて、それはいいのだけれど」
話題を変えたルークがレイの方に向きなおり、綺麗な笑みをいっそう浮かべるから何だとレイは警戒する。
「帰ろうか、レイ」
「私は別で帰ります」
冬休みだ。
*
王都にある、とある邸の入り口、鉄の柵の大きな門を開くとそこから道が建物にまで続いている。
学園から歩いてきたレイは、真っ直ぐの道も歩いていく。
家だ。養父に引き取られてからはここが家で、ここ一年間帰って来ることは出来なかった場所でもある。
最低限の荷物、肩からかけた鞄の中に詰めてきた手紙を意識して、手を握り締めた。
「レイ様! お帰りであれば馬車で迎えに行きましたものを!」
入り口である扉に近づく前に、そちらから走ってくる人がいた。黒い目立たないデザインの服を着た男性だ。
連絡せずに帰って来たレイに驚き、荷物を持ってくれようとするが、レイはいいと断る。
「一年ぶりのお帰り、嬉しく思います。もうこのまま学園を卒業されて、家にお戻りになられないかと……私は……っ」
「ごめん」
「いいえ、そんな私などにお謝りにならないで下さい! ただ……旦那様の落ち込みようが激しく……」
「お父さん、いる?」
「はい。先程レイ様のお帰りを耳にし、旦那様にも知らせを向かわせました」
「……そ、か……」
「レイ様!」
「うん?」
「私にも娘がおりますので分かりますが、いえ、レイ様を一緒にするというのもどうかと思いますが!」
養父の側に随分長くいる男性は、なぜか慌てふためいている。
「娘からすれば父親と距離を置きたくなる時期もあるようですが、どうか、旦那様は」
「……?」
記憶にはない必死さを全面に出している彼が何事か言っている内に、邸の入り口に着いた。
扉を開けるために待っていた者が両開きの扉を両方から同時に開くと、懐かしい内装と、それから。
中に、立っている人がいた。
一番に目が捉えたのは金色の髪だった。背が高いその人の顔は、無表情だが、それが普段からだと知っている。
翠色の目がレイを見たまま、歩み寄ってくる。
レイが動けない内に、両腕が広げられ、養父は大きな体でレイを包み込んだ。
「お帰り、レイ。――私の娘」
落ち着いた響きの低い声が耳に入り、染み渡り、ただそれだけなのに泣きそうになった。
「お父さん」
「何だ」
肩からかける鞄のベルトを握る。
悪魔を召喚してしまい、契約し、ルークを眠らせてしまって。ルークの家族に合わせる顔もなく、ルークを眠らせた自分が、彼が通えていないのに学園で学ぶことに虚無を感じていた。
養父の娘として相応しくない行いであることも意味していた。しかし、そう思うなら成績は保つべきで。だけれど悪魔召喚自体が、養父に顔向けできないことだ。
「手紙、返事しなくて、帰らなくて、ごめんなさい」
手紙には、毎回帰ってくるようにと書かれていた。淡々とした文体だったけれど、迷った証拠に僅かに揺らいだ部分も見られた。
「――ごめんなさい」
二度目、人目がある場所で口に出さずに示したのは、養父の耳にも入っている悪魔召喚のことだ。
養父は抱き締める力を強めて、「話をしよう」と言った。
外観に比例して大きな玄関を離れ、養父に促されて入ったのは養父の私室だ。使用人がお茶を淹れ退室し、部屋の中には二人になる。
「不安を取り除いてやれず、すまなかった」
「……お父さんが、どうして謝るの……?」
前触れもなく、養父が謝ったからレイは戸惑う。
「不安だっただろう、どうすればいいか分からなかっただろう。ルークが目覚めず、自分を責めただろう。……それをレイのせいではないと、そう分かるまで言えなかった。私は学園に行くべきだった」
「お父さ」
「レイ、起きたルークは何と言った。レイのことを責めなかっただろう、兄上も責めない。なぜだか分かるか、レイのせいではないからだ。――それと悪魔との契約について」
「悪魔との契約は禁忌だって聞いて、私、お父さんの娘に相応しくない。死刑になるような罪を、禁忌を犯した私を娘にしてるってばれたらとんでもないことになる。だから、こんなことして勝手だけど――」
「レイがそれを望んだか」
彼にしては強めの口調で、養父がレイの言葉を遮った。
「レイが望んでするはずがないということは誰よりも知っている。そしてその事実があれば十分だ」
「でも、したことは事実で、」
「私はレイを失いたくない。……レイ、そんなことを言わないでくれ」
口をつぐんだ。無表情に見える養父が、目に苦しそうな色を浮かべていた。
「悪魔との契約は気にしなくてもいい。これから契約を破棄する方法を見つければいい」
「学園長は、無いって」
「アイゼアが言ったのは、この時点でのことだろう。物事に『全く無い』ことはあり得ない」
断言する養父に、圧倒された。
公にはされていないが重罪と定められている悪魔との契約を、してしまった。
国で高い地位に就く養父にどんな顔を向ければいいのか、養子であることを無くしてもらうしかないかもしれない。関係があると分かれば、汚点どころの話ではない。
それなのに、養父は気にするなと言う。レイには何も責任はなく、気を負わなくていいと、言うのだ。
『興味深いことを言うな』
水を差したのは、ゆらりとどこからともなく現れた黒猫――否、悪魔だった。
金と赤の目を愉快そうに歪める。
「……件の悪魔か」
養父は目を細め、黒猫を見る。
『契約を破棄すると?』
「そうだ。私の娘は、いずれ必ず返してもらう」
『面白い。実に、面白い人間ばかりだ』
不気味に嗤った黒猫を睨んでから、養父はこちらに目を戻す。
「学園生活についてはアイゼアがいるからには保証されている。悪魔による力については、私から属性についての申請を済ませておこう。悪魔には重々気をつけて過ごしなさい」
『まだここにおるのだがな。完全に害悪扱いしてくれるではないか』
「それ以外は、私達に任せなさい。レイには才能があり、学ぶ権利がある。大丈夫だ」
養父は悪魔はもうそこにいないものかのように、真面目にレイだけを見て言ってくるので、確固とした口調もあり小さく頷いてしまう。
すると養父はほっとしたように、口元を僅かに緩め、すっかり忘れられていたお茶のカップを持ち上げた。
「叔父上、こんにちは!」
部屋の扉が勢いよく開いたのは、そのときであった。養父がお茶を吹き出さなかったのは、さすがであろう。
「――ルーク」
大きな音と、声に反射的にそちらを見たレイは、入ってきた人物に少し驚いた。
「やあレイ」
ルークだったのである。別々に帰ったはずのルークが、輝く笑顔を浮かべて軽く言った。
対して、そっくりの色彩を持つ養父は正反対の顔、無表情は眉間の皺が少し深くなっている。彼はカップを机の上に戻した。
「ルーク……ノックくらいしなさい。それに、来るとは聞いていないが」
「今来ましたから、そうでしょうね」
「即刻帰りなさい」
「叔父上、一年ぶりの甥を抱き締めるなりしてくれてもいいのでは? さっきレイが帰って来て長く抱き締めていたとそこで聞きましたが」
にこにことルークは自らの叔父に近づいていく。
しかし叔父と呼ばれた方は、一年ぶりに会う甥っ子の姿には反応が薄い。
「ルークが一年帰って来ないのは心配に値しない。三年くらい会わなければ抱き締めるくらいはするかもしれないが、そもそもルークが悪魔に負けるはずはないと思っていた」
「おや信用が高い」
「……ルーク、どうしてここにいるの。帰ったはずでしょ」
一緒に帰るという提案は遠慮し、実際別々に帰路についた。ルークの家はもちろんここではないのに、なぜここにいるのか。
「そうだルーク、家に帰りなさい」
養父もすかさず便乗してくる。
「帰りましたよ。帰ったら、兄上からレイを何で連れて帰って来なかったんだと言われまして。私だって連れて帰ろうとしたんですけどね。それで、ここに来ました」
つまり、レイを連れて帰りに来た、ということである。
「何を言っている。レイの帰る家はここだ。それに私だったまだ構い倒し……いやレイと十分に話してない」
構い倒していないと言いかけたようにも聞こえるが、気のせいということにしておこう。
「叔父上、私にとってもレイは家族なのです。妹なのです。……ということでレイをお渡し下さい」
「……妹が欲しいなら親に言って」
「言うと思ったよ」
妹発言をすっと流しそうになり、辛うじて言うと、ルークが肩をすくめた。言うと思ったなら、言わなければいいのに。
「とにかくレイは渡さない。新年になれば揃って挨拶に行く。そのときまで我慢しなさい」
ごくごく真面目に甥に説くのは、養父である。
「それなら叔父上も来ればいいでしょう。はい、決まりです」
それを予測していたのか、両の手のひらを合わせて渇いた音をさせながら、ルークがさらっと言った。
「よし、行きましょう。一緒に新年を迎えましょう。さもなくば私がここに泊まります。それもいいですね、どうします叔父上?」
ルークは続け様に究極の選択を持ちかけ、どんどん逃げ道をなくしていく。
養父は、とても難しい顔をした。
「ルーク、可愛げという言葉を知っているか」
「知っていますが、私に求めるのですか?」
「……レイは今日、先程帰って来たばかりだ」
「知っています」
可愛げのない容赦のない究極の選択を迫られた養父は、レイを見てきた。何だろう。
「……行きたくないだろう?」
全く揺れない甥っ子と、様々な選択肢を選ばざるを得ない口調で突き付けられて揺れる叔父は、とりあえず考えはするということは可愛げのない甥ながらも思うところはあるのだろう。
結果、明日一日か、今日これから夜までかと言われれば今日これからの方を選ぶことは当然で。
「見る度に兄上に似てくる」
「何か言いましたか、叔父上」
「こういうところがまさにそうだ」
ルークと会話する度に養父の目が苦い色を宿すので、もう止めてあげろと言いたいが、そうすると自分が相手をすることになるのでレイは黙っていた。
黒猫は、いつの間にか消えていた。
「レイ」
呼ばれて、ぼーっとしていた意識を目の前に戻す。首を傾げると、養父は真面目な顔でこう言う。
「レイがいない間にドレスがたくさん出来た。そこで――」
「制服で行きます」
養父は残念そうな目をしたが、すっと逸らしておいた。負けないぞ。
何と言うか、変わってない。




