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レイ・アライス 起こす




 もっと早く、悪魔と会話していれば彼は早く目覚めていたのだろうか。廊下を歩きながら、思った。

 この悪魔が大嫌いだった。悪魔自体に嫌悪している部分もあろうが、何よりこの悪魔が召喚されるために、また、されてから起きたことにより嫌いだった。

 だから自分の罪の証を見たくなくて、大嫌いで、黒猫姿を見ることも嫌だった。会話なんて、誰がしようと考える。

 だけれど、話していれば、もっと早く。


「……これ、もう少し早く教えてくれるとかなかったの」


 一年は、大きい。学園生活という、学年によって学ぶことが決まっている生活であればより大きく感じられる。

 そう言わずにはいられなかった。

 すると堂々と隣を歩いてくる悪魔は、『我自身忘れていたことを、聞かれずにどのようにして言うというのだ』と言った。


『そもそも教えてやる義務もない。しかし早く言っていたとしても起こすことは出来なかっただろうな』

「どうして」


 教える義務がないということはレイも理解はしていたことだ。だが、早くに言っていても、という部分に問い返す。どういうことだ。


「魂にもよりますが、短くない時がある程度経っていなければ起こすことは出来ない可能性が高いのですよ」


 代わりに、前を行っていた学園長が魔法の炎を灯り代わりに浮かせながら、答えをくれる。


「ただ寝ている人物を起こすのではないので。魂は人間の核であり、心臓より余程繊細なものです。眠ったところを自然にではなく、外から急に起こすと、混乱を引き起こすそうですよ。まあ力ずくで起こすのであれば出来るかもしれませんが、その場合魂が大きく傷つき、最悪そのまま起きることが出来なくなる可能性が高いです」


 自分から眠ってしまった場合、本人がまた自分から起きなければならない。これが一番自然で、危険もない方法。

 しかし他人が道標を作って引き上げてやることが出来る。……が眠ってからそれなりの時間が経ち、さらにある程度魂がその状態に慣れていなければ、急に起こすことは二度と起きることを出来なくしてしまう場合がある、ということだ。


「一年というこの時間も曖昧なところかもしれません」

「今からやっても、出来ないかもしれないってことですか」

「そうなります」

「……学園長、今から行こうと言ったのは学園長ですよね。それを知って……時間はある程度経ってたほうがいいってことですよね、今の話だと」


 早くやれば良いというものでもなく、むしろ今から行っても方法を行う以前の問題がある可能性があるとは、初耳だ。

 かなり重要な情報を黙っていたではないか。前の背中をじっと見る。


「駄目なら先伸ばしにすれば良いと思って言わなかったんですよ。ほら入って」


 学園長が立ち止まったかと思えば、開いた扉の中にレイを強引に押した。


「ちょっと……」


 押さなくてもいいではないか。たたらを踏んだレイは、勢い余って部屋の中を進んでしまう。

 気がつけばその部屋の中にいて、ベッドの横に差し掛かろうとしていた。

 息が詰まる。今立っている位置からでも、少し、見える。


「魔法陣は消しますね。悪魔避けだったのですが、こちらの勘違いだったようなので不要でしたね。同時にレイ君も近づけないことになっていましたから、すみません」


 ベッドの周りに描かれた魔法陣が、学園長の言葉で消えた。特別製のチョークではなく、本当に学園長の魔力そのもので描かれていたのだろう。

 レイは一つ呼吸し、足を踏み出す。ベッドに近づく。


 見えたのは、目を閉じて『眠る』青年。この生気の足りない顔を見るのが、嫌なのだ。

 彼は、学園の部屋にいた。どのような状態か詳しくは分からず、下手に動かすことは良くないとされたためだという。

 周りに描かれた悪魔避け、という、存在さえ知らなかった魔法陣の及ぶ対象は契約者のレイも例外ではないようだった。

 しかし近づけないといっても、部屋の中には入れる。けれど来なかったのは、自分の罪を見ることが、怖かったからだ。

 弱り、死んでしまうかもしれないと言われていたから、弱っているかもしれない様子を目の当たりにすることが怖かった。授業からだけでなく、彼からも卑怯にも、逃げていた。


 もうすぐ目覚める、かもしれない。不安と希望、それが絶えず交差し、混ざり合う。

 心臓の音が外に聞こえるのではないか、というほど打つ胸を抱えてレイはベッドの横に立つ。横たわる青年の全貌が見えるその場所に。


「……やっても大丈夫かっていうのは、やってみないと分からないの」

『視れば分かる』

「見れば……?」

『我が目を貸す。よく見よ』


 レイがその言葉を理解できていない内に、視界が()()()()


「な、に、これ」


 目に映る、普段とは異なる景色に呆然とする。

 ベッド、壁、床、部屋の造りは変わらない。だが、他に見えるものが増えたと言うべきか。

 視える。魔力が。生命の流れが。魂が。


『さあ、導け』


 悪魔の声が促し、レイはその『目』を吸い込まれるように眠っている青年へ向ける。

 指先を、触れさせた刹那、ふわりと体が浮くような感覚があり、そこからは体の重さがない存在となった。

 精神のみとなり、彼の精神と同化する。その頃には、見える世界はまた変わり、暗い中にいた。

 部屋の中ではなくて、さ迷う場所は境目もなく、暗くて夜のようだった。その夜のような中をどんどん思うままに、進み、進んでいくと、ぼんやりと光るものが見えた。

 眠る魂を見つけた。

 あの人の魂は、眠っていようとも、美しく輝いている。周りが暗く陰っているのは、きっと彼が眠っているから。

 手という形を持つものはなかったけれど、手を差しのべるイメージをする。そうすれば引き上げられると、道標になると分かっていたから。

 すると捉えていた魂から光の筋が見えた気がして、それを掴みとり、沈んでしまわないように引っ張りあげる。起きて、起きて、帰ってきて。








 ――気がつけば、視界は元通りになり、翠の目と、目が合っていた。


「レイ、どうして泣いているんだい?」


 輝く金髪、鮮やかなみどりの瞳。

 一年ぶりに聞いたはずの声は記憶にあるままのもので、紡がれた言葉が、まるでちょっと寝ていただけみたいな普通の調子だったから、呆然とした。

 その人の姿に声に、レイは開いた瞳から、ぼろぼろと涙を流していた。


「――泣、いてない」


 言われて気がつき、レイは荒く手で顔をこすり拭う。しかし流れ出したものは止まらない。

 色々な感情が混ざり、レイはベッド際に座り込み顔を伏せる。


「どこからどう見ても泣いてるようにしか見えないんだけどなぁ」


 いつもなら、また泣いていないと否定するところ、笑いを含んだ声に、ますます涙が止まりそうになかった。

 目覚めた。起きた。――ルークが帰って来た。

 混ざった感情の中に、確かな安堵を感じた。


「おはようございます、ルーク君」

「あれ? いたんですね学園長。おはようございます」

「全く変わりないようで安心しましたよ。体の調子はどうです?」

「上々ですね。すっきりしたように感じます。長く眠っていたようですが、眠ることは良いことのようですね」

「本当に、全く変わりがないどころか冷静なのはルーク君ですね」

「ところで、詳しい状況はさすがに分かりようがないので教えてもらいたいのですが」

「そうですね」


 学園長が、ルークにここまでの話を簡潔に話しているようだった。途中で「ああ、なるほど。あれはそういうわけで……」というルークの声が聞こえ、体が震えそうになる。


「見たところ特殊な眠りであったので痩せてもいないし、顔色も悪くありません。僕は君が起きたことを知らせなければならないところがあるので、失礼しますね」

「はい、ありがとうございます」


 扉が閉まる音がして、話し声が無くなった部屋には静寂が満ちた。


「……私のために泣いてくれるのは嬉しいのだけれどね、レイ。そろそろ顔を上げてくれないかい?」

「……泣いてない」


 言いながら、まだ腕に顔を押しつけて座り込んでいるしかなさそうだ。涙が止まらない。


「……ごめんなさい」

「え?」


 何とも言えぬ静けさが少し続いたあと、レイはくぐもった声を出した。謝らなければならない。


「ルークの一年、奪った」


 時だけではない。その様々な中身を含めて奪ったのだ。

 安堵の次に自覚したのは、彼が目覚めたからこそ今一度明確に感じる後悔だった。

 ルークを差し出し、もしかすると命が無くなっていたかもしれない。そして事実、彼の時を奪ってしまった。

 だから涙は止まらないし、顔を上げることが出来なかった。


「奪った、ねえ」


 ぽつり、と呟きがされた。


「確かに、私が眠っていたという一年は無くなった」


 そして、その一年間はレイが奪ったのだ。

 戻ることはない時間だ。


「それに関して、なぜレイが責任を感じる必要があるんだい?」


 よいしょと声がして、すぐ側に気配を感じた。「レイ、顔を上げて」と、肩に触れられて、ビクリと体が跳ねた。

 腕に押しつけている顔に、隙を縫って触れるものがあり、顔を上げさせられた。


「おや、やっぱり泣いているね」


 光が宿る翠の目が、近くにあった。

 まだ涙が止まらず、頬に伝い落ちる様子を見たルークは「まったく、仕方がないな」と自らも座り視線を合わせたままで「あのね、レイ」とますます深く覗き込んだ。


「夢を見たんだ。レイが血まみれで悪魔と話す夢をね。悪魔に臆することなく話せるなんて、さすがはレイだ。――でも、不思議とそれが夢ではないと分かっていた。同時に心配になったよ」

「…………心配?」

「私の手は届きそうになかったから。それは夢であっても、現実に起きたことのようで、今なら分かるけれど私は眠っていたのだろう。繰り返し、そんな夢を見た気がする」


 涙は、ルークの手を濡らして、伝っていく。


「いいかい、私が眠ったことは決してレイのせいではない。私がそう言うのだから、それ以外の何だと言うんだ」

「でも」

「元凶は他にあり、レイを唆した()()がある。レイに責任は欠片もない」


 どうしてそんなにも自分を責めないのかと、思った。理不尽に、急に時を奪われたというのに。責任が欠片もないはずがない。間違いなく一因は自分であるのに――。

 ごちゃ混ぜになる感情でまた目が熱くなる。


「むしろ収穫があったくらいかな」


 収穫?


「大切な者か、愛する者――どちらにしても嬉しいな」


 綺麗な笑顔をすぐ近くで見て、レイは瞬いた。


「な、で、それ、」

「え? さっき、レイが俯いている間に学園長から聞いたけれど」


 あの学園長、説明にその具体性を入れる必要はあるのか!

 自分にもそんな自覚はなかっただけに、一気に泣きたい気持ちが吹き飛んだ。


「……何かの間違いだから!」

「ええ? 私はレイが大切で、大事なんだけどな」

「――――」

「私がレイを拾ったことは事実だけど、私は拾ったとは思っていない。出会ったと、見つけたと思っているから」


 その昔、言ったときのように恩人は笑顔で当然のように話すのだ。


「レイは違うだろうとは思っていたよ。感謝をされていることは感じて、それはもちろん嬉しい。……だけどね、それは私を恩人だとしか見ていないということだ。私は、レイを家族だと出会ったあの日から思っているから」


 だから、と彼は綺麗に笑う。


「レイが無事で良かったよ」


 恥ずかしげもなく、当然のように。それだけが大事なのだというように。

 さっきまで眠っていたのは彼のはずなのに、こちらの無事を確かめる手つきで顔に触れ、安堵で満ちた声を出した。


「まあどれもこれも、レイが悪魔に憑かれてる状況を除けばだけどね」

「別に、憑かれてない」

「憑かれてるよ、ほら、後ろにいる感じなんて特に」


 ほらと翠の目が自分の後ろに向けられたので、レイが振り返ると――


『終わったか?』


 そういえば忘れていた悪魔が宙に腰かけて、悠々とこちらを観ていた。首を傾げると、漆黒の髪が流れる。


「……消えておいてくれても良かったんだけど」

『前々から言っておこうか考えておったが、話すことも良しとはしそうにない様子であったから、今言っておこう。どうせお主がおる場所に我もいるようなものだ、消えてもあまり意味はないぞ。――それに、起こせたのは我のおかげであろう?』


 悪魔は薄く笑んだ。


「妙なことを言う。感じる魔力的に、覚えている危機感の前に感じたもののようだ。つまり、元凶は君だろう」


 アルフレッドたちのように普通の者なら身動きできなくなる存在に、ルークもまた笑った。


『我の契約者と言い、周りには中々珍しい反応をする人間がいるものだな』


 悪魔は、面白そうに玩具でも観るがごとき、余裕を含む笑みを描いた。


「これが悪魔なんだね、レイ」

「……うん」

「そうか、なるほど……後はレイのことだね」

「私……?」

「さすがに私も悪魔のことはよく知らないが、これからその悪魔との付き合い方はよく話し合おうか」


 ルークが立ち上がり、レイの手を掴んで立たせる。笑い、その美しい目で悪魔を見据えた。


「私の妹が、傷つかないように」


 ――眠り続けていた彼は、目覚めたのだ








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