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レイ・アライス 元凶




 ――時は、約一年前に遡る。



 寒い、暗い。

 すっかり周りが真っ暗になった中、レイは一人寮への道を歩いていた。

 時期は冬に入り、雪が降る日もしばしばだった。帰る者は他にはおらず、寒いし、病が流行していてわざわざ外に出てくる者もいない。

 かくいうレイも、戻って試験勉強だと帰り道を急いでいた。

 しかしふわっと鼻に入ってきた臭いがあって、顔をしかめる。

 ――生臭い

 何かの臭いはすぐに無くなった。

 だが、そのときレイはこの寒い中、この時間に自分とは別の誰かが外にいることに気がついた。小さな橙色の灯りと、微かな、何かを引きずる音がする方向があり、灯りによってわずかに見える人影がある。


「……こんな時間に、誰……?」


 場所は北の森へと向かう方角、――不審者という言葉が思い浮かんだ。

 不審に思ったレイは少し迷った末に、後を追ってみることにした。追おうとそちらの道へ行って、すぐに違和感が大きくなることになった。

 道を覆う雪が薄くなっている。まるで、その道の上だけ風に吹かれたようで、その上に何かを引きずったような跡があるではないか。

 前方には灯りで後ろ姿が浮かび上がる誰か。後ろに何か、荷物を乗せた橇のようなものがある……魔法の風で、運んでいるのか。

 以前教師がそうやって多くの荷物を浮かせて運んでいたことを思い出した。


 しかし跡がついているということは、上手くできていないのか重い代物なのか。どちらにしてもこんな時間にこんな場所で、教師が授業の準備をしているとも考え難く、生徒がというとよりあり得ない。

 寮を抜け出した生徒がはめを外している、と考えてもこの時期に。大体この学園にはそんな生徒は存在しない。

 だが他の誰かがとしても、一体誰がとは思いつくはずがなく……。


「……不審者だとしたら、学園の警備はどうなってるの」


 ――大層怪訝に思い、追い続けたのは、後から思えば予感だったのかもしれない


 前との距離をつかず離れず、いつの間にか森へ入り、進んでいた。時折よく分からない臭いが風に乗って届き、何の臭いかと考え歩きながら、その臭いを嗅ぐ度に胸騒ぎがした。

 そして、木々に挟まれた一筋の道の先に木のない空間が広がるところが見えた。


 どれだけ歩いたか。さすがに森へ入り過ぎた気がする。ここまで来たが、一体本当に誰がこんな時間に何のために。

 早く寮に戻りたい気がしながらも、確かめなければならないような気がして、開けた場所を覗き込んだ。

 前を行っていた者の正体を、確かめるために。どうか教師か、生徒かどちらかであればいいと、思った気がする。

 その気持ちは、叶ったといえば叶ったのである。


 ただ、レイが見たのは悪夢のような光景だった。


 その場が満遍なく見えるようにか、周りに設置された灯りで、さっきよりよほどよく見えた。

 地面を覆う雪の白に、赤が派手に散っていた。

 その赤の源には、人がいた。どこの赤にも、人がいた。すぐ近くに倒れている人に目を移すと、『それ』はクラスメイトの一人であった。

 確かに、見覚えのある顔形。だが上手く認識できない。


 なぜなら。その両目にはひどい切り傷があり、血にまみれ、顔全体、少なくとも目から下は赤く染まっていた。

 無造作に、人形のように地面に倒れているクラスメイトたちは、一様にそうだった。隣も、その隣も。近くも、側も。皆。

 ――何だこれは、悪い夢か。

 気がつけば木の影から出てきて、クラスメイトの一人の傍らに立ち、見下ろしていた。


「誰?」


 目を疑うような光景の中、聞いたことのある声にぎこちなく顔を上げる。


「……ウィリアム……?」


 人が倒れ血に濡れた場所、ぽっかりと空けられた中心に、一人だけ立っている者がいた。

 また、クラスメイトだった。


「やあ、レイじゃないか」


 なんら変わらぬ様子で、朝に挨拶を交わすように手を上げてウィリアムは笑った。

 ウィリアム・ラトス、正真正銘のクラスメイトだ。クリーム色の髪が柔らかく跳ね、にこやかにクラスメイトに接する彼は、今もそのようだった。


「こんな時間に出歩いてる生徒が他にいるなんて思わなかったな……あ、そうか、運んで行くところを見られたのかな」


 だが、軽く上げられた手から垂れた液体が、雪が故意にのけられたと思われるむき出しの地面に落ちる。色は見えない。地面に紛れる。

 周りには、十を越える生徒が倒れている。いずれも見える限りではクラスメイトのみ。誰もが血にまみれ、その血は地面に、雪に落ちて染み込む。

 ウィリアムの手からも、落ちる。顔に、べったりとついているものがある。

 彼は、何をしている。

 この光景、倒れているクラスメイトと、彼の関係は。


「こんなところで、なに、してるの」


 動揺するレイに対して、ウィリアムは全く動じていなかった。

 それどころか、笑っていた。口の端をつり上げて、ますますにこやかな笑顔になる。

 ――ゾッとした。


「……何、笑ってるの」


 レイは眉を寄せた。この光景を前に、どうして笑っている。この場にいるのは同じ学年の者ばかり。それなのに、どうして。

 狂気的な、尋常ではない様子に、倒れているクラスメイトと一人立っているクラスメイトの関係が飲み込めなかったレイの思考に、突如一つの考えがようやく割って入った。

 目の前のクラスメイトが、周りのクラスメイトを血まみれにした。

 なぜ。それは一向に分からない。なぜ、こんなことをしている。

 それに……。


「魔法陣……?」


 笑うウィリアムの足元に描かれた、雪の退けられた部分に広がる大きな模様に気がついた。彼はその中心と思われる部分に立っている。


「はははははっ、分からない? 君にも分からないことがあるんだね? 首席のレイ・アライス」


 レイの呟きを聞き取り、視線の先に気がついたウィリアムが狂ったように笑って、叫んだ。まるでレイの戸惑いが可笑しくて堪らない、というようにひとしきり笑った。


「いいよ、教えてあげる。どうせそのあと君も、こいつらと一緒だしね」


 こいつら、と周りに倒れて動かないクラスメイトたちを指し、歪んだ笑みを浮かべた彼は高らかに言い放った。


「これは、悪魔召喚だ!」


 聞いたこともない言葉だった。


「『おまじない』だよ、レイは知らないかな」

「……おまじない?」


 おまじない、とは魔法ではない。力によって何かを起こすものではなく、祈りに近い要素があると言われ、子どもの遊びの一種にもなる。

 学園にも、よくその類いのものは流行る。背が伸びるおまじない、好きな人と両思いになれるおまじない、成績が上がるおまじない……などと生徒に適したまさに「お遊び」のものだ。


「ほら、夏頃から噂が流れたやつだよ。ちょっと不気味な、おまじない」


 夏頃、夏期休暇の前辺りに流れた耳新しい「おまじない」があった。それはこれまでのものと毛色を違えていた。


 おまじない

 まず必要なのは『人目』の無い場所。

 次に時は『夜』であること。

 しかし『月』が出ていないこと。

 そして相応の『贄』を。

 最後に己の赤い『血』を。


 レイも耳に挟んだが、その噂を友人から聞いたとき、呆れて笑った記憶がある。

 おまじないという言葉が似合わないにも程がある。どうせ生徒の誰かが悪ふざけで考え出したものだろう。信じて誰かが怖がるとでも思ったのだろう。

 それにしても悪趣味だ、と全く信じておらず、今日の今日まで忘れていた。


「あれを、信じたの……?」

「ああレイは信じなかった? まあ皆も信じなかっただろうね」


 笑ったウィリアムは、しかし次の瞬間表情が抜け落ちた。


「だけど、俺は信じた。信じて、調べた。――そして、悪魔召喚に辿り着いた」


 だから悪魔召喚、とは何だ。まだ頭がついていかない。

 ふざけたおまじないと、この状況。繋がりがあると、理解できるのはそれだけだ。


 周りは暗い、たぶん時刻は夜と言っても差し支えないだろう。

 人目――クラスメイトの目が裂かれていたのはそういうことか?

 空を見る。月が出ていない。

 贄――まさか、わざわざクラスメイトをこんなことにして連れてきているのは、そういう意味か。

 血は。あれはウィリアムの血だろうか。違う。クラスメイトの血だ。

 この状況は、明らかに例の「おまじない」に沿って作られたものだ。

 ウィリアムはあんなものを信じたのだ!


 馬鹿馬鹿しい、と言いたくなる一方でこんなことになっているのでは、軽く扱えない。

 何とかして止めなければ。これから一体どうするのかは分からないが。

 大体悪魔召喚とは、悪魔信仰?

 悪魔という、実在するかどうかも分からない存在について崇めている人たちがいると聞いたことがある。ウィリアムも、その類いのものに引っかかったとでも言うのか。それならば、ここまでたちが悪いものだったのか。


「じゃあ、レイもさようならだね」


 突然、強く風が吹いた。


「君を贄に出来るならそれほど相応しいものはないだろうな」


 魔法の風は刃となり、レイに吹き付け体を切り裂いていった。肩が、脚が。

 風を操るのはウィリアム、魔法による風がレイを囲んでいる。

 ――彼は自分を殺す気だ



 *



 噎せかえるような、血の臭いがした。


「――――はぁっ………はぁ」


 両腕が、上半身が、顔が、脚が切り裂かれて血まみれで、一見すると全てがレイの血に見えるはずだ。

 しかし、立っているレイに対して、足元には仰向けに倒れた青年がいた。浅く荒く呼吸し、酷い火傷を負っている。


 足元から目を引き剥がし、レイは息を一際大きく吐き出して息を整えた。

 無我夢中だった。

 殺されると思い、そのまま殺されるような育ち方はしていない。魔法実技には自信があり、普段の授業から言えばウィリアムに勝てると思った。

 実際動きを止めることができたが、これではウィリアムが危ない。

 魔法は体が動かなくとも意思の力で動かすことができる。彼の殺意がある以上、追い詰めなければならなかったが、早く治療をしてもらわなければ。

 治療と言うならば、周りのクラスメイトもそうだ。


「……まず、何すれば……」


 ここからどうすればいいのか。成り行きで対処したが、まず何をすればいいのか。思考が鈍い。

 とりあえず、誰かを呼ばなければ。自分ではここまでの治療はできない。生徒ではなく、教師を。学舎に行けば教師が一人くらいはいるだろうか。

 気を抜けば止まってしまいそうな頭を動かし、考えをまとめる。全身が痛み、座り込んでしまいたいところを堪え、足を踏み出した。痛い。


 一歩で、ぞわりと毛が逆立つような感覚が全身を撫でた。


 すぐさま足を止めて、辺りを見渡した。しかしもう何もない。背後には浅い呼吸のクラスメイト、周りには息をしているかどうかも怪しいクラスメイトが。

 早くしなくては皆死んでしまう。

 改めてその酷さを目の当たりにして、レイは顔をしかめて――異様さに気がついた。


「な、に」


 辺りがやけに赤かった。

 まさか自分の血が目に入って、こう見えるのだろうか。 いや、そうだとしても目の前まで赤くなるはずがない。

 気がついてしまえば、目に映る色がおかしいとしか思えなくなる。まるで一枚薄い、薄い赤い布かかったように周りに赤みがかかっている。自分の目がおかしくなってしまったのだろうか。

 地面も、雪も、木も。赤い。

 周りが、赤い?

 違和感に、本能のままに空を見上げた。自分の上、この場所の上に広がる空を。

 空に、原因はあった。


「……赤い、月……?」


 いつの間に、雲を押し退けその姿を見せたのか。

 真っ赤な、大きな月が出て、その光が、周りをぼんやりと赤く染めているようだった。だからレイの視界に映る世界は赤みを帯びていた。

 はじめて見る赤い月は、なぜかとても不気味に感じた。


 ――運が良ければ『赤い月』には特別な力が宿るでしょう


 今日まで忘れていた噂の、最後の部分が甦った。レイは思わず、改めて周りを見る。

 夜、贄、絶えず流れるのは自分の血。頭上に光る、赤い月。


「……まさかね……」


 胡散臭い、笑い飛ばしさえしたおまじない。元々レイはおまじないを信じるたちではない。他のおまじないだって、ただの気休めだ。


 しかしこの足元に広がる魔法陣は、今やでたらめとは思えなかった。細かな紋様は、計算されたように――綺麗すぎる。

 悪魔召喚というウィリアムの正気とは思えない様子での言動と、この赤にまみれた光景で不気味な予感がしているのだろうか。

 鼓動が早くなるのは、懸命にウィリアムを止めた名残か。






われを呼んだのは、なんじか?』


 耳に響いたのは、やけに通りのよい声でいて、絡みついてくる響きを持っていた。

 レイが引っ張られたように振り向いたその場所には、闇が広がっていた。

 赤がかかった光景はなくなっていた。魔法陣の上に現れていたのは、人型のモノだった。

 人の形をしていた。闇と見紛う漆黒の髪が長く、顔も人のような造りをしていたが、怪しいほどに美しい造形。

 決して人間ではないとは、本能で分かった。雰囲気が禍々しすぎた。その闇も。


 妖しいという言葉が合う姿は、ゆらりと黒衣を揺らして歩いた。

 人と同じように歩き、表情もある。

 ――これは何だ

 魔物ではない。魔物は獣のような形をしていると決まっている。人と酷似した姿を持っている例は聞いたことがない。

 ではこれは、何だというのか。

 まさか。


「――悪魔?」


 声に呼応し、それはゆっくりとこちらを向いた。


『如何にも。汝が呼んだのであろう? 妙なことを聞く』


 笑う姿がこんなにも禍々しいものがあろうか。

 ――悪魔

 肯定された言葉と、ウィリアムの言葉が合致した。信じていなかったものが、現れた。

 嘘だと言いたい声は、事実だと捉えざるを得ない存在を前に出てこなかった。


『しかし喚ばれる度に血だらけなのはどうにかならぬのか』

「――悪魔を喚ぶための条件だから、こうなってるんでしょ」


 誰のせいでこうなったと思ってるのかと、口をついて出たのはそんな言葉だった。

 ウィリアムが呼ぼうとしていたものは、これだった。そして、本当に出てきてしまった。

 これを呼ぶために、ウィリアムは……。今も足元に倒れているだろう、狂った笑みを持ったクラスメイト。ここは、彼が用意した舞台だった。

 異形を目の前にして、クラスメイトに向けているのかどうかは分からない、怒りに酷似した感情が生じた。


『はて? ああ、大半の者はそうかもしれぬな。だが、我は最近それに飽いた』


 ゆらり、と首を傾げるように揺れた闇は暗いというレベルではなく、真っ黒に塗りつぶしたと言って語れるほどのものでもない。それが浮かべた笑みに、訳もなく後ずさりたくなる。


『我を呼ぶにはこの奇妙な模様と、喚んだ者の血があれば良い』


 こんなに人間を転がされてもなあ、と周りを見渡しながら言う闇を背負ったそれは、レイに歩み寄ってくる。

 背が高いと称するより、存在感が大きいと言いたくなるものは、レイに覆い被さるように立ち止まった。

 レイの足がその場から動かなかったのは、我慢できた結果か単に凍りついていたのかは分からない。現実と、非現実味を帯びた状況に奇妙な心地だった。


『さて、汝は力が欲しいのだろう?』


 闇に圧倒されていたレイは問いかけに、我に返る。


「……いらない」

『何?』

「いらない。私はあなたを呼んでいない」


 むしろ贄にされかけた方だと、足元に倒れた人物を指して主張する。だからいらない。喚んでいないから、今すぐ還ってくれ。

 闇を睨むように見て、言った。言葉を交わせるものだったから、言えたのだろう。

 レイの満身創痍な様子を見て、はじめて気がついたようになった悪魔は、『ほう、それは気の毒な』と人間味のする反応をした。

 しかし、やはり嗤う。


『だが我には関係ない。我を喚んだのは、紛れもなく、汝の血だ』

「だから私は喚んで……っ」


 闇に手を伸ばされ、息を飲んだ。


『関係がない、と言っておろう。我が、この模様を目印に、汝の血で、喚ばれた。そして、我は来た。その時点ですでに契約はほぼ成り立っておるのだ。汝に拒否権はない』


 闇は目を覗き込んできた。


『さあ、選べ――汝の愛する者か、それとも大切な者か』


 その耳に滑り込む声は、そんな選択肢を眼前に突きつけてきた。選ばぬことは許されぬ、と。



 真っ暗で、何も、自分さえも見えない中にいた。

 ただ暗いだけではない、きっと光が射したことなど一度もない場所にいた。

 闇の黒で満ちて塞がれ囲まれた中、まるで何十年も経ったと感じるような時を過ごし、闇が迫り、口を開くことを余儀なくされる。


「私に、愛する人なんて、いない」


 大切だと思える人は、昔からいる。しかし、その人たち(家族)はもう側にはいない。学園に入ってから出会った友人。彼らはどうなのだろうか。そして――。

 分からない。

 振り絞った声はレイ自身にさえ届かなかった。


『それが汝の答えだな?』


 闇が、笑ったような気がした。


『――――――敬愛も、愛』


 その声を聞きながら、レイは目を閉じた。







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