7
「お、お、おと、おと」
「ワハハッ、なんだなんだ橙子。酒でも飲んでたのか?日が高いうちから若い娘が関心しないなー。日本酒を注いでおっとっとーっ♫てか?」
「違いますーーーうぅっっ!!真昼間からお酒なんて飲んでいませんっ。
お父さん!この家は何ですっ?何なのですかっ!何で海?この山はひょう◯ん島なのですかっ」
「おお、橙子は若いのに昔の人形劇を良く知ってるなぁ。お父さんも子供の頃はあれを見ながら…」
「今はひょう◯ん島はどうでもいいのですっ。お父さんはこの家が普通の家では無いことを知っていたのですか!?」
「橙子が言い始めたんじゃないかー。…んで、婆さん家のお守り様の事か?勿論知ってたさ」
「お守り様?」
「婆さんはその家をお守り様と呼んでたぞ」
私の予想通り、この家は一般的には迷い家と呼ばれる意志を持った家でした。
ただ言い伝えと違うところは、家には主がいるというところです。誰もいない屋敷で訪れた人に幸福を授けるのでは無く、お守り様が選んだ家主に幸福を授けるとか。
伝説の通りに、時折訪れる者に家主が何か一つだけ与える事もあったそうですが、お婆ちゃんも曾祖母も、お父さん方の家系の選ばれた女性又は男性が、ずうっとこの家の主として過ごしていたそうです。
しかも家主には、家内安全恋愛成就五穀豊穣天佑神助などなど。凄い加護付きの大盤振る舞いとか。神様が集まったかの様な凄いパワーですね。
…更にはこちらが頼んでもないのに、パスポート無しで異世界旅行?にまで連れて来てくれるのですから(悲)
兎に角、私も良く理解していない今の現状を説明しましたが、しかし(多分)頼りになるはずのお父さんは予想に反して、いえ予想通りの能天気なお声でした。
「んー、そんな事になっていたのか。まぁ、お守り様はお前を護る存在だから、異世界だろうが何処だろうが万が一にも危険なんてないから安心しろ」
「…お父さん、他人事ですか?少なくとも驚いてるって声ではありませんよね?」
「驚いているが、そこまで驚いてはいない。それを言うなら俺の親父、つまりお前の爺さんも異世人だったからなぁ」
「………………え?」
「何だったかなぁ。アンノ、アウノノ?何とかって名前の国の神官だったらしいぞ。今の橙子みたいに、偶々異世界に居た婆さんに一目惚れして、それまで培ってきたもの全部捨てて付いて来たんだ。普段はのほほんとしているのに、婆さんにゾッコンでほんっと情熱的な爺さんだったよ」
「ち、ちょっと待ってくださいっ」
………今、すっごい事がカミングアウトされてませんか?
昔お婆ちゃんもこの家で異世界に行って、その先でお婿さんを捕まえて、日本に戻って来て、子供産んで、生まれたお父さんがハーフだからその子供の私とお兄ちゃんはクォーター??
…熱がぶり返しそうです。
何で教えてくれなかったのですかーーっ。
恨みがましくなるのは仕方がないと思いませんか?
お母さんは分かりませんけれど、お兄ちゃんは何か知ってる素振りだったのに。男尊女卑反対です。妹にも愛の手を!
「だってお前、言っても信じなかっただろ?」
「うっ」
「お前は見たものしか信じないからなぁ」
「ゔゔっ」
信じませんでした。ええ絶対信じませんでしたよ。
お父さんにサンタの夢を壊されて以来、現実主義になりましたよ。
そんなお父さんが、『いや〜、実は婆さん家は迷い家って言う特別な家で、ナント異世界にも行けるんだぞ☆そして驚け!父さんは異世界人とのハーフなのだ!』と言おうものなら、病院行きなさいと家から追い出した筈です。
「でも、お兄ちゃんは知ってたみたいでしたけど」
「俺は霊感だとか不思議な力なんかは全く無いが、武は爺さんの血が濃いみたいでな。そういったのは何となく分かるんだと。
ほら、昔から幽霊がそこにいるとかパワースポットはここだとか言っていただろう?」
「あら?あれは本当の事だったのですか?私はてっきり厨二病の延長だって思っていたのですけど。では実際には違ったのですね」
「………武には言うなよ。マジ泣きするから」
そんな話は身内でも普通信じませんからね。
信じられない今の状況にいる私が言うのもなんですが。
でも、可愛い娘が異世界にいるんですよ?何かもう少しありませんか?
能天気なお父さんの所為なのか頭痛がします。眉間に手を当てグリグリ痛みを取っていた私でしたが、電話越しからも分かる真剣な雰囲気に思わず手を止めました。
しかし言われたのは、思いもよらないもので。
「お守り様がそこを選んだのも理由があるんだろう。
そもそも異世界なんか、橙子を知っている奴なんて誰一人いないからなぁ〜
今の橙子は頑張り過ぎて、ちょい人間不信になってるから丁度いいだろう」
思わず言葉に詰まりました。
受話器を握る手にも力が入っています。
ーー気付かれていましたか。
セクハラを上司に訴えてもなしのつぶて。
正直あの時までは正面から戦う気力もなく、私が我慢すればいいかと諦めていましたから。
一度だけ、もう一人の被害者女性だった彼女を偶然にも遠目から見かけた事がありました。
深夜のコンビニの人が少ない時間。薄暗い蛍光灯の下からでも分かるクマの浮かんだ青白い顔。髪はボサボサでちょっとした音に怯えていた姿が帰ってからも頭の中から離れませんでした。
翌日もう一度だけ相談してみようと、今度は上司だけでは無く会社の同僚たちにもどうすればいいのかと訴えました。
でも誰も信じてくれず、逆に次の日から仲の良かったはずの同僚からの侮蔑の視線と嫌がらせが始まったのです。
私物の紛失や伝達ミス、終業時間の仕事の追加はまだ良い方で、顧客の注文書を隠したり数量を書き換えてある伝票には流石に怒りました。
その事務員の前に行き、私個人ならまだしも、会社や周囲に迷惑がかかれば貴方は責任を取れるのかと。今考えたら馬鹿な事だと思いますが、その時の私はまだ会社を庇おうとしていましたので。
何故かその後、私だけ上司から呼び出しを受け叱られましたけど。
もう上司は当てにならないと、ボイスレコーダーや小型カメラで対策をしたり、顧客に再度確認するなどで未然に防ぎましたが、食が細くなり精神がガリガリ削られていく日々。
昨日まで仲の良かった同僚。普段は頼りなく口煩いけれど、最後は頼りになる上司。慕ってくれてた後輩。みんな離れて行きました。
家で泣いて泣いて、でも翌日には出勤して。
こんなことで辞めたと嘲笑われるのだけは絶対我慢出来ないと、出勤し続けたのは私の意地でした。
お兄ちゃんのおかげで、漸く決着がついた頃。
会社が危ないと何処からか漏れたのでしょう。
自分は上司から命令されて嫌々従っただけだ、私は貴方を信じていた、自分は何も知らなかった、そう言って今までの仕打ちを正当化し次々と私に縋る姿はーー。
私を人間不信にさせるには、充分でした。
「橙子も武も俺たちの自慢の子供だぞ。
よく頑張ったな橙子。お疲れ様。
まぁ二人、いや武か?あいつが会社倒産させたと聞いて、お父さんちょっぴり怖かったがな。
…今の橙子は頑張り過ぎて疲れ休養が必要だ。なぁに、今回の事はタダで行ける慰安旅行とでも思えばいいさ」
「……何ですかそれ…」
タダで慰安旅行。
旅のお供は鳥、亀、蜥蜴、猫の4匹のお供付き。
家が添乗員さんで、後ろから私と4匹がずらずら歩いてるところを想像してみると、なんか可笑しくなってクスクス笑いが込み上げて来ます。
「まぁ、兎に角そっちでゆっくりしていろ。
しかし橙子、向こうでお婿さんを連れて来てもお父さんは認めないぞ。
もし連れて来るのなら、お父さんと武を倒した後、嬉し恥ずかし交換日記から始めてもらうからな」
「お父さん古いですっ。でもそれは無いから安心してくださいね。あ、この家、お守り様と私も呼んだ方がいいのですか?」
「それは橙子の自由でいいんじゃないか。婆さんの前の住人も家守り様やら御隠様とかいろいろな名前で呼んでたらしい。橙子が付けた名前でいいと思うぞ……ん?何か電波が遠くなって来たな。兎に角繋がらなくてもなるべくこっちには定期的に連絡はするようにな」
「は、はい。分かりました。必ず連絡しますから………お、お父さん、ありがとうっ」
その言葉を最後に受話器の向こうから、ツーツーツーツーと切れた後が繰り返します。
最後の言葉はお父さんに届いたでしょうか。
静かに受話器を置き、チンッと鳴った音と共に静かに息を吐きました。
……休養ですかぁ。
そう言えば、この家に来た時にいろんな景色や青い海と白い砂浜でバカンスがしたい、と言いましたね私。
…もしかしてお守り様はそれを叶えてくれたのでしょうか?
外国ではなく異世界はどうかと思いますけど。