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花の戦記  作者: 花和郁
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  (第七章) 六

   六


「そういうわけで、離縁状を書いてきました。もう華姫様と夫婦ではなくなりました」

 泰太郎が恵国軍の陣所での面会の様子を語り終えると、影岡城の評定の間は静まり返った。

 その沈黙を破ったのは恒誠だった。

「つまり、華姫殿は禎傑司令官を自分の伴侶(はんりょ)に選んだのだな」

 確認されて、泰太郎は頷いた。

「はい。出てくる時、午後に婚礼の儀式を行うと兵士達に布告していました。全軍の前で正式に結婚と恵国からの独立を発表するようでした。もう夕刻ですから儀式はとうに終わっているでしょう」

 撫倉安漣が尋ねた。

「独立はともかく、結婚は間違いなく華姫様ご本人のご意志なのですか。無理矢理言わされた可能性はないでしょうか。田美衆を人質に取られて禎傑氏を選ぶしかなかったということは」

 華姫をよく知っている餅分具総がこれを否定した。

「華姫様はそんな脅しに屈するような方ではありません。ご自身のお口でおっしゃったのなら、間違いなくご自分でお決めになったのでしょう」

「そうね。お姉様は自分の意志で禎傑氏を選んだのだわ……」

 話を聞いて衝撃のあまり黙り込んでいた光姫がつぶやいた。

「お父様に逆らってまで泰太郎さんと結婚したのに、離婚に同意するなんて……。華姉様と泰太郎さんは私の理想の夫婦だったのに」

 光姫は海国丸出航の時の華姫の姿を見て婿探しを始めたので、夢が崩れたようで悲しかった。あの姉が泰太郎以外の男を選ぶなど信じられなかったし、想像もしていなかった。まさか、あの幸福そうな笑みを今度は敵国の司令官に向けるのだろうか。

「お姉様の気持ちが分からないわ。こんなの初めてよ」

 離れていても、敵対しても、心の奥では理解し合いつながっていると思っていた。だが、今回ばかりは姉の気持ちが全く理解できず、底知れぬ不安に襲われた。

 そんな光姫に奥鹿貞備の言葉が追い打ちをかけた。

「敵国の皇子と結婚すると宣言したのなら、吼狼国を捨てて恵国人になるつもりなのだろう。独立とは、吼狼国を征服して支配下に置くということだ。華姫殿は完全に敵に回ったわけだな」

 諸将が一斉に光姫に目を向けた。

「お姉様が、私の敵……」

 光姫はつぶやいて戦慄(せんりつ)した。頭では分かっていた。実際に戦いもした。だが、姉を敵と認識したことはなかった。恵国軍から救い出すつもりだったのに、華姫自身がそれを明確に拒絶したのだ。

「目的を失って、私はこれからどうすればいいのかしら。分からなくなってしまったわ」

 口からこぼれた言葉が弱々しくて自分で驚き、一層気分が沈んだ。すると、恒誠がぶっきらぼうに言った。

「することなど決まっているだろう。戦って吼狼国を守るのだ。何も変わりはしない」

「恒誠さん……」

 口調は断言だったが、恒誠の言葉の奥には気遣うような響きがあり、光姫はうれしく思った。

 具総と師隆も励ました。

「姫様が始めた戦いですぞ。最後までやり遂げましょう。じいも一層頑張りますぞ」

「こういう時こそ梅枝家当主の姫様が皆の心をまとめなくてはなりません。しっかりなさって下さい」

「そうね……」

 ここで弱気になっては敵を利するばかりだ。光姫は自分を叱り付けた。

「戦いはまだ続いているんだもの、落ち込んでなんかいられないわね」

「そうです。恒誠様のおっしゃる通りです。今まで通り、この城を守って、敵を都へ行かせなければよいのです」

 輝隆が言ったが、恒誠が難しい顔をして腕を組んだ。

「それはどうかな。情勢が変わるかも知れん」

「どういうことですか」

 驚く輝隆から泰太郎に恒誠は視線を移した。

「先程の話では、華姫殿と面会した時、ほとんどの将軍がそろっている様子だったのに、涼霊と頑烈がいなかったと言っていたな」

 恵国軍の陣内の様子を知ろうと、諸将は泰太郎にたくさんの質問をしたのだ。

「はい。会ったことはありませんが、恐らくこの人だろうと思う服装や容貌、年格好の人物は見当たりませんでした」

「ならば、その二人は権力を失った可能性がある」

 恒誠は考えながら言った。

「禎傑司令官には二人の軍師がいた。涼霊と華姫殿だ。この城が陥落寸前に追い込まれたのも、その二人が力を合わせた結果だと聞いている。だが、涼霊や副将の頑烈は禎傑が州太守になる以前からの古参だ。自分達がここまで支えてきたという自負があるはずで、新参で吼狼国人の華姫殿の活躍は目障りだったに違いない。そこへ妻になるという話だ。自分達に命令を下す立場になるとなれば、反発して一悶着(ひともんちゃく)あってもおかしくない」

「なるほど。勢力争いですか」

 楢間惟延が言い、諸将が理解した顔になった。

「禎傑氏と婚儀を挙げるということは、華姫様が勝ったのですな」

「お姉様が他の軍師と権力を争うなんて考えもしなかったわ」

 光姫はびっくりしたが、もし本当にそういうことが起こったのなら必ず勝つだろうという確信はあった。

 貞備が言った。

「そうなると、恵国軍の方針が変わる可能性がありますな」

「そうだ。巍山や桑宮道久との交渉に影響を与えるかも知れない。その結果によっては我々に不利になる」

 恒誠は光姫に尋ねた。

「華姫殿はどう判断すると思う」

「分からないわ」

 光姫は正直に答えた。賢い下の姉の考えることは予測ができないからだ。

「ただ、一つだけはっきりしていることがあるわ。お姉様はきっと、何としても都へ進もうとする。本気で敵の総司令官を助けて戦うつもりなら、こんなところでいつまでも足踏みしてはいないわ」

 華姫の恐ろしさは何よりもその行動力にあった。それを支えるのが、目的を実現するための具体的な方策を考え出す発想の豊かさや柔軟さだ。本気になった姉を止められるものはいない。

「お姉様はやると決めたらどんな障害も()()けて邁進(まいしん)するわ」

「たとえ、それが姉や妹でもか」

「そうよ」

 光姫は頷いた。姉は光姫に天糸国への逃亡を勧めてくれたが、遠くへ行かせて邪魔にならないようにしたかったとも受け取れる。本当に目障りだと思ったら、容赦なく排除しようとするだろう。

「その割り切り方が華姫殿の頭の良さの証拠だが、敵としては実に恐ろしいな」

 恒誠の評に華姫を知る者達は真顔で首肯した。

「だが、負けるわけにはいかない。都へも行かせない」

「そうですね」

 実鏡が応じた。この少年は華姫が禎傑を選んだと聞いて愕然とし、先程から無言だったが、衝撃からやっと立ち直ったばかりの硬い顔で提案した。

「恵国軍の陣地を偵察させましょう」

「憲之殿、また頼む」

「おう、任せておけ」

 恒誠が声をかけると憲之は元気に応じた。食料などを売りに行く民に交じって本陣へ入り込むのだ。警戒は厳重だが得られる情報は少なくない。

「今回は恵国語ができる豊梨家の家臣を連れて行ってくれ。商人になら化けられるだろう」

 そう相談しているところへ、一人の家臣が廊下を走ってきた。

「蓮山家の家臣の方が皆様に面会を求めておられます。大変お急ぎのご様子です」

「すぐに通せ」

 巍山軍と(たもと)を分かった後も、英綱とは密かに連絡を取り合っている。緊急の場合の伝達方法も決めてあったが、今回は家臣が直接来たという。

「何事かしら」

 使者は評定の間に入ると、一礼して英綱の伝言を述べた。それを聞いて、光姫達はそろって青ざめた。

「巍山公はかねてより恵国軍に同盟を打診していましたが、先程正式に締結したと発表されました。両軍はまず、互いが本気でこの同盟を守ることを確認し合うために、共通の敵である影岡軍を一緒に攻撃するそうです。既に両軍の陣営では出陣の支度が始まっており、明日の夜明け前に本陣を出て、明るくなると同時に城に攻め寄せる予定です。若君からは、お早くお逃げ下さいと伝えよと命じられております」

 婚礼の儀式が終わると、正式に夫婦になったばかりの禎傑と華姫は巍山の使者と互いに相手を裏切らないという誓紙を交わし、明日出陣させる兵力を取り決めた。使者が戻ると巍山軍の本陣ではすぐに軍議が開かれたが、英綱と新芹(にいぜり)康竹(やすたけ)蕨里(わらびさと)恒寛(つねひろ)は影岡軍に近いと見なされて呼ばれなかった。しかし、英綱の友人の鷹名(たかな)敏方(としかた)が急な軍議を怪しみ、前もって家臣に途中で自分を呼びに来るように命じておき、「軍議中だぞ! 後にできないのか!」と叱って指示を書いて渡したふりをして伝言の紙を届けてくれたのだ。

「残念ですが、当家にできるのはここまでです。ご無事とご武運をお祈りしております」

 そう告げて、蓮山家の家臣は辞去した。今夜は森の中で過ごし、出陣してくる軍勢に(まぎ)れ込むそうだ。

「どうしますか」

 実鏡が恒誠に尋ねた。

「逃げるしかないな」

 軍師は即答した。

「他に手がない。今夜の内にこの城を捨ててどこかへ去るのだ」

「領民を置いて逃げるのですか」

 実鏡が不満そうに言うと、憤慨(ふんがい)していた光姫が提案した。

「敵と同盟するなんて堪忍袋の緒が切れたわ。すぐに打って出て奇襲し、巍山の首を取りましょう!」

 賛同する声がいくつか上がったが、恒誠が(さと)した。

「巍山軍と恵国軍を合わせると二十万二千。我等は一万一千。しかも相手はどちらも堅固な陣地の中だ。到底戦にならない。脱出を急がないと何重にも城を包囲されて逃げることもできなくなる」

 恒誠の厳しい口調に実鏡は反論を諦め、深い溜め息を吐いた。諸将は暗い顔になった。光姫も同じ気持ちだった。ここまで戦ってこられたのは民の支持と協力があったからだ。多くの作戦には事前の準備が必要だったが、故郷を守るためだからと積極的に働いてくれた。その彼等を捨てていくというのだ。殻相国を脱出してきた時のことが思い出された。

 だが、光姫はすぐに思考を切り替えた。

「またどこかで戦い続けるのね」

「そうだ。ここでは勝ち目がないから、他の場所に本拠を移す」

 軍師は頷いた。

「だが、どこへ行くのですか」

 奥鹿貞備が尋ねた。

「西国街道を都へ向かうには巍山軍の目の前を通らなければなりませぬ。西へ向かえば恵国軍の陣地があります。それを避けて通っても、後明国にも手の国の諸国にも恵国軍が駐留しておりますぞ。どこかの城を落とせたとしても、我々はいずれ追い詰められて降伏せざるを得なくなるでしょう」

「行き先には一つ心当たりがある」

 と恒誠が視線を向けると、楠島(くすじま)運昌(かずまさ)がはっとして提案した。

「都へ来ませんか。大歓迎しますよ。国母様も喜ばれるでしょう」

 桑宮道久は都を制圧後、恵国軍に同盟の使者を送る一方、影岡軍にも接近を図っていた。光姫達は巍山軍と対立しているので、当然の動きと言える。

 光姫達は相談して返事は保留にし、要求だけを伝えた。長い籠城戦で食料など様々な物が不足し始めていたので、提供して欲しいと頼んだのだ。道久は物資と交換に良い返事を引き出したかったようだが、芳姫は妹への援助に乗り気だったし、影岡軍の存在は巍山軍の牽制になっているので、恩を売ることを優先して、楠島家の軍船で送ってきた。ただし、御涙川の河口の港では巍山軍に邪魔されるので、もっと南、内の海に突き出した神雲山の半島の東南部に船を寄せ、小舟で陸揚げして、武者や男衆に城まで運ばせていた。

 運昌はこの城へ挨拶に来ていたが、そこへ泰太郎が訪ねてきたので、一緒に話を聞いていたのだった。

「なるほど。船で雲見湾(くもみわん)を渡るのか」

 貞備の言葉を運昌は首肯した。雲居国から都へは歩くと三日かかるが、船なら数刻だ。間に深く入り込んだ雲見湾(くもみわん)は決して狭くないが対岸が見えないほど広くもない。

「反対する人はいませんね」

 実鏡が確認し、全員が頷いた。光姫も大賛成だった。これで戦い続けられる。しかも芳姫と一緒にだ。都には五万ほど武者がいるから、力を合わせれば巍山恵国連合軍ともそれなりの戦ができるだろう。

 恒誠が指示を出した。

「では、男衆、女衆には荷運びをやめ、どうしても必要な物だけを城から海岸へ運んでもらおう。硫黄や頂いた物資は森の中の大きな洞窟に隠しておく。城にあった食料は彼等に分け与えよう。諸将にはその指揮をとってもらう」

「食料や物資は持っていった方がよいのではないかしら」

 狐ヶ原の時はそう忠告されたと言うと、「時間がない」と返事が返ってきた。

「武者の輸送が最優先だ。夜明けには敵が襲ってくる。それまでに一万一千人が海を渡らなければならない。今海岸に来ている船は護衛を含めて二十隻、五分の一も乗れない。もっと呼ぶにしても、何往復かする必要があるだろう。夜の海を進むのだから時間がかかる。巍山に気付かれぬよう明かりも付けられない。とても物資まで運んでいられない。すぐには見付からない場所に隠しておいて、必要になった時に取りに来るしかあるまい。城の食料は敵に渡すくらいなら、今までの礼として分配した方がいい」

「なるほど。分かりました」

 全員が頷き、すぐに動き出した。

 実鏡や光姫達が城内の人々の代表を呼んで危機と脱出を知らせると、戦える武者は全員が同行を望んだ。職人や領民は家がある者は帰らせ、負傷者や武者の家族や行き場のない者達は仰雲大社に保護を求めさせることにした。小荷駄隊も、今回は武者を優先するため、雲居国に残ってもらうことになった。

 光姫は梅枝家の武者達を指揮して既に運び込まれていた物資と都で必要なものを城から持ち出した。恒誠の指定した洞窟で安漣の指示に従って奥に荷物を入れて岩で隠すと、海岸に行き、小船で荷を船に運ばせ、そのまま武者の一部を乗船させた。第一陣には師隆と楢間惟延と泰太郎が乗り込んだ。都側の海岸で受け入れ態勢を作り、道久に知らせて助けを得るためだ。

 第一陣が去ると、しばらくして第二陣、第三陣の船が駆け付けてきた。南沖の双島(ふたじま)や玉都港にいた船だ。真っ先に出航した足の速い船が運昌の命令を届けたのだ。

 月が細く暗い夜だったが、作業は順調に進んだ。厳しい籠城戦を戦い抜いた者達だけに、動きが機敏で連携も取れている。船は次々に到着し、海岸の武者の数は次第に減っていった。

 光姫達は最後の第五陣に乗船した。荷運びを手伝ってくれた男衆や女衆は、光姫の手を握って無事を祈ってくれた。光姫も涙をこぼして別れを惜しんだ。

 第三便までは玉都のずっと南の内の海に面した海岸に荷と人を下ろしたが、最後の光姫達は巍山軍に見えてもよいため、直接玉都港へ向かう。左手に黒く見える御島(みしま)を大きく迂回して、船は雲見湾を北上していった。

 雲居国の半島に寄り添うように浮かぶ御島(みしま)はこんもりと森の茂った小島で、誰も住んでいない。中央に美しい小さな湖があり、(ほとり)に立派な(ほこら)があるだけで、他に建物は一つもない。この島は神々の集会場とされる不可侵の神域なのだ。

 吼狼国では春は風が東から吹く。当然、神雲山の頂上から立ち上る煙は西へたなびく。ところが、桜月一日前後の数日だけ、煙が東の御島の上空へ伸びる時がある。暴払(あばらい)山脈にぶつかった風の一部が逆流してくるからだとか、暖流の流れる海に三方を囲まれた高山が雪で冷やされて気流が発生するためだとかいろいろ言われているが、とにかく不思議な現象が起こる日があるのだ。

 吼狼国の神話では、そういう日に白牙大神(しろきばおおかみ)従神(じゅうしん)達と共に煙を伝って天から降りてきて御島へ渡り、一年の計画を話し合うとされている。豊作や凶作、災害や神雲山の噴火の大小など、その年に起こる様々な現象がそこで決まる。

 その神雲山・たなびく雲・御島が一列に並んで見えるのが真澄(ますみ)大社だ。吼狼国の一年の始まりが桜の季節なのは、この光景に祈りを捧げる習慣から来ていると言われる。もっとも、儀式の際は(おそ)れ多いので島や山を直視せず、真澄池の水鏡に映してお祭りする。大社が池の東側にあるのはそのためだ。桜祭りも、大社での祝祭に合わせて民が池のほとりに集まり、山と島を拝んだことに始まっている。

 こういう信仰の対象の島なので、誰も住んでいないにもかかわらず一国として扱われ、吼狼国八十国の第一に数えらえている。御島と雲居国の間の狭い海は神々が渡る道なので、何人(なんぴと)も通ってはならない。だから、光姫達の船も島を迂回する航路を取ったのだ。御島があるおかげで先に雲居国を脱出した船が巍山軍から見えにくかったこともあって、水主や武者達は皆、この聖なる島に目をつぶって手を合わせていた。

 光姫も神雲山と御島に(こうべ)を垂れて祈った。都で始まる戦いの勝利と、自分や仲間達への神のご加護と、死んでいった者達の天界での幸福を。

 目を開けると、そばで恒誠も祈っていた。

「あなたも神に祈るのね」

 あまりそういうことには熱心そうに見えないと思っていたので近付いて尋ねると、「当然だ」と答えが返ってきた。

「俺達は多くの武者や民の命を預かり、この国の未来を賭けて戦っている。わずかでもご利益がある可能性があるなら祈るさ」

「そうね」

「もちろん、祈るだけでは駄目だ。だが、神に静かに真剣に祈る気持ちを欠いた人物には、大きな戦いに勝つことなどできないだろう」

「私もそう思うわ」

 既に空の遠くが明るかった。御島の後ろになっていた雲居国の岸辺が見えてきた。神雲山の麓で煙が上がっている。敵に利用されるのを避けるため、影岡城を焼いたのだ。

 光姫の目を一筋の涙が伝った。

 あのお城を最後まで守れなかったわ。雲居国の民を置いて去ることになってしまった。

 (いかり)を上げて動き出す船に岸辺で手を振っていた人々を思い出し、光姫は悲しみの衝動に襲われた。

 と、誰かに左手を握られた。顔を向けると、隣で実鏡が涙を流していた。多くの思い出があるあの城を焼き、領地を敵の手に渡さざるを得なかったのが悔しいのだろう。右側の恒誠は無表情だったが、拳をぎゅっと握って何かに耐えていた。

 光姫は城にも手を合わせようとして、思い付いた。

「そうだわ」

 光姫は武者達を振り返って叫んだ。

「みんな、勝利をお城と大神様にお祈りしましょう」

 そうして、右手で天を指差した。

「銀炎丸! 吼って!」

 光姫の合図で狼が三度長く遠吠えした。十八隻の船に乗った二千人余りの武者と水主達は一斉に手を組み、熱心に祈った。

「都を守れるかしら」

 目を開けて恒誠に尋ねると、軍師は微笑んだ。

「神獣の加護を得ている光姫殿と俺と実鏡殿に守れないなら、誰にも守れないさ。俺達は真剣に祈り、全力を尽くすだけだ。結果は神のみぞ知る、さ」

 恒誠は勝利できると断言しなかったが、光姫はかえって安心し、勝てるような気がしてきた。

「僕は負けません」

 実鏡が涙を拭いて笑った。

「私も負けないわ。絶対に勝つわ」

 恒誠の手も握り、三人一緒に城に頭を下げた。

 この人達がそばにいることが、いつの間にかこれほど自然になっていたのね。

 特に恒誠がいると、安心と信頼を覚えて心が落ち着く。反発したこともあったのを思い出して、光姫はくすりと笑った。今、自分達が都へ向かっているのも大神様の(おぼ)()しのように感じられ、この戦いに勝てたら、恒誠との出会いが運命だったと信じられそうに思われた。

「その時、私はどう答えるのかしら」

 恒誠の求婚にはまだ返事をしていないが、答えはもう目の前にあるのかも知れない。きっかけさえあれば、それを自分は見付けられるのだ。

 東の水平線に大きな太陽が昇った。真澄池の神域の森の向こうに、巨大な玉都港が見え始めている。突き出た多数の桟橋と、停泊する無数の巨船が、まばゆい朝日に照らされて白く輝いていた。

 背中に声がかかった。

「若殿、ここにおられましたか」

「姫様、船長がお三方と銀炎丸にご挨拶したいそうですよ」

 貞備と輝隆だった。

「分かったわ。実鏡さん、恒誠さん、行きましょう」

 光姫は二人の手を引いて歩き出した。


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