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花の戦記  作者: 花和郁
32/38

  (第七章) 四

   四


「遅いわ。まだなのかしら。もう夜明けまで数刻なのに」

 萩月十九日の深夜、芳姫は寝室でいつもの服喪用の黒い打掛を着て、眠い目をこすりながら膝を抱えて座っていた。すぐ横では直孝が布団の中ですやすやと寝息を立てている。まだ昼の暑さが残っているので、紅い扇で自分をあおぎつつ、時々息子にも風を送ってやっていた。

 望天城の白い七層の天守がすっかり闇に包まれ、奥向きに勤める侍女達も皆寝入ったこの時間に、芳姫がなぜ寝間着でなく普段着かというと、お里に道久が来ると聞かされていたからだった。九日前は突然だったので寝間着で対応したが、来ると分かっていてそんな格好はできない。

 暑い時期なので白い寝間着は麻で生地が薄く、胸と腰の豊かな体の線が見えてしまうし、細い帯を一本結んだだけなので簡単に着崩れてしまう。男性の前に、とりわけの道久の前にそんな格好で出ることは避けたかった。

 芳姫は前回の彼の訪問で道久への恋情を自覚しただけに、なおさら誘っているように見られることを恐れた。愛しているのに隙を見せたくないというのは矛盾しているようだが、国母として、また上流武家の女としての自尊心と、安い女と思われたくないという意地のようなものが芳姫を(しば)っていた。

 元狼公の妻は夫の死後も貞節(ていせつ)を守ることを期待されるから、他の男に心を移すことには背徳感を覚える。また、女の自分から口説かれたがっているような素振りを見せることにはある種の敗北感が伴う。どちらにしても、芳姫には非常に勇気がいることだった。直信との関係は注がれる愛情を許し受け入れる形で愛し返すことはあまりしなかったので、自分の方から気持ちを示すのは抵抗があったのだ。そこで、鷲松家の侍女達の手前、一旦寝間着を着て寝るふりをしておいて、すぐに着替えて道久を待った。

 ところが、道久はなかなか来なかった。とうに夜半を過ぎても現れる様子がない。

 もしや、お城に忍び込む時に見付かって、会いに来るのを諦めて逃亡したのかしら。それとも、都の潜伏場所を発見されて踏み込まれ、捕まってしまったのかしら。

 この寝室は奥向きの最奥部にあり、表や城外の様子はまるで分からないので全て想像に過ぎないが、ただじっと訪れを待って外の物音に耳を澄ましていると、つい悪い方に考えてしまう。

 いいえ、大丈夫よ。そうした騒ぎは聞こえてこないし、前回のように鷲松家の侍女や雉田公が何かを言ってきたわけではないもの。

 そう自分に言い聞かせたが、不安は増す一方だった。もし道久が巍山を失脚させる策に失敗したら、芳姫と息子には厳しい運命が待っている。

 他に助けてくれそうな人は思い当たらない。もうお絹もおらず、信頼できる人物は周りにいないので、自力でこの城を脱出することは不可能だった。光姫は心配してくれるだろうが、雲居国で敵とにらみ合っていてしばらく動けない。道久だけが頼みの綱なのだ。

 それに、道久への想いを自覚して以来、彼に会いたいという気持ちが日々膨らんでいた。この九日がどれほど長かったことか。彼の身に万一のことがあれば、自分の受ける衝撃は恐ろしいほど大きなものになるだろう。

 道久殿、どうか早く無事な姿を見せて、私を安心させて。

 芳姫は扇を動かす手を止めて身震いした。そろそろ残暑は終わる時期とはいえまだ暑いのに、心の奥底に寒風が吹いているような気がしていた。

「国母様。国母様、起きていらっしゃいますか」

 隣室から聞こえた低い声で、芳姫は我に返った。

「は、はい! おりますよ!」

 慌てて返事をし、声が大き過ぎたかと思わず口を袖で押さえた。脇を見ると、幼い元狼公の可愛い寝息は規則正しかったので、芳姫はほっとした。道久の話の内容次第では起こす必要があるが、まずは自分が詳しく聞いてからだ。

 襖が(ひら)き、若い侍女と道久が現れた。

「芳姫様。お久しゅうございます」

 頭を下げた道久を見て、芳姫は涙が出そうになった。なぜ今までこれが恋だと気付かずにいられたのかと思うほど、心がうれしさで満たされていた。道久がまた無事でここに来てくれただけで、既に救われたような気さえしていた。

「道久殿。お待ちしておりましたよ」

 声が震えそうになったが、主君の前に出た家臣らしくかしこまっている道久を見て、芳姫はすぐに国母の気持ちを取り直した。わざわざ喪服を着て、しわにならないように横になることもせずに坐って待っていたのはなぜだったか。

「お入りなさい」

 芳姫はわざと主君らしい口調で言って、背筋を伸ばした。道久は一礼して入ってきた。隣室に残ったお里が襖を閉めた。

 道久が目の前で平伏すると、芳姫は尋ねた。

「例の策略の報告ですか」

 本当は前置きとして互いの近況などを話すべきなのだろうが、結果が知りたくて仕方がなかったので、いきなりこの話題を持ち出した。

「はい」

 道久は頷いた。なぜか登城用の礼服を着ている。立派な直垂(ひたたれ)で、彼の堂々とした体格と男らしい容貌によく似合っていた。

「策は成功致しました」

 言って、道久はにやりとした。

「武守直利は死にました」

「なっ……!」

 芳姫は絶句した。直孝とよく剣術の稽古をしていたあの少年が死んだというのだ。にわかには信じられなかった。

「私の家臣の陰同心が鉄砲で狙撃し、肩に命中させました。霞之介と申しまして、以前隆国で鉄砲兵として高名だった男です」

 芳姫は後半を聞いていなかった。鉄砲を撃った者の名など重要ではない。芳姫は衝撃から立ち直ると、急き込んで尋ねた。

「それを命じたのは道久殿なのですか」

 息を呑んで返答を待つ芳姫の美貌を余裕たっぷりの笑みで見上げて、道久は頷いた。

「はい、私が命じました」

「なぜ、そのようなことを……!」

 尋ねながら、芳姫は答えを予測していた。

「諸侯が守国軍としてまとまっているのは、武公様のお子である直利が大将だからです」

「ですが……」

「直利を殺せば、巍山の命令に従うことを望まぬ諸侯の離反を期待できます。巍山の力は弱まりましょう。呼びかければ、芳姫様の元に()せ参じる者は少なくないと存じます。彼等を糾合(きゅうごう)し、全国の諸侯に呼びかけて兵を集めて巍山を討ちましょう」

 芳姫の脳裏に激しい戦の場面が浮かんだ。恵国軍との戦いではなく、吼狼国武家同士の合戦だ。多くの武者が巍山と芳姫の名を叫びながら刀を振るい、槍を突き出し、弓を射って、殺し合うのだ。

「何ということを……」

 芳姫は思わずつぶやいて、横で寝ている息子へ目を向けた。直利を恋しがり、赦免を望んだこの子はきっと悲しむだろう。

「本当に、本当に殺したのですか」

 直孝は道久を恨むのではないかと思って念のために確認すると、道久は首を振った。

「分かりません。銃弾が当たったのは間違いありませんが、倒れた直利を華姫殿が連れ去りましたので、死んだかどうかは不明です。ですが、それは問題ではありません」

 その光景を想像して青ざめた芳姫の前で、道久は冷ややかに言い切った。

「直利はもう守国軍にいない、この事実が重要です。巍山は開き直って武守家への叛意(はんい)を明らかにし、自分に忠誠を誓うよう諸将に求めるしかなくなりました。もし直利が生きていて、言うことを聞かなければ彼を殺すと恵国軍が脅しても、巍山は従わないでしょう。巍山は飾り物とはいえ総大将を失うという大失態を演じ、守国軍の諸侯の多くから信頼を失ったのです。この機に彼等を味方に引き込み、巍山を攻撃して殺すべきです。巍山は危険です。生きている限り芳姫様と直孝様を(おびや)かすでしょう。今こそ、恵国軍との戦いの主導権を武守家の手に取り戻す時です」

 その言葉が頭に染み込むと、芳姫の心に恐怖と激しい怒りが湧いてきた。

「そ、そんな策とは聞いていませんよ! あなたは、わ、私をだましたのですか!」

 芳姫はつい声が大きくなった。

「私は暗殺など命じていません! 巍山殿は仕方がないとしても、直利殿はまだ子供です。武守家の一族を殺すなど反逆に等しい行為ですよ。暗殺だなんて、まるで悪人ではありませんか! 私と直孝様をそんな悪事に加担させるつもりですか!」

 政変の時、巍山に厳しく糾弾(きゅうだん)されていた道久の姿が芳姫の脳裏(のうり)に浮かんだ。菅塚興種と滝堂永兼をそそのかして小荷駄隊を遅らせた結果狐ヶ原で味方を敗北させたとして、道久は逮捕されたのだ。あれからまだ三ヶ月しか経っていない。道久殿はやはり悪人だったのかしら、また彼の野心のために私は利用されたのかしらという疑念が湧き起こり、彼を愛し信じたい気持ちと心の中で激しくぶつかり合って、芳姫は混乱した。

 が、道久は責められることを予期していたらしく、全く動揺しなかった。

「芳姫様は私の策を承認し、全て任せるとおっしゃったではありませんか。まさか、知らなかったなどという言い訳が今更通用するとお思いですか」

 言葉の出ない芳姫に、道久は言った。

「直利を暗殺して得をするのは芳姫様と直孝様だけです。あなたが疑われることは避けられません。巍山はまだ直利が暗殺されたことを公表していませんが、いつまでも隠しおおせることではありませんので、数日中には都に知らせが届くでしょう。その時、巍山は間違いなく芳姫様と直孝様を非難して罪を問い、在京の諸侯に自分への忠誠を求めるはずです。もはや、芳姫様は巍山にはっきり敵と認められたのです」

 道久は淡々と事態を説明して、きっぱりと告げた。

「我々は既に共犯です。私が倒れれば芳姫様も倒れることになります。事態は動き出し、後戻りも立ち止まることもできません。巍山は暗殺の罪で芳姫様と直孝様を殺すこともできるのです。我々は共にこの策をやりとげ、先へ進まなくてはなりません」

 道久は芳姫の瞳を正面からじっとのぞき込んだ。

「私は全力で芳姫様をお守り致します。あなたと直孝様のために。武守家と吼狼国のために。そして、私自身のために。私を巍山討滅軍の大将にお任じ下さい。必ずやあの野心家を討ち取って御覧に入れましょう」

 そう言って、道久はにやりと笑った。

 ああ、何と野心に満ちた顔つきなのかしら。

 芳姫は道久の笑みを見つめて思った。

 何という権力欲。何という悪賢(わるがしこ)さ。そして、何という自信!

 彼は出世して権力を手にしたかったのだ。ずっとこの機会をねらっていたのだろう。自分に近付いたのもそれが理由に違いない。

 芳姫は心底道久を恐ろしいと思った。そういえば、直信との婚礼で初めて会った時も彼が恐ろしかった。自室で手を握られて抱き寄せられた時もそうだった。だというのに、その恐ろしい彼にこれほど強く()かれている。芳姫には分かっていた。自分は今後死ぬまでこの野心家を愛し続けるだろうと。

 なぜ、手を握られた時に、あのまま抱かれてしまわなかったのかしら。そうすれば、彼に愛されていると信じていられたのに。抵抗するなんて、私は本当に馬鹿だった。

 今、道久殿の目には権力しか映っていないように、芳姫には思われた。道久に権力を与えられるのが自分だけであることが、芳姫はうれしく、同時に悲しかった。求めるものを与えてやれば、彼は自分に感謝と忠誠を向けてくれるだろう。だが、芳姫の欲しいものはそんなものではなかった。もう、かつて彼が向けてくれていたような情熱で愛されることはかなわないのだ。

 芳姫は畳に突っ伏して大声で泣きたかったが、すぐそばにいる直孝を思い出して我慢した。この息子のためには道久にすがるのが一番よい。道久は間違いなく直孝を可愛がり、成長を楽しみにしている。息子と自分の今後を任せられる相手は道久しかいないのだ。

 道久殿が私を利用するのなら、こちらもこの人を利用しよう。

 芳姫はそう自分に言い聞かせて何とか気持ちを立て直し、主君として、この国の全武家の棟梁の代理の国母として、家臣に告げた。

「では、あなたが求めていた報酬とは、巍山討滅軍の大将に任じることなのですね。分かりました。もちろんそうしましょう。勝利の暁には、武者総監でも大翼でも、好きな地位を与えると約束します」

 最後の方は声が震えてしまった。

「他にもあれば、あなたの望むものを言って下さい。何でも与えましょう」

 すると、道久が顔をほころばせた。少年が手に入れたいと焦がれ夢見ていた対象を目の前にした時のような、無邪気なほど純粋な欲望と喜びにあふれた笑顔だった。

「では、あなたを望みます。芳姫様」

「どういうことですか」

 驚く芳姫に、道久は急に男の口調になった。

「私の望みはあなただ。あなたを俺にものにすることだ」

 道久は腕を伸ばして芳姫の両肩をつかんだ。

「今この場であなたを奪う。そして、俺だけの女にする。もう他の誰にも渡さない」

 叫ぶように言うなり、道久は芳姫の唇を奪った。舌で唇を割り、中に入ってくる。芳姫は驚愕して固まったが、道久の言葉の意味を理解すると、相手にしがみ付いて激しい接吻を受け止めた。

 芳姫の目から涙があふれた。舌に涙の塩辛さを感じながら、芳姫は塞がれた口からこぼせない泣き声を心の奥で叫んでいた。それが恋が実った歓喜の涙なのか、直信への謝罪の涙なのかは、芳姫自身にも分からなかった。夢中で男に抱き付いて背中に回した手から、紅い扇がぽとりと畳に落ちた。

 道久はしばらくして口を離すと、荒い息で言った。

「直信様にあなたを奪われてから、俺はずっと我慢してきた。この時のために今まで動いてきたのだ。夫になることはすぐには難しいかも知れないが、いずれ実現してみせる。そうして、天下に俺があなたを手に入れたことを見せ付けてやる。あなたにはそれだけの価値がある。あなたはこの世で最高の女なのだから」

 道久の表情に表れた激しい恋情と欲望を見て、今までこれをどうやって隠していたのだろうと芳姫はびっくりし、同時にひどくうれしかった。

「いいな。今からあなたは俺の女だ。あなたを心の底から愛している。初めて会った時からずっとだ」

 道久は吼えるように宣言した。

「あなたは知っているはずだ。俺があなただけを恋してきたことを。俺はあなたのためなら何でもできる。あなたと直孝様にこの命を捧げる。だから俺に全てを任せて欲しい」

 道久はほとばしる情熱のままにまくしたてた。

「俺があなたを守る。直孝様も守る。あなたは安心して直孝様の教育に専念すればよい。あなたに天下国家の経略(けいりゃく)は似合わない。あなたには穏やかで幸せな生活を送ってもらいたいのだ」

 芳姫は男の顔を見上げて震えていた。これほど激しく愛され求められてうれしくない女などいない。全身が歓喜と興奮に覆われて、胸が苦しいほどだった。

 この人の野心の対象は最初から私だったのだわ。

 道久の権力欲に火を付け行動に駆り立てたのが自分への恋情だったことを、芳姫は女の本能で理解した。

 ならば、全てを許し受け入れるのに何をためらうことがあろう。だまされ利用されたことなど、もはやどうでもよかった。彼に愛されている。求められている。それだけが重要で、他は些事(さじ)に思われた。彼に愛してもらえるのなら、いくら利用されても構わなかった。

 それに、道久殿は直孝のことも守ると言ってくれた。他にこの子のことをこんなに考えてくれる人はいない。

「本当に直孝様を守ってくれるのですね」

 かすれた声で確認すると、道久はしっかりと頷いた。芳姫は心底安心した。

 この人になら直孝の将来を任せられるわ。道久殿に私達の運命を(ゆだ)ねよう。いえ、私の全てを差し出して、この人を私につなぎとめるのよ。

 そう思った瞬間、芳姫の心の扉の最後の(かぎ)がはじけ飛んだ。熱くなった体のたぎりにもうこれ以上耐えられなくなり、激しく舌を吸い合ったために濡れた唇で(あえ)ぐように浅い呼吸をしながら、芳姫は叫んだ。

「私もあなたを愛しています。奪って下さい。あなたのものにして下さい。どこまでも付いていきます!」

「今すぐそうしよう」

 道久は晴れやかに笑って頷き、懐から一枚の紙と筆を取り出した。

「だが、その前にこれをご裁可(さいか)頂きたい」

 芳姫は中身も読まずに署名した。道久はその紙を(たもと)にしまうと、芳姫を抱き上げた。

「隣室へ行こう。ここには直孝様がいる」

 その言葉で芳姫は思い出した。

「大声を出しては人が来ます。もう気付かれてしまったかも知れません」

 言いながら、芳姫はとても残念だった。直信には感じたことのない欲望の高まりを覚えていたからだ。

「大丈夫だ。人は来ない」

 とうに敬語をやめた道久は言った。

「お里に命じて、この建物の周囲には人が近付かないようにしてある。誰をはばかることもない」

「はい。では、たくさん愛して下さい」

 芳姫は言ってから赤面した。

「任せておけ」

 道久は満面の笑みで答えると、首にしがみ付いた芳姫を抱き上げて隣室へ行き、後ろ手に襖を閉めた。

 何も気付かずに眠り続ける幼い元狼公の枕元には、直信が贈った紅い扇が、主人に忘れられて半開きで転がっていた。

 数刻後、道久は鎧兜で完全武装して部屋を後にした。廊下ではお里と霞之介ほか百名ほどの家臣が待っていた。

「既に奥向きは制圧致しました。全ての準備は整っております」

「侍女や女官は一室へ押し込め、抵抗した者は縛って閉じ込めました。広芽の方も拘束し、逃げられぬように見張っております」

 桑宮家の家老とお里が報告した。

「よくやった。では、すぐに実行せよ」

「はっ!」

 家臣達は頭を下げ、数名が中庭に用意された焚火に火を付けた。合図ののろしだった。これで、密かに味方に引き込んだ御廻組の多数の部隊が、玉都の各所で巍山派の諸侯を捕らえ都を制圧するために動き出す。道久自身は霞之介達を連れて望天城を押さえる。

 道久達は表へつながる大扉を出て、驚き慌てる者達を捕まえ、切り捨て、あるいは追い立てながら本郭御殿を進んでいった。各部屋を(あらた)めつつ廊下を押し通り、御殿の外へ出ようとすると、パシクが数十人の武装したユルップ衆を連れて現れた。

「これは何事だ。説明してもらおう。話次第ではお前を捕まえる」

 両手を広げて立ち塞がった友人に、道久は懐から一枚の書面を取り出して突き付けた。

「これを見ろ。国母様のご許可は頂いてある」

「なにっ? ……お前を大翼に任じて全兵権を委ね、反抗する者を捕らえる権限を与えるだと。どういうことだ」

「読んだ通りだ。このままでは鷲松統国府が出来てしまう。これは直孝様と国母様のためなのだ。ユルップ族は武守家に忠実なはずだ。国母様のご命令に従ってもらおう」

「その前に、国母様にお会いしたい。そのご署名が本物かお尋ねする。確かに字は似ているが、偽物の可能性もある」

 その指摘は当たっていた。署名以外はお里に芳姫の字を真似(まね)て代筆させたものだった。芳姫には聞かせられない様々な密約を結ぶのに必要だったため、練習させたのだ。

「国母様はどこにいらっしゃる」

 パシクは迫ったが、道久は焦らず、にやりとして言った。

「署名は本物だが、確認するのは無理だろうな」

「なぜだ」

「先程まで随分激しかったからな。この十年の思いを互いにぶつけ合ったのだ。気を失うように眠りに就いたばかりだ。起こすと機嫌を損ねるぞ」

「お前……!」

「そういうことだ。俺の命令に従え。大丈夫、都にいる巍山派の武者の排除は御廻組がやる。お前はこの城に誰も入れるな」

 パシクは(こぶし)を握ったが、すぐに下ろした。

「以前お前に尋ねたが、これがお前のしたかったことか」

「そうだ。あの方と権力を手に入れ、この国を変えるのが俺の望みだ。御廻組は掌握した。奉行の半数もこの(くわだ)てに協力している。お前も味方に付けたい。敵には回ってくれるなよ」

「それがお前のやり方か。危うい道だな」

 パシクは三つ年上の友人に忠告した。

「国母様個人の信任を背景に権力を(ふる)うのはやがて無理が来るぞ。お前は一万貫に過ぎず、取り立てて実績も名声もない。どれだけの封主家が従うと思うのだ」

「もちろん、それくらいは考えている。成算があるからやるのさ」

 道久は笑みに自信をのぞかせた。

「まず、巍山や恵国との戦で俺の実力を天下に示し、反抗するより従った方が得だと思わせる。そして、統国府による大陸貿易の管理を実行する。それで俺は絶対的支配ができるようになるはずだ。貿易体制に組み込まれてしまえば、諸侯はその利益に驚き、排除されることを恐れて統国府に反抗できなくなるからな。まあ見ていろ」

 はっはっは、と笑うと道久はパシクを押しのけ、あちらこちらで斬り合いが始まっている本郭の広い庭を、下の郭へつながる門の方へ歩いていった。完全武装した多数の武者がその後に続いた。

 去っていく友人の後ろ姿をパシクは憮然(ぶぜん)とした表情で見送っていたが、部下達に命じた。

「我々は中立を保つ。城門を閉じ、都の混乱が収まるのを待とう。城内の非戦闘員を保護し、この機に乗じてよからぬ動きをする者を警戒せよ。それが俺達にできる精一杯だ」

「はっ」

 指示を伝えに伝令が走っていった。

 パシクはようやく明るくなり始めた朝焼けの濃い空を見上げて、溜め息を一つ吐いた。が、すぐに気合を入れ直すと、自分も部下達を監督すべく、城門脇の衛門所衛士詰所に向かって歩き出した。


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