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花の戦記  作者: 花和郁
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  (第五章) 二

   二


 狐ヶ原の敗報が玉都へ伝わったのは、紫陽花月(あじさいづき)四日の深夜だった。

 殻相国を船で逃げ出した者達が港へ到着すると、噂はたちまち都中に広まった。すぐにも恵国軍が攻めてくるという風説が流れて都の辻は人々であふれ、明け方近くまで騒ぎが続いていた。

 翌五日、朝から情報収集に追われた統国府は、午後に緊急の御前評定を開いた。

「まさか討伐軍が破れるとは……」

 財務裁事がうめいた。所務(しょむ)裁事も声が震えていた。

「派遣した六万五千の内、三万が死傷したそうですぞ。あれほどの大軍で軍勢の五割もの損害など聞いたことがありませぬ。その上、総大将まで討ち取られてしまうとは。かつてない大敗ですな」

 逃げ帰ってきた者達から既に合戦のあらましは伝わっており、評定の間に集まった者達の顔は皆暗かった。

「封主の討ち死にが五人。その中に杏葉公も含まれています」

 伝馬(てんま)奉行が報告した。

「約二刻の戦闘で先鋒と中軍及び杏葉勢はほぼ壊滅、総大将を失った討伐軍はばらばらになって逃げ出し、殻相国は敵の手に落ちました。参陣していた封主家は多くの死傷者を出して皆領国へ引き上げていき、損害のなかった御廻組も後明国(あとあけのくに)に踏みとどまることを諦めて都へ戻ってくるようです。結果として、西国街道を守る者はその地を領する封主家だけになってしまいました。孤立した西高稲三国の諸侯が滅ぼされるのは時間の問題で、その後、恵国軍は都を目差して攻め上ってくるものと思われます」

「まだ信じられません。どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか」

 司会役の礼務(れいむ)裁事が嘆いた。

「敵の作戦が巧妙だった、それが全てですよ」

 水軍頭の楠島(くすじま)運昌(かずまさ)が言った。

「戦の流れを聞きましたが、見事というほかはありません。あそこまで動きを読まれていてはどうしようもないでしょうな」

「その通りだ。残念だが、恵国軍の大将の方が戦の指揮で杏葉公よりまさっていたのだ」

 九国(きゅうこく)総探題(そうたんだい)萩矢(はぎや)頼統(よりむね)の言葉に、京師(けいし)守護(しゅご)泉代(いずしろ)成保(なりやす)も頷いた。

「そして、討伐軍中軍を罠にかけ、杏葉公を討ち取ったのが……」

 言いかけた所務裁事は気が付いて慌てて口を閉ざし、恐る恐る段上を見上げた。

 芳姫はかつてないほど青い顔をしていた。昨夜遅く敗報が届いた時も衝撃のあまり気が遠くなりかけたが、今朝になって死傷者の数が詳しく分かり、華姫の活躍が伝えられると、一層血の気が引いて、倒れるのではないかと侍女達が恐れるほどだった。

「狐ヶ原の女狐(めぎつね)か。都は噂で持ち切りだな」

 芳姫から目を逸らした財務裁事が渋い顔で言うと、宮社(きゅうしゃ)奉行が頷いた。

宗皇(そうおう)陛下は大変ご心配なさって、戦の経過を侍従(じじゅう)に細かくお尋ねになったとか。統国府にも公式に問い合わせが来ております」

 皇家(おうけ)担当官の言葉を天宮(てんぐう)警護役頭人(とうにん)榊橋(さかきばし)文氏(ふみうじ)が無言で肯定したので、その場の者は一斉に溜め息を吐いた。

「妹のために多くの者を死なせてしまいました。全ては私の責任です。申し訳ありません」

 芳姫が絞り出すような声で言って深く頭を下げると、所務裁事は慌てて慰めた。

「国母様のせいではございませぬ。誰もこれほどの大敗は予想できなかったのでございますから」

「そうです。数でまさる討伐軍に圧勝した敵をほめるしかありますまい。悔しいですが、我等は相手を甘く見ていたのです。誰か一人の責任ではありません」

 そう言った楠島(くすじま)運昌(かずまさ)は、向かいの人物をにらみ付けた。

「国母様はこれほどお心を痛めていらっしゃるというのに、お前は一体戦場で何をしていたのだ!」

 語り合う御前衆の中でただ一人黙って居心地が悪そうにしていた治都(ちと)裁事の菅塚(すげづか)興種(おきたね)は、怒鳴られると不満そうに顔を上げた。

「負けたのはあの女狐のせいだ! 裏切り者が敵に知恵を付けたのだ! そうだ、きっと光子姫が敵に情報を流したに違いない……」

 言い返した興種の声は場の雰囲気に気が付いて尻つぼみになった。

「言葉を慎め。どちらも国母様の妹君だぞ」

 運昌は軽蔑を隠さなかった。

「他人を非難してもお前の行いが正当化されることはない。杏葉公は敗れこそしたものの、最後まで戦場に踏みとどまって討ち死にされた。だが、お前は真っ先に逃げ出したというではないか。それでも副大将か!」

「あの場は逃げるしかなかったのだ。わしは一刻でも早く都に敗北を知らせようと……」

 興種は抗弁したが、人々の視線は冷たかった。興種は本陣が危ないと見るや直照も自家の二千の軍勢も見捨てて海岸に走り、港につないであった連絡用の快速船に飛び乗って都へ逃げ帰ってきたのだ。船の上でも敵が迫ってくる恐ろしさが思い出されるのか、船室に閉じ籠もって頭から布団をかぶって震えていたというので、都では物笑いの種だった。

「まあまあ、過ぎたことをとがめても仕方なかろう。他の諸侯も逃げたことでは同じなのだ」

 唯一の総監としてこの評定を招集した粟津広範が割って入った。

「だが、こやつの醜態は統国府の恥だ!」

 楠島運昌は腹立ちが収まらない様子だったが、仕置総監は「それくらいにしておけ」と止めた。

「敗戦の責任追及は恵国との戦が終わった後ですればよい。それよりも問題はこれからのことだ。まずは杏葉公の後任を決め、今後の方針を考えねばなるまい」

「方針など決まっています。再度討伐軍を編成して手の国へ送り、今度こそ敵を打ち破るのです」

 運昌が言うと、広範は首を振った。

「わしは和平交渉をするべきだと思う」

「なんですと!」

 運昌は驚いたが、裁事達は複雑な表情になったものの何も言わなかった。前もって知らされていたらしい。

「理由は苦しい財政だ」 

 広範は説明した。

「六万五千の討伐軍を送るのに既に七十万両を費やした。再び軍勢を派遣するとなると、次は十万近い大軍になろう。しかも、相手は手強く、長期に渡る対陣が必要になることは明らかだ。軍費は百万両を軽く超えるだろうが、そんな大金がどこにあるというのだ。既に統国府の金蔵は空っぽだ。このまま戦を続ければ財政が破綻(はたん)する。ならば、恵国の要求を呑んで撤兵させた方がよほどよい。恵国軍の戦費の負担は論外だが、銀については大幅な譲歩をしてもよいとわしは思っておる。交換比率を変えたとしても、統国府が損をするわけではないからな。ただ、銀山を恵国が支配するのは非現実的だ。よって、わしは、全諸侯の領地をくまなく検分(けんぶん)して隠し銀山を探し出し、接収して統国府の管理下に置くと約束するつもりだ。もちろん、銀は国内で使用するもの以外は全て恵国へ輸出し、恵国貿易を統国府が統制する。そうすれば隆国への銀の流入は止まって恵国も納得しようし、我が国も潤うだろう」

「しかし!」

 運昌は反論しようとしたが、広範はそれを手で制した。

「不満は分かるが、こらえてもらいたい。既に四つの国を失い、更に西高稲三国の陥落も確実だ。手の国の七国一百四十三万貫が全て敵の手に落ちたも同然なのだぞ。それに、狐ヶ原の合戦では多数の死傷者を出し、多くの民が避難を余儀なくされておる。戦はもう十分ではないか」

「負けを認めるとおっしゃるのか」

 九国総探題の萩矢(はぎや)頼統(よりむね)が尋ねると、広範は「そうだ」と頷いた。

「わしとて悔しい。だが、他に方法がない。戦が長引けば民が苦しむ。もし都が攻撃されて荒廃するようなことになれば取り返しがつかぬ。銀を差し出せば戦は終わり、国が救われるのだ。ここは妥協するしかあるまい。今後は都の防衛に徹し、恵国に和平を働きかけるのだ」

「ううむ……」

 運昌は納得しかねる様子だったが、頼統は言い返さなかった。京師守護の泉代成保も黙っていた。二人とも評定の決定に従うつもりらしい。

「では、武者総監はどなたになさるのですか」

 運昌が尋ねると、広範は治都裁事へ目を向けた。

「わしは菅塚公を()す」

「この者は敗軍の将ですぞ!」

 運昌が耳を疑う様子で聞き返すと、広範は分かっているという顔で、「だが、興種殿は実戦の経験があり、恵国軍のことをよく知っておる」と言った。

「わしは昼前に興種殿から戦の話を聞き、恵国軍の予想以上の強さと、戦って勝利する難しさがよく分かった。興種殿は敗戦を謝罪し、わしの和平の考えに賛同して、全面的な協力を誓ってくれた。なればこそ、わしは興種殿を許し、戦場の現実を知っている者に次の武者総監を務めてもらいたいと言ったのだ。興種殿には狐ヶ原の教訓を活かして玉都を守ってもらい、恵国との戦がいかに困難かを諸侯に理解させる手伝いをしてもらうつもりだ」

「ですが、負けて逃げ戻った菅塚公の就任には反発する者も多いでしょう」

 運昌は興種を横目で見て言った。

「私は萩矢公を次の総監に推します。萩矢公ならば譜代の重鎮で資格は充分。諸侯の評判もよく、実力も申し分ありますまい」

「いや、わしは辞退する」

 頼統は首を振った。

「わしは総大将の(うつわ)ではない。戦うことに(いな)やはないが、誰か他の方の下に付く方がよい」

「では、泉代殿ではどうでしょうか。貫高も二十三万貫と不足はなく、どこからも文句は出ないでしょう」

「私も引き受けるわけにはいかない」

 成保は低く重い声で答えた。

「私は京師守護として、この都を守らねばならない。皇家(おうけ)とこの町の民を守れるのならば、大将が誰であろうと私は構わない」

「しかし、他の適任者など……」

 あなたしかいないと言いたげな運昌の言葉は、段上からの声でさえぎられた。

「私は桑宮道久殿がよいと思います」

 ずっと黙っていた芳姫が口を開いたことに、その場の者達は皆驚いた。

「聞けば、御廻組は無傷とのこと。この都にいるものと合わせれば二万人になります。玉都で最大の兵力を握っている道久殿に武者総監として諸侯を率いて戦ってもらってはどうでしょうか。一万貫とはいえ封主格ですし、私の代理ということにすれば筋は通ると思います」

 芳姫はやっと用意の言葉を言えてほっとしていた。今朝道久がこれを申し出た時、芳姫は最高の人選だと思い、喜んで承知したのだ。道久なら信頼できるし、指示も出しやすい。一ヶ月前は総大将への任命を拒否した芳姫も、今は道久を頼みにしていた。

 芳姫の突然の提案に文武諸官は顔を見合わせた。執務を手伝っているという噂を知っている者達は末席に黙って控えている道久を見て苦い表情になったが、芳姫をはばかったのか、何も言わなかった。

 自然と視線は仕置総監に集まった。広範は道久が帰ってきてから急に執務がはかどり始めたことに思い至ったらしく、あからさまに眉を寄せていた。が、彼が芳姫に答えようとした時、雉田(きじた)元潔(もときよ)が口を挟んだ。

「封主達、特に外様の諸侯の間では、鷲松(わしまつ)巍山(ぎざん)殿の起用を求める声が強いようじゃな」

「巍山殿ですか」

 芳姫は思わぬ名前に驚き、急に不安そうな顔になった。巍山には気を付けろと道久に言われているのだ。

「そうじゃ。巍山殿を武者総監にして次の討伐軍の指揮をとらせてはどうかということらしい」

 内宰(ないさい)の老人は都の噂を披露した。

「巍山殿は武公様と正面から戦って和平に持ち込んだほどの御仁(ごじん)じゃ。かつては四百万貫の領地を持ち、十三万を超える武者を指揮しておったから、大軍の統率にも()けておる。今の貫高でも出兵を命じれば三万の軍勢がすぐに用意できよう。鷲松家は外様じゃが、言われてみれば、あれのほどの実力の持ち主をこの非常時に使わぬのはもったいないという意見が出るのはもっともかも知れぬ」

「鷲松巍山の起用など絶対に認められぬ!」

 広範が珍しく言葉に力を入れて、強く否定した。

「あの者は直孝様と国母様に反逆したのだぞ。あれからまだ一年も経たぬのに赦免などできぬ。何より、巍山は武公様が最も警戒なさっていた人物だ。そんな者を総監に任じるなどあってはならぬ」

「巍山殿を推す封主達の主張は九ヶ月前の罪をこの出兵で(つぐな)わせよということのようじゃな。わしは気が進まぬが、諸侯の意見にも耳を傾けた方がよいのではないかな」

「駄目だ。あの野心家に大兵(たいへい)を握らせるなど危険極まりない。外様の諸侯の意見を聞く必要などない。統国府の決定に逆らうことは許さぬ。方針も人選も我等が決めることだ」

 広範は同輩を叱り付けて黙らせると、道久へ目を向けた。

「桑宮殿の就任も問題にならぬ。国母様の信任が厚いことは知っておるが、諸封主の統率には押しがきかねばならぬ。封主格といっても実質は直参衆の桑宮殿には荷が重過ぎる。やはり、十四万貫の封主であり、統国府の治都裁事として実績もあり、戦場を知っておる興種殿がふさわしい」

 広範はしわがれた声を震わせて言った。

秋芝(あきしば)公が隠居され、杏葉公が亡くなられ、桜舘公が墨浦の守備で身動きできぬ今、武公様に後事を託された者でただ一人都に残っておるこのわしが吼狼国と武守家を守らねばならぬ。そのためには敵国との和平とて避けはせぬ。都を荒廃させるような危険な賭はできぬのだ。和平のためには興種殿を総監に据えるのが最もよい。皆には不満もあろうが反論は認めぬ。現在の統国府の最高官はわしなのだからな」

 平素感情を表さない広範が老人の執念を吐露するように激しい口調で言い切ると、人々は押し黙った。迷った芳姫が道久に問うような視線を投げると、道久は少し考えたが頷いた。それを見た芳姫は決断した。

「分かりました。では、菅塚公にお願いしましょう」

 芳姫は興種に目を向けた。

「道久殿が不適格というのでは仕方ありません。それに、巍山殿の赦免は私も不安です。萩矢公も泉代公も辞退され、他に候補がいないのでしたら、あなたにやってもらうほかありません。頼みますよ」

「ははっ、全力で都と武守家をお守り致します」

 興種は安堵した様子で平伏した。

「和平はお任せ下され」

 広範も頭を下げて誓った。

「ところで、わしから一つ提案があるのじゃが」

 二人が顔を上げたところで元潔が言った。

「今は統国府始まって以来の危機じゃ。討伐軍が敗れたと聞いて、諸封主や都の民はひどく心配しておるじゃろう。そこで、在京の諸侯を会同の間に集めて国母様からお言葉を頂き、粟津公が今後の方針を説明なさってはどうじゃろうか。皆安心するじゃろうし、心を一つにまとめることもできると思うのじゃが」

「それは悪くないかも知れぬ」

 広範が賛成した。

「統国府として和平の方針を周知徹底する必要がある。よい考えだとわしは思う」

 四裁事や執武官達も賛同した。

「国母様はどうお思いですかな」

 決断を迫られた芳姫は、道久を見た。その視線に気が付いた広範は二人を見比べて、眉をひそめた。道久は広範のとがめるような視線には気付かぬ顔で芳姫に小さく頷いた。

「分かりました。明日、大評定を開きましょう」

 芳姫は宣言した。広範は不快げな顔をしたが、平伏して命に服した。


 翌日の昼前、千畳敷きの大広間に居並ぶ在京の諸侯に、芳姫は赤い錦織の座布団から立ち上がって語りかけた。

「狐ヶ原で命を懸けて戦って下さった方々、そして都を守って頂いている方々に、国母として心よりお礼を申し上げます。また、このたびの敗戦は私の不徳の致すところです。お詫び申し上げます」

 芳姫が深々と頭を下げると、諸侯からどよめきが起こった。体を起こした芳姫は、きっと顔を上げ、広間を見渡した。

「最初の合戦には負けました。ですが、これで終わりではありません。まだこの国を救う方法は残っています。統国府では今後の方針を慎重に検討し、決定致しました。これから仕置総監がそれをご説明致しますが、どうかご協力を賜りますよう、お願い申し上げます」

 もう一度頭を下げた芳姫が座ると、諸侯は一斉に平伏した。芳姫の心痛と必死さが伝わったのか、美貌の国母の訴えに多くの者が心を動かされた様子だった。

 だが、かわって立ち上がった広範が興種の武者総監就任と和平の方針を説明すると、空気は一変した。

「和平とはどういうことだ!」

「武家の国が敵に屈するというのか!」

 腹心を総監にして権力を掌握し、交渉で戦を収束させようとする広範に対し、和平など屈辱だと譜代の封主家から猛然と反対の声が上がった。外様の諸侯は黙っていたが、表情を見れば憤慨(ふんがい)しているのは明らかだった。

 高稲半島の半分が占領されたとはいえ、まだ負けが決まったわけではない。戦場に行っていない諸侯は戦いはこれからだと思っていた。また、和平の条件を聞けば、これが事実上の降伏であることは誰でも分かった。侵略者に対する怒りと吼狼国武家の誇りに、手柄を立てて加増に預かりたいという思惑が加わって、統国府の弱腰と広範の強引なやり方に不満が噴き出したのだ。

 もう一つ、多くの諸侯が反発した理由として、全封主家の領内を検分して隠し銀山を探すという提案があった。領内を探られ、施政に口を出されるのではないかと疑ったのだ。鉱山の規模や場所によっては転封(てんぽう)される可能性もある。鉱山がなかったとしても、天下統一後に開発した新田(しんでん)を調べられて隠していた収入を知られたら、今後統国府が行う土木工事などで重い負担を命じられるかも知れない。

「恵国とは断固戦うべきだ!」

「再び大軍を編成せよ!」

「臆病者に武者総監など務まらぬ!」

 譜代の若い封主達が口々に叫ぶ中、栄木国(さかえぎのくに)半国十二万貫の封主、非木(ひき)持朝(もちとも)が手を挙げて立ち上がった。

「そもそも、狐ヶ原で負けたのは小荷駄隊の到着が遅れたからではないか! 敵が飢えるのを待ってから叩くという作戦が採れず、無理な合戦を挑まざるを得なかったのは、行李(こうり)奉行の不手際が原因なのだ!」

 諸侯の視線を浴びて、戦陣から先程戻ってきたばかりの数人の封主が立ち上がった。食料と武器の不足と開戦やむなきに至った事情が語られると、それまで黙っていた小封主や年配の者達まで怒りを露わにして追及に加わった。

「責任者の滝堂(たきどう)永兼(ながかね)をここへ引き出して事情を説明させろ!」

「監督者である財務裁事も罷免(ひめん)しろ!」

「仕置総監にも責任はある! 粟津公には謝罪と関係者の処分を要求する!」

 非難の矛先は遂には統国府の御前衆(ごぜんしゅう)全体に向けられたが、非木(ひき)持朝(もちとも)は諸侯を一旦黙らせて提案した。

「敗戦の責任者である菅塚公の総監就任は断じて認められぬ。ここは戦場経験の豊富な方を起用すべきだ。だが、豊梨実護公は戦死され、桜舘家のご老公には長斜峰(なはすね)半島を守って頂かねばならぬ。となれば、適任者は鷲松巍山殿以外にいらっしゃらぬ。今は謹慎中だが、罪を許して第二次討伐軍の指揮をとって頂いてはどうだろうか」

 この発言に、若い封主達から次々と賛同の声が上がった。

「そうだ! 巍山殿を総監にすればよいのだ!」

「確かにあの方なら恵国軍に勝てるに違いない!」

「この非常事態だ。外様でもやむを得ぬ。粟津公が都におられれば問題あるまい!」

「巍山殿の軍勢になら喜んで参加する!」

 半分は大金に目がくらんで鷲松家の味方に引き込まれた封主達だったが、出陣に積極的な諸侯の多くもこの提案に賛成した。武公と互角に戦った名将として巍山の戦上手は広く知られていたし、戦場経験のない若い諸侯は戦う意欲はあっても実戦は不安だったので、歴戦の武将の指揮下に入りたかったのだ。半年前の直孝就任時の件を忘れていない譜代の大封主達は苦い顔をしていたが、巍山の総監就任を支持する声の方が大きかった。

 だが、広範は拒絶した。

「巍山殿の復権はあり得ぬ」

 仕置総監は大声で言い返した。

「武守家の最大の敵にして直孝様に反抗した者など到底信用できぬ。和平に戦上手は必要ない。赦免など問題にならぬ」

 広範の言葉に広間は大騒ぎとなった。譜代封主達は次々に立ち上がって和平反対を唱え、ついには外様の諸侯まで加わって広範と御前衆の横暴を非難し、非木公の提案を受け入れるように求めた。 

「もはやこの事態は御前衆の手に余ろう。譜代外様関係なく、実力ある諸侯の力を借りるべきだ!」

「力を合わせて外敵に立ち向かわねばならぬ時に、体面や過去にこだわるべきではない! 皆の意見を聞いて取り入れよ。御前衆の都合を押し付けるな!」

「巍山殿には我々の陳情を何度も元狼公様に届けて頂いた。譜代の秋芝(あきしば)公や杏葉公よりよほど外様の気持ちを分かって下さったのだ。あの方の(もと)で戦いたい」

 もはや譜代外様の別や身代の大きさといった序列に関係なく、諸侯は自分の意見を叫び、御前衆を批判していた。半年前には想像もできなかったこの光景を前に、制止するべき譜代の重鎮達は沈黙していた。それほどの勢いだったということもあるが、彼等の気持ちがよく分かったからだった。

 近年の全国的な不景気や諸侯の苦しい財政に対して統国府は有効な手を打てなかった。秋芝定堅や粟津広範は三十年変わらぬ施政方針を維持しようとするだけで、時代を切り開き、問題を根本的に解決しようとしてこなかったのだ。武公の英名や直信の人気の陰で、我慢を強いられた諸侯の苛立ちは募っていた。特に統国府の(まつりごと)に口を出せない外様の諸侯は、溜め込んでいた国政への不平をまとめてぶつけるかのように、どこかうれしげに叫んでいた。

「静まりなされ!」

 収拾がつかなくなりかけた時、内宰の雉田元潔のしゃがれた大声が会同の間に響き渡った。

「国母様の御前である。皆、落ち着くのじゃ!」

 諸侯は段上へ目を向けて、国母が青い顔で唇を固く結んでうつむいていることに気が付き、ようやく口を閉ざした。

「とにかく座りなされ」

 元潔の言葉に諸侯は渋々腰を下ろしたので、芳姫はほっとし、いよいよだと思った。昨夜の道久との打ち合わせでは、ここで元潔が海国丸事件と銀の横流しの犯人を暴露して広範を批判し、罷免を言い出すことになっていた。場の混乱を収拾するためにそれを受け入れた芳姫は、道久を武者総監に、元潔を仕置総監に任命して会を閉じる予定だった。

 道久は当初御前評定で芳姫に自分達を総監に指名させようと考えていたが、広範の和平の方針を知って諸侯の反発を予想し、大評定の開催という元潔の提案に乗ることにした。公開の場で広範を失脚させて取ってかわった方が、後々不満が出ても芳姫直々の任命と封主達の承認を盾にできるので有利だろうと判断したのだ。

 広範の罷免に最初は難色を示した芳姫も、興種と永兼が海国丸事件の黒幕だと聞かされて心を決めた。広範が加担していたとは思わないが、下役(したやく)からそのような不届き者を出した責任は重い。もしこれを諸侯に知られれば統国府は非難の的になる。ならば思い切ってこちらから公表し、広範と罪に手を染めた二人を罷免して新体制を作った方がよいという道久の進言に、芳姫は頷いたのだった。

 芳姫は用意の言葉を思い浮かべて身構えたが、元潔は黙っていた。座の混乱は静めたが発言はしないとばかりに端座している。驚いた芳姫が視線を向けると、老人は目を逸らした。

 どういうことかと芳姫が焦っていると、粟津広範が立ち上がった。仕置総監は座を見渡して宣言した。

「和平は統国府の決定だ。国母様も承認された。反対する者は反逆者として厳しく処罰する」

 静まり返った広間に、広範のしわがれた声が響いた。

「先の合戦で分かった通り、恵国軍は強い。これ以上の戦は吼狼国のためにならぬ」

 広範は強い口調で言い切った。

「わしは必ずこの戦を収めてみせる。明日、和平の使者を送るつもりだ。皆には是非協力してもらいたい。国母様、よろしいですな」

 諸侯の視線が芳姫に集中した。返答に迷った芳姫は広間を見渡した。諸将の顔を見れば、誰もが否定することを望んでいることは明らかだった。

 広範を見上げると、強いまなざしで同意を迫っていた。芳姫は私も和平には反対だと言いたかったが、仕置総監の顔はそれを許さないものだった。それに、この場に道久はいなかった。彼はあくまで封主格で実質は直参の身分なので、この広間に入れないのだ。結局芳姫は頷くほかなかった。

「では、本日の大評定はここまでとする」

 解散を宣言すると、広範は芳姫に平伏した。満座の諸侯もそれにならった。立ち上がった芳姫は、諸封主の冷たいまなざしを感じながら会同の間を後にした。

 芳姫が去ると、広範は興種らと共に引き上げた。それを見届けた諸侯も、興奮した口調で意見を交わしながら、三々五々と大広間を去っていった。


 その日の日没後、夕食を終えた芳姫は、自室で執務用の文机に突っ伏していた。

 膝を左右に崩し、木の肌に頬をくっつけたまま、疲れた顔で文机の右下に積み上がっている未処理の書簡へ目を向けて、芳姫は何度目とも知れぬ溜め息を吐いた。

 指示を書き込んだものを置くはずの左側には一つも書簡がなかった。午前の大評定の後、いつものように作業を始めたが、全く集中できず、結局一通も終えられなかったのだ。今もまた、無理をしてここに座ってみたが、文字を目で追っても内容が頭に入ってこなかった。

 気持ちを乱しているのは、あの大評定だった。覚悟していたとはいえ、あれほど荒れた評定は初めてで、大勢の封主達の怒号が自分に対する非難に聞こえて芳姫は怯えた。やはり女に武家の棟梁の代理は務まらぬと言いたげな顔をしていた封主も少なくなかったのだ。

 それに、道久や元潔の考えもよく分からなかった。元潔は予定の発言をしなかったし、これからのことを尋ねようと午後はずっと部屋で待っていたのに、道久は来なかったのだ。

「私は一体どうしたらよいのかしら」

 芳姫は途方に暮れていた。

 道久や諸侯が主張するように、恵国軍と戦って勝つのが最善であることは分かっている。屈辱的な講和など芳姫とてしたくなかったし、故郷を占領して父や直照を殺した侵略者に対する怒りはもちろんある。

 だが、その一方で、三万という大量の死傷者に芳姫は()気付(けづ)いていた。半月前に大手門の櫓の上で見送った武者達の二人に一人が傷付き倒れたのだ。それを思うと身が震えるほど恐ろしかった。広範の言う通り、直孝を守り戦を早く終わらせるには和平しかないという気もするのだ。

 こういう時こそ道久にそばにいて欲しかった。自分には何も決められない。誰か頼れる人にすがって全てを任せてしまえたら、どれほど気持ちが楽になることか。

 自分の無力に打ちのめされて、目の前に開いたままになっている書簡の黒い文字をぼんやりと見つめていると、廊下から侍女の声がした。返事をすると、お(たつ)が襖を開けた。

「桑宮様が面会をお望みです。お通ししてよろしいですか」

「すぐに通しなさい」

 芳姫は即答した。

 しばらくして部屋に入ってきた道久は、体を起こし、きちんと正座して待っていた芳姫に平伏すると、早速用件を切り出した。

「こんな時刻に突然申し訳ございません。実は、芳姫様にお願いがあって参りました。御前評定を開いて頂きたいのです。緊急に話し合わねばならないことがございます」

「何についてかしら」

 芳姫の口調が多少素っ気なくなってしまったのは仕方がない。やっと来てくれたと思ったら別件らしいのでがっかりしたのだ。

 それに気付かぬように、道久は鄭重な落ち着いた態度で告げた。

「議題は粟津広範の総監罷免と鷲松巍山の赦免です」

 絶句した芳姫は、胸を押さえて一呼吸してから尋ねた。

「どういうことかしら」

「本日の大評定でできなかったことを今夜行うのでございます」

 道久は芳姫に深々と頭を下げた。

「想定通りに事が運ばず、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。雉田公も、とても言い出せる雰囲気ではなかったのでやむを得なかったが、国母様には申し訳なかったとおっしゃっていました。もし、あの場で雉田公が予定の提案をすれば、巍山を推す声が通ってしまったに違いありません。そして、力の均衡を取るために、結局は粟津公も留任となったでしょう。これまでの実績と武守家への忠誠、三十万貫を領する譜代の重鎮であることを考えれば、他に適任者はおりません。我々の総監任命は拒否され、巍山は失脚以前よりずっと強い権力と、大軍の指揮権を得ます。外様を味方に付けた巍山と、譜代の大封主家に支持されている粟津公は恐らく杏葉公の時以上に激しく対立して、芳姫様はお困りになるでしょうが、戦に勝てば巍山の勢力が粟津公を大きく凌駕(りょうが)し、やがて統国府は乗っ取られてしまいます。それでは意味がありません。芳姫様と直孝様のお命の安全のためにも、巍山の台頭(たいとう)は防がなくてはならないのです。しかしながら」

 と、道久は言葉を切って、悔しげな顔になった。

「巍山を赦免するほかなくなりました。申し訳ございません」

 謝罪する道久に、芳姫は目で先を促した。

「現在、鷲松邸に多くの封主達が兵を率いて集結しつつあります。このままでは都で戦が起きるかも知れません」

 道久の説明を聞いて、芳姫は顔から血の気が引くのを感じた。

「大評定の決定に不服な諸侯を鷲松家に近い非木公などが中心となってまとめ上げ、巍山を総大将とする第二次討伐軍の編成を要求する動きを見せております。非木公の呼びかけに応じて集まった封主は数十人に上り、玉都守備の諸侯の軍勢のほか、屋敷の警備兵を増やしていた封主家も多いため、その兵数は侮れません。驚いた粟津家は屋敷の守りを固めて防戦の構えをしつつ、御廻組と京師守護所に助けを求めて参りました。現在、泉代公と私が都の各所に兵を置いて両者の接触を防いでおりますが、人数では圧倒的に巍山側が優勢ですので、放っておけばいずれ粟津公は討ち取られてしまうでしょう」

 味方する諸侯の武者達に加え、鷲松家は突然どこからか湧いてきた五千もの軍勢を屋敷に入れた。都の東西には堅固な城壁があるが、どんな手を使ったのか通過を許されたらしい。巍山側の兵数は三万を超え、これを抑えられるのは御廻組一万二千だけだったため、道久は今まで泉代成保の京師守護所勢五千と協力して両者の衝突の回避に奔走(ほんそう)していたのだ。

「でも、なぜそのようなことに……」

「小荷駄隊の出発の遅れは、和平工作をねらう粟津公の意を受けた副大将の菅塚興種と行李奉行の滝堂永兼が故意にそうさせたのだという噂が都に広がったためです。また、統国府の銀を横流しし、華姫様の乗った船を襲わせたのもこの両名で、武公様ご存命の頃から大灘屋と癒着(ゆちゃく)していたらしいという情報も流れております」

「どこから情報が漏れたのですか」

 驚く芳姫に、道久は首を振った。

「分かりません。ですが、既に都はこの噂で持ち切りです。大灘屋は怒った多数の民に襲われて打ち壊されました。京師守護所の武者が出動して騒ぎの拡大は抑えましたが、当主の仁兵衛と大番頭の長次、鳴沼継村と家老の頃田剛辰と三十名の家臣は、安全確保のためと理由を付けて連行し、守護所の牢に入れました」

「なんということ……」

 芳姫は続ける言葉がなかった。

「激怒した諸侯は、二人の捕縛と上役である粟津公の罷免を求めています。こちらが先に三人を罰していればこのような事態は避けられたはずでした。申し訳ございません」

 道久は謝ったが、噂を広めたのは道久本人と雉田元潔だった。

 大評定で巍山を押す声が予想外に大きくなったことには、会同の間の襖の陰で呼ばれるのを待っていた道久も驚いた。諸侯は停滞する経済と厳しい財政に頭を痛めて変革を求めていたが、広範は総馬揃えの改革に反対し、ひたすら武公時代のやり方を守ろうとしたため人気がなかったのだ。巍山の復権は避けられないと悟った道久は、諸侯の動きを知ると急遽(きゅうきょ)元潔と相談して、むしろ巍山と積極的に手を組むべきだという結論に達し、手分けして諸侯に興種と永兼の悪事を話して回ったのだった。

「このままでは和平を承認した芳姫様まで広範の言いなりだったと非難されましょう。直孝様と芳姫様に危害を加えるような不届き者はいないと信じておりますが、念のため、御廻組に城門を固めさせております。パシクも衛門所の衛士全員を招集して警戒しております」

「私はどうすればよいのでしょうか。全てあなたの言う通りにします」

 国母としても女性としても危険極まりない発言だったが、芳姫は本気だった。事態が既に自分の手に負えないことははっきりしていたからだ。

「私に考えがあります」

 芳姫の言葉に道久は思わず口元をゆるめたが、すぐに真面目な顔に戻って言った。

「まず、粟津公を罷免なさいませ」

 芳姫は頷いた。こうなっては、もはやかばいようがないことは明らかだった。

「次に、和平も撤回なさって下さい」

 これにも芳姫は同意した。道久の判断に従うよりなかったのだ。

「そして、鷲松巍山を赦免します」

 芳姫は問うように道久を見た。成り行きからしてやむを得ないことと分かってはいるが、道久が巍山の危険性を説いたのはたった三日前だし、去年の逮捕劇の記憶はまだ生々しかったのだ。

「私と致しましても大変不本意ではございますが、もはや他に方法はございません。いつの間にか、和平反対を唱える諸侯の中心は巍山になっています。ここで赦免を拒否すれば、怒った諸侯が暴発するでしょう。巍山は封主達に金をばらまいて味方に引き込んでいたのです。結束は想像以上に固いと見るべきです。数十人の諸侯と三万の兵を動かせる相手を敵に回すのは得策ではありません。芳姫様直々(じきじき)のご命令で赦免することで恩を売り、味方に引き込むのです」

 不安そうな芳姫に道久は説明した。

「芳姫様には御前評定の開始後すぐに巍山を呼び出して頂きます。御前で赦免を申し渡し、討伐軍に加わって敵を破ることで昨年の罪を償うように命令するのです。続いて、粟津公を罷免し、予定通り雉田元潔殿を仕置総監に、私を武者総監と第二次討伐軍の総大将にお命じ下さい」

「それは構いませんが、諸侯が納得するでしょうか」

 巍山を総監にせよと言い張るかも知れなかった。

「そのために、私がこれから巍山に会って参ります。赦免して討伐軍に副大将として加える代わりに、私の総監就任を認めさせるのです。巍山は総監の地位に野心があるでしょうが、大評定で譜代の大封主家の多くが巍山の就任に賛成の発言をしなかったことで、外様の身でいきなり就くのは難しいと思っているでしょう。ですから、手柄を立てれば考えると言えば喜んで協力するはずです。もちろん、総大将の私が巍山に勝手なまねはさせません。彼を戦の功績で総監にせざるを得なくなった時は、私を大翼(だいよく)にお任じ下さればよいのです。万が一巍山が直孝様や芳姫様に刃向かうようなことがございましても、私が必ずお二人をお守り致します」

 芳姫はしばらく迷ったが、結局頷いた。

「分かりました。巍山殿を赦免しましょう。あなたを信じます」

 道久の悔しげな口ぶりからすると本当に他に方法がないのだろうし、総監となった道久は今まで以上に自分を輔佐してくれるはずだ。巍山は恐ろしいが、息子を守れて孤独と重い責任に苦しまずに済むのなら、芳姫にとって多少の譲歩は問題ではなかった。

「頼みますよ」

 芳姫はついすがるような口調になった。道久は安心させるように「お任せ下さい」と力を入れて返事をした。

 ようやく安堵した表情になった芳姫に平伏しながら、道久は薄い笑みを口元に浮かべた。巍山は邪魔だが、あの古狸を抱き込むことができれば念願の総監になれるのだ。

「では、私はこれより巍山の説得に向かいます。芳姫様は御前評定を開くため、粟津公や御前衆を招集なさって下さい」

 芳姫の部屋を出た道久は、少数の護衛兵だけを連れて鷲松邸に乗り込んだ。

 面会した巍山は道久の話を聞くと、しばらく考えて提案を全て受け入れたが、登城だけは難色を示した。

「何せ半年前の例があるからのう」

 巍山は笑っていたが、ぎょろりとした目は鋭かった。

「身一つで行ってまた捕まりたくはない。武者の同行を認めてもらえぬか」

 道久は望天城に武者を入れることは何人(なんぴと)にも許されないと説得したが、巍山はこれだけは譲れぬと言い張った。道久はやむなく折れ、使者を芳姫の元に送って許可を願った。返事を待つ間、道久は巍山と第二次討伐軍の編成について意見を交わし、できるだけ鷲松家の影響力を減らしたい道久は、三万の兵を提供するという巍山ともっと少なくてよいと押し問答をしたが、そこへ芳姫から武者の同行を特別に認めるという返事が来て続きは後日となった。

 既に日が沈み、真っ暗な空に軍勢のたいまつが明々と燃える中、道久の帰りを待って御前評定が始まった。

「夜更けに急にお呼び立てして申し訳ありません」

 芳姫は広範と元潔、四裁事六衛職八奉行を前に挨拶した。

「都の騒ぎは皆様もご承知のことと思います。その件でお集まり頂きました」

 粟津広範が不機嫌そうに尋ねた。

「国母様、これは一体何事ですかな」

 仕置総監はひどく腹を立てていた。都の真ん中で多数の諸侯が武装した武者を集めて総監や裁事の罷免を求めるという前代未聞の事態が起こっているのというのに、御廻組も京師守護所も統国府に反抗するけしからん者どもを排除しようとしない。何度要請しても動かない道久と成保(なりやす)に不満を募らせていたところへ、国母から使いが来た。芳姫の招集する御前評定など初めてのことだったので、広範が不審に思ったのは当然だった。

「まさかあの連中に屈するのではありますまいな」

 その問いには答えず、芳姫は一座を見渡して言った。

「評定を始める前にここにお呼びする方がいます。鷲松公です」

「なんですと! 御前評定に他の者を加えるとおっしゃるのですか。そんな前例はありませぬぞ」

 広範はますます眉をつり上げたが、覚悟していたことなので芳姫は落ち着いていた。

「都の騒動の中心人物である鷲松公をこの場に招いて、事態の収拾を図ろうと思うのです」

「だが、あの者は謹慎中ですぞ」

 広範が抗議した時、大勢の足音が近付いてきた。

「鷲松公をお連れしました」

 襖の外から声がした。

「お入りなさい」

 芳姫が答えると、いきなり襖が左右に大きく開き、数十人の鎧武者が広間になだれ込んで評定の参加者達を取り囲んだ。

「どういうことだ!」

 立ち上がろうとした道久は、武者に抜き身の刀を突き付けられて動きを封じられた。

「無礼者! ここをどこだと思っておる!」

 広範が一喝したが、武者達は無表情のまま剣先を仕置総監の首元に近付けただけだった。

「静まりなされ」

 武者達の間から巍山が現れた。

「この城は既に占拠した。抵抗は無駄ですぞ」

「どうやって城に兵を入れた!」

 広範が叱り付けた。

「今すぐ兵を引け!」

「それはできぬな。それに、国母様の許可は頂いておる」

 文武諸官の視線が芳姫に、次いでその視線をたどって道久に集まった。

「これがねらいだったのか」

 道久は唸った。

「連れてこい」

 巍山が背後へ命じると、幼い元狼公が数人の武者に囲まれて部屋に入ってきた。

「直孝様!」

 芳姫の声は震えていた。

「母上!」

 幼い元狼公は母の方へ駆け寄ろうとしたが、武者達が腕をつかんで引き戻した。

「直孝様に何をするのですか!」

 芳姫は腰を浮かせて叫んだが、巍山の鋭い視線に射抜かれて震え上がり、行く手をさえぎるように突き出された数本の刀の前に、伸ばした腕を力なく下ろした。

「これからわしの要求を申し上げる。反論は認めませぬ。拒絶すればどうなるか、お分かりですな」

 座を見渡した巍山は、芳姫に向かって言った。

「要求は五つ。まず、わしと直利様と広芽の方を赦免すること。次に、仕置総監の粟津広範を罷免すること。第三に菅塚興種と滝堂永兼の職を免じて捕縛すること。第四に、桑宮道久を追放すること」

 巍山は肉が垂れた頬に不気味な笑みを浮かべた。

「狐ヶ原で杏葉公が討ち死にしたのも、合戦の敗北が決定的になったのも、御廻組の早期の撤退が原因だ。御廻組が踏みとどまっておれば勢いに乗った恵国軍とて容易には本陣を落とせず、ましてや総大将を討つことなどかなわなかったと、あの戦場におった者達は皆、口をそろえて申しておる。御廻組に戦わずに引けと指示を出したのは田美国へ行っていた桑宮だ。部隊に先行して都へ戻ってきた簾形(すのがた)建澄(たけずみ)を締め上げたら白状しおったわ」

「本当なのですか!」

 芳姫が顔を向けると、道久は巍山をにらみ付けたが、主君の視線から悔しそうに顔を背けた。蒼白になった芳姫を見てにやりとした巍山は言葉を続けた。

「菅塚と滝堂に小荷駄隊を遅らせろとそそのかしたのがお前であることも、立ち聞きしていた人物が証言しておる。討伐軍大敗の元凶は桑宮道久だ。よって二人と共に捕縛し、御廻組頭を解任する」

 巍山は(さげす)むような視線を道久に向けた。

「国母様に取り入って権力を握ろうとするような危険な人物は排除せねばならぬ。お前の動きは筒抜けだったのだ。雉田殿からな」

 道久が驚いて振り向くと、内宰の老人は欲深そうな笑みをしわだらけの顔に浮かべていた。

「お主は巍山殿に密貿易船のことで脅しをかけたそうじゃが、なぜ斑畠国(はだれはたのくに)から都へ報告が届かぬのかまでは気付かなんだようじゃの」

「お前が口止めしていたのか」

 道久は歯がみした。

「あの国は武守家の御料地じゃし、望天城で食べる干し魚の一部は豊魚(とよお)半島で作っておる。わしの息のかかった者が多いのじゃよ」

 元潔は愉快でたまらぬように、かっかっかと笑った。

「わしの領国は首の国じゃ。戦狼の世には鷲松家の領地じゃった土地じゃから、旧領主の巍山殿には随分と世話になっておるのじゃ。隆国貿易にはわしも一口乗っておっての。何せ、船が領国の沿岸を通るのじゃ。知らぬはずがあるまい」

 元潔の領国の片籠国(かたかごのくに)は狼の耳に当たり、紅日岬(くびみさき)半島から北東へ突き出しているので、大きく開かれた口の最奥(さいおう)に位置する鹿戸(かど)港から出航する広芽国(ひろめのくに)の船は、背の海方面へ抜ける時に必ず沖を通過することになる。

「それから、秘密の話はもっと小声ですることじゃ。興種と永兼の悲鳴が隣の部屋におったわしにもよう聞こえたわ。今日、西の関所の武者達に命じて鷲松家の軍勢を都に入れさせたのも、このわしじゃよ」

 元潔の言葉を薄笑いを浮かべて聞いていた巍山は、信じられないという顔つきで道久を見つめている芳姫に迫った。

「状況は分かりましたな。では、この四人の逮捕命令をお出し下され」

 巍山の言葉で芳姫は我に返り、慌てて座を見回して救いを求めたが、誰もが黙っていた。楠島(くすじま)運昌(かずまさ)は悔しげに顔を歪ませ、萩矢(はぎや)頼統(よりむね)は眉を寄せ、泉代(いずしろ)成保(なりやす)も無表情な中に巍山に対する批判が感じられたが、三人とも何も言わなかった。ここで反抗しても自分が失脚するだけで意味がないことは明白だったからだ。

「国母様、何を迷っておられる。ご子息の命をわしが握っておることを忘れてはおらぬでしょうな」

 芳姫に迫った巍山は直孝を顎でしゃくった。

「だが、この子供にはまだ利用価値がありますのでな。さあ、桑宮の逮捕をお命じ下され」

 芳姫は声が出なかった。

 ここで捕まれば、道久はもう二度と自分の前に現れないだろう。巍山は芳姫自身と直孝のために道久を切り捨てろと要求しているのだ。この状況ではそうする以外に方法がないことは分かっていたが、芳姫は迷った。道久を失えば、数日前までの孤独が戻ってくるのだ。

 だが、道久が裏で陰謀を巡らせていたことに、芳姫は大きな衝撃を受けていた。自分には絶対に忠実なはずと信じていたのに、彼のやさしさや誠実さは一体どこまで本当だったのかと、疑念と不安が心の奥からどんどん湧き上がってくる。道久の恋情までが嘘だったように思われて、自分は彼の野望を実現するために利用されていただけではないかという声が、頭の中をぐるぐると回って思考をかき乱していた。

「国母様、早くご決断下され」

 雉田元潔が低い声で促した。

 芳姫は顔を上げて、もう一度広間を見渡した。視線は道久で止まった。道久はじっと芳姫を見つめていた。

「道久殿は私をだましていたのですか」

 思わず口から言葉がこぼれた。言ってしまってから芳姫は自分の言葉に動揺した。慌てる芳姫を憐れむようなやさしいまなざしで見た道久は、深々と頭を下げた。

「申し訳ございません。お怒りは覚悟しております」

 芳姫がまじまじと顔を見つめると、道久は疑いの視線に耐えかねたように顔を伏せた。

「逮捕命令をお出し下さい。私に構う必要はありません」

 道久は視線を逸らしたまま言った。

「直孝様のためです」

 芳姫は息子へ目を向けた。自分にとって何よりも大切なものは息子のはずだった。

「いやです! 道久先生! 母上、駄目です!」

 直孝がわめいて暴れ出したが、たちまち兵士に口を押さえられた。

 必死でもがいていた息子が大人しくなると、芳姫は再び道久の男らしい端正な顔へ目を向けた。感情を無理に抑え込んだ道久の横顔は、十年前の婚礼の席を思い出させた。

 不意に、芳姫の目に涙が浮かんだ。盛り上がった涙はすぐにあふれ、頬をこぼれ落ちた。それを感じて芳姫は驚き、自分が道久を裏切りたくないことを知った。だまされたこと以上に、道久を切り捨てることが芳姫にはつらかったのだ。

 この時初めて、芳姫は心の底から道久を失いたくないと思った。ここで彼を手放せば二度と手に入らぬ何かを永久に失ってしまうと感じたのだ。

 道久はただの家臣ではなかった。芳姫にとって道久は特別だった。初めて会った時からずっとそうだった。そのことに、相手を捨て去る間際になって、芳姫はようやく気が付いたのだった。

 芳姫は、自分には道久を責める資格はないと思った。芳姫もまた道久の想いを利用して寄りかかり、それでも常に忠実で愛し続けてくれる彼にずっと甘えてきた。国母になってからは特にそうだった。その報いが遂に来たのだ。

 芳姫はうなだれて畳に両手を付いた。その甲に涙が次々と落ちた。このまま何もかも投げ出して泣き崩れてしまいたかったが、直孝を助けなくてはならないという思いが、それを何とか押し止めていた。

「……分かりました」

 とうとう芳姫はかすれた声で巍山に告げた。

「言う通りにします。あなた方を赦免し、四人を罷免致しましょう」

 小さな声だったが、しんとした室内にはよく響いた。運昌(かずまさ)が溜め息を吐き、何人かが身じろぎした。

「よろしい」

 巍山は不愉快そうに道久をにらむと、冷ややかに言った。

「物分かりがよろしくて助かりますな。では五つ目の要求を申し上げる」

 巍山は評定の参加者を傲然(ごうぜん)と見回すと、国母に告げた。

「直利様を統国副元帥に、わしを大翼(だいよく)に、雉田元潔殿を仕置総監に、非木持朝(もちとも)殿を武者総監に任命して頂きたい」

「統国府を乗っ取る気か!」

 広範が叫んだが、他の人々は沈黙していた。

「分かりました。あなたを大翼と認めましょう」

 芳姫は涙をこぼし続けながら、これも受け入れた。

「では、大翼として命じる。粟津・菅塚・滝堂・桑宮を捕縛せよ」

 武者達が動き、四人を立たせて両脇から腕を拘束した。

「連れて行け」

 巍山が顎をしゃくると、武者達に促されて虜囚(りょしゅう)達は歩き出した。

 評定の間を出て行く時、道久は足を止めて振り返り、直孝へ、次いで芳姫へ目を向けた。うつむいていた芳姫が視線に気付いて顔を上げると、道久は透徹(とうてつ)したまなざしで、(いと)しい女人の真っ赤な目を見つめ返し、深々と頭を下げた。

「お二人とも、どうかご無事で」

 道久は言葉の出ない芳姫のすがるような視線に背を向けると、大人しく連行されていった。

「では、御前評定を再開する」

 広範のいた場所に座った巍山が宣言した。

「まず、今後の方針だ。わしは和平を撤回し、武家らしく徹底的に抗戦して恵国軍をこの国から追い払うつもりだ。早急(さっきゅう)に前回を上回る大軍を編成し、わし自身が率いて討伐に向かうが、異論はないな……」

 巍山が次々と命令を下す中、芳姫は放心したように腹心が去って行った廊下へ目を向けていた。その母を、直孝は悔しさと悲しみの涙に濡れた顔で、心配そうに見つめていた。


「元狼公武守直孝様の御名(みな)において軍役(ぐんえき)を申し付ける」

 その夜、突然望天城に呼ばれて会同の間に集められた諸侯は、段上の芳姫とその前に立つ巍山に驚きながら平伏した。

「国母様は、武守直利様を総大将、わしを副将とする第二次討伐軍の派遣をお命じになった。兵を出す諸侯の名を非木持朝殿から発表して頂く」

 三十二歳の新しい武者総監は、鷲松家の三万を筆頭に、合計五十八名、総勢十万に及ぶ大軍の編成を(ろう)(ろう)と読み上げていった。その声を聞きながら、諸侯は外様封主初の大翼と真っ青な顔でうつむいている国母を見比べて政変が起こったことを悟ったが、黙って軍令に従った。

 その理由は、巍山が多数の武者を都とこの城に配置し、直孝を奥向きに押し込めて監視している以上、どうしようもなかったからだが、同時に諸侯はこれから始まる未曾有(みぞう)大戦(おおいくさ)に強く興味を引かれてもいたのだ。戦狼の世生き残りの名将が率いる全国の吼狼国武家と、海の向こうから襲来した老大国の強大な軍勢の激突が、今ここに現実のものになろうとしている。名と武者の数を告げられて、「(うけたまわ)りました!」と大声で返答して平伏していく封主家の数のあまりの多さに、諸侯の胸は打ち震えた。千畳敷きの大広間に居並ぶ数多(あまた)の封主達は、皆一様に自分が歴史の大きなうねりのただ中にいることを実感していたのだった。

 蓮月(はすづき)下旬の酷暑の中、巍山は十万四千の大軍を率い、大量の物資を載せた数百台の荷車を従えて都を後にした。

 慎重な巍山は軍勢の準備に権力掌握から三ヶ月近い時間をかけた。遠い自領からわざわざ軍勢を呼び寄せ、本陣周辺は縁戚の封主家を中心に自分に忠実な者で固めた。都には雉田元潔や非木持朝などを残し、芳姫と直孝や在京の諸侯を監視させた。また、天宮(てんぐう)に運動して宗皇から(じき)(じき)節刀(せっとう)を受け、拡翼(かくよく)守国(しゅこく)大将軍に任命されて形式を整えた。これらを恵国軍を破った後で武守家にかわって新たな政権を築くための布石(ふせき)と見て警戒する諸侯も少なくなかったが、沿道には数万の群衆が集まって手を振り、救国の英雄の誕生に期待をかけていた。

 守国軍の長い隊列の中には、兄の名代(みょうだい)として蓮山(はすやま)家の四千人を率いる英綱(ひでつな)も含まれていた。常に雪で白い神雲山の頂きと、その周りを衿巻(えりま)きのように覆う円い雲を見上げて、馬で西国街道を急ぐ英綱は、春の終わりの見合いを思い出した。

 光姫とのやりとりを懐かしんでかすかに微笑むと、英綱は兜の上に巻いてある青い鉢巻きに指で触れた。家紋の蓮花(れんか)を白い糸で縫い取ったそれは、都の茶店の町娘が、通りかかった武者の列の前に飛び出して、真っ赤な顔で差し出したものだった。

「お、お気を付けて!」

「ありがとう」 

 ただそれだけのやり取りと見つめ合ったわずかな時間で、あの真っ直ぐな双眸(そうぼう)は以前より一層忘れることが困難になった。

「光姫様なら迷わないのだろうか」

 つぶやいた英綱は、次に娘に会った時は、どう答えるにしろ態度をはっきりさせようと決意し、光姫にその報告をしたいものだと思った。

「そのためにも、勝って都を守り、生きて帰らなければならないな」

 光姫はあの山の(ふもと)にいるという。吼狼国最高の霊山に武運と加護を祈ると、英綱は待ち受ける戦に頭を切り換えて、馬を西へ進めていった。


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