(第四章) 二
二
「なぜ毒を流したりしたの!」
穂雲城の大広間で、華姫は椅子から立ち上がって、厳しい口調で涼霊を責めた。
「あなたのおかげで大勢の死者が出たわ。あと五日もすれば篩田可弘は降伏してきたに違いないのに!」
「それが確実だったからだ」
幕僚長は感情の籠らぬ声で答えた。
「降伏を待つだけでは時間がかかり過ぎる。大軍が玉都を出発したと教えてくれたのは華子殿だったはずだ。急いで八潮城を落とし、ここへ戻ってくる必要があった」
畳の上に持ち込まれた大机の周囲では、三十数人の将軍達が禎傑を挟んで言い合う二人を見比べて黙り込んでいたが、涼霊は彼等も華姫の怒りも全く気にしていないようだった。
「だからといって、毒で城兵を弱らせるなんて! 私が教えた通りに水の手を絶てば、落城させるには充分だったはずよ」
華姫の追及に、涼霊は淡々と答えた。
「華子殿には感謝している。おかげで楽に城を制圧できた」
数日前まで田美国の奥にある蔦茂国では、十八万貫三千六百人の篩田家が城へ呼び込んだ領民と力を合わせて、五倍の恵国軍を相手に十日を超える籠城戦を有利に進めていた。まだ三十前の若い当主可弘は家中をよくまとめ、八潮城の要害を活かして戦ったので、攻撃軍の指揮をとった涼霊も手を焼いた。大きな損害を出すと、予想される玉都からの援軍との戦いに影響するので力責めができなかったことも、籠城側に有利に働いた。
田美国で領民の鎮撫と施政の手助けに当たっていた華姫は、涼霊の思わぬ苦戦を聞くと、配下の田美衆から隣国の事情に詳しい者を探して城の造りを尋ねた。すると、数年前に使者として八潮城を訪れて五日ほどを過ごしたという者が、城内に井戸が見当たらないのに水は豊富だったと証言したので、華姫はどこからか水を引いているに違いないと考えて、家臣三十人を農民に変装させて蔦茂国へ送り込み、八潮城の背後にそびえる山々を探らせた。その結果、城の裏手に山奥へ通じる小道があり、その先に水源らしい小川があって、番小屋で五十人ほどの武者が見張りに付いているのを発見した。この情報を華姫に聞いた禎傑は、涼霊に使者を送り、兵を派遣して城へつながる水路をせき止めよと命じた。
篩田可弘は都から援軍が到着するまで守り切れそうだと自信を深めていたが、突然水が止まったことには驚いた。どうやって恵国軍があそこを見付けたのかと訝しんだものの、翌日一千五百を水源の奪還に送り出した。
激しい戦いになったが、涼霊が沢に派遣した兵力は少なかったため、恵国軍はしばらく抵抗した後、兵を引き上げた。勝利に沸く篩田勢は小川の水に毒が入っていないことを確かめ、地下水路の中を点検すると、入口をふさいでいた多数の木の杭や板を抜き取って水流を再開させ、取水口の周辺に陣地を作って守りを固めた。八潮城では可弘の指示で念のためにしばらく放水し、ほこりや泥や投じられた可能性のある異物を洗い流した後に水を使い始めた。
異変が起きたのはその夜だった。水を飲んだ城内の武者達が苦しみ始め、次々に倒れていったのだ。
毒は小川の底に隠されていた。涼霊は毒の粉を入れた小さな麩を水草に包んで数十個も投じておいたのだ。水草の塊と思われて見過ごされた麩の箱は、水流に流されて取水口の付近に集まり、鯉などについばまれて崩れ、毒が水に溶け出して城内へ流れ込んだのだった。
水源の守備隊から水は安全だと報告が入っていたので、城内の者は安心して水を飲んでいた。しかも、遅効性の毒だったので発見が遅れた。可弘が慌てて水を飲むなと命じた頃には、既に武者や領民の半数が毒に冒されていた。その上、水が止まった時の備えの水桶にも毒の水が混入して飲めなくなってしまった。
城内が混乱したところへ涼霊は総攻撃を命じた。水源の守備に兵力の半分近くを割いていた上に多くの武者が動けなかったため、八潮城の門はたちまち破られた。可弘は三の郭と二の郭を落とされて本郭に追い詰められ、降伏を余儀なくされたのだった。
「あなたは殺さなくてもよい人達を殺したのよ!」
華姫は珍しく感情を露わにしていた。水源を探させたのは速やかに降伏させるためだった。戦とはいえ、人を殺さないですめばそれに越したことはないと華姫は考えていた。
「人の死なぬ戦はない」
涼霊の言葉に、華姫は首を振った。
「あのまま待てば誰も死なずにすんだかも知れないわ。吼狼国では伝統的に、城内にいても武者以外の人は戦わないし、攻める側も彼等を殺さないのよ。恵国軍の悪評が確実に国中に広まったわ。それに、あんな強力な毒は必要なかったはずよ。水を飲んだ武者や領民の多くは助からなかったわ。解毒の効かない毒を使うなんて」
「解毒法は存在する」
「なんですって?」
華姫は驚いた。
「あの毒は恵国で何度か用いているが、すぐにある薬草を煎じて飲ませれば助かるはずだ」
「私は聞かされていないわ。知っているならなぜ彼等に教えなかったの! ……まさか」
涼霊は無表情で答えた。
「あの奥まった国に反抗されると鎮圧が面倒だ。兵力を残したまま許して、吼狼国軍主力との戦闘中に後方で騒がれては困る」
「そのためにわざと見殺しにしたと言うの!」
「田美国の安全のためだ。降伏など信用できないからな。弱らせておくに限る。非戦闘員を殺さないという吼狼国の決まりは知っているが、今回は民に信頼されることよりも恐怖を与えることを優先した。反乱を起こせば容赦なく殺されることを蔦茂国の民は身に染みて理解しただろう」
「あなたという人は!」
華姫は拳を振るわせて怒鳴り付けようとしたが、それを禎傑が押しとどめた。
「まあ、待て、華子」
禎傑は船で運んできた豪華な椅子から立ち上がった。
「涼霊のやり方は非情かも知れん。だが、ねらいは間違っていない。これでしばらく篩田家は動けなくなり、民の反抗も抑えられる。おかげであの国と田美国に残す兵士は最低限ですむのだ」
「だからといって!」
華姫はまだ抗議しようとしたが、禎傑は首を振った。
「華子、お前の気持ちも分かるがここは我慢しろ。お前達は両方とも俺にとって大切な部下だ。二人が争うのは好ましくない」
禎傑は両腕を伸ばして、左手を華姫の、右手を涼霊の肩へのせた。
「華子。水源を発見したのはお前の手柄だ。それがなければあの城は落ちなかったかも知れん。そして、その情報を上手く活かしたのは涼霊だ。あの国の制圧は両者の力があってこそかなったのだ。二人ともよくやってくれた」
「ありがたいお言葉です」
涼霊は礼を述べて頭を下げたが、華姫は黙っていた。
「涼霊の軍才は俺もよく知っているが、この三国の平定に当たって、華子の働きはめざましいものがあった。皆も彼女の実力がよく分かったことだろう」
大きな四角い机を囲む将軍達は困った顔をしていた。華姫の知謀には内心驚いているものの、素直に認める気にはなれないのだ。
「二人にはこれからも俺を助けてもらいたい。涼霊はもちろん、華子にも大いに期待している」
禎傑は椅子に座った。涼霊も座ったので、華姫も仕方なく腰を下ろした。
「では、作戦会議を続けます」
司会役の周謹将軍が告げると、本部付きの庸徳という将軍が立ち上がって口を開いた。
「田美国上陸より今日で二十三日目、穂雲港の根拠地化が終わり、荷を全て降ろした輸送艦隊三百隻は、第二陣を運ぶために恵国へ戻っていきました。南海州から陸路北上して青囲州へ向かっていた後続軍は、今頃半島先端の突辺港へ着いているでしょう。ここ手の国から大陸へは、飛木島の南を東進する海流に上手く乗れれば来る時よりも早く、二十日程度で帰ることができると計算しています。船員の休養と物資の積み込みを終えたら、船団は文島経由で、我々と同じようにこの時期の強い南東の風に乗って穂雲へやってくる予定です」
「それまでには高稲半島の七国を制圧しておかねばな」
将軍の一人が言って皆が頷き、庸徳は言葉を続けた。
「幸い計画は順調です。当面の目標だった三国の平定は予定より早く完了し、手の国の半分は既に我々の支配下にあります。残り四国はそれぞれ四千以下の兵力が城に籠もっていますが、我が軍を脅かす余裕はないようです。占領した国々の民の鎮撫は華姫殿と梅枝家家臣団の協力もあって上手く進んでいます。とりわけ、華姫殿の提案で穂雲の町民及び街道沿いの宿場町の代表、各農村の長老達を招いて、殿下が直々に商売と耕作の安全を保証してやったことで、領内は落ち着きを取り戻しつつあります。占領した銀鉱山も従来と同額の賃金を約束し、華姫殿が働く環境の具体的な改善案を示したことで、逃げ出していた鉱夫や職人達の大部分が帰ってきました」
諸将の視線を受けて、華姫は答えた。
「鉱山で働く辛さはよく分かっているから、必要だと思う処置をしただけよ」
「といった具合で、領内の統治に今のところ大きな問題はありません。民の反乱はほぼ警戒しなくてよいと思われます。正直なところ、これほど上手く進むとは思いませんでした」
華姫は恵国軍に反抗しても殺されるだけだと領民を説得し、自分の責任で彼等の生活を守ることを約束したので、村長や町衆も納得したのだった。
「資金や兵糧にも余裕があります、梅枝家の備蓄が丸々手に入った上、華姫殿の提案で船に乗せてきた二百枚の大きな鏡と大量の石鹸が高く売れたからです。この二つは町民や村長たちへの贈り物としても大変役立っております」
華姫は南海州の太守公邸にあった玻璃の姿見は必ず吼狼国で喜ばれると考え、禎傑を説得して各船に一枚ずつ積ませたのだ。石鹸は売る以外に、怪我人の手当てにも必要だろうという考えもあった。この商人のような発想は他の将軍達には不思議もしくは不快のようだったが、交易に興味のある禎傑は面白がり、泰太郎の夢を思い出して華姫は複雑な気分だった。
「このように、現在我が軍を巡る状況は良好です。そこで、我々の作戦は第二段階に入ります。派遣されてくる統国府の軍勢の撃破です」
「うむ」
「いよいよだな」
数人の将軍が声を上げた。
「既にお聞きのことと思いますが、大部隊が玉都を出発したという報告が入りました。都に潜入している華子殿の手の者が送ってきた情報です」
「その情報は信用できるのか」
頑烈が尋ねた。
「その女の配下ならばこの国の民だろう。我が軍を混乱させるためにわざと偽の情報を送ってきたのかも知れん」
「信用できると考えます」
庸徳は華姫をちらりと見て言った。
「というのは、田美国侵攻の報が都に届いてから諸国に命令が出されて兵が集まるまでの時間を計算しますと、妥当な日数が経っているからです」
「そうか」
頑烈は納得した顔をした。
「敵軍は六万五千、高稲半島の残り四国の兵と合わせると七万以上と、我が軍を大きく上回ります」
「だが、予想の範囲内だな」
厳威という将軍が言った。
「はい。それを迎え撃つ我が軍は、田美・蔦茂・椎柴の三国に残す兵と負傷者、合わせて八千を引いた残り四万二千と、梅枝家の家臣の内、穂雲城と港と鉱山の管理に必要な者達を除いた七千で、総計四万九千を予定しています」
「なにっ、田美衆を戦に参加させるのか!」
頑列が驚いて声を上げた。
「そのつもりだ」
禎傑が肯定した。
「信用できるのですか」
厳威将軍が尋ねた。
「そ、そうですぞ! こんな女を信用してはなりません!」
陸梁という将軍が叫んだ。彼は数日前に穂雲の町で乱暴を働いていた配下の兵士を田美衆に捕らえられたばかりだった。抗議に来た陸梁の解放しろという要求を華姫は突っぱね、禎傑の許可を得て公開処刑にした。それによって兵士達の狼藉は止んで民は安心したのだが、陸梁にしてみれば、華姫は禎傑の寵をよいことに出しゃばっているように見えたのだ。
「この女は吼狼国の民を我が軍の兵士より大事にしたのですぞ。いつ裏切るか分からぬではありませんか!」
「大丈夫だ。華子は俺を裏切らん。そう約束したからな」
禎傑が自信ありげに笑うと、諸将は華姫のすらっとした体を横目で見た。数人の将軍はにやにやと笑い、それ以外の者は溜め息を吐いた。華姫に好奇の目を向けなかった者は涼霊と頑烈だけだったが、露骨な視線を感じても華姫は表情を変えなかった。
穂雲城を降伏させた華姫は統国府に使者を送り、泰太郎の捜索と鳴沼継村・頃田剛辰・大灘屋仁兵衛・大番頭の長次や大朋丸に乗り込んでいた鳴沼家の家臣達の逮捕と引き渡し及び黒幕の高官の特定と処罰を求めたが、拒絶された。予想通り芳姫はお飾りで助けは当てにならないと知った華姫は、やはり都に攻め上って彼等を捕まえて、泰太郎の居場所を聞き出すしかないと決意を新たにした。
その覚悟を聞いている禎傑は、南海州でこの遠征を準備した時の貢献の大きさや吼狼国に上陸してからの働きもあって、華姫を全面的に信じることにしたのだった。
「華子は約束を破るような女ではない。その辺の男よりよほど根性がある」
「し、しかし、田美衆はどうか分かりませんぞ! この女の指示に逆らって我が軍を攻撃するかも知れません」
陸梁は食い下がったが、禎傑は笑みを崩さなかった。
「それも考えてある。我が軍から八千を付けて見張らせることにした。その兵と暴波路兵一千も合わせ、一万六千の指揮は華子に任せる」
「なんですと!」
頑烈が拳で机を叩いた。急ごしらえの白木の無骨な大机が揺れて、将軍達は慌てて自分の茶碗を手で押さえた。
「この女に軍勢の三分の一を預けると申されますか! 女に戦など無理ですぞ!」
「家臣達がいる」
禎傑は答えた。
「苫浜城の門をたった七人で開けた猛者達だ。胆力もあり、腕も立つ。部隊の先頭で兵を鼓舞する役目は彼等に任せればよい。華子は全体を見て命令を下すのだ。こちらからも人を付ける」
暴波路兵のまとめ役はサタルが務めていてこの場にもいたが、戦は素人なので、戦場では政資達八人が隊長となって動かすように訓練していた。
「しかし、女にそんなことができますかな」
「華子は南海州の鉱山で奴隷達を指揮して冒進を破っているではないか」
「あ、あれは奴隷相手と油断したからでして……」
皆の注目を浴びた冒進将軍は慌てて言い訳しようとしたが、禎傑は笑ってそれを止めた。
「お前を責めているわけではない。華子ほどの知恵者が相手と知っていれば戦い方も変わっていたはずだ。その実力はこの大会戦で証明されるだろう」
「しかしですな……」
頑烈はまだ渋っていたが、禎傑は言い聞かせた。
「考えても見ろ。暴波路兵一千は華子の命令しか聞かないのだ。田美衆と合わせて八千もの兵を遊ばせておく法はなかろう。それとも、お前が元奴隷のあの連中を率いて戦うか」
「それはご免こうむります。言葉が通じませんからな」
生粋の武人の頑烈は正規の兵士でない彼等を嫌っていた。
厳威将軍が尋ねた。
「ですが、敵方には月下城に籠もっている殻相衆もおりますぞ。妹が攻めてきたらどうするのですか」
「どうだ」
禎傑に問われた華姫は、不審の目を向ける諸将を平然と見返すと、きっぱりと言った。
「妹とは縁を切ったわ。敵に回るのなら倒すまでよ。その覚悟はできているわ。でも、あの子と私が戦うことはないと思うわ」
「なぜそんなことが言えるのだ!」
頑烈が吼えるように叫んだ。
「自分に胸に聞いてみて。あなたなら簡単に分かるはずよ」
華姫は頑烈を見て微笑んだ。
「わしを馬鹿にしておるのか!」
初老の将軍は机を叩いて怒鳴ったが、禎傑は「まあ、待て」と手で制して、右手の涼霊に尋ねた。
「お前はどう思う?」
幕僚長は無表情に華姫を見やり、淡々とした口調で答えた。
「私も光子という妹は恐らく戦場に出てこないと考えます」
禎傑は頷いた。
「これでもう不安のある者はいないな」
「涼霊殿がそうおっしゃるのならば」
将軍達は不承不承頷いた。
「では、作戦を説明します。幕僚長殿、お願い致します」
司会に指名された涼霊は立ち上がり、大机の上の地図を棒で示しながら会戦の流れを述べ始めた。




