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小悪党、落ち込む

「酒だ、もう一杯くれ。」


 薄暗い酒場の中、シドニーはカウンターに肘をつきながら酒を飲んでいた。大分酔っているが気分は良くない。


 今シドニーがいるのは先ほど強盗を働いた場所から程近いルオンという町。ルオンはゼナリア帝国の全体で見れば中規模程度の町だが、ここ辺境では一番大きい町だ。そして大きい町には必ず盛り場があり、盛り場がある所には必ずタチの悪い連中が集まる場所がある。


 今現在シドニーが酒をかっくらっているのがルオン周辺で最もタチの悪い連中が集まる酒場だ。この店はルオンの裏通りの更に裏、衛兵隊ですら手を出すのを嫌がるような最悪のスラムに位置している。麻薬売買や殺しは当たり前、ここで消えた人間は腐るほどいる。だが、裏社会の人間にとっては非常に居心地のいい場所だった。


 薄暗い店内には人相の悪い男たちがひしめき合い、悪人の見本市と言う言葉が似合う。二階は娼館になっており、薄い肌着を着た女たちも一緒に酒を飲んでいる。


「あんたねぇ、若いんだからいい加減まともな職につきな。」


 カウンターを挟んでシドニーの向かい側にいる大柄な中年女が、酒を注ぎながらあきれるように言った。薄暗い中ランプに照らされた顔は、濃い化粧に包まれて化け物のようだ。


「まともな職ねぇ……。」


「いっぱいあるじゃない。殺し屋とか盗賊とか女衒とかさ。何ならアタシがどっかのギルドに渡りをつけてやってもいいよ。」


 一般的な感覚ではまともな職とは言えないが、裏街道を行く者達にとってはまともな職らしい。


 実際ここゼナリア帝国では、そういう裏社会の者達は互いに組合(ギルド )を作り協力しあいながら仕事をしている。

 主なものは、暗殺ギルド、盗賊ギルド、乞食ギルド、売春ギルドなどで、一枚岩とは言えないが名目上は互いに協力関係にある。


「でもよぉママさん、そういうギルドに入るともう後戻りが出来ないだろ。」


「よく言うよ、どうせ今日の酒代だってどっかから盗んできたかしたんでしょ?あんまり勝手に仕事してるとあんた、ギルドからぶっ殺されるよ。ま、その前に捕まって斬首もあるね。」


「説教はやめてくれよ。こっちは客だぜ。」


 ママと呼ばれた大柄の女は大きなため息をつくとカウンターの奥へと引っ込んだ。彼女はこの酒場と娼館の元締めで、もちろん売春ギルドの一員である。


この国では基本的にギルドを通さないと悪事は許されない。おかしな話だが悪事にも秩序は必要なのだ。シドニーのような小悪党はギルドも黙認しているが、あまりに目が余ると判断されるとすぐさま粛清される。

 

そのためギルドに属さない悪人はよっぽど強くて恐ろしい者か、しょっぱい半端者の二択となる。ほとんどは後者だ。大抵はギルドに粛清される前にゼナリア衛兵団に捕まって斬首刑になる。


 シドニーは苦虫を噛み潰したような顔をすると、酒を一気に飲み干した。今のままじゃいけない、そんなことはわかっている。わかっているが、どうしても踏み出せない。


 もともとシドニーは生来の臆病者で、悪事も好きだと言うわけではなかった。ただ、我が身可愛さが強い卑怯者な部分がある。


それに性質が悪いことにこの男、スリや盗みを働いた後に悩む癖があった。『もし、この金が盗まれた奴にとって重要な金だったら』などとウジウジ悩むのだ。だが結局悩んだ末、自分なりに納得してごまかしてしまう。

『あいつは酔っていたし、遊ぶ金があるなら少しだけもらっても……』とか『あいつは身なりが良いからどうせ金をたくさん持ってるだろ……』とか勝手に解釈して結局は落ち着いてしまう。


 そしてその金で酒を飲んですっぱり忘れてしまうのだ。時折思い出しても無理やり自分を納得させる。悪事を働くたびにこれを繰り返している。


 よくも悪くも中途半端な男である。悪に染まりきれないと言えば聞こえはいいが、要するにただ恐れているだけだ、悪事を平気でこなす人間になるのを。


 過去のいざこざで裏街道を歩まねばならなくなったシドニーは、生きていくためという免罪符を掲げながらスリや盗みを繰り返したが気付けばこんな瀬戸際まで来ていた。


 確かにギルドに入れば今よりずっと金回りもよくなるだろう。だが一歩踏み出すともう二度と『光が指す方』には戻れない気がしていた。

 

 日のあたる場所と影の間を綱渡りしているのが今の自分だとシドニーは思っている。実際には一般人からみたら完全に悪人だが。




「シドニーじゃない!久しぶり。」


 声を掛けられ振り返ると、そこには小柄な若い女がグラスを片手に手を振っていた。短い黒髪に切れ長の目、飛び切りの美人と言うほどではないが愛嬌はある。ほとんど下着のような薄い服を着ており、少し痩せすぎという印象を受ける女だ。


「シンシアか、久しぶりだな。」


「今日は非番でね。酒飲もうかと思って。」


 このシンシアと呼ばれた女はカウンター席に座っているシドニーの横へするりと座った。薄暗い店内の中、小さな明かりに照らされた横顔はどうにも色っぽく見える。

 シンシアはここの娼婦でシドニーとは飲み仲間だ。値段が高いのでシドニーは寝たことが無いが、不思議と話が合いこうやって時々一緒に飲むことがある。


「シケた面してんね、どうしたの?」


「いや、これからどうするかなーと思ってね。」


 手にあるグラスを口元につけたが、溶けた氷の水の味しかしない。もう一杯頼もうかとも思ったが金が無い。


「盗賊ギルドにでも入れば良いじゃない。あんた逃げ足と盗みは自信あるでしょ?」


 シドニーはもともとスリや盗みなどで生計を立てているので、腕前は盗賊ギルドの人間とも引けはとらない。ただ力に頼った悪事は苦手だった。今日強盗を働いたのは例外で、最近カモがおらず困った上での犯行だった。あのへっぴり腰と震えは強盗に慣れていないせいだ。


「盗賊ギルドねぇ……。どうかな。」


「それじゃ暗殺ギルドは――無理か、あんた弱いもんね。」


 シンシアが苦笑いすると、シドニーも苦笑いで返した。シンシアの言う通り、シドニーは腕っ節が全くといっていいほど無い。

 このあたりは弱いモンスターしか生息していないが、それすらも出会ったら走って逃げるような男だ。実際昔に戦ったことがあるが半殺しにされて結局逃げてしまった。腰につけた短剣は身を守るというより恐喝に使ったほうが多い。


 殺しなどもちろんしたことは無い。


「俺のことよりお前はどうなんだ?儲かってるか?」


「そうね……。お婆ちゃんになる前には自由になれるかしら。」


 シンシアはそう言って笑ったが、瞳はどこか寂しげだった。


 二人の間に少しの沈黙が訪れた。口を開けば景気の悪い話しか出来ない。もともと普通の世界から大きく外れた二人だ、楽しい話なんてある筈が無かった。


 店内を見渡すと、店内は人は多いが静かなものだ。どうも悪人という人種は声高に喋ることはないらしい。だが、彼らの人相や佇まい、雰囲気は明らかに普通の人間の其れではない。


「いつまでもフラフラしてるつもり?」


 沈黙を破ったシンシアの何気ない一言、あるいは意識して放ったかもしれないその一言がシドニーの心に突き刺さった。


「フラフラって何だよ?」


「そのまんまの意味だよ。小悪党のシドニーさん。」


 図星を突かれて心がざわつく。正論を言われると、それが正しいこととわかっていても腹が立った。


「ケッ、偉そうにしやがって。お前に俺の何がわかるってんだよ?あ?」


「別に~。」


 シンシアは明後日の方を見ながらシドニーを軽くいなすと、グラスの酒を一口舐めた。流石にこういう男には慣れっこの様子で、気にも留めていない。


「ま、あんたは面が良いのが救いだね。最悪ケツ売るって手もあるよ。」


「勘弁してくれ、奴隷時代を思い出しちまう。」


 渋い顔をするシドニーを見てシンシアはカラカラと笑うと、シドニーのグラスに自分の酒を注いだ。


「とにかく、そろそろ本腰入れて何かしたほうが良いよ。特になりたいものも無いんでしょ?」


 なりたいものと言われて、シドニーは少し昔を思い出した。子供のころなりたかったものは冒険者だった。立派な鎧と剣を身にまとって颯爽と現れ、悪人をバッサバッサとなぎ倒していく。恐ろしいモンスターやドラゴンを退治して、美しいお姫様と結婚、なんて夢があった。

 誰からも尊敬されて誰からも慕われる、そんな大人になりたかった。強きを挫き弱きを守る『英雄』。そんな風に言われる大人になりたかった。


 だが現実はそんな英雄に退治『される』側の人間になってしまった。そんな思い対する後ろめたさと後悔がシドニーを後一歩踏み出させないでいるのかもしれない。良心とでも言うものだろうか。


 考えれば考えるほどシドニーの中にとどめようも無く嫌な感情が吹き出てくる。シンシアのせいでは無いことはわかってる、それでも止めようが無かった。


「さっきからうるせぇな!わかってるよ、俺が一番わかってんだよ!!」


 頭ではわかっている。頭だけでは。だが結局行動しないならわかっていないのと何も違わない。それもわかっている。わかっているけど何もできない。悪事以外これから生きる方法がないってことぐらいわかってる。

悪事をやめて今更どうやって生きる?学もない、腕っ節もない、おまけにさんざっぱら悪事を働いた悪人。仮にまともに働こうにも既に年は21歳だ。今の世の中何も出来ない人間を雇う奇特な人はいない。前科もちの上、特技はスリですなんていう奴を誰が雇うか。


 文字は読めないし算術もひどく簡単なやつしか出来ない。勉強しようとしても金は無い。農夫になりたくても前科があるから誰も土地なんて貸してくれない。


 要するにどうしようなく八方塞がりなんだ。シドニーはそう自分に言い聞かせた。確かに客観的に見てもそうだ。しかしシドニーの中に『しょうがない』という立ち向かう勇気すら捨てた負け犬の心があるのは、シドニー自身がよくわかっていた。


 シドニーはシンシアからもらった酒を一気に飲み干すとカウンターに突っ伏した。顔を見られたくなかった。きっと情けない顔をしているだろうと思ったし、実際していた。


 そんなシドニーを見て、シンシアは少しだけ悲しそうに笑った。


「あんた、本当にアタシの兄貴とそっくりだよ。そのヘタレ具合。『許してくれ、許してくれ』って泣きながらアタシをこの娼館に売った兄貴とさ。」


 初めて聞いた話だ。だいたい娼館にいる女で不幸を背負っていない女はいない、だから過去を聞くのはタブーだった。自分から話してくれることだけが過去を知る唯一の方法だ。


「兄貴を恨んでいるか?」


 情けない顔を見られるのも嫌で突っ伏したまま質問をする。傍から見ればこっちのほうがよっぽど情けない。


「さあね、もう忘れたわ。昔のことだから。でもあんたのことは嫌いじゃないよ。」


 なんて返事をすればいいかもわからない。家族はずっと昔に死んでしまったし、もし妹がいたら生活に困ったときシンシアの兄と同じ台詞を吐くかもしれないと思った。


「もう行くわ。なんだか眠くなってきちゃった。」


 去ってゆくシンシアの後姿をシドニーは起き上がり見ていた。あんな小さい体でもしっかり生きている。俺はいったい何をしているんだよ?こんなクズ共の掃き溜めで――いや、一番のクズは俺だ。どっちつかずのフラフラしたどうしようもない俺が一番のクズ野郎だ。頭の中でそうこだまする声をシドニーは必死に聞こえないふりをしていた。

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