プロローグ 小悪党、強盗す。
月明りが辺りを薄暗く照らす夜、村への小道の脇にその男はいた。黒いバンダナと口当てのせいで人相はわからない。服装も黒を基調とした物で、夜闇に溶け込んでいる。春も終わりかという蒸し暑い夜には季節外れの格好だ。
小道の両脇は、黒々とした森が生い茂っており、夜の闇がその影を一層濃くしていた。この道は村と町とを繋ぐ道で昼は人通りが多いが、夜はめったに人が通ることはない。
通るとすれば夜の町を楽しんできた村人ぐらいだろうか。
男は道の脇の木に寄りかかり、何かを待っているようだった。夜の闇と木々の影で姿は隠れてしまっている。
ふと町の方から小さな明かりがユラユラと近づいて来た。どうやら小さなランプを持った村人のようだ。鼻歌を歌いながら、おぼつかない足取りをしている。
おそらく町の酒場にでも繰り出していたのだろう。
男がいる場所へだんだんと近づいているが、男にはまったく気付いていないようだ。
村人が男の目の前を通り過ぎようとしたとき、男はゆっくりと村人の前へ立ちはだかった。よく見ると男の足は震えている。
「ん?」
突然、道脇の森から出てきた男に戸惑いながらも村人は足をとめた。辺りに生暖かい空気が流れる。
「……せ。」
か細い声が目の前の男から聞こえてくるが村人はどうにも聞き取れないようだ。村人は不思議そうにランプを持ち上げた。覆面で顔がわからない。
「金を出せっ!」
大声を出された瞬間、ぶるぶると震える白く光る何かが村人の顔に突きつけられた。よく見ると、ランプに白々と照らされたそれは短剣。村人は一気に酔いが覚めるのを感じながら、体が凍りついた。
そう、強盗である。この男、今までも悪事を働いているれっきとした犯罪者だ。そしてたった今強盗を行っている最中というわけである。
「あ、あ……」
村人は目の前の短剣におびえきって言葉も出ない、今から殺されるかもしれないのだから当然といえば当然だ。額からは脂汗が滝のように流れてくる。だが、よく見ると短剣を構えた男も腰がすっかりと引けてしまって手足も震えている。
もしこの村人が並程度の実力を持つ戦士だったら、目の前の男を簡単にたたき伏せることも出来ただろう。武器を構えている以外、普通の農夫よりよっぽど弱そうな男だ。震えた手足、引けた腰、焦点の合わない瞳がこの男は弱いということを如実に物語っている。
しかし、相手がどんなに弱かろうが剣を突きつけられてしまったら普通の人間は身動きできない。
どんな達人でも剣で刺されれば死ぬ。普通の人間ならなおさらだ。
「は、早く出せ!こ、殺すぞ!」
男はへっぴり腰のまま震えた声で搾り出すようにそう言った。
傍から見たら奇妙な光景だ、短剣を突き出した男も突きつけられた男もガタガタと震えているのだから。
村人が震える手で何とか金の入った小袋を目の前に差し出すと、男はそれを勢いよく掴んで森の中へと走って逃げて行った。
薄暗い森の中を十数分走ると、男は立ち止まり息を整え始めた。ゆっくりと地面に座ると大きく深呼吸をする。
「はぁ、はぁ、はぁっ……。ここまで来れば大丈夫だろう。」
辺りを見回すと、男はいそいそと今日の戦利品を確認し始めた。薄暗い森の中、月明かりを頼りに奪った金を数えている。町まで行かないのは誰かに見られるのを防ぐためだ。
何事も慎重に慎重を重ねるほうが良いというのが男の心情だった。金勘定をしている間に衛兵に見つかったりでもしたら目も当てられない。幸いこのあたりはモンスターもほとんどいないし、衛兵もめったに巡回に来ない。強盗にはうってつけの土地だった。
「ひい、ふう、みい。ケッ、しけてやがるな。」
男の手にはたった数枚の銅貨しか無い。
当然といえば当然である。そもそも町に繰り出した村人の帰りを狙うのだから金を持ってるわけがない。それなら夕刻、いまから町へと向かう村人を狙ったほうが圧倒的に効率がいい。だがそれをしないのは理由がある。リスクが大きいのだ。今から盛り場に向かうという人間は当然素面だし、金を持っているから警戒もしている。それにそういう時間帯は人通りも少しはある。
だからわざわざ夜中、今から帰ろうとしている村人を狙ったのだった。この男は根っからの心配性、もといヘタレなのでリスクを恐れての犯行だった。もちろん淡い期待はあったが。
男は無造作に金をポケットに突っ込むと、町の方へと歩き出した。暗い森の中、虫の音だけが大きく聞こえる。
「俺……いつまでこんなことやってんだろ……。」
男は夜空に光る月を見ながら、誰に言うでもなくつぶやいた。罪悪感が少し心を痛めたが、奪った金が小額だと言うことと、今日は酒が飲めるという事実が男の安い良心を抑えた。
この男の名はシドニー=ゲイン。前科多数の小悪党だ。
ここゼナリア帝国の辺境を中心にコソコソ悪事を働いている。
主な罪状はスリ、詐欺、窃盗、無銭飲食、そして強盗。