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気に食わない。それが彼の第一印象だった。いつもと変わらず縁側でお茶を啜る先生の隣に、影。何でそこに居るの。ていうか誰。先生の隣は、私の場所。私の足元にはらりと桃色の染井吉野が落ちた。胸がざわつく。
ピリッとした空気を纏って玄関で突っ立っていると、先生の隣の影がこちらを向いた。その瞬間、悟った。彼は関わっちゃいけない種類の人間だ。誰にも自分に見合った力量がある。生まれたときから決まっているような、その人の本質みたいなものが。私なんかは世間一般で言う中の中だ。呆れるほど馬鹿ではないけど、人を率いるような魅力も私にはない。
つまりは私はごくごく一般的な人間なのだ。それは先生も同じだと思っていた。だけど、先生の隣にいるあれは。あれは、私みたいな生ぬるい攘夷の覚悟なんかを語る小娘が、踏み込んではいけない領域の人。強い覚悟と決意を秘めた、獣のような瞳。
それだけで言えば、先生も同じような瞳をすることがあった。あれは確か、かっちりした軍服を着た男が、この家に来たときだ。一緒にお茶を飲んでいた私の隣で、先生は一瞬だけ鋭い瞳で軍服の男を見た。私には決して向けられない類の感情。あの時、私は先生も私と同じ種類の人間ではないんだなと思った。あの瞬間、先生はきっと私なんかよりずっと違う世界に居た。
「せ、んせい」
声が震える。何に臆しているのだ。彼の獰猛な瞳にだろうか。先生の隣の男が抱えている底知れない覚悟や信念は、何に対してなのだろう。私には計り知れなくて、鳥肌がたった。
「おや、お迎えが来てしまったみたいですね」
先生の隣の影が柔らかく言って、綺麗な動作で湯飲みを置いて立ち上がった。先生がそれにつられてこちらを見る。先生はまだ私の頭を撫でてくれた時と同じ優しい瞳をしていた。それに安堵して、固まっていた身体が解れる。ああ、今の先生は私と同じだ。
「では、私はもうお邪魔しましょうか」
「ああ、また」
さらっとした動作でこちらに歩み寄ってきた男は、私の隣に立つと鋭い瞳のまま唇だけで微笑んだ。私より頭一つ分高い顔が近寄ってくる。
「彼の大事なお嬢さん。もう彼の所に通うのは控えた方がいい」
一瞬意味が理解できなかった。この男は何を言ってるんだろうか。彼とは間違いなく先生のことだろう。そんな事を言われる筋合いは毛頭ない。もしこれを意地悪で言ってるんだとしたら、この男を殴ってしまおうと思った。
「貴方にそんな事を言われる筋合いはありません」
「おや、忠告のつもりでしたんですがね」
くすりと息を漏らして、ぽんと頭を撫でられた。なに、なんなの。まるで聞き分けのない子供を宥めるような手つきに、すごく腹が立つ。早く帰れ!
「早く帰って下さい。私は先生とお話に来たんです」
「ずいぶん頑固なお嬢さんですね。まあいいでしょう。きっとまた、会いますよ」
誰が会うか!そう念を込めて睨みつけると、今後こそ頭から離れた手は門をくぐった。まったくまったく、最初から最後まで気に入らない。
先生、と声を上げて歩み寄ると、先生が私に緑茶を勧めた。もちろん、と答えて先生の隣に座ると、先生がすこしだけ悲しげな顔をしたのが見えた。