対話
やっとヒロインのお名前が判明します。グロは今回もないぜ!
時刻は昼前に当たる午前11時、場所はそこそこに小奇麗な喫茶店の真向かいにあるファミレスの窓側席。
そこに一組の男女がいる。
男は二十代前半だろうか。それにしては酷くやつれた顔、いや正確には死んだような眼をしている。視線は真向かいに座る女に向けられている。女はその視線に気づいたのか。メニューで自らの視界を覆う。
女は齢はおよそ十代後半と言ったところだろうか。ぶかぶかの皮のジャケットをTシャツの上から羽織り、ジーンズ生地の短パンからは今にも折れそうなほど細く白い脚が見え隠れする。
傍から見ればこの二名。初々しい初デートと見て取れなくもない。年齢差こそあるもののこの年頃ならばなかなか常識の範囲ではなかろうか。大昔は十代での婚姻などザラだったのだから今更驚くことでもない。
「決まったか?」
黒い男が尋ねる。
そこには少しばかり苛立ちに似た感情が含まれていた。
「えっ、えぇ……そのぉ、まだ……」
女は自前の金髪で表情を覆わんばかりにうな垂れる。
とても親密な関係に見えないと言うのは間違いではない。そもそもこの二人の出会いは考えうる限り最悪で、そもそも再び出会うということ自体常識外なのだ。
喪服のように黒いスーツを身にまとった男が嘆息し、従業員を呼び出すボタンを押す。相方である女は未だにメニューとにらめっこの最中である。無論男のしでかした行為など知りもしない。
そうこうしている間に女性従業員が端末を持って男女の席へとやってきた。そこには薄っぺらい愛想笑いが張り付いていたが、顧客にある程度の安堵感を与えれば及第点なのでそれで必要十分。これ以上のサービス精神の要求は阿呆のすることだ。
「コーヒーを二つと、チョコレートパフェを一つ。今のところは以上で」
従業員は続けて、と言わんばかりに女の方を見るがその必死っぷりを察したのか。男が注文したメニューだけを復唱してバックヤードへと戻っていった。
「今思ったんだが……」
金髪の女は未だにメニューと格闘中である。そしてその成果は芳しくないらしい。
「お前、字が読めないのか?」
女の動きが止まった。
そしてゆっくりとメニューを畳み、元あった場所に戻す。そして先程以上にうな垂れながら顔をトマトのように真っ赤にして、
「ご、ごめんなさい」
謝った。
男は男でそんなことなど気にするそぶりも見せず女を観察していた。
全身を黒で固めた陰気臭い雰囲気丸出しな野郎こそ先程目の前の女に不意を付かれた春柳飛燕その人である。元々悪そうな面構えが、眼前の異形の珍行動の影響なのか一層酷いものになっている。とはいえそんな強張った表情が長く続くはずもなく、飛燕は短い嘆息と共に話を再開した。
「まぁ、いいさ。字が読めなくてもこうして話が出来るのなら問題ない。さて聞きたいことは山ほどあるが取り敢えずはお前は自分が何者か解っているのかを確認したい」
鋭く切り込む。
初対面同士親睦を深め合うのが目的ならば最初にすべきことは自己紹介の類だろうが、飛燕にとって目の前の存在は敵に回る可能性が濃厚な存在である。ならばその自覚、己が異形である事の確認から行うことこそ最も優先すべきことなのだろう。
小さく笑う。
その笑みにはガラスのような脆さと危うさが見えた。あくまで春柳飛燕という男の主観ではあるのだが。
「……えぇ、私が普通じゃないのは理解しています。こうやってあなたの前に現れたのだって私が普通じゃないからですし」
「分かった、次に行こう。お前はあそこで何をするつもりだったんだ」
疑問ではなく、疑惑といった方が適切な言い回し。その語尾に疑問符はない。
「……」
押し黙る。
細められていた眼はそこにはなく、そこには伏し目がちな灰燼色の輝きだけがある。
「自分は怪物だと理解してて、その上で目的不明。まさに怪人といったところか。いや人ではないか」
鋭い眼差しが少女を射抜く。
そこにあるのは憎悪だろうか、それとも単純に敵意か。間違いなく同情や憐憫のような類の感情ではないのは確かな事実だろう。
「それで、俺に何の用だ。まさか本当に茶を飲むために来たわけじゃないだろ? 昨夜の復讐か? それとも俺に何か言いたいことでもあるのか?」
右の前腕でテーブルを押さえつけるような形で少女に迫る黒い男。傍から見ればどっちが危険人物か分からない構図だろう。実際周囲の客は引いている。
「私は……」
少女が言葉を絞ろうとしたその矢先、
「ご注文のコーヒーをお持ちしました」
というあっけらかんとした言葉が響いた。
この席の空気を察したのは間違いないだろう。先程の女性従業員が目いっぱいの笑顔で飛燕の方を向いているのがいい証拠だ。実際問題飛燕の腕の位置がコーヒーカップを置く上で邪魔でしかないので飛燕の側を見るのは何も不自然ではないのだが。
飛燕は黙って自らの胸部付近での腕組にその姿勢を切り替えた。依然視線は鋭いままであり、少女への照準はいささかもズレてはいない。
二つのカップに並々と注がれたコーヒーが互いの前へと出される。
女性店員は「ではごゆっくりと」という定型文をやや強めに発音しながらその場を去って行った。
「……」
「……」
沈黙が続く。
別に難しい問題ではない。飛燕にとって眼前の偽賢が危険であるのなら処分するだけ。可能不可能はこの際別問題。だからこそ次に女が発する言葉。即ち、飛燕との再開を望んだ理由が重要なのだ。
故に飛燕は言葉を待つ。
そこからどう今後の展開が転ぶかは不明瞭。けれどそうでもしなければ飛燕に勝機が訪れないのは明白。相手を打倒できるか否かは関係ないとは言うが、何の勝算もなく謎だらけの存在とやりあうのは愚者の算段なのは間違いない。如何に金髪の偽賢から情報を引き出せるか、それが飛燕の勝率に直結するのは言うまでもない事実。
少女の指がカップに手をかけ、そして徐に中身を覗き見る。
飛燕は少しだけ思考し、そしてそれを放棄した。正しくは放棄したかったに違いない。まさかコーヒー知らない人種がいるとか夢にも思わない。けれどこの目の前のヒトガタは字が読めないことを証明したのだ。そういうこともあっても何らおかしくはない。
「あー、うん。それはなコーヒーって飲み物だ。少し苦いかもしれないが噴き出すなよ。それが嫌なら一緒についてる砂糖やらミルクを入れればいい」
恐らくその飲み物が苦いというニュアンスは伝わったであろう。ただしシュガースティックの存在やポーションの存在に気付く可能性は限りなく低い。
「あ、あぁこの黒いの飲み物だったんですか。何かの薬かと思いました」
すんすん、と匂いを嗅ぎ出す様は小動物か何かである。
「いいにおい」
どうやら香りはお気に召したようだ。次に少女はカップを口につけ中身を味わおうとする。
しかしその苦味と酸味が口に合うかは定かではない。おそらく最初はその不味さに辟易することだろう。最初からブラックコーヒーが美味いと感じる舌の持ち主は間違いなく味覚障害の類に違いない。
「うっ」
目の前の少女は露骨に嫌そうに顔をしかめ、うめき声をもらす。
そしてやや上目遣いな視線を飛燕に送る。言わんとしていることは至極分かりやすい。
「苦いだろ? そういう時にはな……」
飛燕は自らのコーヒーに砂糖とミルクをどばどばと入れる。もはやコーヒーの風味が死んだ別の飲み物へと変貌したが眼前の常識知らずに物事を教えるには安い代償である。とはいえ飛燕自身先程自らの職場でコーヒーを既に飲んだ身なので自らが注文したものの処遇を考えあぐねていたのでこれはこれで正解と言えなくもない。
少女も男の行動を模倣し、奇怪な飲料物を生み出す。
そしてそれを口にする。それを美味いと感じるか、それとも違和感を感じるかはおおよそ五分五分と言ったところだろう。しかし大方の女性は甘いほうが飲みやすいはずである。飛燕もそんな感想を予測した。こんなことを予測しても何の足しにもならないが、相手の思考読む上で参考程度にはなるだろうという程度の判断は下す。
しかし意外にも金髪の異形はその甘味料てんこ盛りの飲料物に違和感を感じたようだ。
「何か違いますね。どうとは言いませんが」
飛燕は多少なりとも少女の味覚に感嘆した。
彼の目の前の存在はコーヒーというものの楽しみ方が多少分かる程度には人間に近いのかもしれない。
けれどその程度で飛燕の懐疑が薄まることはない。警戒は続行中。大型軍用拳銃も希石の準備も万端。もし万が一にも対応可能。
だから改めて言葉を投げつける。
何故己を、春柳飛燕の前に再び現れたのかを。
「はい」
女は頷き、はっきりと言葉を口にする。
「率直に言うと、久しぶりに話ができそうな人間と出会えたから、です」
意味など分かるはずもない。
自らを攻撃し、あまつさえ四肢を切り飛ばした人間に抱く感情ではない。
普通ではない。常識の埒外の考え方だ。けれどこれは飛燕にとっては好機でもある。この不可解な思考ロジックを理解した先に眼前の怪物の殲滅方法への糸口が見えるというもの。
「意味、わかんないですよね。きもちわるいですよね。こんなこと言われて」
少女の形をした何かはまるで人間のような仕草で儚げな、それでいて困ったような笑みを浮かべる。
「いや、気持ち悪いではないく、不可解というほうが適切だ。それでどうしてその言葉が出たのかの理由は話してくれるのか」
飛燕としては彼女の感傷に付き合うつもりはないという意思表示程度だったに違いない。だから突然彼女が流した涙の意味を汲むことなどできるはずがない。そしてそのまま決壊したダムのように泣き崩れた少女を介抱する流れになったのは飛燕にとっては全くの予想外であり、チョコレートパフェを持ってきた女性従業員にものずごい目つきで睨まれたのもただのとばっちりである。
彼女が大人しくなったのは時間にして十分もない。
言葉にしてしまえば短いが、その間の店内での飛燕の居心地の悪さたるやまさに針の筵。その時の彼にこれほどぴったりな言葉はなかった。
「……もう、喋れそうか?」
溜息と共に少女を体調を気にかける。
彼の短いながらも異様に濃い人生経験からしても目の前の女のようなタイプは全くもって理解不能である。いわゆる精神に異常をきたしている人物にも面識があるが、彼にとって目の前の相手はそれ以上に意味が分からないらしい。
それはそうだろう彼女が涙した理由は非常にシンプルなのだから。
「ごめんなさい」
「お前さっきから謝ってばっかりだな」
「ごめんなさい」
「謝るくらいなら、うまいもんでも食って機嫌直せ。ほらそこにあるだろ。全部食べてしまえ」
飛燕はなげやりな手振りで彼女の脇に置かれたチョコレートパフェの処理を促す。
「……ありがとうございます」
律儀なヤツ、というのが今の飛燕が彼女から得た印象のひとつ。そして意味不明で面倒くさい。いや彼女の言動から察するに彼女はただただ子供染みている。一般常識や経験の欠如はこの際問題にならない。ただ感情にブレーキが掛かっていない、そういった印象を飛燕はこれまでの彼女の行動から鑑みて結論付ける。
「おいしいですね、とっても」
小さく笑う。
先程のような不安定な笑みではなく、ただ純粋に嬉しさからくる微笑。おそらくそれが彼女本来の表情なのだろう。けれどもそれは本当に「今の彼女」のものはかは与り知らない。何せ飛燕は目の前の女についての情報を何一つ知らぬのだから。
飛燕はふと思い出したかのように、一言だけ質問をする。
「そういえば、名前を聞いていなかったな。いやこちらから名乗るほうが正しいか」
相手を殺すというセオリー上、相手の名前は知らないほうがいいのは当然である。単に相手との接点を少なくすることで情報漏えいを防ぐという意味もあるが、それ以上に心がその痛みを引きずってしまうのを防ぐという意味合いを多く含む。
だから、この時飛燕は自らの行動が迂闊であると分かっていた。名を聞くことは自らに相手を刻むこと。それは自らの心を壊してしまう可能性を生み出してしまうことと同義。そして名を告げること。それは相手の心に自らを刻み込むこと。それはきっと相手に必要以上に踏み込んでしまうこと。
全てを承知していて春柳飛燕という男は行動を選択した。
いずれ後悔することなど自明の理であるのに。
「俺の名前は春柳飛燕。人と人以外の何かを日々殺してる」
飛燕は、名と己が成している所業を女に告げる。
女にも目の前の黒服が一般人でないことは理解しているだろう。その上でこの場まで来た。自分自身がもう一度破壊されることも十分に考えられる状況に陥るということも覚悟の上で。
だから金色のヒトガタも覚悟を決める。
背筋を伸ばし、胸を張り、男の眼をしっかり見つめ、言の葉の紡ぐ。
「私はミリティ・マルティウス。先程の通りまともな存在ではありません。それと自分が本当はどんなものかも分かっていません」
何もかもが奇天烈で不可解な言葉達の応酬。
お互い人間から外れた存在であることは間違いない。
だから続く言葉が互いにない。見つからないというよりもお互いがお互いを値踏みしているというほうが正しいのだろう。
「ではミリティ・マルティウスにひとつ聞きたい。何故俺なんだ」
飛燕は疑問する。
先程ミリティは彼のことを「話が出来そうな人間」と評した。けれど彼の所業を間近で受け、つい先程自らの生業を殺しと断言した危険極まりない男を何故対話相手に選んだのか。飛燕はその一点に酷い引っかかりを覚えている。無論それだけが女の謎ではない、けれど飛燕を対話の相手に選出したという行動原理が一番条理にそぐわない。
不死よりも、希石よりも、それこそ「彼ら」の在り様よりも。
だから、男はその言葉を選んだ。
「ミリティで結構です。春、柳……飛燕さんと話がしたいという理由を話すには少し込み入った話が必要になります」
ミリティは無意識に両の手を合わせ、そして右手人差し指を自らの右目に向ける。
「私の眼の色は何色に見えますか」
何の脈絡も感じさせない発言。しかし飛燕は動じることなく言葉を返す。
「灰色に見える。それも酷く濁った感じのな」
「素直なお言葉ありがとうございます。そんな切り込んだ表現をされたのは飛燕さんが初めてです」
乾いた笑み。
底知れぬ恐怖を飛燕は感じた。未知に対する恐怖の類か、それとも既知による畏怖の類かは分からない。
けれどそこから先に踏み込まねば何も始まらないのは飛燕自身が強く自覚している。
「素直に言ってしまうとこの眼は当たり前を当たり前に認識できないようになっているんです」
まだミリティの言葉の真意は掴めない。
視覚が人間に知覚の大部分を占めているのは有名な話だ。だが認識となるとそれは眼球だけの問題ではなくなる。それこそ脳髄、大脳辺縁系などの中枢神経系が問題になっていくのではないだろうか。
「私の眼は人間だけを選別して認識しています。必要な人間はそれこそ不必要なほど鮮明に、必要のない人間はただの粗雑なオブジェとしか認識できません」
少しだけ女の言葉が理解できそうだ。
つまりミリティにとっては眼前の春柳飛燕だけが、それ以外の見え方をしたのだろう。
「それで、俺はどう見える?」
至極全うな質問である。
人と見ているものが違うという概念をクオリアと呼ぶのだったか、恐らく今飛燕の胸中には興味と疑惑と畏怖がかき混ぜられた感情が渦巻いている。
「モノクロです。必要な人間ほど明瞭に見えるわけではないですし、だからといって他のと違って明らかに人間とは呼べないものでもないです」
今まで存在しなかった第三の認識。
確かにそれほどの経験はミリティにとって貴重だろう。しかしここにきてまた新たな疑念が生じる。
そも彼女が先程から述べている「必要な人間」とは何を指しているのか。何も人間として認識しているのは飛燕だけではないのは間違いない。あくまで飛燕のケースはイレギュラーであり元々の認識という機能は作動しているわけだ。ただしそれには何かしらのフィルターが関連していると言える。もしかすればそのフィルターこそが彼女の視覚の特異性の元凶ではなかろうか。
無論その疑問点を春柳飛燕が見逃すはずがない。
「では聞こう。お前にとって必要な人間とはなんだ。別に話をするだけならそいつらでも十分なはずだ。認識が機能していないわけではないんだろう。それとも何か? お前にとって必要な人間は同時にお前にとって話すに値しない人間とでも言うのか?」
空気が凍る。
そう、飛燕は錯覚した。脆く壊れそうな微笑がこちらに硝子片の矛先を向けている様な幻覚。それほどに鋭い殺気が彼を貫く。
飛燕はその殺気に身に覚えがある気がする。数多の戦場を渡り歩いた彼だからこその判別方法。憎しみだけではこうはならない。悲しみだけでもこうは歪まない。これは全てを否定する類のものだ。あらゆる負の想念をかき集めた果ての感情。相手もそして自分さえ拒絶するほどのどす黒い負の想念。
飛燕は間違いなく似た様な殺意を肌で感じたことがあるはずなのだ。
そうでなければこの殺意の前に彼はたやすく屈してしまうだろう。
「はい。私が正しく認識出来るのは私が復讐する相手。そして彼らにはこの世界から残らず消えてもらっています」
オブラートに包んだ言い方とも取れる。
けれどそれが文字通りの意味なのだとしたら。
可能性はゼロではない。なぜならば眼前で冷たい微笑みを湛えるのは我々人類の埒外である人型の異形たる偽賢という超越存在なのだから。
ミリティは首をかしげ、更に優しく微笑む。けれどそれは微塵も優しさを感じさせない。奥底にあるのは底なしの闇。相手を窒息させかねない重圧が飛燕に重く圧し掛かる。
圧迫感を振り払うかのように、ソレを鼻で笑い飛ばす飛燕。
「ハッ、それがお前の本性ってワケか」
「えぇ、醜いでしょ?」
少しだけミリティから毒が抜ける。いや正しく言えば悲哀が混じるといった方が正しいのかもしれない。彼女が湛える笑顔が少しだけ潤んでいるのは飛燕だけの気のせいではない。
「一般的には酷いもんだろうな。聞いただけの言葉で判断するとお前は復讐するために生きているようなもんじゃないか。そんな人生意味ないだろうよ。復讐は何も生まないってのは定番だしな」
小さい雫が彼女の白い頬を伝う。
今度こそ間違いなく女は涙した。
純粋な悲しみの涙と今にも壊れてしまいそうな彼女の笑みは、それこそ至宝といっても過言ではない美しさ。同時に並大抵の男ならおもわず抱きしめてしまう程度には蟲惑的。
「まぁ、これは一般論であって俺の持論とは真逆だから安心しろ」
「……えっ、あ、すみません」
涙を拭うミリティ。飛燕の言葉がそれほど彼女にとっての意外な救済なのか。
「あやまるなよ、鬱陶しい。俺は復讐、逆襲大賛成だぜ。それで多くの人生を台無しにしたとしてもな。意味がない? 何も生まない? 新しい方向を見つけろ? 全部検討違いなんだよ。結局は自分の怒りを何かで押さえつけろってことだ。悲しみを何かで上書きしろってことだ。それは自分で自分を辞めるのと何が違う」
鋭い猛禽の目付き。
今度はミリティが怯む側だった。
「俺はそれを許さない。自分であることを自らを諦めるなんてことは決してあってはならない。例え人間でなくなったとしても覚悟と信念を曲げてまでして生きていたくはないからな」
ミリティにとってその言葉はどれほどの意味があったのだろうか。
救済か堕落か。
彼女にとっての唯一の人間から送られた言葉が拒絶ではなく、共感というのはどれほどの僥倖か。復讐という反社会行為を容認できる人種はごく一部に限られる。全てを包み込み許してしまう寛大さを持つものか、あるいは同様の過ちをしでかす可能性を持つものか。飛燕は間違いなく後者のタイプであろう。
「俺とお前は似ているのかもしれないな」
呟く。
そこに込められた感情は如何なものか。
ミリティにその真意を理解するには情報が圧倒的に不足している。対して飛燕もあくまでそれは可能性に留めている。現時点での互いの共通項は復讐という危うい行為への賛同のみ。飛燕だけが互いに復讐者という情報を得てはいるが、ミリティも薄々その点は感づいている可能性も否定は出来ない。
「似てはいませんよ。私はもうそれしかありませんから」
遠い眼差し。
諦観にも似た感慨を浮かべる灰燼の魔眼。
「俺もそんなものだ。お前がどんなものを背負って、どんな感情でここまで来たのかは俺には知る由もない。けれどこれだけは覚えておけ」
交差する視線。
灰燼の眼と漆黒の眼がここに向かい合う。
「迷うなよ。ここまで来たんだ。くだらない躓きで全てを台無しにするな。俺みたいな奴に出会ったからって安心するな。俺が異常なだけだ。理解者なんてそうそういない。俺もお前もこの世界じゃ異端なんだ。なら淡い期待はするな。復讐なんてものに取り憑かれているヤツの末路くらいお前だって分からないわけじゃないだろ?」
拒否を許さない現実を突きつける。
たしかにこの二人は似ている。けれど同時にお互いどこまでも独りだ。当たり前だ、自らのエゴのために行動するモノ達がそもそも同調できるはずがない。復讐などという至極自分本位な考え方で行動し、そして取り返しのつかない強さを手に入れた成れの果て。互いが抱える闇は誰かに肩代わりしてもらえるものではない。自らが蒔いた種であり、それは自分だけを追い詰め追い込む破滅の業。
飛燕はミリティの同調を拒絶したが、ミリティに自らを理解されるのを恐れたという一面も間違いではない。
迷うな、という言葉は何も目の前の異形にだけ向けられた言葉ではないのだから。
ミリティのスプーンがアイスが溶けかけたチョコレートパフェを持て余し気味にかき混ぜていく。
飛燕も飲み気もないコーヒーをティースプーンで手持ち無沙汰にかき混ぜる。
先に動いたのは黒い喪服の男だった。
「今日はもういいな。俺は帰らせて貰う。何、気にするな。全額俺の奢りだ」
言葉を言い終わると同時に飛燕は席を立とうとする。
「えっ、あ……待って」
ミリティを手を伸ばし、飛燕の腕を掴もうとした。
決して飛燕の立ち上がる速度が速かったわけではない。ミリティのタイミングが悪かったわけでもない。彼女が彼の腕を掴むのに失敗したのは単に心の問題でしかない。
もっと話をしていたいという欲求よりも、彼の言葉の重さに躊躇したのだ。ミリティ自身も己のやっていること、しでかしていることの重さは理解しているつもりだった。けれど自覚と他人からの指摘は別物である。
結果として彼女は迷ってしまった。
それは復讐者にとっては致命的な欠陥。だからこそ己が復讐者であるためにもこれ以上は飛燕に会うのは得策ではない。合理的判断としてそれは正しい。同じ在り方を持つ飛燕とこれ以上馴れ合えばいずれ復讐者としてのミリティに何かしらの影響を与え、そして最悪破綻してしまう。
それはミリティが最も恐れることだった。
無論それは飛燕も同様である。
復讐者というものは自らを鑑みれないからこそどこまでも強い目的意識を維持し続けられるのだ。だから同じあり方を持つ者同士が同調し合えば互いにいずれ破綻する。異端者は自らを異端として理解しているからこそ異端者でいられるのであり、その理解に少しでも疑惑などの感情がまざれば瞬く間に崩壊する。だからこれは飛燕が導き出した互いにとって最もベストな終わりだった。
少なくとも飛燕からすればミリティへの監視こそ続けるが、このような会話の席を設ける気は二度とないと高をくくっていた。ミリティにとっては飛燕は復讐の対象外ではあるが、飛燕にとってはミリティも十分に復讐するに値する存在だ。
飛燕はミリティの手をとる事もせずに、ただ言葉だけを残してその場を去っていく。
「心配するな。どうせ似たもの同士いずれまた何処かで会うだろ。世の中は案外狭いからな」
飛燕にとっては相手への復讐予告と同義の言の葉。
ミリティにとっては僅かに残った期待への道標。
この時のお互いは間違いなく復讐者だった。
色々なパロディを詰め込んでます。『火の鳥』の設定やら暁美ほむらの台詞やら。次のお話は諸事情ですぐには上げられないと思います。すみません。
では次章でまた。