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談話

基本的に作者がやりたい放題するのが目的。今回グロはなし。ようやく登場人物の名前が出てきます。

 時刻は朝の八時半。

 場所は第九区画都市自衛軍駐屯地の外れ。

 専用の兵装格納庫の所有こそ持っているもののその扱いは異端そのものである。本日もその区域に足を踏み入れる者は僅か二名だけである。


「砂糖とミルクの全く入っていないコーヒーと砂糖とミルクを死ぬほど入れた紅茶どっちがいい?」

 何を目的としているのか不明な二択を迫る白衣の女。

「ミルクだけを入れたコーヒーをくれ。真っ白になるまでいれなくていからな」

 小さな舌打ちが聞こえる。

「よく考えたら私この部署の中で一番偉いはずなんだけど」

「いい運動になるだろ。たかが飲み物注ぐだけだぞ。第一お前が言い出したことだろ」

「確かに私が「何か飲む♪」ってノリノリで言ったけど、そこは部下である君が気を利かせて動くのが世の常というものだと私は思うがね」

 そんな皮肉を言いながらもその手は二杯分のコーヒーをテキパキと用意している。


「そうか、そういえば俺は部下だったな。いつもすみませんね、ヘルメス・トリスメギストス課長様」


「いえいえ、こちらこそいつもお世話になってますよ。春柳飛燕(ひるやなぎひえん)課長補佐殿」


 互いに眼すらあわせず皮肉をぶつけ合う。

 ヘルメスはコーヒーメイカーを凝視しながら、飛燕は昨晩の業務報告の作成に勤しんでいる。

 コーヒーメイカーがこぽこぽと沸騰し始める音とカタカタとキーボードを打つ音が、作りだけは一丁前の空っぽの建物に響く。無論その中に入っている部署は人口調整課だけである。


「おし、出来た」

「こっちもあがったぞ」

 仲がいいのか悪いのか。互いに課せられた仕事を手早く済ませる両者。

 コーヒーを注ぐ音とプリンタが紙を吐き出す音がシンクロするわけもなく、ただ雑多な日常音として朝の静かな空気に溶けていく。

「はい、ミルク少々をぶちこんだ泥水の出来上がり」

「こっちも昨日の観察日記が終わったぞ」

 飛燕はコーヒーを、ヘルメスは資料を受け取りそれぞれの席へ戻る。

 互いの机は何の変哲もない灰色の業務机。多少机上の広いタイプでこそあるが老朽化の酷い年代物である。それが同タイプ二つあり、お互い向き合う形でくっついている。

 二人だけの部署なのだからこれ以上シンプルな机の置き方は存在しない。出入り口から向かって右側がヘルメス、左側が飛燕の席となる。


「オベリスクをひとつ破壊。で、その後件の偽賢遭遇したと。それなりにイベントはあったのね。ふーん、計14名を処理かぁ」

「やはり以前ほど活発な武装勢力はいないな。精々盗賊程度の兵装だった」

「武器の回収指示は警務局に回した? あとでガタガタ言われるの私も嫌なのよ。あそこの局長むさくて嫌いなの」

「寝こける前に報告はあげたぞ。というかそんなにあの髭面が嫌か」

 苦虫を噛み潰した表情を浮かべるヘルメス。

「苦手なものは誰にだってあるのよ。なんというか男臭さ全開ってのが肌に合わないのよ。人によってはそれは凄く男らしいって感じで惚れる要素になるらしいけど」

「ふぅん」

 じろり、とヘルメスが飛燕を睨む。

「そこは「じゃあお前ならどういうのが好みなんだ」って言葉が続く場面だと思ったんだけどな」

 ヘルメスの糾弾を鼻で笑う飛燕。

「嫌だね。それよりも昨日のお前の仕事はどうだった。内側の調整はお前の役割だろ?」

「おいおいおい、朝のブレイクタイムで仕事の話? 君も少し心に余裕を持ったほうがいいと思うよ」

 飛燕はコーヒーをすすりながら答える。

「心に余裕を持ってこの仕事が出来たらもう人間じゃないと思うがな」

 ヘルメスがニカリと笑う。釣られて飛燕も小さく唇を歪ませる。

「まぁお互い様だな」

「全くで」

 雑多な日常の音だけ小さな箱に響く。

 この第九区画都市で最も物騒な案件を抱える部署には全く似つかわしくない平穏な一時である。



 人口調整課。

 第九区画都市自衛軍所属する部署のひとつ。

 第九区画都市というのはこの世界が「災厄」を迎えた後に作られた防衛都市のひとつである。しかし防衛都市という厳つい名に相応しい概観はまるでなしておらず見た目だけで言えばそこらの政令指定都市と変わらぬ町並みである。けれどただひとつ違うのが外周を覆う壁とその一帯を警備する武装した者達の存在である。


 一度国家に見捨てられた国民が市町村レベルで独立、そして連携を組んだ末に構築された区画都市群。似た様なものはどこでも起こりえるもので、世界レベルでも国家の枠組みを超えた規模の独立都市での運営や交易による擬似国家の運営が多数確認されているという。いわば国家主権というものが意味をなさなくなった時代。もっと正確に述べれば国家というあり方では何もできなくなった時代とでも言えようか。一度何もかもが壊され、変化を余儀なくされた果てに人類が行き着いたあり方。そのひとつの答えが区画都市という独立行政システムと言えよう。

 そして彼ら日本の区画都市群が保有する軍事力は旧来の名にあやかって自衛軍と呼ばれている。自衛の名こそ受け継いではいるもののそれはどちらかというと私兵の要素を多分に多く含む。総帥権も区画都市によって様々なのもその一因だ。以前の体制同様行政のトップが軍事の全権握るところもあれば、完全に軍がひとつの派閥として存在する場所もある。場合によっては企業のトップが軍事のトップを兼任している場合さえある。勿論その在り方を統合しようとする考えが起こったのも一度や二度の話ではない。けれどそれぞれの都市ごとに思惑が違うのだから過剰な干渉を控えるという考えに落ち着いてからはそのような議論は息を潜めていった。

 とはいえ「過剰な」干渉がないだけでそれぞれの区画都市の軍事バランスは非常に危うい。特に行政を司ると宣伝して憚らない第一と軍事拡大優先の第二の軋轢はいつ戦争を引き起こしてもおかしくないレベルである。このような一触即発な状況下になっても戦争に踏み切らないのは単に損得換算によるものだけではない。


 「彼ら」の出現。

 ある時を境に発生した正体不明の存在。「彼ら」のことで分かっている事はその出現から数十年近く経った今でもそれほど多くはない。

 「彼ら」は黒い何かである。

 最初に認識されたのはこれだけだった。正直なところ人類が「彼ら」に最初につけたレッテルは都市伝説レベルだったのだ。以前よりゴム人間、動く影、黒い人など色々なネーミングこそあれ、それは一貫してただの作り話。あるいは「いると怖いもの」程度の認識だった。

 「災厄」の傷跡が完全に癒えたとは言えない社会情勢下ではそういった人々の不安が作り出すあやふやな怪異など珍しくもなく、誰もが真剣にその存在を問題視するはずもなかった。


 けれど、事は起こった。


 「災厄」を思い起こさせるような惑星規模の地殻変動の発生と同時に出現した存在。

 大陸プレートの隙間という隙間から生え出たその巨大な水晶の群れ。淡い緑色に黒の混ざったような色合いが美しい結晶群。しかし傍から見ればそれは水晶の山脈と見えなくもない。実際当時は水晶山脈として呼ばれていた時期があったのだ。しかし問題はこの程度では終わらなかった。巨大な水晶山脈の出現と時を同じくしてひとつの大陸が死んだ。否、正確には終わった。

 場所は北米大陸。

 原因は水晶山脈の出現にあるのだが、直接的な原因は別の部分にある。

 「彼ら」の大量出現。異常発生と呼んでもおかしくないのかもしれない。一日と待たずしてひとつの大陸を黒い何かが覆いつくすのは恐怖を通り越して冗談である。

 宇宙に浮かんでいた人工衛星からのリアルタイム映像はそれこそ悪夢の様相だった。

 各区画都市の軍部はもちろん既に過去の遺物と化した各国の政府も軍を北米大陸へと兵力を集結させた。目的は勿論情報収集。南米の暫定統合政府が戦略核を使用し陸路を強制的に遮断してからおよそ1日後の出来事である。


 そこはこの世に具現した分かりやすい異界だった。


 地獄と呼ぶ人も、あの世と恐れるものもいたが、全てが黒に染まった命の気配が全くしない大地はそんな大層なものではない。「彼ら」しかいない大地と煌々と不気味に輝く水晶山脈。これら二つが意味する事柄は即座に繋がる。水晶山脈は「彼ら」を生み出す元凶である、と。

 現存核兵器の集中使用が第一案として提唱されたが、無論それだけでは根本的な解決には至らないのは明白だった。水晶山脈がプレートから発生していると早期から分かっていたのもあり安易な行動は即座に北米大陸の二の舞になることはどの陣営も早期に理解させられる結果となった。

 次に注目されたのは何故そのようなことが引き起こされたのかという点。究明は人工衛星による航空写真が主に用いられた。いくつかトリガーと思わしき部分はあったが明瞭な原因と断定できる部分は2147年現在でも不明である。そのいくつかのトリガーのひとつに水晶山脈と同質の結晶塔の大量発生があった。大量の「彼ら」はここから生み出されたものと確認され、この結晶塔こそが「彼ら」大量発生の直接的原因であることが断定されるに至る。

 厄介な事に結晶塔は水晶山脈付近でならいくらでも目にすることが出来る状況下にあったのだ。陣営がこうして足踏みをしている最中に大陸ひとつを終わらせる危険因子が芽吹こうとしている。

 各陣営はそれぞれの領内で結晶塔の即時破壊を決行した。

 勿論それは同時に結晶塔の発生メカニズムの解明の側面も併せ持っていたのは言うまでもない。発生メカニズムの完全特定こそいかなくともある程度の発生周期さえ突き止めればその破壊は随分と効率化可能となるはずであった。

 結果だけを言ってしまえば大部分が成功を収めたと言えよう。

 結晶塔の破壊そのものは容易だった。最初期こそ無人爆撃機による空爆というコスト度外視の手法を使用していたが、その破壊が歩兵の持つ携行武装だけで可能と分かるとその破壊効率は飛躍的に伸びていった。


 が、ここで問題が発生した。


 ユーラシア北部で「彼ら」が発生したという一報である。発生元は結晶塔。破壊工作を行おうとした矢先の出来事である。これが人類と「彼ら」との確認される上で初の戦闘である。けれどこのような仰々しい言い回ししてはいるがその戦況は実にあっけないものだった。人類側の圧勝である。「彼ら」にはそもそも物理的障碍となりえるだけの性能はなかったわけだ。強いて問題があるといえばその数であるが、多少緊迫感が薄れて来たとはいえその時の兵装は攻城でもするのかという勢いの重装備だった。その大火力の前には紙装甲と言っても差し支えない「彼ら」の千や万など物の数ではなかったのだ。

 けれど思えばその驕りこそ失策だったのかもしれない。

 二回目の戦闘は南アフリカで引き起こされた。第一次戦闘からおよそ一週間後の事である。第一次戦闘の戦闘データは貴重な人類共通の財産として各陣営に共有され前線の兵や指揮官はその情報をしっかり頭に叩き込まれていたはずだった。勿論想定外の数の「彼ら」への対処も十分だった。念には念を入れて後方に軽戦車を二両も配備してあった。


 だが、誰が人間を材料とした上で襲い掛かってくると想定しただろうか。誰が同僚を簡単に撃てる状況になると思ったか。誰が戦車すら破壊する怪物がそこに現れると予想できただろうか。


 第二次戦闘は結果は今更語るべくもない。

 参加部隊が全員死亡。派遣された軽戦車は大破。もちろん攻撃目標である結晶塔は健在。

 人類と「彼ら」との第二ラウンドは人類側の完敗に終わった。

 無論負けっぱなしというわけではない。即座に南アフリカの独立共和都市のひとつが大型爆撃機を派遣。溢れに溢れかえった「彼ら」を結晶塔ごと爆炎の海に沈ませた。結晶塔はそれこそ跡形も無く焼失。

 けれどこの戦いで得た事実は当時の人類にはあまりにも受け入れがたいものだった。

 謎の敵の隠された特性。人間を材料に自らの性能向上を図るその危険性。事は早急に対処しなければならないのは誰の眼にも明らかであった。けれどどうにもできない。辛うじて現状維持が精一杯というのが当時の人類にとっての限界だったのだ。

 そもそもの元凶である水晶山脈を文字通り根こそぎ消滅させる手段はなく、結晶塔が出現するたびに大規模空爆を行っていては予算や資源的にもすぐに底が見える。勿論個人携行武装での対処をより円滑にするべきとの声も上がった。けれど「彼ら」の材料になるのは何も派兵された兵士達だけではない。「災厄」によって区画都市からあぶれた多くの難民が潜在的脅威となる怖れがあるのだ。

 「彼ら」の出現から数年間は各陣営とも連携を密接にし必要最低限の空爆で結晶塔による被害を辛うじて抑える手法が一般化していった。


 だが、その閉塞した状況を打開したのは皮肉にも「彼ら」由来の技術だったのは酷い皮肉である。

 最初にその手法を発見したのはどの陣営も存在を疎んでいた難民の少女だった。聞けば彼女は水晶山脈の付近に居を構えていたという。水晶山脈の付近はそもそも生命は生きるのに格別に不適切。草木の一本も生えない荒地にわざわざ居住するものなどそれこそ難民以外にはいない。しかしだからといって彼女が水晶山脈に近づけたということは今まで一度もなかったという。辛うじてその付近に居住できたというレベルであっただけの事情でしかなかったのだ。

 だが彼女はある朝目覚めると水晶山脈へ近づけたという。そしてそこで水晶山脈から生えていた小さな水晶を少しだけ拝借した。現実にある水晶と同様その深緑の水晶も硬脆材であるらしい。闇市での換金目的での行った行為だったが何故かその水晶片を手放す気にはなれなかったという。水晶を身につけ始めてから不思議な事が頻繁に起こっていたことに彼女が気づいたのは山脈から欠片を拝借してからおよそ一月もの経過を要した。


 彼女の事例を分析して得られた結果は言葉にすれば単純明快。

 水晶山脈の破片、もっと言えば水晶山脈そのものは兵器として運用可能という一点に集約される。とはいえ水晶山脈そのものの兵器運用は質量的に不可能であることは早々に結論が下されたのだが。けれど破片の運用によって得られる攻撃性能は既存の個人携行武装とは比較にならない規模。その上デッドウェイトにも悩まされないという夢のような性能を有していた。

 これら水晶山脈の破片を用いた攻撃技術は呼び名こそ各国で統一こそなされていないものの総じて「魔法」「魔術」「奇跡」の意味合いを含んでいた。東北アジアに位置する極東の島国・日本では破片を「希石(きせき)」。それによって用いられる術式を「式術(しきじゅつ)」と呼び運用を開始した。

 個人単位での大量破壊兵装の実現。

 結果としてそれは対「彼ら」としてはバツグンの性能を発揮した。少ない負担で多数を駆逐するその力はまさに一騎当千。無論その運用は稼動原因の究明と平行して行われたのは言うまでもない。


 研究過程で判明したのはある素粒子の存在とその性質。希石はその素粒子の塊ということが判明したのだ。素粒子の名は「仮想子(かそうし)」。仮想子は当時まで最小とされていた素粒子クォークよりも更に細かい素粒子であり、その特性はこれまでの物理学の常識を破壊しかねない代物だった。クォークよりも小さい素粒子という時点であらゆる物質界の原点とも呼べる存在である仮想子だが、持ちえた特性はどちらかというと量子力学の側面が強く出ている。知りえた仮想子の特性は二つ。「仮想子変換(かそうしへんかん)」と「離隔遊子作用(りかくゆうしさよう)」である。仮想子変換は接触した他の物質、細かく言えば素粒子を仮想子へと還元したうえで別の物質へ再構成する性質。そして離隔遊子作用は一定の距離内の物質という物資を自らに吸い寄せる性質。この二つの性質が意味するところはひとつ。それは仮想子の力を適切に使用すればそれこそ世界すら改変しかねない万能の技法であるということ。

 しかし仮想子のその非常に特異な性質を通常の状態で観測することはできない。トリガーがなければ仮想子はあくまで物質を構成する素粒子に過ぎないというわけだ。

 ではそのトリガーとは何か。それが式術と呼ばれる技術の出発点であり、最初の少女が起こした数々の不可思議な現象の正体というわけだ。汚れたドブ水を清い水に変えたり、襲ってきた暴漢を手すら使わず撃退した力。至った結論は科学的には酷くナンセンスなものだった。


 発動の鍵は人が持つ思念、強い想い。


 荒唐無稽と思われる結論。けれど人の持つ仮想子と仮想子の塊である希石が共鳴した場合でしかその特異な性質は発現されていない。性質の有効居範囲、再構築できる物質の自由度は被験者のシナプスの活動が激しい時に最も大きな数値を叩き出したことからも人の想いが仮想子に強い影響を与えているのは研究結果を算出した誰の眼にも明らかだった

 だがここでひとつ素朴な疑問が生まれる。その力を誰もが使えたのかどうかだ。

 当然だが被験者であった最初の少女は問題なく使用可能。だが各陣営から選出された被験者の誰もがその力の片鱗すら顕すことが出来なかったのだ。研究者の誰もが最初の少女の精密検査を主張したのは言うまでもない。そしてそこから得られた結果は驚くべきものだった。この事実に研究者達は研究の凍結まで考えたと当時の資料には残されている。今から考えればそういう状態になければそもそもこんな得体の知れない技術が使えるはずもないのだ。何かを得るには代償が要る。等価交換の原則。はるか昔から伝えられてきた原初の真理はここにきてもなお人類に安易な夢を見させてはくれなかった。


 彼女を調べてみて判明したこと。それは彼女を構成している物質が変異していたという事実である。一言で片付ければ彼女はもう全うな人間ではないということになる。ではどう変質していたのか、と問われると少しばかり説明が難しい。組成そのものは今までと変わりがない。けれどそれは仮想子がそう振る舞っているだけの状態なのだ。勿論これだけで理解できる人間は極少数だろう。先にも触れた通り仮想子の性質は量子力学の側面が強いと述べた。

 かいつまんで話すとシュレディンガーの猫に代表されるように量子、つまり素粒子は観測されたその瞬間にその性質形状が決定されてしまうというものだ。同時にそれは観測さえされていない状態ならその存在は不確定で曖昧なままということ。

 彼女の肉体状態も似た様な状態であると述べていい。彼女自身普段は自分というあり方を認識しているので一応は人体としての構造を保っているが、一度希石の運用を初めてしまうとその構成物質はどんどん仮想子側へと引っ張られてしまう。仮想子の持つ仮想子変換も離隔遊子作用も通常は発現しない性質だったのだ。それを無理矢理行使したのだからそれ相応の代償は覚悟するべきだった。

 簡潔に述べてしまおう。希石は使用すれば使用するほど人間ではなくなる。それも最終的に消滅の危険すら孕む程度には末期的。しかし当時の研究ではその最終的な結末までは知りえなかったが。


 けれどこの「彼ら」に対して決定打を持たない消耗戦を仕掛けられてはいずれ第二、第三の北米大陸の悲劇が繰り返されるのは明らかである。故にこの仮想子からの侵食度合の管理を徹底した上で各陣営の希石の運用は始まった。

 結果は上々。状況を打開しうる決定打にこそなれないもののその性能は状況を強力に維持するには十二分な活躍を見せた。これが希石ひいては式術運用の始まりであり「彼ら」との終わりの見えない闘争の始まりだった。

 これが世に言う「異変」の概要である。「彼ら」の出現とそれに伴う新たな発見による常識の変異。「災厄」が地球規模の破壊を指すのなら、「異変」は人類規模の変質とでも言えばよいのだろう。何にしてもそれ以後の人類のあり方は「彼ら」なしには語れなくなってしまう程長い付き合いになってしまったわけだが。


 ヘルメス・トリスメギストス、春柳飛燕両名が在籍する人口調整課もそうした対「彼ら」対策の一環として当初は設立された。現状こそただの窓際部署そのものではあるが。ついでに言えばADAMの維持費で予算だけはそれなりに貰っているので他部署からは憎悪とも憐憫ともつかない思いを抱かれている。

 人口調整課の仕事は読んで字の如く人口の管理が主な仕事である。普通に捉えればそれこそ役所の仕事であり、文官の管轄であろう職務。第九区画都市が比較的軍部の力が強いとはいえ流石にそんな業務にまで口を出すのは野暮以外の何者でもない。けれど「彼ら」の発生によりその管理は非常に重要なものとなった。

 第一に「彼ら」に憑かれた人間の排除。第二に難民の流入による二次被害の拡大の阻止。以上の二つが人口調整課が課せられた職務である。端的に言い換えれば危険因子を持つものを都市から排除するというもの。都市内部の管理をヘルメスが、外部の管理を飛燕が行うという分担だ。人数不足を指摘されるだろうがこの人口調整課は軍上層部直属な上、正規の命令系統の外側にあるためある程度不足分の人員を他の部隊から使うことで補うことが可能である。とはいえ在籍している両名が規格外なためこの権限はあまり行使されたことはない。

 外側の管理担当である春柳飛燕の戦闘能力は語るまでも無い。情緒の面でも問題無し。人殺しの職務を淡々と遂行でき、かつそこに罪悪感が感じられないというのは規格外としては上等である。内側の管理担当であるヘルメス自体偽賢という人外な時点で規格の外側である。ついでに彼女のもつ異能がそれこそ多数を管理する上で特筆すべき性能を示すのだから質が悪い。


「そういえばお前の持ってる「異式(いしき)」って結局どこまでやれるんだ?」

 コーヒーカップを両手に持った格好でヘルメスは答える。

「そうだねえ。精々交通標識程度だと思うよ。というかどうしたの藪から棒に」

「いやちょっとした疑問だよ。俺には偽賢の感覚ってのがよく分からないからな」

「昨晩に出会ったって言う偽賢の行動原理でも探そうと思ったの?」

 肯定の意味を含む沈黙が流れる。

 一息をつき、銀髪の女は口を開く。


「うん、君が不思議に思うのも仕方が無いよね。だって私達は人間ではないのだから」

 カップの中身をすすり、話を続ける。

「私達は元人間ではあるけど、人類というカテゴリーから外れているのは飛燕もよく理解していると思う。じゃあどうして人類とは違うのか、という疑問が出てくるね。はい、春柳飛燕君答えてみて」

 僅かばかりの逡巡の後、黒髪の男は口答する。

「構成物質の変質による不死性と異能の獲得。それが偽賢という存在と人類との明確な差異だ」

 銀色の女は柔らかく微笑む。

「うん、正解。私達は人類と違って簡単には死ねなくなってる上にそのあり方に即した異能を獲得する。飛燕たちが使う「醒造物(せいぞうぶつ)」との関係に少しだけ似ているね」


 醒造物。飛燕の作り出した黒い刃がそれに適合する。

 優しく諭すようにヘルメスは続ける。

「希石を用いた式術の更なる発展術式。それが醒造であり、その工程を経て生み出される使用者の願望の具現が醒造物。式術はあらゆる現象をそれなりの範囲で実現可能だけど醒造物がもたらす結果には遠く及ばない。万能性の式術。特化型の醒造物ってとこかな」

 ずずず、と苦味と酸味を口に含ませる。

「醒造物ってのはとどのつまり使用者の願望だね。それが意識下のものか無意識下のものかは分かりかねるけどね。飛燕の場合は、熱量支配だったっけ?」

「あぁ、まだ「支配」止まりだよ」

「何ひねくれてるの? 普通の人は「操作」程度なんだからその上の「支配」の段階に進んでる時点で賞賛に値するよ。そもそも「掌握」レベルはそれこそ私達に近過ぎる。まだ君は来ちゃいけない」

 しばしの沈黙。

「さて話を戻そうか。醒造物は人の願望の裏返しってところだったかな。そう希石の使い方を極限まで突き詰めていけば願望の具現という結論に至るのは容易い。そして最終的には自らを願望そのものへと変貌させる。これが偽賢の正体。そして私達に固有に宿る異能は自らが望んだ願望からこぼれたものってわけ。だから願望の具現という点では術者と醒造物との関係に似ているでしょ?」

 カーテンが翻り、春風が梅の香りを室内に運ぶ。

「ロマンチックに言えば私達はかつての自分達が生み出した夢なんだよ。まぁいつの間にか現実である自己を、願望でしかなかった夢に食われているんだけどね」

「随分皮肉った言い回しだな」

「うん。そりゃあねえ。何人も壊れていく同類を見てきたから」

 コーヒーをすする音だけが沈黙の中に響く。

「私達はある種の不死性を獲得したのかもしれない。けれどそれは肉体面での話であって精神面は別問題だったんだ。自分だけが生きている、生き続ける世界というのは中々苦しいものがあるよ」

 白衣を着込んだ女は椅子から立ち上がり窓際へとその位置を変える。

「だがその孤独感は何十年も経たないと経験できないんじゃないか?」

「うん。孤独感で死ぬのは案外少ないんだ。一番の原因は自分のあり方への怖れだよ」

「不完全な不死がもたらす不安か?」

「そう。一種の不死性を獲得したとはいえ私達は未だ死からは完全には開放されていはいない。その現実が突きつけられた時の恐怖は凄まじいよ?」

 黒い男が少しばかり手を顎に当て考える。

「気になってはいたんだが。どうやってその不完全な死を知るんだ? そんなに頻繁に死ぬタイミングなどそうそうないだろ」

「あー。朝にも言ってたけどどこかこの身体に違和感を感じるんだよ。自分が自分じゃない感覚? 幽体離脱の時のあの浮遊感、みたいな?」

「幽体離脱の経験はないな。だが……」


 右手を強く握り締め、そしてまた開く。その右手に残るかつての感覚を思い出す。

 飛燕の脳裏にかつての夜の情景が再生される。嫌というほど焼きついた凄惨な情景。

 最愛の人を己の力で殺し、己が確実に己が死んでいたであろう記憶。ありえない顛末と条理にそぐわない展望。そうあの時の自分は間違いなく自分ではない瞬間があった。


「ふぅむ。飛燕にも自棄になった時があるのか。まぁ言及はしないけどね」

 人外がカップの中身を一気に飲み干す。

「乱暴な言い方だけど私達は所詮泡沫の夢ってことなんだよ。異能の性質も酷く偏ってる。偽賢も所詮元人間という点だけは共通しているだけでその在り方も千差万別。私みたいに人間社会に迎合している者もいれば外を放浪している者もいる。君が出会った偽賢の思考回路も私とは別物だよ。まぁ強いて言うなら……」

 空になったカップを飛燕に向け、言い放つ。

「間違いなくイカれてるね。そうでなきゃ偽賢なんて人外になれるはずがない。なんたって偽賢になれるのは外的要因ではなく内的要因が重要なのだから」


 響く。

 白衣の女の最期の一節がいやに印象に残る。

 男の手にしたカップにはもう僅かしか残りが無い。そう、もう残り僅か。

 灰色の箱に穿たれた穴のような窓から空を仰ぐ。

 閉ざされた息の詰まるような空間、そんな言葉が黒い男――春柳飛燕の脳裏を駆け巡った。

 曇天の空模様でもないのに何故そのような感慨を覚えたのか、今この時点ではその理由を知るはずも無い。

嘘八百物理学はツッコミどころ満載ですね。所詮文系の妄想よ。何かご指摘・ご感想あれば仰ってください。では次章で。

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