邂逅
基本的に作者がやりたい放題するのが目的ですのでグロもちらほら書きます。苦手な方はブラウザバック推奨でよろしくお願いします。
汚れた空気が立ち込める廃墟の山々。
そこから生活感というものが消失してから随分と経つ。誰かが働いていたであろうオフィスビル。誰かが暮らしていたであろうマンション。誰かが乗っていたであろう自動車、バイク、リニアトレイン。
さまざまな日常がそこにあり、同時にそこに多岐にわたる人生があった。
けれどそれはもう取り戻せない。永遠にそれは失われてしまったのだ。そこにあった人生も、命も、何もかもがなかったことにされてしまった。
何故ならそこに人はあってはいけないことになっている。この現代において廃墟には人に仇なす存在していない。そう勝手に定義された。そこに住んでいるものの素性もなにもかもを無視して。
「三号機、四号機そのまま規定ルートの走行を続けろ。熱源を感知したら可能な限り遠距離から狙撃。必滅は絶対条件だ」
静かに呟く男性の声。
黒いインカム越しに何かに指令を出している。それが何かまではさすがに不明。けれどそれは間違いなく不吉を運ぶ存在だろう。
男性はおもむろに立ち上がる。
印象としては黒。墨汁を零したような黒。乾燥してパサついた黒髪。葬式に着ていくような黒いスーツとそれに全く似合わないごつごつした皮製の黒いブーツ。そしてスーツの上から羽織るロングコートもまた不吉なほど黒い。けれどそればかりは完全な黒とは言えず、ところどころボロのような破損が見られ更には赤黒い斑点が付着している。間違いなく凝固した血液であろう。
真夜中にこんなところでこんな格好で居る時点でまともな人物ではない。
黒い男は少しだけ空を仰ぎ、無言のまま歩き始めた。
彼のいた場所はは廃ビルの屋上。本来は五階建の建物なのだろうが何故だが一階が潰れてしまって今では四階しか空間が存在しない。無論、無人である。否、正確には無人にした。
黒い男が歩く廊下にはいくつかの人形が壁に横たわっている。いずれも貧相な体つきをしている貧民の様相。しかし手や肩には不釣合いな金属製の筒が見受けられる。それぞれが持つ筒の形は様々だが皆赤い花を咲かせているのは共通している。嫌にぬるぬるした鉄臭い液状の仇花。
男の側で横たわっていた人形が突如、動く。
奇襲と推察するのがこの場合の定石。死を偽装して背後をつく行為などテロリストとしては当たり前の下策。
けれど少しばかり様子が違う。男を襲うというよりは勝手に立ち上がったというのが正しい。その足取りは最初こそ生まれたばかりの小鹿同然だが、今その足取りは確かな意思を感じる。それが誰の意思かは流石に分かりかねるが。
黒い男は即座に胸元に手を突っ込み凶器を取り出す。大型の軍用拳銃。肉体を損壊させるよりも貫通させることを優先した対「彼ら」用にチューンされた銃砲。
即座に頭部に狙いを絞り、間髪入れず三点バーストを叩き込む。
人形の頭部に綺麗な三つの穴が開く。同時にその場から崩れ落ち小さな血溜まりを生み出す。
黒い男が舌を強く打つ。
「彼ら」ここで発生したということは近くでアレが発生しているということになる。男はそう素早く思考するとその場を早足で後にする。
「三号機。付近一帯にジャミング。電子兵装は一時シャットダウン。熱源は発見次第破壊、最優先だ」
インカムに向けて言い放つ。語気には僅かばかりの高揚が見受けられる。しかし男の表情からその詳細を読み取ることは難しい。
男は周囲一体を見渡す。必ず存在するであろう「それ」。「彼ら」が発生したのであれば「それ」がなくては辻褄が合わない。世界の辻褄を破綻させた存在にとっての厳守するべきルール。
男の黒い瞳が深遠の闇を見渡す。月明かりさえかき消すような闇をその眼が見通す。瞳孔が収縮しピントを合わせ、見渡せる限りの全域を脳内に焼き付ける。
そしてある一点に男の視線は釘付けになる。見つけた、と男は笑った。何が嬉しいのだろう。何がそんなに喜ばしいのだろう。先ほどの無表情はどこへやら男は完全に陶酔した何かへと変貌していた。
黒い男がそれに向かって崩れた大地を駆け抜ける。
「それ」の見た目はさながら細い塔。しかし高さが数十メートルもある建築物とは比べるべくもなく小さい。しかしそれでも五メートル近くある構造物は目を引くものがある。「それ」が深い緑色に輝く水晶に似た何かであればなおのこと。けれど「それ」は深緑色だけで構成されているわけではない。ところどころに混じる汚濁は黒色。緑を侵食するように付着する黒が「それ」を怪しく彩っている。月明かりに照らされた「それ」は内部から僅かばかりの光を放つことも相まって神聖な輝きと怪しげな光沢を両立している。
しかし「それ」は黒い男にとっては嫌悪すべき対象であると同時に自らを昂ぶらせる材料でしかない。黒い男が銃口を「それ」に向ける。グリップを右手で握り、右手を左手で固定し、引き金を絞る。闇夜にマズルフラッシュが瞬き、薬莢が転がる音がする。総数十八発。弾倉内の全弾を撃ちつくした計算となる。
僅かばかりの静寂の後、無言で男は嫌悪感を露にする。
理由は単純「それ」の周囲に「彼ら」と「彼ら」によって生まれ変わった存在がそこらじゅうにひしめきあっているからである。
正直なところこういった状況は珍しくもない。まともな交戦すらなく「それ」を破壊できた試しがないのが今の人類の残念な結末だ。しかしそれは人類の実力不足、相手への理解不足からくるものだけではない。
際限のない数の暴力。
今、男の周囲にはどこから湧いたのか既に百近くの「彼ら」があった。全体的に厚みというものがなくその造詣も子供が描き殴った海坊主そのもの。影を抽象的に立体化すればこうもなると考えから一部の人類は「彼ら」を「影」と呼称する一派もある。しかし残念なことに「彼ら」にも影はあるのだ。ということは少なくとも物質であるのは間違いない。今の人類の幼い知識ではその程度しか理解できないのは幸か不幸か。
ただいくつか分かっていることのひとつに「彼ら」の脆さが上げられる。「彼ら」はその薄さ故子供の投げた石ころ程度の衝撃でもバラバラになる。無論男の放った銃弾なら数十は軽く粉々にできてしまう。構成物質も驚くほど脆いのだろう。しかし「だろう」どまりなのは「彼ら」は崩壊と同時に粉末状の存在となって粒子状態に変遷してしまうからだそうだ。これまた推論でしかないのはその粉末を一粒たりとも入手できていない点にある。
しかしそんな学術的問題は「彼ら」の危険性を考慮すれば瑣末事でしかない。
「彼ら」はいつの間にか発生し、いつのまにか人類の身近に這いより、そして一方通行の変化を強要する。そこに如何な悪意があるのか不明。そもそも意思があるのかすら不明。けれど大半の場合変化した人間だったモノは凶暴化する。操られているのか否かすら定かですらないそれはレアケースを除き人類にとっての害である。故に処分するのが最善策。
だがここで問題が存在する。「彼ら」そのものは酷く脆く、数だけが取り柄の存在ではあるが「彼ら」によって変貌してしまった存在はその限りではないのだ。ひとつひとつが御伽噺の妖物、化物と大差ない奇怪さと容姿に違わぬ戦闘力を持っている。無論現代兵器が全く通用しないわけでもない。アサルトライフルほどの火力があれば十分応戦可能であり、迫撃砲なら粉微塵である。
ただそれらの材料が人間であり、少しでも息があれば「彼ら」に利用されかねないという点が最も厄介なのだ。だから黒い男の掃除はただの無用な大量殺人というわけでもない。けれど黒い男の場合それだけでない理由があるのもまたひとつの事実である。
黒い男が次のアクションを起こす。
軍用拳銃をしまい、新たに取り出したのは黒く緑色に輝く小さな石。その輝きは今男が目の敵にしている「それ」と酷似している。石を手に取った右腕を突き出し、同時に握った拳の内側から銀色の輝きが溢れ出す。
そして数瞬の間に形作られる漆黒の凶器。
片刃でこそあるが大振り。そして柄頭までも覆うように構成される護拳までもが刃で構成されている一振りの刃。勿論そんな刀剣はナンセンスであるうえ、そもそも銃火器が発達した現代で格闘戦を主体とするやりかたは時代遅れ以前に化石の考えである。勿論それが常識的な武器であればの話ではあるが。
一瞬の間での出現。そして今まさに炎のように赤熱している刀身を持つ刃がまともな訳がない。
黒い男が一歩を踏み込む。
彼我の距離はおよそ十数メートル。直線距離だけでいうなら三十秒も必要としない距離。けれどその前に排除すべき障害がそれこそ数えるのが嫌になる程度には存在している。
更に一歩を踏み込む。
男の顔には何ら悲観する要素は見受けられない。いやそもそもそんな要素を浮かべる必要すらないほど男の感情は昂ぶっているのだろう。表情全体こそ能面染みてはいるがその口端は小さく歪んでいる。
摺り足からの加速を伴った踏み込み。
それこそ足場である瓦礫の山々を吹き飛ばしかねないほどの膂力。構えは八相、そして瞬時の切り払い。右から左への鋭利な斬撃。「彼ら」はその切っ先に触れる、ただそれだけの衝撃で粉塵へと還る。しかし「彼ら」によって生まれ変わった元人間達はそうもいかない。傷跡こそ残るものの致命傷にはほど遠い一撃。
人獣じみた格好の元人間が鍵爪を振り上げる。間違いなく普通の人間ならば即座にクズ肉になるであろう一撃。勿論目立った防具すら身につけていない黒い男も同様。ならばその一撃の処理はふたつしかない。
回避するか、モトを絶つか。
男は何の躊躇いも困惑もなく後者を選んだ。振り払った刃をまるでナイフでも扱うかのように逆手に持ち替え、そして人獣の腹に一撃を見舞う。同時に「力」をこめ爆散を強要する。上半身が吹き飛び下半身だけの存在になったそれを足場にしてさらに男は「それ」へと接近する。攻撃は基本的に薙ぎ払い。「彼ら」であればそもそも接近すら許さず、元人間達の処理も「力」をこめた一閃で十分すぎる。
男の表情が少しだけ陰る。
「彼ら」達も少しは学習したのであろう。一箇所に集まり分厚い一塊へと変貌した。先ほどまでの「彼ら」がラクガキの海坊主なら今の「彼ら」はそれこそ本物の海坊主である。違いといえばここが海でないことと眼すらないので表情も何も全く予想がつかない点くらいか。
けれど大きいだけの存在などこの男にとって何の意味もないのだろう。
男の持つ力、いや正しく述べるならば男の本質が投影された黒い巨刃の能力の前では。男の扱うこの武器は使用者の意思を反映し、その本質をそのままカタチとして表に現し、そして当人の持つ願望を性質として具現する。故にその黒い刃は黒い男そのものであり、その刃から溢れ出る破壊の力は紛れもなく男の願望のそれと同一である。
だから、男の周囲に具現した焦熱地獄は男そのものと言える。
男が生み出した黒い巨刃に秘められた力は熱。熱量の支配。単純でシンプルな破壊の権化。熱による攻撃は全ての形あるものを液状そして気体へと昇華させる。カタチに依存するものにとっては致命的な力。形状維持が個体維持に直結する「彼ら」にとっては猛毒にも似た能力。だから黒い男は「彼ら」にとっての天敵足りえるのだろう。
元人間達が猛りながら集結する。顔のない海坊主と化した「彼ら」の一心不乱の突撃に合わせるかのように。迫力は抜群。字面にすれば妖怪大行進というなんとも間抜けなものになるが、その実異形達が間近に迫ってくるという状況はまともな精神ではまず耐え切れない。けれども男の表情は若干の陰りが見えた他に変化はない。
「……ハッ!!」
男が叫ぶ。嘲る様に、醜い敵を、醜悪な己を。
焦熱地獄がその範囲を急速に拡大させる。男の手に持った刃の刀身がそれこそ焼け爛れるほどの熱量を発生させる。大地を焼き、大気を歪ませるその熱量は元人間達の表皮をケロイド状に溶解させていく。けれど海坊主はそんなこと構いやしないと進軍する。しかし着実にダメージは蓄積する。雄叫びにも似た震えが海坊主から発せられる。
笑う。はっきりと男の表情が歪んだ。
そして男が笑うのとどちらが早いかという速度で男の斬撃が飛ぶ。胴回りが巨木ほどもある海坊主を丸太のように切断することは不可能に近い。だから男は選択した。海坊主の体に致命傷を刻むのではなく肉体そのものを使用不能に追い込む。黒い巨刃が海坊主と化した「彼ら」の肉体へと食い込んでいく。勿論その刀身は爛れるほど赤熱したままである。体内に液状の鋼鉄を流し込まれるのと何も違わない苦痛。
空気が割れんばかりの木霊が響く。
苦痛を感じているのような震え。しかしそれで手を止めるのならば男は初めからこんなことをしてはいない。男は明確な殺意をもって「彼ら」とそれに関わった者を殺している。いや、殺してきているが正答なのだろう。唇の歪みを一層酷くした上で男は刃を振り抜く。
巨木のような「彼ら」の肉体に一筋の刀傷。けれどそこから溢れる高熱を伴った破壊が「彼ら」の結合を内部から崩壊させていった。巨大な「彼ら」はその消滅を意味するかのように粉状となり素粒子の世界へと還っていく。
残る対象は数体の元人間。けれどもその全ては動きを止めている。大地を伝う形で展開された焦熱地獄に脚を焼かれ機動力がほとんどなくなっているのだ。男はその焦熱地獄の中を悠々と歩き、もう戦闘力も闘争の遺志すら感じさせない異形達を順繰りに処断していく。人獣の首を落とし、奇怪な六本の節足と肥大化した上半身を持つ存在を胴から半分にする。それらは悲鳴をあげた。彼らにはまだ神経が、痛みを痛いと感じるだけの回路が残っている。
けれどだからなんだというのだ、男の顔にはそんな言葉が表情として浮かんでいる。
痛みよりも死の恐怖が勝った元人間が逃走を図る。「彼ら」に似た様な思考回路こそあるものの基本として別々の個体と考えたほうが良いという説がある。だから何も敵前逃亡を図る輩が全くいないわけではない。それとも単に元となった人間の性質を受け継ぐのか。
背中から大鷲の翼を生やした甲殻類が黒い男に背を向け逃走を始める。けれど無意味。男が発生させた摂氏数百度の炎熱の空間がその脚を使い物にならなくしている。だから異形の甲殻類の逃走速度はマイマイのそれと同程度である。男は空いた左腕で大型拳銃を取り出し器用にマガジンを交換する。悠々とマガジン交換を終え、全弾を逃走を図る怪物に撃ち込む。悲鳴と苦悶の響きが木霊しながら最後に小さくわめきながらその異形は朽ちていった。
時間にして十分も要しない戦闘。否、これは殺戮や蹂躙の類であろう。「彼ら」の存在は人類にとって脅威ではあったが黒い男にとってはただの障害物と何も違わない存在だったのだろう。それとも「彼ら」の存在こそ、男のあり方にとって必要だったのかもしれない。「彼ら」を滅ぼすためだけの機械。敵対者を排除するための人生。ならばここまでの男の所業も納得もいく。結局のところこの男も人間ではなかったのだ。
男は己以外にこの地獄に生命が存在しないことを確認すると「それ」へと歩を進める。オベリスクにも似た緑と黒の水晶体。「それ」が影を生み出す縁と分かっているのは人類側が成しえた数少ない成果のひとつである。先ほど「彼ら」を大量に呼び寄せ、元人間までも招集して自らの防御に廻したためだろうか。「それ」が帯びる輝きは数分前より弱々しくなっていた。
男が刃を振るう。握る右手には不必要に力が篭る。刀身はこれまで以上に焼け爛れ、漏れる光でさえ火傷を負いそうなほど熱い。
「それ」が明滅する。小さく弱々しく。命乞いをしているのか、それとも呪いの言葉でも言い放っているのか。例えそれが言語化可能な意思疎通の手段だったとしても男の行動は変わらないだろうし「それ」の命運もまた不変である。
男が黒いコートをはためかせながら大きく刃を構える。そして即座に斬撃へと転化する。赤熱した刀身が引く赤い軌跡が肌寒い春の夜を奔る。「それ」はあっけなく砕けた。斬撃の勢いもさることながらそこに込められた破壊の衝動が桁違いの規模だったのだろう。結晶の形を保っていた「それ」は破片の段階を経ず粉塵へと還っていった。
「それ」が全て冷たい夜景に溶ける。何も残らない戦場。何も得られない地獄の跡地。それだけがいつも男の眼前に広がる光景。それが男が繰り返してきた諸行の光景であり、男が繰り返した行為の結末である。何も変わらない。何も変えていない。ただの戦闘機械である男には何も考えず何も思わずただ突き進む。そこから先に待つ結末などただひとつだと知っているのだろう。だから男はただ壊れた笑みだけを湛えてこの場を後にする。いつものようにただ目的だけを持って男は脚を進める。
「三号機ジャミング解除。規定ルートに戻れ。以後……」
四号機から男のインカム越しに連絡が入る。女性型の合成音声がただ一言述べる。
『発見』
男の顔が強張る。同時にその眼に先ほどとは違う光が灯る。そこには余裕は一切感じられず、むしろそこには先ほどは一切なかった死の恐怖を思わせる暗さがあった。
男の手にした凶器が小さく震える。赤熱がほとんど治まった黒い刀身がカタカタと地面を鳴らす。武者震いとでもいうのだろうか。けれどそこには純粋に恐れも混じっていよう。何せこれから男が相対すべき敵は先程の手合わせした偽りの異形とは桁が違う。本当の怪物。存在そのものが摂理を捻じ曲げた存在であるのだから。
息を吸う。息を吐く。ただそれだけの行動に緊張が走る。それほどまでの相手。
「三号機、四号機共に対象への狙撃可能ポイントまで移動。指示を待て」
短くハッキリと言葉を紡ぐ。男が四号機が送信した対象の現在位置を示すポイントを確認する。薄い板切れのような端末にデータが表示される。今の男の現在地より十一時の方向2キロ先にその対象を示すマーカーが点滅する。マーカーの色は赤。敵対者を示す深紅の色。そして対象より七時の方向1キロほどで移動を続ける青いマーカー。そして男の三時方向200メートル先にも同様の移動する明滅。
今一度、眼を閉じ大きく深呼吸をする。
己が成すことなど変わらない。いつものようにやっていつものように結果をだすだけである。無論それが一番の困難だということも男は心得ている。
眼を見開く。映る世界は相も変わらず殺風景な瓦礫の山々。命の気配はどこにもなくただただ静寂だけが空間を支配している。男は少しだけ西の空を見る。否、正確にはその先に居る対象を臨む。当たり前だがこの瓦礫だらけの景色の中で2キロ先の存在を視認するのは容易なことではない。崩れたビルが空を隠し、折れた電柱が視界を遮る世界。しかしそれでも男はそのむこうにいるであろう相手を見やる。相手の姿すら知らず、相手が何を思っているのかすら知りえない状況で男は決意をする。
刃を握り締め決意することなどそう多くはないだろうが。
そこには女がいた。
ボロを纏い乞食と見まごう程に薄汚れたその小さな姿。衣類の類も最小限。それこそ下着など付けてはいないのだろう。その衣服とすら呼べない布切れから覗く肌は不健康とは呼べないものの決して良い体調を示す状態ではない。かつては美しかったであろう金色の髪もろくな手入れもされていないのは一目瞭然。酷く乾燥していて傍目でも枝毛が分かる程度には痛んでいる。これだけ見れば棄民、難民と思われてもなんの疑問符もつかない。むしろそう考えるのが妥当である。今この国にはそういう輩が溢れていて、同時に彼ら排除がひとつの問題にもなっている。
けれど彼女はそういった迷い人、流れ人の類ではない。
いや、正しくはそういう輩がするような眼差しをしていない。強い意志を感じる灰色の瞳。そしてただひたすらに前を見ている純粋さ。恐れすら覚えるほどのまっすぐさ。もっと言えば何かひとつの目標しかみていない、とでも言いのだろうか。それしか眼に入っていない。それ以外は視界のうちにすら入らない。そう考えて見ると彼女の灰色の瞳はどこか濁っているようにも見える。胡乱だ瞳は何かを捕らえているのではない。それしか見えていないから他の行為を諦めてしまっているのだ。
さながらその姿は亡霊である。目的のために生存し、存在しているだけの生き人形。機械との違いはそこに指針が見えない事。ただ目的にだけすがっているだけの存在。故に亡霊。現世にへばりつく怨霊と何も違わないただ生きているだけで害悪を撒き散らす存在。
亡霊少女は脚を止める。この世界を生きている者達にとって危険を察知するということは必須に近い機能である。「彼ら」や「彼ら」に関わった者達、あるいは敵対する人間の攻撃を迎撃するにしろ、回避するにしろそれを察知せねば何も始まらないのだから。
亡霊は右へと振り向く。灰燼の瞳が月光を受け怪しく輝く。
だがその輝きを紫電の二条がものの見事に叩き潰す。音速すら超える電子加速の砲弾による十字砲火。続けて二撃、三撃。狙いは正確無比。狙撃用のロングバレルを展開したレールガンの命中率は限りなく必中に近い。その射手が機械仕掛けならばなおのこと。
狙撃を行ったのは黒い男に三号機、四号機と呼ばれた鈍色の鉄塊。外見を簡潔に述べれば高さ3メートル弱の四脚戦車。けれどそれは所謂戦車とはずいぶんかけ離れた姿をしている。当然のことながら戦車には脚など生えていないので先の言葉も酷く矛盾してはいるが。まずそれには砲塔に当たる部分が存在しない。代わりにそこには人間の上半身に似たものが陣取っている。そしてそれを上半身に「似たもの」と称したのにも理由がある。まずもってそれには人間で言う首がない。ブロック構造となっている胸部にかろうじて頭部と思える箇所こそあれ、全体から見ればそれは首なしと称して何の問題ない。そして当然人間の上半身を模倣する上で必須となるマニュピュレーター、すなわち手もっと言えば指というものが失われている。右腕部の肘から下は大型マシンキャノンを直接接続してあり、左腕部には件のレールガンを武装している。けれど上腕二等筋や脹脛などは嫌に人間に酷似した人工筋肉がむき出してある。四脚も膝から下は細く昆虫の節足をイメージさせる。
人間の上半身を模倣しながらも移動方法は人外のそれ。異形と称すものさえいるこの兵装の名はADAM。
Automatic Deffence Armed Machine――自律防衛武装機兵
度し難くも最初の人類の起源たる男性の名を人類初の自律兵器に付けた開発者は相当の捻くれ者だろう。それとも人間という種は生まれ持って闘うことが宿命付けられているとでも言いたかったのだろうか。どちらにせよ酷い皮肉なのは間違いない。
容赦のない狙撃の連続が止む。
間違いなく女をミンチにしているであろう。そもそも肉片が残っているのかも怪しい。対象の周囲には衝撃による土煙こそ上がっているがそれがADAM達が攻撃を止めた理由ではない。理由としてはふたつ。ひとつはそもそも狙撃バレルを装着したレールガンでの連続投射には限界がある事。狙撃バレル無しでの運用なら連続運用がデメリットになることはまずない。しかしこの相手に対してだけは遠距離からの狙撃しかADAMの有効打がないのだ。そしてふたつめ、これはひとつもよりも随分簡単な理由である。
影が飛来する。ボロ布同然の漆黒色のロングコートを翻らせ、黒い刃を携えた死神が女の姿を肉眼で捉える。猛禽のような鋭さと速度をもって一気に近づき、そして一閃を加える。先の海坊主とは違い一閃で破壊の軌跡を描く。
ふたつめの理由は黒い男の突入する際の隙作り。そもそもこの相手は機械だけで滅ぼすことは非常に困難。しかして人間の力だけではそれを死に至らしめることは極めて難しい。ならば二つをあわせればいけるのか。それもまた容易なことではない。今男が対峙している相手は正攻法では腕のひとつも奪えない相手。それこそ人間を捨てでもしない限りは。
男は斬撃に感触を覚える。間違いなく人の肉を断つ感覚。吐き気を催す後戻りの出来ない体感。
けれど男の表情は何一つ変化しない。変わらず硬い表情のまま刃を構え対象のいるであろう位置を見つける。黒い刃が僅かばかりに震える。先の高揚による震えとはその意味を異とする震え。
砂埃が晴れる。そこにあったのは人型。しかし間違いなく人間のそれではない。人間は下腹部や胸部、頭蓋などの重要部位が欠損していながら生存することはできないからだ。勿論腕が生える、破損された先から肉も骨も再構成されるなどこの自然界ではあってはならな仕様だ。けれど目の前の人の形をしていたであろう何かはそれを平然と行っている。いくつもの攻撃の影響だろう、女の肌を覆っていた布キレは今やほとんどその意味をなしてはいない。
生命という存在にあるまじき性能を持つそれが一糸纏わぬ姿で男の眼前にある。
色素の薄い金色の髪と生きるのをやめたかのような灰燼の眼。顔のつくりこそ十代半ばの少女のそれであろう。けれどそれは間違いなく人外のそれである。だからその目尻に涙のようなものが浮かんでいたとしてもそれは何かの錯覚である。目の前のそれは人の形をした全く別の生き物なのだから。
黒の刃が乾いた空気を切り裂く。軌跡は右切り上げ。左脇腹から右肩ごともっていく斬撃。女の細い身体である。たやすく刃は通り、右肩から先が簡単に肉体から剥離していく。
同時に男は不気味さを感じる。反応が薄い。何故こうも一方的な展開にもっていけるのか。何故相手は反撃をしないのか。何故相手は何のアクションも起こさないのか。女は男の存在を視界に納めたまま直立不動を維持している。
男はその違和感を払拭するように攻撃を加速度的に激しくする。斬撃にも十八番とする赤熱化を取り入れADAMによる遠距離狙撃も織り交ぜる。もう幾度その肉体を滅ぼしたのだろうか分からない。もう何度その視線を潰したのかさえ不明。けれど女がいなくなることも、その視線を止めることもなかった。女はただひたすらに男を見つめ続ける。何を思っているのか。何を考えているのか分かるはずもない。だから男は拒絶する。
分からぬものを無理に理解すれば間違いなく崩壊する。男はそれを一度理解し、同時に崩壊しているのだからこそそれを深く理解している。だからといってこれ以上壊れても問題無しというわけでもない。一度壊れたからこそ分かる。理解してしまえば間違いなく「今」の自分がいなくなってしまう。それは人によっては変化と呼ぶべきものなのだろうが、男にとってそれは死を意味する。男にとっては「今」の自分でなければならないのだ。かつての約束を果たすために。かつての呪いを実行するために。
だから男は決断する。
「三号機は俺を即座に回収。即座に全速離脱。四号機は離脱確認後信号を発信」
女への攻撃の手は一切緩めず男は冷静に異形の戦車達に指示を飛ばす。後方から激しい機械音が轟く。
ADAM、その走行方法にはふたつの種類がある。名目上多脚戦車である以上ひとつめはその四脚を利用した踏破方法である。彼らの脚部は足先にいけばいくほど細くなっており最終的には地面に突き刺さらんばかりの鋭さに到達している。勿論そんなものでは歩行は行わない。槍のようにとがった足先の裏側には安定脚としての役割も兼用するパイルが装備されている。それを伸縮させ、時にはパイル内の炸薬を使用して四足歩行による優れた機動性と接地性を両立させている。ただこの移動方法には速度がない。跳躍能力や走破適正を加味してもその欠点は致命的である。
だからこそのふたつめの走行方法である。パイルの更に上方部に備えられた小型エンジンを直接内蔵した独立回転可能な車輪による高速移動。回転運動という単純な構造に加え小型エンジンを搭載することによってパワー不足を解消している。また車輪展開時は全高が1メートル近く縮む副次効果も生まれ被弾率軽減にも一役買っている。そのスペック最高速度は85/hと中々に馬鹿げている。
そして今その鉄塊が唸りと砂埃を巻き上げながら男の元へと突進していく。
最高速度からの急停止は車輪に搭載された逆回転によるブレーキだけでは力不足。よって安定脚でもあるパイルをも使用し強引に減速を図る。瓦礫が砕ける音とパイルの折れんばかりの悲鳴が轟く。十分な減速の後、パイル内の炸薬を使用し完全な停止を実行する。
停止を確認した後、男がADAMの頭上へと飛び移る。完全自律兵器であるADAMにとって想定外の運用方法だが負傷人員の運送もある程度は考慮されているので全く不可能というわけでもない。けれど乗り心地は開発者をして三半規管を直接揺さぶる拷問器具という評価を下している。
ADAM三号機が現場から急速離脱を開始。速度はフルスロットル。体感速度では時速100キロは優に超えていそうだが、カタログスペックなど当てになどできないのだからこの程度想定の範囲内か。
女はただそこに立っている。生まれたばかりの姿で瓦礫だらけのもうすぐ終わる空間に。視線は変わらず男へと突き刺さっている。その目尻に浮かぶ透明な何かも変わらずそこにある。男にそれから視線を向けられる覚えはない。恨まれ、憎まれ、蔑まれた覚えなら数えるほどあるがただ視線を向けられ挙句涙を流される筋合いなど全くもってない心当たりがない。
けれどもそんな視線ともおさらばである。
「四号機、信号の発信状況はどうか」
肯定の電子音が返ってくる。
男が相手にしている存在は機械達だけでも倒すことはできず、人間単体でもそれを打倒することは難しい。けれど何も人類の持てる技術の全てがあの女のような不死身の存在に屈服したわけでもない。彼らにはその不死身の縁となる「媒介」を持ち、それを肌身離さずあるいは半径数メートル内に保持しなければならない。分かりやすくいえば不死者の一種でもある「リッチ」と「聖句箱」の関係に酷似している。違いといえば「聖句箱」に相当する「媒介」を誰もあずかり知らぬ場所に隠して不死を保つことが不可能な点であろう。
だから、ことは単純である。
圧倒的な面制圧。正しくは暴力的なまでの空間制圧と呼んだほうが正確か。
勿論これは先程のADAMと黒い男の能力でも可能ではあったが、相手の無反応具合をいぶかしみ最も安全かつ確実な選択肢を男が選んだにすぎない。
女のいた場所から1キロ程度は離れただろうか。男は女のいた先を振り向き、そしてその上に灯った光を見た。当たり前だがそれが星の光でも、月の光でもないことは確かだ。あんな禍々しい光を生み出すのは間違いなく人間の所業しかあるまい。
光は厚い雲突き抜け、一直線に目標へと突き刺さった。
極光。そんな言葉を当てはめるのなら今の光景しかないのだろう。大地に突き刺さる光の柱。用途は蒸発。破壊ではなく蒸発が目的な点が既に兵器としての次元を超えている。話によれば半径数十キロの空間への照射も可能というから恐ろしい。使用権はああいった不死の怪人達を消滅させる場合には優先的に与えられるが、そんなものの所有権をいったいどこの誰が握っているかは末端である男には分かるはずもない。
破滅しかもたらさない膨大な光が大地を抉り、世界の終わりを思わせる地響きが一帯に響き渡る。画に起こせばそれこそ今の光景は世界の終焉なのだろう。実際のところその一撃は世界を左右しかねない威力を持つのが笑えない。極光の一撃を耐えうる存在などまず存在しない。例えとしては乱暴だが太陽に放り込まれて生きていられるのかという質問と同義である。無論太陽とは違いその照射時間は一瞬である。けれど蒸発が目的である以上そこからの余剰エネルギーは周囲の地形を変える程度わけはない。
黒い男もそれを承知しての退避である。出力を一点に絞った照射であるにも関わらず1キロ以上離れた場所からでもその眩いばかりの光子の渦と熱を伴った衝撃波を肌で感じることが出来る。
極光の照射終了は始まりと同じく唐突だった。何かが弾けるような音が鳴り、一陣の突風が吹き荒れ、全てが収束した。
そこには何もない。あるはずがない。
あるのは瓦礫達が熱で溶かされ、衝撃波によって成形された奇怪なオブジェ達だけ。見ようによっては灰色の薔薇を思わせる。棘の代わりに鉄筋が生えているのが少々無様ではあるが。無論鉄筋が生えているのは花弁にあたる部分であり、大地から直接生えているかのような形をとる瓦礫の薔薇には茎に相当する部分はありはしない。
男は小型の双眼鏡を使い例の女がいたであろう場所を確認する。遠目では確認できない再生の兆候も探したが、そんなもの兆しはおろか痕跡すら存在していなかった。
息をつく。疲労と安堵の混じった吐息。なかなか出くわすことのない存在。そのうえ行動が全くもって理解不能なヤツとの邂逅に思いのほか緊張したのだろう。元人間とはいえ既に人間のそれとは別の思考形態を持つやつらにはもう人間の持っていた「あたりまえ」が通用しないのだろうか。ただひたすら異性を見つめる、という行為に該当するものは確かにある。けれどその行為に涙は付属していただろうか。
男には疑問しかない。けれど疑問に苛まれるほどの時間的余裕は今の男にはない。
「四号機、爆心地を迂回するルートで合流地点に急げ。途中での熱源への攻撃は継続。ただし照射による余熱の可能性を考慮して行動しろ」
男のハッキリした口調とそれに続く電子音が冷たい春の夜に響く。
朽ちた廃墟で巻き起こった流血を伴った喧騒と邂逅。
一方にとっては奇妙な出来事。一方にとっては数奇な出会い。
憎悪と嫌悪、無機質な機械音と怖気をもたらす生物音、破壊しかもたらさない光と熱が交じり合うこの場所でそれらは出会った。何が変わるでも、何が始まるでもないこのもうすぐお終いになる世界で。
分厚い雲に穿たれた穴から見える欠けた月。奇怪な欠け方をした歪な月だけが壊れた世界に柔らかな光をもたらしていた。
ちまちま書いてるので更新速度は微妙です。何かご指摘・感想ございましたらお気軽に。