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短編集①『海苔のつめあわせ』

コロの写真

作者: のりするめ
掲載日:2026/10/08

昔よくおかんの実家に遊びに行った。



だいたい二時間の距離だったのだけれど、車が苦手だった僕はいつも途中で吐いた。時々、窓を開けて顔を出し、風を浴びながら気分の悪さをどこか遠くへ押しやろうとした。



やがて空気が変わり、顔にあたる風がひんやりとしてくる。風が心地よく、目に映るものが次第に造り物の灰色から生き物の緑色に変わっていく。その頃には吐き気は和らいでいる。山道を抜け、また一つ山を越えていく。その少し先に、小さな集落が見えてくる。



そこには“サダニのじいちゃん”と呼ばれる、おかんの父親がひとりで住んでいた。なぜサダニのじいちゃんと呼ばれているのかは、昔この場所がサダニと言われる集落だったからだと僕がだいぶ大きくなってから知った。



サダニのじいちゃんはいつもニコニコしていた。僕はそこが定位置かのように、あぐらをかいているサダニのじいちゃんの膝の上に座った。いつも甘栗やミカンの皮をむいてくれるサダニのじいちゃんのために、僕は新聞の折り込みチラシでくず入れを作ってあげた。



サダニのじいちゃんは「すごいなぁ」と褒めてくれた。その一言だけで僕は胸いっぱいになった。僕は日々の報告をした。空手でメダルを取ったことも、最近サッカーを始めたことも、近所の川で大きな魚が取れたことも、サダニのじいちゃんはちゃんと褒めてくれた。僕はまだ子供だけど、その前に一人の人間なんだと思えた。



僕はうれしくて、何個もくず入れを作ってはサダニのじいちゃんにプレゼントした。「そんなにいらんやろ」と、兄ちゃんやおかんは言うのだけれど、それでもサダニのじいちゃんはニコニコしながら僕を何回でも褒めてくれた。僕はサダニのじいちゃんが大好きだった。



そこにはコロという犬もいた。柴犬の、ころっとしている犬だからコロ。なぜかはわからないけどコロとの記憶はほとんどない。そういえば、サダニのじいちゃんの記憶もあまりないことにそこで気づいた。



コロよりはもちろんあるけど、いつもニコニコしてたこと、頭がはげていたこと、小学五年生くらいの時にお葬式に行ったことくらいだ。



あと、匂い。サダニのじいちゃんの家はいつも畳と線香の匂いがしていた。その匂いが大好きだったこと。その匂いがそのままサダニのじいちゃんの匂いだったこと。



山の麓にある木でできた瓦屋根の大きな一軒家。そこでサダニのじいちゃんは一人で生活していた。そのものすごく広い家の中で、小さい僕は畳の上に寝転がってぼぉっと天井を見ながら、考えるってこと自体がまだよくわからないまま、そこにある何かに思いを巡らせて、その匂いを嗅いでいた。



今でもふと、線香の匂いを嗅ぐと思い出す。サダニのじいちゃんが死んだときの記憶。僕の首くらいの高さの台の上に寝かされているサダニのじいちゃん。あんなに号泣するおかんを初めて見たこと。



僕は泣かなかった。おかんはこんなにも泣いているのに、なんで僕はまったく涙が出ないんだろうと不思議に思った。



サダニのじいちゃんが死んだ。



頭ではなんとなくわかっているつもりなのに、ほんとの僕の中では、悲しいでも辛いでもないような、よくわからない気持ちがゆらゆら漂ったり、たまにぐるぐる渦巻いたりしていた。わかるのは、あれだけニコニコしていたサダニのじいちゃんが目をつむったまま動かないこと。ただそれだけだった。



葬式後。家の様子はどんどん変わっていった。最初はきれいに飾りや照明が置いてあるのだけど、ちょっとずつサダニのじいちゃんは写真だけになっていった。



写真の中でもサダニのじいちゃんはニコニコしていた。でもその顔を見ても僕はなんとも思わなかった。褒めてくれないからだ。



僕はサダニのじいちゃんがどういう歩き方をしていたのか、どういう立ち姿なのか、どんな食べ物が好きだったのか、どんな仕事をしていたのか、なにも知らなかった。知ってるのはニコニコ笑う表情と匂い、そして、栗とみかんとくず箱くらいしかなかった。



あと覚えているのは、コロの最後の日。コロとの別れは断片的だが、とても印象的だった。



普段サダニのじいちゃんちに行っても、特に散歩に出かけたり、エサをあげたり、遊んだりしたことはなかった。ただ、家の外に小屋があって、紐で繋がれてて、おとなしい犬がいるという記憶しかなかった。そして“コロ”と呼ばれていることくらいだった。



だからこそ印象的だったのか、サダニのじいちゃんが死んだ後のことだ。大人たちは話し合いをしたが、誰も引き取り手がいなかった。僕の家はもちろん(一緒に住んでいるおとんの方のじいちゃんとばあちゃんは犬が大嫌いだった)、親戚や近所の人たち、誰もコロを引き取らなかった。



だからある日、なぜ僕が同行したのかわからないが、軽トラックに乗って山の近くの野原にコロを放しに行った。



とてもあっさりしていた。野原に着くと、親戚の兄ちゃんがコロの首輪を外す。僕は助手席に乗ったまま。すぐさま親戚の兄ちゃんが閉める軽トラの扉の「バン」という音が、少し霧がかった空に響き渡った。そしてコロを置いて走り去った。それだけだった。あまりにもあっさりしていて、僕はこれでコロともう一生会えないのだということがわからなかった。



ただ僕の記憶には、軽トラの後ろをダッシュで追いかけてくるコロの姿だけが残っている。最後まで静かだった。もっとわんわん鳴けばいいのに。これはただの記憶なだけで、本当は鳴いていたのだろうか。コロはサダニのじいちゃんがいなくなったことはわかっていたのだろうか。



コロの姿はやがて見えなくなり、それから会ってない。たぶんとっくに死んでいるんだと思う。



最近、帰省した時にふと気になったので実家にしまわれていたアルバムをめくった。その中にサダニのじいちゃんの写真を見つけた。でも、コロの写真はなかった。だから僕はなんとなくだけど覚えておこうと思った。





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