プロメテウスの炯眼-7
あれよあれよと言ううちにエルヴェ・ペリドの行方を追う任を負わされたワルターは、やはり師には自分がこさえている隈が見えていないらしいと思った。そう考えると普段感じている疲れが増大する気がした。
だから二人で執務室を出る際、いつもと同じく「結婚報告を待っている」と声をかけられても、なんの悪態もつけなかった。
「エレニ。先生はいつになったら諦めてくださると思う」
扉が閉まったことを確認してから、ワルターは小声で妹弟子に囁いた。
疎遠になって長いとはいえ故郷に両親のいるワルターと違って、彼女は十代の始めに親を亡くしている。元々顔見知りであったので、彼が首都に上るとき、エレニも一緒に師匠宅で暮らせるよう無理を言ったらしい――と、誰も口にしていないはずの過去の事情が、なぜか一部部下の知るところとなっているのがワルターは大いに不満だった。
というのも、この話を知る人間が増えれば増えるほど、師に味方が増えることになるからである。つまり、弟子たちの仲睦まじきに関して。
「諦めるという言葉から一番遠い人を指してなにを言うんです、兄さん。あなたがお相手を見つけてこない限り、きっといつまで経っても駄目ですよ」
ワルターは溜め息をついた。
機嫌が良さそうに微笑む妹弟子が、まるで自分は関係ないような態度でいつも振る舞うからいけなかった。
彼には分かっている。師が本当に案じているのは娘のように思っている愛弟子の婚期と将来であって、本人が全くと言っていいほど他人に興味を示さないから兄弟子はどうかと提案しているのである。
恋愛が病であるとして、半ば無理矢理結ばれた人々の予後が良くないことをワルターは身をもって知っているので、自分ごとのように毎回躱してはいるのだが。いい加減に言われている本人が拒否しなければ、ワルターの方だって体裁が悪かった。
「それで、エルヴェくんの居場所ですが。ちょっと心当たりがあるので、勝手に行ってみてもいいですか?」
エレニはどこまでも自由だった。
昔からではあるが、組織に所属してもその規律を遵守しようという意識は特になく、かといって積極的に破ろうとするわけでもない。そうして大きな問題が起きない見通しが立っているなら、とりあえずは自分の意思を優先する――器用にそれをやってのけるので、今日まで誰にも罰せられたことがない。
「君の秘密主義も、ほどほどにした方がいいと私は思う。いずれ痛い目を見るから」
こうして説教をしても、結局肩を竦めて流される。幼馴染が自分の行動を決して止めはしないことを、彼女はどうせ分かっていた。
カラミアの自宅の暖炉前を、あるいは家の周囲全てを、極めて冷たい空気が覆っていた。
まるで骨組みから装飾に至るまで、家を形作るあらゆる木片と石片が、来訪者の存在を拒絶しているようだった。
「カラミア・コキノくらいの魔法使いになると、お呼びじゃない客には家が代わりに応対するんだな。ああどうも、初めまして。エルヴェ・ペリドと申します」
十二度のノックの末に渋々扉を開けたカラミアに、青年は独り言ちた風に嫌味を言ってからにこやかに挨拶した。家の主はその銀の髪に、先にいた客人はその独特の気配に、それぞれ見覚えがあった。
そして、そもそも名前も聞いたことがあることには、二人とも、身体的特徴のあとに気付いた。
「――優勝おめでとう、とでも言うべきかな? なぜここが分かった?」
カラミアが手で来るなと指示するので、ギルバートは自分の椅子に座って耳をそばだてることしかできなかった。控え室で起きたことについて、自分が抱いた印象も含めて――つまり極めて主観的である自覚はあったが――大会の直後に話してあった。
「ありがとうございます。なぜ、って、特に隠しているわけではないでしょう、まさか」
まさかこの程度を分からないとでも思っているのではあるまいな、と言われていることくらいはカラミアにも伝わった。彼女は別に会話が苦手なわけでも、会話内に発生する非言語性のやり取りを忌避しているわけでもなくて、あえて言うのであれば人間そのものを避けているだけだった。
特に隠しているわけではない。それは何年か前に自分で建てたこの家を、森の中で目立たぬように、という意味ではなく。自分自身をこの山々の中で、という意味だった。ギルバートにはどことなくエルヴェの言わんとすることが理解できた。
「研究をする上で非常に興味深いので、帰りに少し調査をしようかと。都市から離れた場所で暮らす人々の、魔力に対する――鈍さと言うと聞こえが悪いですね。あれは麻痺とでも言い換えられます。それを知っていて油断しているのでしょう、遠くから来ていると、あなたはこんなにも見つけやすい」
急に饒舌になった青年に向ける視線を、カラミアは訝しげなものに変えた。いかにも外行きらしい笑顔を浮かべて、彼は片手に持った箱を指差す。土産物があるから入れてくれないかということらしかった。
会話だけを聞いていたギルバートは、そこで小さな違和感を覚えた。
「特になにも言い返すことはない。ただ、客人として迎え入れる前にひとつ訊きたい」
大会前と違って大変に機嫌が良いらしいエルヴェは、「うん?」と鼻歌ほどの軽い唸り声で応えた。控え室で羽織っていた外套といい、なにかと上流階級らしい立ち居振る舞いである――と、立ち聞き中の少年は思い返した。
師は自分と同じことを言うのだろうか。未熟な、杖を贈ってもらったばかりの自分と同じ部分に、違和感を覚えているのだろうか。気になって仕方がなかった。
「君は魔力を感じ取れているわけではないね?」
それだ。魔力を探知するにあたって、カラミアがひときわ目立つであろうことは明白だった。しかし、客間という玄関から五歩もない位置にいるギルバートだって、隠しようのない気配をまとっている。
「あー。ええ、分かりますかね」
やはり機嫌が良いのか、いやに素直に認めるなと少年は思った。大会前に見た気色が悪いほどの笑顔を浮かべているのか、素の顔はもっと人当たりの良さそうなものなのか。どうにかして顔を想像するために、じっと彼の気配に集中する。
その中に魔力が感じられないのは相変わらずだった。
「分かるとも。君に生まれつき魔力がないのも、見れば分かる」
一瞬の沈黙。
未だ扉の外に立たされている青年の、余裕そうな表情が崩れる音すら聞こえるようだった。ギルバートは一瞬、背中に強烈な悪寒が走ったような気になって、頭頂から爪先までを一度震わせる羽目になった。
師は、エルヴェに手のひらを見せながら、彼を客間へと招き入れる動作をしていた。揃った指先が偶然ではなさそうな形で自分の方を向いていたので、少年は慌てて背筋を伸ばした。
「どうかしたのかな、ペリド博士。君の方こそ隠そうともしていないくせに」
玄関先の小段に体重をかける音がする。ギルバートはなるだけ行儀のいい座り方のまま、振り返った。
「隠してはいませんよ。見せているつもりもありませんが――」
カラミアの前を通り過ぎてからようやく、エルヴェは先客の姿を認めた。驚きにか一瞬言葉に詰まってからではあるものの、彼の口からは小さな溜め息が出た。
「なるほど。ディオニーくんには分かるでしょうね」
諦めたかのような声色だったので、カラミアは鼻を鳴らした。その手にはいつの間にか土産物が乗っていた。
エルヴェは上から下まで真っ白い服を着ていた。髪の色まで白に近いので、顔色が少し悪ければ、両目を除いて全身が白く見えそうだった。
「ど、どうも? 優勝おめでとう……いや、ありがとう?」
なにを、どういうふうに、言えばいいのか分からなかった。ギルバートは本当に言葉が苦手であった。控え室で強気に出られたのはひとえに高揚の成したことで、二度と会わないものと思っていたものだから、それを踏まえた上で出会って二度目の会話をするにはあまりに度胸が足らなかった。
「おう、どういたしまして。見ただろ、勝者の貫禄ってやつ」
対してエルヴェはあまり動じていなかった。にこりとわざとらしく笑うと、彼は数秒かけて家の中を見渡した。
頑丈に作られているように見えて、その実安定するわけのない構造になっている天井。丁寧に掃除されている窓枠。太陽光で飴色に変色した本棚。いっそ浮いて見えるほど異質な色をした、普段カラミアが座る方の椅子。
彼が最後に視線をやったのは、好敵手の手元の杖の方だった。
「ふうん……ちょうどいい。コキノさん、今日はあなたにお願いがあって来たんです」
そう言うと、エルヴェは渡したばかりの土産物を指差した。
「まずは開けてみてください。それで大体分かるはずです」
はあ、と、やや間抜けな声を出してカラミアは箱を開けた。包装はまったく単純だった。
その中を一瞥しただけで、彼女はふと動きを止めた。信じられないものを見る目が、箱の中を、そして客人を見る。
「どうして……君が、これを」
中身を取り出そうとする手が遠目に見ても震えていた。ギルバートは目を凝らした。
蛍が密集したような光を発する、歪んだ枝の絡みついた棒が、そっと土産箱から顔を出して、部屋の中の雰囲気を変えた。
それは紛れもなく、
「どうして」
誰がどう見ても、カラミア・コキノの杖だった。
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