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プロメテウスの炯眼-5

 背後で握っていた両手に少し汗をかいていても、全く気にならないほど気分が高揚していた。

 目を瞑っても昼の景色が広がるほどの光が自分を照らしている。何百という眼差しが自分に釘付けになっている。幼い声から酒で嗄れた声まで、全てが自分に声援を送っている。

 他人の視線を集めることが特段好きなわけでなければ、なによりも緊張が優ってしまって、失敗する選手も多いだろうとギルバートは思った。自分だって緊張しいのくせに。なぜだか感覚が他人事のように伝わってきていて、実感が持てなかった。

 拍手は止むことを知らなかった。ギルバートが両腕を広げて、手のひらを天に向けるまでは。

 視覚情報はもはや邪魔にしかならなかった。


 カラミアは、弟子が目を閉じるそのときになってようやく、席に着くことができた。目深く被り直した帽子の鍔を片手で支えながら周囲の人間を一瞥すると、誰一人自分には気付いていないようだったので、彼女は胸を撫で下ろして前を向いた。

 エレニ・カッライスはかつての取り調べ相手が目の前にいる理由を特に追求しようとはしなかった。カラミア・コキノに弟子を取る気など毛頭ないことくらいは、本人に初めて会った新米の警備隊員ですら一目で分かりそうなものだったのに。

 廊下の長さといい班長とやらの態度といい、疑問に思うことは多かったが、会場の中心でギルバートが深々と礼をするのを見て、カラミアは一旦考え事を中断しようとした。それでも心配が募ってしまった。

 師匠を名乗っていないだけあって、彼女は少年が一体どういった魔術を披露するつもりなのかを一切知らない。少なくとも、普段の練習を見ている限りでは、見栄えのする派手な魔術を数多く習得している印象はなかった。

 地区大会に出るのが田舎者ばかりとは限らない。よりによって最後から二番目という順番だから、これまでに高難度かつ華美な術を使う選手がひとりでもいたら、見劣りしてしまうに決まっていた。

 そんなことはきっと、本人が誰よりもよく分かっていた。

 

 ギルバートの頭上に光る輪が現れる。

 少年自身にそのつもりはなかったが、教養ある審査員たちはそれを古い伝説の再解釈と捉えた。

 山奥の出身で、かつ競技者たちの平均年齢を少し下回る彼がその伝説を耳にする機会などないに等しかったし、この大会の成績次第では一生訪れることもない。ギルバートはただ、想像力を発揮させただけだった。

 光輪。逆光で俯いた自分の顔が誰からも見えなくなる。

 細かな水と氷の粒。あらゆる光が乱反射して、小さな虹がそこかしこに出現する。

 色とりどりの花弁。真っ赤なものを地面に落とし、真っ白なものを観客席まで飛ばす。

 薬草の冷たい香り。熱狂した観客が落ち着きを取り戻し、ただ目の前の光景だけに集中する。

 空想と現実が交錯し始める。ずっと昔から大会でいかに自分自身ではなく術を見せるかを考え続けていたから、瞼の裏で俯瞰した会場に自分はいなかった。

 夢のような想像は止まらない。指先から星の欠片が舞うことを意識して踊り、足元に巨大な雪の結晶が連なる幻想に浸りながら飛び跳ねる。

 楽しい!

 魔法を使っていてそう感じないことなど人生で一度もなかった。そして、今日はひときわ楽しかった。この感情を、衝動を、観客も審査員も問わず全員に伝えたくてたまらなかった。

 師匠には自分の表情が見えているだろうか、とギルバートは一瞬考えて、すぐに見えていなくてもいいと思い直した。魔術を使わない誓いを立てているのは別に本意ではなくて、カラミアが自分と同じ大の魔法好きであることは普段の態度からよく分かっていた。事情はどうあれ、彼女だって元選手なのだし。

 ――光輪を大きくしてみたらどうだろう。いくつも作って重ねてみたら?

 空を飛んでみたい。白鳥の羽根の形は覚えている。人体で言うなら腕に生えるはずだが、肩甲骨に生えていると見栄えが違う。

 足元が、枯れ葉の山だったら、花弁の絨毯だったら、透き通った池だったら、いっそう綺麗に見えるかもしれない。

 春、夏、秋、冬の花。新芽、若木、紅葉、白銀――美しい顔と悍ましい顔をそれぞれ持つ山々の、記憶にある限りすべての景色を脳内から外の世界へ投影する。

 想像上の月光が少年を照らしていた。


 かつて、流星も、台風も、地震も、魔法の一種とされていたという。要するに、人類の手の届かないもの全般である。それらの規模を制御できる程度に縮小させて飼い慣らしたのが現代魔術で、だからもう流星も台風も地震も、起こせる人間などひとりだっていない。少なくとも、魔術の使い手には。

 ギルバート・ディオニーが振り回しているのは、体系化された魔()ではなくて、真に()()と呼ばれるべきものだった。それこそ、人智を越えた先にあるような。

 身体にみなぎる魔力を思うままに操るだけのことでさえ、彼の年齢層では滅多に見られない技術だった。

 地区大会というのは、言わば若人たちの初歩的な魔術がどれほど練り上げられているかの競争に近い。楽しそうにするほど余裕のある選手が片手で数えられる程度いたのなら豊作で、稀に見る肝の据わり方をしていない限り、競技者たちは一様に硬い表情で観客の前に出るものである。

 それを、自慢するでもなく、見せびらかすでもなく、ただ遊んでいるだけかのように続けているから。審査員たちは互いの脳裏に浮かんだ言葉をたった一度の目配せで確認した。

 少年は異常だった。

 天才とも言える。けれど、天才という語に必ずしも含まれない、異質で気味の悪い部分を含んだ表現として、異常以外の言葉がなかった。

 恐ろしく無邪気な笑い声が耳元で聞こえるようだと観客の誰もが思っていた。中には、森の奥に生息する鳥の求愛や、美しい蝶の羽音が聞こえる者もいた。

 カラミアの耳にはそのどれもが届いていた。

 師を名乗っていないとはいえ、彼女も驚きを隠せなかった。ギルバートが教えられた通りに魔術を使いそうかと問われれば首を振ったであろうことは否めなかったが、だからといってここまで削りの粗いものを見せるとは誰も想像しない。

 少年が遊ぶように使ってなおここまで美しいのが魔法なら、大会で頻出する芸術性の高い魔術群には一体なんの意味があるのだろう。大衆、特に彼の前に出た選手たちの疑問だった。

 その答えをカラミアは知っていた。だから背骨が凍るような感覚に陥った。自分を見逃した警備隊の班長が、まさか自分と同じ知識を有していないわけはなくて、もし彼女が仮眠に戻っていなければ非常にまずいことになる予感がした。

 隣で跳ね上がり式の椅子が下がる音がする。下げ始めから軋むあたり、地区大会程度の会場にかけられる予算はおよそ潤沢とは言えないらしい。

「お弟子さんですか」

 いかにも世間話をしている体ですと繕うような抑揚に、カラミアは身を硬くした。微塵も眠くはなさそうな声色だった。

「ああ、どうかそう緊張なさらずに」と言いつつ、エレニは脚を組んで尋問相手の退路を絶った。「素晴らしい腕前ですね。ギルバートくんといいましたか、普段はどのような指導を?」

 未だに隣の席の方を向けないカラミアはしかし、わずかに目を伏せざるを得なかった。視界の端で軍靴によく似た保安隊の長靴がちらつくから。

 ギルバートの持ち時間は残り数十秒というところだった。

「いや、特には――」

 つい答えかけて、口をつぐむ。

「――なぜ彼が、私の言う弟子だと?」

「師が教え子に向ける目をしていましたから」

 そんなに分かりやすい表情をしていたか、と、カラミアはつい指先で自分の顎を触った。隣でわざとらしい失笑が聞こえる。

「六年前より随分と読み取りやすい人になりましたね。私が怖いですか」

 エレニが、というよりは。彼女の代表する組織が、そしてその組織の下し得る決断――自分に対してではなく、今まさに観客に壮大な夢を見せている少年に対して――が恐ろしいというのが本音である。

 彼女の方を見られない理由は別にあったが、そこまでは流石に読まれていないことをひたすら願うばかりだった。

 しばし沈黙している間に、ギルバートの持ち時間が十秒を切った。

 疲れを感じないのかいつまでも跳んで跳ねてを繰り返している彼は、敬愛する師匠が無事に関係者席に辿り着けたかどうかさえ確認のしようがない。彼は自分に関して誰がなにを言っていようと、披露した美しい魔法が誰の目にどう映ろうと、きっと気にはしない。少なくとも今は。

「私は」

 最後に真っ赤な花畑で地面を埋め尽くして、少年は会場中の喝采を受けた。一礼するその仕草のぎこちなさを見て、途中から完全に言葉を失っていた実況役と解説役が目を覚ましたように選手の年齢に言及した。

 関係者席の競技者たちが席を立って好敵手を讃える中、カラミアは自分も手を叩きながら、呟いた。

「魔術は残酷で美しいと思う。そして魔法は、純粋だと思う」

 聞こえているのかいないのか、エレニは相槌も打たなかった。それでも構わなかった。カラミアにとって、それはなにより自分への答えだった。

「彼のことは……私が、きちんと導くから。あなたたちには、手を出さないでいただきたい」

 カラミアの目には軍靴に見えていた長靴が、彼女の視界の(きわ)から去る。エレニの腰に据え付けられた小型の拡声器が雑音を発していた。

「あなたを信じましょう。彼に未来を」

読んでくださってありがとうございます。

誤字脱字などあれば遠慮なく教えてください。

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