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プロメテウスの炯眼-4

 呆れ顔と溜め息に母親の面影でも見るのか、多感な時期の男子というのは、女子からの叱責に心底弱いものである。

 ギルバートとは違い、少女は仕掛けに気付いてから随分と時間をかけて控え室を見つけた様子だった。こめかみに滲んだ汗と少し震える膝がそれを物語っていた。もはや声を張り上げる元気もなかったようで、彼女はただ淡々と苦労したことを伝えると、背負っていた鞄を肩に掛け直して去っていった。

 廊下は明るくなっていた。


 少女が去ったのを皮切りに、というよりは、廊下に光が戻ってから、控え室には男性選手が次々と現れ出した。みな口を揃えて迷いに迷ったと言うから、ギルバートは一人一人に挨拶をしつつ、黙り込んだ青年の方にチラチラと視線をやり続けることにした。

 黙り込んだ、というのは言葉通りで、青年は誰にも声をかけなかったし、逆に声をかけられても明らかに興味のなさそうな顔を見せることに徹していた。

 機嫌の悪そうな人間を相手にわざわざ割くほどの体力と気力を誰一人として持ち合わせていなかったため、彼はそのまま、ギルバートと二人で取り残されるまで、沈黙を貫くことに成功した。

「みんな平均くらいの点数だったね。疲れてたのかな」

 着替え終わってからというもの、更の服に皺がつくことを恐れて座ることができなかったので、ギルバートは広くもない控え室内を絶えず歩き回っていた。たまに独り言のふりをした疑問を投げかけても、一切の反応がないからつまらなかった。

 放送は最後から三番目の選手を呼び出していた。女性的な響きの名前だった。黒髪の少女が現れてからは、舞台に辿り着かない選手は一人も出なかったようである。

「次が僕だから、君が最後だよね。客席から君のパフォーマンスを見られるなんて、楽しみだなあ」

 呼び出されるまで名乗りもしないつもりらしい青年を真似て嫌味を言ってみたものの、ギルバートは小さいころから変わらずその手の発言に向かない気性をしていた。皮肉のあとに続く沈黙が一秒長引くごとに、空気が重たくなる感覚があった。

 相変わらずというべきか、緑色の虹彩には光が一向に宿らなかった。動物が今際の際に見せるそれによく似た目をしているものだから、やはり全く回復する様子のない魔力も相まって、目の前にいるのが生きた人間なのか死体なのかがギルバートには分からなくなりつつあった。

 人間においては、魔力の量は生命力に比例する。そう教えられたはずだった。人間から魔力が失せるのは――特殊な疾患を持っていない限り――規模の大きな魔術を使い続けて魔力切れを起こしている際か、息絶える直前だけである。

 他人の魔力を正確に感知できるようになるにはそれなりの訓練が必要だが、ギルバートには天性の才覚があった。魔力の流れから血筋すら判別できるほどの研ぎ澄まされた感覚が馬鹿正直な性格と見事に組み合わさって、いくつかの重大な秘密を白日の元に晒してしまったことさえある。

 そのギルバートの才能が、目の前の青年の異常を叫び続けていた。

 彼は、通りですれ違ったそのときからすでに、魔力を一切感じさせない気配をしていた。けれど少年が察知したのはただの視線ではなかった。

 あれは確かに魔術だった。

「でも、客席からだとよく見えないかも。君がどうやって魔術を使ってるのか、ちょっと興味あるんだけどな」

 そろそろ控え室から出なければいけない頃合いだった。

 最後にひとつ賭けをしてみるつもりで、ギルバートは青年の目の前に立ち、彼の上に影を作った。特に意識したわけではなかったが、彼らが最初に言葉を交わしたときの立ち位置を再現するような形となっていた。

 生気のない目が自分の顔を見るのを、少年はじっと待った。

 なにか皮肉らしいことを言うよりも前に、視線に光を取り戻さないまま、青年が口を開いた。

「ああ、見せてやるとも。勝者の貫禄ってやつを」

 根拠のある自信だった。たとえそう見せるのが上手いだけであったとしても、言い切れる時点で十分な自信の表れだった。それに今、彼は笑顔を見せている。

 カラミア・コキノを形だけとはいえ師に持ち、それなりの才能に恵まれ、弛まぬ努力をしてきた自分の実力を発揮するのだから、どんな結果であれ受け入れるつもりではある。しかし、出会ってこの方どうにも気に食わない青年にだけは勝ちたいと思った。

 だからギルバートは挑発に乗った。

「楽しみにしてるよ」

 拡声器がそれまでで最も高い得点を告げる。それを越えなければ話にならないことが確定したというのに、ギルバートは武者震いもしなかった。

 人生で肝が座っていたことなど一度もない。それでも、少年の心はただ高揚していた。


「カラミア・コキノさんで間違いありませんね?」

「――いかにも。こんなところで魔術協会の保安隊に遭遇するとは、つくづく私も運がない」

 ギルバートの心配は的中していた。

 師は永遠に続きそうな廊下を数十分彷徨ってから、観客席でも関係者席でもない場所に辿り着いていた。

 保安隊員用の休憩室である。

「入ってきたのはあなたの方ですよ。出入り禁止を言い渡されているのに、ここでなにをなさっているんですか?」

 首の後ろに得体の知れない物体があった。それがなんであるかを確認することなく、カラミアはその物体に向かって手を伸ばし、指で弾き飛ばした。

「脅しを試してもらっているところ悪いが、私はただ迷子になっただけなんだ。関係者席へはどこから行ける?」

 選手の名を告げる放送の異常がなんらかの方法で修正されてから、小一時間は経っていそうだった。方向感覚はまだしも、時間感覚に自信がある方ではないので、カラミアは今にも弟子の名が呼ばれてしまうのではないかとやや焦っていた。

 保安隊員たちも焦っているのは同じだった。彼女を会場に入れた職員を突き止めようとする者、彼女を引き留めるための会話を考える者、建物の出入り口を閉鎖するよう呼びかける者、という具合にひとりでに仕事が割り振られてから、休憩室だったものは慌ただしく働く保安隊員の巣窟に早変わりした。

「関係者席? なぜです?」

「なぜって……弟子が出るんだ。名簿だと最後の方のはずなんだが、競技がどのあたりまで進んでいるのか教えてもらっても?」

 質問に質問で応えて形だけの会話をしてはいるものの、カラミアに引き留められるつもりはさらさらなかった。出入り禁止とは言うけれど、元選手で彼女以外にその罰則を受けた人間がいないので、観戦は良しとするか否かの議論は結論の出ないまま終了したはずである。

 処罰を受けた原因はともかく、現在の彼女は()()()()()なのだから、保安隊の助けを借りられない理由はない。

 カラミアはにこりと笑った。いつからか表情が上手く作れなくなっていて、子供を怖がらせる趣味でもなかったので、ギルバートの前ですら嬉しそうな顔ひとつしたことはなかった。

「大至急――と言うから、なにかと思えば」

 ゆったりとした女性の話し声が、休憩室の奥から響く。大至急、の部分が、あくびを噛み殺したような発音だった。

「お久しぶりです、コキノさん。関係者席への扉なら、この部屋を出て左手の廊下にあります。選手は残り十人、お弟子さん以外に興味がないのであれば、急がなくても大丈夫ですよ」

「班長!」

 長い、緑がかった黒髪の女性がちらと顔を出して、カラミアに薄い笑顔を見せた。

「ああ、ありがとう。失礼、人の顔を覚えるのは苦手で……どこで会ったのか」

 ほんの少し細められた両目と、やや上を向いているだけの口角でのみ表現される微笑みは、仮面としか形容しようがなかった。その女性はなにがあっても笑った顔を崩さないのだろうと、彼女をよく知らない人間も断言できそうな雰囲気があった。

「――あなたはずっと上の空でしたし、覚えていないのも無理はありません。六年前にあなたの取り調べをしました、エレニ・カッライスです」

 カラミアの脳裏に、忘れかけていた記憶が蘇った。

 班長という役職に就いているらしい彼女がなぜ自分を恐れないのか、分かった気がした。

読んでくださってありがとうございます。

誤字脱字などあれば遠慮なく教えてください。

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