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プロメテウスの炯眼-9

「お願いってなんだったのさ」

 森に入ってすぐ、ギルバートは口を開いた。好奇心ももちろんあったが、気まずい沈黙に耐えられなかったのもある。

 なにより彼を借りていいかと訊いたのは、嬉しげに杖の入った箱を弄んでいる、どうにも食えない青年本人である。

 一般人が質問に答えるにあたって必要とする時間を最大で三秒として、尋問もどきの対象は五秒も沈黙を貫いた。

「それから、どこでその杖を見つけてきたの」

 ギルバートは質問を重ねた。未だ知らないことを知るため、として大会に出たがったというのに、最初の一回が終わった瞬間から分からないことばかりが現れてはやりようがない。

「ていうか、なんでせっかく優勝したのに――」

「カラミア・コキノの経歴は知ってるか?」

 エルヴェは突然振り返った。もっと個人的なことを訊いて揺さぶってやろうかと思い始めていたところだったので、ギルバートはつい立ち止まった。

 聞こえた言葉を咀嚼するまでに、今度は少年の方が時間をかけてしまった。むっとして口を尖らせ、彼は切り返そうとした。

「こっちが質問してるんだけど」

「こっちは答えようとしてるんだ。で? 知ってるのか?」

 口の上手さで自分が誰かに勝ることなど一生ないことは分かっていたが、これから自分ばかりが喋る羽目になりそうで気が滅入った。

「経歴――って言っても、なんにもなくない? 大会に出たときの師匠はちょうど成人したくらいの歳だったはずだし、無名の選手だったって聞いたよ」

 両親は酔ってさえ口を滑らせなかった。近隣の村人が宴の最中にぽつぽつとこぼした情報を拾っても、大したことは分からなかった。

「そうか。おまえはあの人のことをどう思ってるんだ?」エルヴェはまだ焦らすつもりのようだった。「尊敬してるのか? それともただ住んでるところが近いだけ?」

「尊敬してるよ。初めて師匠の魔法を見たときからずっと。こんな田舎に住んでくれててよかったとは、そりゃあ思うけど」

 ふうん、と興味があるわけではなさそうな反応があった。気が短い方ではないと自認しているギルバートも、そろそろ真面目な話がしたかった。

 立ち止まったことで開いた数歩分の距離を、小走りで縮める。そのままエルヴェを追い抜くと、今度は自分が振り返る形で、生気のない目を覗き込んだ。

「師匠のなにを知ってるの? なんで全然魔力がないの。なんで魔力がないのに――」

 あんなに綺麗な魔術が使えたの。と、本質的に訊きたかったことが口から滑り出た。

 十六年と少しの人生で、魔術大会の観客席に座ったのは数日前が二度目だった。勝者の貫禄を見せてやると豪語した青年が出てきたとき、それなら見てやろうではないかと目を細めていたのが災いして、最初の閃光に網膜をやられて視界の中央が暗くなったままの状態が何十秒か続いた。

 その暗い視界の中でさえ、彼の魔術は輝いていた。

 星降る夜、狂い咲く花。人々の夢を描いたような光景。

 次いで、人間の死。美しい情景を見せるよりも、悪夢を見せる方がエルヴェは得意なようだった。自分の足元に大穴を開け、そこから無数の手の幻影を出す術を見て、観客のうち何人が気絶したか。

 ギルバートの評価を聞いて、青年はにやりと口角を上げて彼のそばを通り過ぎた。

「綺麗だったろ。皮肉のつもりか?」

「そうじゃなくて。見た目だけの話じゃなくて、ブレたりしなかったから」

 控え室で最後に顔を見たときは、魔力が枯渇していそうだったのに。

「ああ、そっち。謙虚でもなんでもない俺が賞を辞退したのはなんでだと思う?」

 この男はまっすぐ質問に答えることもできないのか、という視線を頬に感じて、エルヴェは自分の得意不得意の分布を思い出した。

「目がうるさいな、おまえ。……審査員には分からなかったみたいだけど、俺はちょっとしたズルをしてたんだ。これ持って見てな」

 カラミアの杖が入った箱を投げて寄越したので、思い切り青年を睨め付けてやろうとしたのに。ギルバートにはそれも許されなかった。

 光る蝶が飛んでいた。どこからともなく現れたのではない。緩やかに落ちていく鱗粉を視線で辿ると、それはエルヴェの袖口から出てきていた。目を凝らすと、陽の光の下では分からないほど微かに、よく手入れされた爪も光の粒を発している。

「これは……?」

「一般的な人間の魔力は、血液と一緒に体内を巡り、心臓の近くで静脈から逸れ、その裏に位置する臓器に流れ着く。そこからまた、今度は動脈にくっついて、身体の中を移動する。俺には生まれつきその臓器がない。だから魔力がない」

 蝶が山道に沿って飛ぶのを、エルヴェはのんびりと追いかけ始めた。犬を散歩させているのか、犬に散歩させられているのか分からない飼い主のように。

「魔力がないと、魔法が見えない。人間に魔法が見えるのは目と脳にも魔力が通ってるからだ、知ってたか?」

 ぱちんと指を鳴らす音がする。蝶は鱗粉とともに跡形もなく消え、青年は極めて上機嫌そうな顔をして振り返った。

「自己紹介がまだだったな。俺はエルヴェ・ペリド、魔力欠乏症患者で、魔術補助の研究者をやってる。ちなみに歳はおまえとあんまり変わらない」

 よろしく、と差し出された手を、ギルバートは数秒、なにもせずにただ見つめることしかできなかった。人間の顔色を窺うことはできても、発言や態度を適切なものに変化させるのはあまり得意ではなくて、それを踏まえると彼とまともな会話をするのは非常に困難な予感がした。

 ようやく彼の手を握ると、その冷たさに背骨まで震えが走った。気配だけでなく体温までも、生きた人間のそれではなかった。

「挨拶も済んだしものは相談なんだけど。おまえの質問にいくらでも答えるから、俺と一緒に行方不明になってくれないか」


「保安隊の仕事は大変でしょう。地元の薬草茶です」

 無愛想に新たな客人を招き入れたカラミアは、憶えている薬草の配合の中から穏やかな香りに仕上がるものを見つけ、それを事務的にふるまった。

「いい香りですね。ありがたくいただきます」

 大会の関係者席で話したときは弟子の話題もあって多少読み取りやすくなっていただけらしい。平常時の彼女は相変わらず感情の機微すら表に出さず、不機嫌とすら言えないほどわずかに目元の強張った表情をするだけだった。

 あえて言うなら――面白くなさそうだ、と。下した評価を、エレニは心の隅の方に取っておいた。

「彼がどうして追われているのか、私は知りません」

 声の抑揚だって面白くなさそうだった。けれどそれだけだった。特別に不愉快というわけではない。

「ただ、心当たりはあります。それだけです」

 初対面のときよりかはいくらか話す気があるように見えたので、エレニは一口だけ啜った薬草茶を置いて足を組んだ。カラミアが保安隊の靴を恐れている理由には見当がついていたから、調査は制服のままですることにしていた。

「では、その心当たりを聞きましょう。あなたの杖を持っていたと?」

 少しだけきつくなった目つきが懐かしく感じられた。足を組んだ意図が間違いなく伝わっている証拠だった。

「ええ。あなたもきっとご存知だとは思いますが、私の杖は恩師の手元にあったはずです。彼は()()軍人として職務を果たしています。ですから」

 息を吸う音が家の中に響く。冷え切った部屋の中の雰囲気がさらに冷たくなり、人を寄せ付けまいと、寄せ付けてしまったなら追い出そうとするように蠢いた。

「それを、ペリド選手のような若者が持っていることの意味を、あまり考えたくはないのです」

 カラミアの黄色に近い目が泳ぐ。あまり考えたくないだけで、考えること自体はしたらしい。そして考えてしまったから、保安隊員が自分に会いにくることの意味にもおそらく思い当たっている。

「――アスマル将軍の息がかかった人間が彼の研究所に出入りしていることは、こちらの方で確認済みです。ペリドくんは()()と名乗りましたか?」

「いいえ。私がそう呼びました。彼のことは、大会のあとに少しだけ調べてあったので」

 顔を手のひらに埋め、弱々しい声で答える様はまるで絶望する少女のようだった。なんの誤魔化しもない感情を、おそらくエレニに対してだけでなく、あらゆる人間に対して初めて表した瞬間だった。

 エルヴェ・ペリド。国内外問わず魔術補助の研究にはほぼ必ず出資し、自らも研究者として名を上げている。普通に調べて見つかる情報はこのくらいのもので、本人があまり表舞台に出たがらないものだから、彼が開発した製品の使用者であっても彼の名前を知る者は少ないのが現状だった。

 彼が魔術大会に選手として出場することを知ったとき、彼の名だけを聞き齧った人間は好奇心をそそられ、彼の人となりを個人的に調べたことのある人間は驚愕したはずである。そして、彼が実際に見せた魔術は、前者を感心させ、後者を戦慄させたはずである。

 カラミアはそのどちらでもない。感心も戦慄もしなかったが、今、彼女は恐怖を覚えている。

「先生は――私に、彼に、なにをさせたいんだ」

 誰もその答えを持ち合わせていなかった。少なくとも今は。

 口を付けただけだった茶杯を空にして、エレニはゆっくりと立ち上がった。カラミアが顔を上げる様子はない。

「美味しいお茶をありがとうございました。お弟子さんによろしく」

 できるだけわざとらしくない笑顔でその場を離れたかったが、エレニにはもう、誠実でいる必要はなかった。

読んでくださってありがとうございます。

誤字脱字などあれば遠慮なく教えてください。

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