社長室の出来事
緊急事態だった。一刻も早く社長に知らせなければならなかった。だが、電話やメールが傍受されていないという保証はどこにもなかった。内部にスパイが潜んでいる可能性は極めて高かった。直接会って話さなければならないことだった。車を飛ばし、私は会社に急いだ。地下の駐車場に車を止め、周囲に人の気配がないことを十分確認してから、私は素早くエレベーターに乗り込んだ。そして最上階にある社長室に駆け込んだ。
「大変なことになりました」
そう告げる私の前に社長の姿はなく、駆け込んできた私をじっと見ている女性がいるだけだった。その女性は鏡に自分の全身を映して、うっとりしていたようだった。やけに化粧が濃い女だなと思った。それよりも社長は何処に行ったのだ。こんな真っ昼間から社長室に変な女を連れ込んで、まったく何をやっているんだ。そう思いながらしげしげと女の顔を見ていた私はハッとした。それは社長だった。
「社長・・・」
私は息を呑んだ。
「入室の際はノックするように」
化粧の濃い顔で厳かに社長は言った。もしかすると鍵を掛けるのを忘れていたのかもしれない。いくら何でも一流企業の社長が鍵もしないまま個室にこもり、女装に耽って恍惚としているなんてあり得ないと思った。あるいは社長室にいきなり駆け込んでくるような、そんな失礼な社員がいるなんて考えていなかったのかもしれない。まぁ仕方がない。私が黙っていれば済むことだ。
「何が起きたのか、簡潔に述べたまえ」
あごひげの生えた化粧の濃い女が言った。いや、社長が言った。
「当社の命運をかけた大型プロジェクトの件ですが、顧客がK社に興味を持ち始めているとの情報をキャッチしました。万が一、失注することになれば損益だけでなく、業界における当社の失墜を広く世に知らしめることになってしまうかもしれません」
私は必死の形相で直訴した。
「なんだそんなことか」
社長は言った。いや、それを社長が言ったとは思いたくない。都合の悪い事実や情報をきちんと受け止め、しかるべき対策を即座に打ってこそ一流の経営者というものだ。それを軽く受け流して何もしないなんてあり得ない。きっとそれは社長の中に棲む化粧の濃い魔物が言ったに違いない。私はそう思うことにした。ちくしょう。本来の社長を取り返さなければと私は思った。社長の中に棲む魔物を追い出さなければならない。そう思った私はとったにその場にあったステッキを手にして、社長をぶちのめし始めた。
「何をする?」
声を震わせながら、社長は言った。
「待っていてください。今、助けます」
私は必死になって社長をステッキで打ちのめし続けた。そして社長の様子を眺めていた。社長は苦しみながらも、なんだか恍惚としているようだった。
「もっと、もっと・・・」
か細い声が聞こえた。
「・・・そっちにある道具も使ってほしい」
ぼそっとそんな声が聞こえた。そっちって? 振り向いた私はそこにムチがあることに気付いた。これを使えということか? そして私はしなるムチを女装した社長にあらん限りの力を込めて降り降ろした。はやく社長の中の魔物が出て行くように渾身の力を込めてムチをふるい続けた。
「ああ、ああっ」
社長の苦しむ声が聞こえた。それはあるいは喜びの声にも聞こえた。
「これでもか、これでもかっ」
「ああ、もっと」
社長と私、二人の声が部屋中に響いていた。その時、ドアが開く音がした。そこには秘書の女性が立っていた。彼女は呆然として私たちを見ていた。
「違うんです。違うんです」
私は必死に叫んでいた。その時の彼女の蔑んだ視線は、この先ずっと私の記憶に留まり続けるに違いなかった。




