第7話:受け継がれる遺志
東京、日本 —— 肌寒い秋の夜
街灯とネオンが琥珀色の光を放ち、東京の街は生命力に満ちていた。人混みの中に、一人の疲れ果てたサラリーマンがいた。30代後半。書類が詰まった重い鞄を抱え、日々のルーティンと後悔に魂をすり減らしていた。
その時、悲鳴が上がった。
母親の手を離れた子供が、赤い風船を追いかけて交差点に飛び出した。信号は青。大型バスが唸りを上げて迫る。時間は、這うように遅くなった。
男は迷わず鞄を投げ捨て、全力で走った。
母親の叫びが空気を切り裂く。
男は間一髪で子供に追いつき、渾身の力でその体を突き飛ばした。
衝撃が来たのは、その一瞬後だった。
冷たいアスファルトが背中に触れる。遠くの声がノイズに消え、街の光が薄れていく。だが、意識は鮮明だった。娘の笑顔、その笑い声。
(あの子は……俺のことを覚えていてくれるだろうか)
闇が、彼を包み込んだ。
剣と魔法の世界:アストラリス
神聖暦102年 —— クリロード王国近郊
温もり。そして、光。
彼は黄金の輝きの中に漂っていた。重さはなく、再生の感覚だけがある。
最初に聞こえたのは、静かで敬虔な声。目を開けると、見知らぬ顔が彼を覗き込んでいた。豪華な法衣、垂れられた頭。そして、銀髪の女性が宝物のように自分を抱いている。
「神子様だ……」誰かが囁いた。
何かを言おうとしたが、出たのは赤ん坊の泣き声だった。だが、頭脳は高速で回転している。東京、俺の人生、娘……俺は死んだはずだ。
なのに、俺はここにいる。
「その瞳……」長老が呟く。「幾千の生涯の重みを宿しておられる」
その時、雷鳴のような声が静寂を割った。「……皆、下がりなさい」
部屋には、喜びの涙を浮かべる女性と、新たに入ってきた一人の男だけが残った。その男は威厳に満ち、魂のベールを貫くような鋭い目をしていた。
「私はカグラ・ブッダ」男は跪いて言った。「仏一族の長だ。お主、赤子として生まれ変わったが、この世界は初めてではないな?」
赤ん坊は動きを止めた。
「感じるぞ。前世の記憶をその身に宿していることを」
カグラは赤ん坊の額に光る手を置いた。「お主は私の実の子ではない。だが、運命はお主を私の元へ導いた。今日から、お主の名はサカタ・ブッダだ」
その光が肌の奥深くに沈んでいく。温もりの中で、彼は力が目覚めるのを感じた。前世の何よりも強大な力。
二度目のチャンス。新しい道。
数年後
サカタ・ブッダは、力と精神の両面で急速に成長した。7歳になる頃には、属性術の扱いで大人の戦士を凌駕していた。一族の館では、彼の名が畏敬と、そして恐怖と共に囁かれるようになった。
だが、力だけでは不十分だった。
ある日、カグラ・ブッダは若き弟子に近づき言った。「お主は力を炎のように振るう。だが、火を静めるのは知恵だ。来なさい」
彼らは寺院の地下にある隠された聖域へと入った。そこには星明かりのように輝く書物――『予言の記録』があった。
「ここには、アストラリスの運命を左右する異邦の戦士のことが記されている」
サカタは古代のテキストを読み、言葉が時を超えて自分に囁きかけてくるのを感じた。
「……それは、俺のことですか?」
「いいえ」カグラは言った。「お主は『選ばれし者』ではない」
サカタは驚いて顔を上げた。
「お主は、別の目的のために選ばれた。真の英雄となる者を……育てるためにな」
サカタは悟った。
自分は主人公ではない。師なのだ。運命を操るのではなく、運命を形作る者。
「では、その戦士とは誰なのですか?」
カグラは視線を空へと向けた。「時が来れば、自ずと知ることになろう」
神聖暦500年(カイト失踪の12年前)
訓練場に鋼の音が響く。
カイト・ナカムラは肩で息をしながら、リライアの剣を弾いた。腕が痛み、汗が滴る。
「上達したわね」リライアが周囲を回る。「……ほんの少しだけど」
「まだボコボコにされてる気分だよ」カイトが苦笑する。
「何があなたを突き動かしているの、カイト?」
彼はすぐには答えなかった。そして、低い声で言った。
「息子だ。それと、この世界で出会った、守りたい人たちのために」
カイト失踪から12年後(現在)
寺院の最深部、時を封印された密室。カグラとサカタ・ブッダは、天界の石から削り出された古代のポータルの前に立っていた。
「時が満ちた」カグラが言った。
サカタは渦巻く虚空を見つめた。
「……ついに、彼が来るんですね?」
カグラは厳かに頷いた。「ああ。彼と共に、世界の運命は書き換えられる」
サカタは静かな覚悟を瞳に宿し、ゆっくりと息を吸い込んだ。
(俺は英雄ではない。だが、彼を英雄へと鍛え上げてみせる)
ポータルの光が激しく明滅した。
運命の歯車が、再び回り始める。
つづく




