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第四十章:「喰らう者」の誕生

世界は暗闇から始まった。

それは死の冷たく空虚な虚無ではない。厚みがあり、温かく、まるで母胎の中にいるような感覚。液状の静寂の中に鼓動が響き、脈動が走る。そして、裂けた。

薄い膜のような袋が、湿った音を立てて裂ける。小さく筋張った「何か」が、湿り気を帯びた洞窟の床にこぼれ落ちた。震える手足、初めての呼吸に喘ぐ肺。青白く毛のない肌には粘液がまとわりついている。石を掴む指はあまりに長く、そして細い。

目が、パチリと開く。乳白色に濁り、焦点は合っていない。

暗闇の向こうから音が漏れ聞こえてくる。岩を引っ掻く爪の音、他の新生児たちの鳴き声、そして洞窟そのものよりも深く古い場所から響く遠雷のような唸り。

彼は自分の名前を知らない。何も知らない。

だが、これだけは理解していた。

——腹が減っている。

孵化場は蠢きに満ちていた。何十ものゴブリンの幼生が這いずり、泣き叫び、盲目的な混乱の中で己の袋から滑り出していた。彼らは溺れる者のように本能にしがみつき、弱々しく声を上げる。

だが、彼は違った。

黄ばんだ瞳の奥で、古の何かが蠢く。単に存在するのではない。「観察」し、「計算」する何かが。

胃が内側から己を削るように、空虚な穴が満たされることを要求していた。血の匂いが届く——弱く、新鮮で、すぐ近くの。

彼は、向き直った。

幼生の一匹が、うまく立ち上がれずにいた。冷たい石の上でピクピクと震え、辛うじて息をしている。哀れで、壊れかけた存在。

思考が形を成す前に、鋭い歯がそこへ突き立てられた。

熱く、生気に満ちた栄養が口の中に溢れる。それと共に、「それ」が来た。脈動。変質。

> 【下級ゴブリンを捕食しました】

> 【基礎筋力 +1 / 基礎耐久 +1】

>

世界が鮮明になった。色彩はより鮮やかになり、音は個別の糸へと解けていく。震えていた手足は固まり、筋肉は新たな目的を持って編み上げられた。一瞬前まで空だった血管を、根源的な炎が駆け巡る。

——もっとだ。

彼は再び飛びかかった。立ち上がろうともがく別の幼生。歯が肉を捉え、血が流れる。

> 【下級ゴブリンを捕食しました】

> 【基礎敏捷 +1 / 原始的認知機能が覚醒しました】

>

拡大していく意識の中で、理解が芽生えた。周囲の連中は兄弟ではない。同族でもない。ただの「燃料」に過ぎないのだ。

彼は無慈悲な正確さで孵化場を蹂躙した。死骸を喰らうたびに強くなり、噛みしめるたびに何かが解放される。仲間の幼生たちの鳴き声は、彼を突き動かす単一の目的の影に隠れる、ただの雑音ノイズへと変わった。

> 【下級ゴブリンを捕食しました】

> 【基礎知覚 +1 / 微弱な再生能力を獲得】

> 【基礎知力 +2】

>

彼はレベルを上げ、進化していた。

そして、他の者たちは?

彼らは、ただの「餌」だった。

数時間が過ぎたか——あるいは、わずか数分だったか。暗闇の中では時間に意味はない。意味があるのは「飢え」と「成長」だけだ。

孵化場がついに静寂に包まれたとき、立っている幼生はただ一匹だった。

彼だ。

生まれたばかりの個体とは思えぬほど、その背丈は伸びていた。瞳は恐ろしいほど透明で、もはや濁りはなく、鋭い知性を宿している。指を曲げれば、以前はなかった硬質の爪が突き出す。青白く柔らかだった肌は、強靭な外皮へと変貌していた。

もはや、原始的な獣ではない。

だが、飢えは消えなかった。より深く、洗練され、貪欲な要求。

トンネルの奥から、唸り声が響く。成体のゴブリンたち。年を経て、この残酷な地下世界で生き抜いてきた、より強く経験豊かな獲物。

彼は再び、適応する必要があった。

成体のゴブリンたちが休息する広いトンネルで、粗末な焚き火が揺らめいていた。炎が荒削りの壁と、奪われた骨の山を照らし出す。四匹のゴブリンが火を囲んでいた。その中には一匹の「ゴブリン戦士」がいた。他よりも大柄で、傷跡に覆われた危険な個体だ。

戦士は、暗闇から現れた幼生に気づいた。

それは直立して歩いていた。自信に満ち、そして——「異様」だった。

戦士は牙を剥き、岩の座席から立ち上がった。「生意気なチビめ」その声は、数世紀にわたる粗野な言語で鍛えられた、しわがれた唸り声だった。「自分が特別だとでも思っているのか? 貴様ごときが——」

答えは、沈黙の中にあった。

残像。

戦士が言葉を終える前に、幼生は彼の上にいた。爪が切り裂き、歯が肉を求める。戦士は咆哮し、棍棒を大きく振り回した。それは幼生の肋骨に命中し、鈍い音を立てた。骨が砕け、小さな体中に痛みが走る。

だが、彼は躊躇しなかった。

退かず。止まらず。

野性的な決意でしがみつき、動物的な怒りを持って戦士の喉を食い破る。熱い動脈血が両者を染め上げた。戦士の抵抗は弱まり、その瞳は、人生で一度も経験したことのない感情に染まった。

「恐怖」だ。生まれたばかりの赤ん坊に対する、絶対的な恐怖。

強者は倒れ、強者は「肉」となった。

> 【ゴブリン戦士を捕食しました】

> 【基礎筋力 +3 / 基礎速度 +2】

> 【スキル獲得:生存本能パッシブ

> 【種族変異進行度:12%】

>

生き残った成体たちは、武器を構えながらも、困惑と恐怖に目を泳がせて後退した。こんな光景は見たことがない。彼らの過酷な経験のどれもが、この事態への備えにはならなかった。

幼生は戦士の死骸から立ち上がり、さらにその背を伸ばした。折れた肋骨は肌の下で目に見える速さで繋がり、傷口は動きの中で塞がっていく。その瞳——恐ろしいほどに「知っている」瞳が、満足感に似た光を湛えた。

彼は偶然進化しているのではない。

全く別の「何か」へと変貌を遂げようとしていた。

時間は血塗られた刻みで過ぎ去った。

日は週となり、週は月となった。ゴブリンの巣の下層トンネルは彼の狩場となり、領域となり、そして王国となった。

彼は喰らい続けた。絶え間なく。容赦なく。

彼の領域に足を踏み入れた偵察兵は二度と戻らず、孤独な部屋で粗末な薬を調合していたゴブリンの錬金術師は、主ではなく「食事」となった。数世紀の裏切りを生き抜いてきた狡猾な長老たちも、他と同じように彼の爪の前に倒れた。

> 【ゴブリン錬金術師を捕食しました】

> 【知力 +3 / 基礎錬金知識を獲得】

> 【ゴブリンの長老を捕食しました】

> 【叡智 +4 / 種族記憶の断片を吸収】

> 【種族変異進行度:28%】

>

さらに、トンネルの奥深くへ迷い込んだオークさえも、同じ運命を辿った。そのクリーチャーは彼の二倍の体躯、三倍の体重、そして粗末な鉄剣と数世紀の戦闘本能を備えていた。

……決着まで、四分だった。

> 【オークを捕食しました】

> 【筋力 +5 / 頑強 +4】

> 【特性獲得:種族変異 — オーク・ハイブリダイゼーション】

> 【種族変異進行度:34%】

>

その後、彼の体は一変した。肌は厚く丈夫な灰色の革へと変わり、顎は広がり、歯は骨をも断ち切る形状へと再編された。手足は太くなり、オークの密度を持った筋肉がゴブリンの俊敏さの上に層をなして盛り上がった。

そして、彼の精神は——。

もはや本能だけで彷徨うことはなかった。

彼は計画を立てた。生き残ったゴブリンたちのパトロールルートを調査し、スケジュールを、弱点を、恐怖を学習した。落とし穴や伏撃地点といった単純な罠を仕掛け、結果に基づいて改良を重ねた。影の中から静かに、忍耐強く観察し、獲物たちの呟きから彼らの言語を学んだ。

忘れ去られた部屋で、数世代前にこの地で命を落とした冒険者たちの古びた魔導書を見つけた。言葉のほとんどは読めなかったが、彼はその「記号」を研究した。爪の先でそれをなぞり、表面に刻まれた印が意味を持ち得ることを理解し始めた。

彼はもはや、彼らの一員ではなかった。

ゴブリンでもなく、単なるモンスターでもない。

彼は「喰らうデヴォアラー」であった。

それは他者から与えられた称号ではない。彼が自らの歯と爪で、現実に刻み込んだ真実。

そして間もなく——間もなく——地上の世界は、この闇の底で産み落とされた存在と対峙せねばならなくなる。

巣のはるか上方で、世界が揺れた。

魔王が古の監獄で蠢き、その目覚めが現実の構造を揺るがす衝撃波を放つ。帝国は戦争に備え、英雄たちは伝説の剣を研ぎ、預言者たちは炎と影の幻視に叫ぶ。

だが、誰も知らなかった。

誰も見ていなかった。

王や神々の目すら届かぬ大地の裂け目で、別の何かが昇り始めていることを。主を持たず、預言にも従わぬ何かが。

モンスター。確かにそうだ。

だが、それは炎で鍛えられたのでも、暗黒魔法で形作られたのでもない。

肉と血、そして決して満たされることのない「飢え」から生まれたもの。

そして、彼が闇から現れるとき——地上の光へと這い上がるとき——。

彼は、世界の「運命」そのものを喰らい尽くすだろう。

【最終シーン — 未来の幻視】

「喰らう者」は骨の玉座に座していた。

倒した者たちの脊髄から削り出された要塞の深部。彼は絶対的な支配者として君臨していた。その姿はもはや判別不能なほどに巨大で、醜悪で、捕食してきた数多の種族が融合した「怪物」そのもの。背中には生ける鎧のような鱗が並び、翼は——ボロボロながらも巨大で、彼の身長の二倍はあろうかという広さで、玉座の淀んだ空気を震わせていた。角の生えた頭蓋には、無数の変異を経て自らの肉体から生じさせた、肉と骨が癒着した刺々しい王冠が鎮座している。

彼の足元には、軍勢が跪いていた。

獣、モンスター、人間、エルフ、ドラゴン、そして悪夢。

彼らの目は虚ろで、空洞だった。自分ではない誰かの意志に操られる人形。

彼は肉だけを喰らったのではない。魂を、アイデンティティを、彼らを彼ら足らしめる本質そのものを喰らい尽くしたのだ。そして、その空虚な器に自分自身を植え付けた。

彼らは「彼」であり、彼は「彼ら」であった。

それなのに——。

あり得べからざる玉座の間の静寂を、何かが貫いた。

一振りの剣。

橙でも赤でもない、白光の炎を纏った剣。崩壊する太陽の色。最終審判の色。

それが背後から彼の胸を貫いた。

かつてゴブリンの幼生だった、闇の中で生まれた名もなき「喰らう者」は、前方へよろめいた。目が見開かれる。恐怖ではない。

「明晰さ」だった。

その恐ろしくも美しい瞬間に、彼は思い出した。

孵化場。最初の血の温もり。最初から彼を突き動かしてきたあの飢え。捕食してきた者たちの顔——敵としてではなく、燃料として、必然として受け入れた命。

彼はこの道を選んだのではない。「道」が彼を選んだのだ。最初の一呼吸を吸い込んだ瞬間から、これが彼の唯一の存在の在り方だった。

喉から、嗚咽が漏れた。小さく、壊れたような。一度も泣き方を学ばなかった者の声。

「……ハ、ラ……ヘッタ……」

炎が彼を飲み込む。

そして——。

忘却。

【幻視終了】

地中の奥深く、誕生の洞窟で。生まれたばかりの「喰らう者」が眠りの中で身じろぎした。

乳白色の瞳が閉じた瞼の裏で動き、まだ理解できぬ夢を見ていた。骨の玉座。空を覆う翼。胸を貫く白光の炎。

彼は自分が何になるのかを知らない。

自分がどう死ぬのかも知らない。

だが、運命——残酷で、忍耐強く、永遠なる運命は——。

すでにその「餐宴」を始めていた。

【ステータス更新:未確認生命体】

| 項目 | 詳細 |

|---|---|

| 個体名 喰らう者デヴォアラー※覚醒前 |

| 種族 | ゴブリン(変異中) |

| 現在のレベル | 7 |

| 称号 | なし |

【獲得能力】

* 捕食吸収(Consumption): 喰らったクリーチャーから属性や特性を吸収する。

* 生存本能(Passive): 戦闘意識と反応速度の向上。

* 微弱再生: 非致命傷の治癒速度向上。

* 種族変異: 捕食した種族との段階的なハイブリダイゼーション(34%)。

* 基礎錬金知識: 捕食した錬金術師から得た薬学の基礎理解。

【預言の断片 — 名もなき飢え】

「光も届かぬ深き闇の底

 掴むこと能わぬ飢えが昇る。

 喰らいし者の貌を纏い

 その魂は決して満たされることなき虚無。

 名を持たぬその者を恐れよ

 さすれば魔王とて膝を折らん。

 『喰らう者』が奈落より這い上がり——

 ……世界を、その餐宴に供する時に。」

つづく


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