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第三十五章:暴かれた干渉

魔王城を支配する静寂は、単なる音の不在ではなかった。それは「虚無」——深海の水圧のように鼓膜を圧迫する、意図的で息苦しい無音だ。かつて眠れる神の荒々しい鼓動に震えていた黒曜石の広間は、今や墓標のごとく静まり返っている。隅々に溜まる影はもはや受動的な闇ではなく、潜伏する歩哨センチネルのように獲物を待ち構えていた。

タムは戴冠式の間の中央に立ち、壁面に刻まれた古の浮彫レリーフを凝視していた。征服、殲滅、そして諸国の隷属。この間は歴代の魔王の戴冠を見守り、勇者の血を啜り、復讐に燃える生々しい魔力を孕んできた場所だ。

だが今は、ただの霊廟に過ぎない。

タムはそれを、冷静に保たれた理性の裏側で感じ取っていた。魔王の気配は確かにここにある。使い慣れた重石のように、彼の意識の端を圧迫している。しかし、それは……朧気おぼろげだった。まるで万魔の主が目覚めようとしているのではなく、琥珀の中に閉じ込められ、夢を見ているかのような違和感。

ザンドロスの重い足音が響き、黒い鎧が壁のクリスタルから放たれる病的な光を反射する。その声は、いつもの傲慢さを削ぎ落とした低い唸りだった。

「……何かがおかしい。大気の中に『あの方』の力を感じるが、どこにも流れておらん。ただよどみ、溜まっているだけだ」巨躯の拳が固く握られる。「まるで、復活の儀に『蓋』でもされたかのようだ」

タムの顎が引き締まり、白い肌の下で筋肉が痙攣した。「……その通りだ。誰かが蓋をした」

ザンドロスが足を止め、鋭く振り返る。クリスタルの光が彼の牙を剥き出しにした笑みを捉えたが、そこに愉悦はない。「……ハッキリと言え」

タムの灰色の瞳に、冷徹な分析を超えた剥き出しの怒りが宿る。「干渉だ。出所は突き止めた。最前線の敵でも、西に集う『勇者』共でもない」

彼は間を置き、その名を毒を吐き出すように口にした。

「……サカタ・ブッダ」

広間の影がひるんだ。その名自体が重みを持ち、澱んだ空気をかき乱したかのようだった。ザンドロスは長い沈黙の後、吐き捨てるような失笑を漏らした。

「あの老いさらばえた坊主だと? 線香と失策の臭いを撒き散らす、あの酔いどれの風来坊がか?」笑いは即座に消え、冷酷な怒りへと変わる。「奴が道化を演じてこの城を歩き回っていた時、臓物を引き摺り出しておくべきだった。あの痴れ者が、我らに悟られずこの要塞で何ができるというのだ!」

タムは笑わない。その表情は石に刻まれたかのように動かない。

「……それこそが奴の狙いだったのだ。無害な変人を演じて我々の目の前で微笑みながら、足元に根を張っていた」

タムが白い手を上げると、柱の間の闇から十二人の「闇の近衛兵ダーク・ガード」が具現化した。音もなく、姿もなく、凝固した虚無そのものである彼らは、鎧も武器も持たない。彼ら自身が、兵器なのだ。

「この城の全階層を掃討しろ」タムが絶対的な声で命じる。「封印された下層域から始め、外周へと広げろ。場違いなもの、魔力の流れの歪み、一年前には存在しなかったあらゆる物品を見逃すな」

衛兵たちは答えない。ただ灰が風に舞うように、闇の中へと溶けて消えた。

タムは再び広間の中心に鎮座する「休眠の核」へと向き直った。黒曜石の床に、彼の影が薄く映り込む。

「……一片の疑念も残すな」

数時間が経過した。

静まり返っていた城は、今や落ち着きのない熱気に包まれていた。精鋭のパトロールが数十年も放置されていた回廊を駆け、数世紀の間眠っていた探知陣が作動する。結界の外に繋がれた魔獣たちは、土台を伝う魔力の歪みに混乱し、遠吠えを上げた。

そして——。

影の中から一人の近衛兵が姿を現し、タムの前で片膝を突いた。その声は、石を削るような囁きだった。

「……最下層、聖域。主の封印に隣接して、異常を確認」

タムの灰色の瞳に、冷徹な炎が灯る。「……案内しろ」

降下は、忘却への旅路だった。螺旋階段はどの監獄よりも深く続き、意味さえ失われた古の呪言が刻まれた黒石の層を通り抜けていく。一歩進むごとに空気は重くなり、封印された憎悪の質量が増していく。壁のクリスタルは病的な光ではなく、凝固した血のような深いくれないに拍動していた。

そして最下層。生ける悪夢から切り出された歩哨が守る最後のアーチを越えた先に、「封じられた聖域」があった。

そこは、墓場だった。

死者のためのものではなく、真に死ぬことのない者のための墓。部屋の中央、絶対的な暗黒の深淵の上に浮遊する「魔王の封印」が脈打っている。囚われた力の鼓動が、重く、規則正しく響く。本来ならば、それは嵐であるべきだった。檻を壊そうと狂い吠える、復讐の業火であるべきだった。

だが、それはただ……夢を見ているかのように囁くだけだ。

そして、その封印に寄生虫のようにしがみついている「原因」があった。

その装置は大きくはなかった。人間の頭蓋骨ほどのサイズ。黒鉄でも魔界鋼でもない、白磁のような金属の帯が、淡い異質な光を放つ魔力核コアと絡み合っている。その表面を躍るのは、魔族のものでも、龍族のものでも、エルフのものでもない古のルーン。それらは悪意や飢えではなく、「忍耐」を湛えて輝いていた。

ザンドロスは牙を剥き出しにし、信じられないものを見るかのように凝視した。「……これは、何だ?」

タムが歩み寄る。灰色の瞳に装置の柔らかな光が反射する。その声は、微かな囁きにまで落ちていた。

「……我々の技術ではない。この時代の産物でもない」彼は分析を加速させる。「……これは、時間テンポラルだ」

ザンドロスの首が跳ねるようにタムを向く。「時間だと? つまり——」

ときだ」タムの声は平坦だが、その手は抑えきれない怒りに震えていた。「時間歪曲のアーティファクト。封印周囲の『刻の流れ』を遅延させている。我らの主の復活が、目覚める神の咆哮ではなく、溺れる者の喘ぎのように感じるのは……すべてこの装置のせいだ」

長い沈黙の後、ザンドロスの怒りが爆発した。

「あの坊主がッ!」咆哮が聖域に響き渡り、眠れる封印さえも反応して拍動を速めた。「我らの中に紛れ込み、我らの酒を飲み、軍議を嘲笑いながら……足元にこんなものを植え付けていたというのか!」

彼は背中の鞘から巨大な刃を引き抜いた。鋸歯状の刃が黒い飢餓の炎を纏う。武器に刻まれたルーンが、人類以前の言語で唸り声を上げた。

「……叩き壊してやる! 今すぐにだ!」

タムの手が伸び、ザンドロスの鎧に包まれた手首を掴んだ。戦士の巨体に比べればあまりに細い腕だが、それは微動だにせず巨漢を止めた。

「……待て」

ザンドロスが牙を剥き、唾を飛ばしながら食ってかかる。「正気を失ったか! この害虫が我が主の復活を妨げているのだぞ! これが脈動する一秒ごとに、主は檻に閉じ込められたままだ!」

「……もし、破壊することこそがサカタの狙いだとしたら?」タムの氷のような声がザンドロスの激昂を切り裂く。「この装置が単なる枷ではなく、罠だとしたらどうする。貴様がこれを砕いた瞬間、自爆装置が作動して封印ごと消滅させるかもしれん。あるいは、領域中の『勇者』を呼び寄せるビーコンになるかもしれんのだぞ」

ザンドロスの剣が震え、黒い炎が空気を舐める。だが、彼は撃たなかった。

「サカタは防御をしているのではない」タムは掴んでいた手首をゆっくりと離した。「奴は時間を稼いでいるのだ。問題は……何のために、あるいは『誰』のために、かだ」

沈黙が、壁に刻まれた古の呪いのように重く引き伸ばされる。

やがてタムは一歩下がった。ひび割れた理性が、凍りつく水面のように再び整えられていく。

「……まずは解析だ。構造を解読し、欠陥と防衛機構を把握する」彼の瞳は、静かに脈打つアーティファクトを離さない。「その上で、外科手術のような精密さで解体する」

「……もし、そんな精密な真似ができなんだら?」ザンドロスが低く唸る。

タムの唇が吊り上がり、人間離れした鋭い歯が覗いた。

「……その時は、持てる力のすべてで叩き潰し、その後に続くあらゆる災厄を焼き尽くすまでだ。だが、サカタ・ブッダの振り付け通りに踊るつもりはない」

ザンドロスはしばらくタムを睨みつけていたが、吐き捨てるような声を上げ、剣を下ろした。黒い炎が消える。

「……いいだろう。だが、これが終わった時——我が主が再び自由の身となった時、あの坊主の首は俺が貰う。遊びも、小細工も、逃げ道もなしだ」

タムは既に背を向け、淡く光る装置へと意識を注いでいた。

「……ああ。好きにしろ」

闇の近衛兵たちが前進し、影の触手を外科器具のように伸ばして、アーティファクトの表面を探り始めた。秘密を紐解くための、長く緻密な作業。ルーンはそれに応じるように、警告ではなく、静かで忍耐強い拒絶を込めて拍動した。

遥か上方、夢見る封印の深淵で、何かが蠢いた。

覚醒ではない。まだ、その時ではない。

だが、それは「認識」だった。

琥珀に囚われた魔王は、自らの檻に触れる侵入者たちの気配を感じ取っていた。

そして、停止した意識の深淵で、魔王は……微笑んだ。

つづく


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