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第26話:幽玄の世界

十一ジューイチの体は森の地面に投げ出され、胸は浅く波打ち、呼吸は荒かった。頭上の木々が風に揺れ、意識を失った彼の上に複雑な影を落としている。その傍らで、サカタ・ブッダは沈黙の守護者のように立っていた。腕を組み、細められた瞳。いつもの気楽な笑みは消え、そこにあるのは静かな計算……そして、微かな懸念だった。

 サクラがハラセン一族の精鋭に連れ去られた時、十一の心は体よりも先に砕けていた。レンジとの戦いは短く、一方的で、屈辱的なものだった。失敗の重みに膝を屈し、彼は力尽きたのだ。

「……大馬鹿野郎が」サカタは隣に膝をつき、呟いた。「お前は、自分で思っている以上のものを背負わされてるんだぜ」

 サカタは十一を優しく抱え上げると、影の刺す森の奥深くへと消えた。貴族の偵察の目が届かない、タロリン渓谷の深部へ。十一の意識は戻らない。その存在感は、嵐の中の蝋燭のように今にも消え入りそうだった。

 サカタは知っていた。魂が「別の世界」の境界に触れた時の状態を。

 そして、十一が今どこへ向かっているのかを。

【幽玄の世界 ― Yūgen no Sekai】

 そこは、時の外側。生の向こう側にある精神の領域。

 意識が切り替わるのは一瞬だった。引き込まれるような感覚のあと、訪れたのは――沈黙。

 十一は目を開けた。

 頭上には昼でも夜でもない、終わりのない薄明の空が広がっている。太陽も月もなく、ただ銀色の光の霧が渦巻いていた。足元は滑らかで黒い鏡のようで、呼吸をするたびに波紋が広がっていく。

 体が奇妙に感じた。軽く、強く、何にも縛られていない感覚。

 そして目の前には、サカタが立っていた。軽口を叩くいつもの僧侶ではない。古の力を覚醒させた、圧倒的な威圧感を放つ存在として。

「ここは『幽玄の世界』だ」サカタが言った。「真の覚醒に近づいた者だけが歩める、魂の交差点さ」

「どうして……ここに?」十一が目を細める。

「お前の魂が眠ることを拒み、探し求めたからだ。俺はその旅を終わらせるために、ここへ連れてきた」

 サカタは鏡のような地面を滑るように、十一の周りをゆっくりと歩き始めた。「ここでの時の流れは外とは違う。ここで何年も修行しても、現実では一秒しか経っていないなんてこともあり得る」

 十一は拳を握りしめた。「……なら、時間を無駄にはできない。もっと強くなりたいんだ」

「迷いがないな。いいぜ」

 次の瞬間、サカタが消えた。

 衝撃。

 十一がそれを視認するより先に、腹部に猛烈な一撃が突き刺さった。山にぶつかったような衝撃。彼は後方へ吹き飛び、地面を転がりながら呻き声を上げた。

「レッスン1だ。来るのが分からなきゃ、どんな力も無意味だぜ」

「……まだ、準備が!」十一が立ち上がり、目に怒りの炎を宿す。

「敵は準備なんて待ってくれないぜ」

 十一は斬りかかるが、サカタは最小限の動きで手首を掴み、彼を地面に叩き伏せた。

「レッスン2。お前は力に頼りすぎだ。力はあるが、技術マスターが伴っていない」

「だったら……教えてくれよ!!」怒りが十一の中で沸騰する。

「――俺が手加減してると思ってるのか?」

 サカタの手のひらが開かれ、黄金の精神エネルギーが嵐のように放たれた。十一は両腕を交差し、武力(Martial Aura)を爆発させてそれを耐え凌ぐ。

 光が収まり、肩から煙が立ち昇る中、十一は震える足で踏みとどまった。

 サカタが微かに笑った。「……そうでなくっちゃな。もう一度だ」

 時の感覚が溶けていく。

 サカタは嵐となり、剣となった。衝突するたびに、十一の足運びや気の流れの欠陥が浮き彫りになっていく。

 十一は己を追い込んだ。思考は研ぎ澄まされ、本能は鋭くなった。

 そして、ついに内側の「何か」が音を立てた。

 激しい打ち合いの中、十一はサカタの攻撃を潜り抜け、フェイントを織り交ぜて彼の肩にクリーンヒットを叩き込んだ。

 だが、接触した瞬間――十一の体が燃え上がった。

 中心核コアから、不自然で、暴力的な熱が溢れ出す。彼は膝をつき、喘いだ。

「……何だ、これは……!?」

 サカタの表情が変わった。知的好奇心と、確信に満ちた顔。「……始まったか」

 十一の精神は内側へと沈んでいく。そこで彼は見た。

 【鎖】。

 魂の中心で脈動する輝く核を、古の鎖が幾重にも締め付けていた。その鎖には、時と同じほど古いルーンが刻まれている。

 その鎖の一本が……震えた。

 そして、砕け散った。

 十一の魂から属性エネルギーが爆発し、地面を砕き、空を割った。彼の体は赤、青、緑、金の嵐に包まれる。

 彼は叫んだ。それは痛みではなく、解放の咆哮だった。

「複数の属性原質エレメンタル・エッセンス……。一人の器の中に封印されていたか。誰かがお前を守るために、あるいは世界をお前から守るために縛っていたんだな」

 十一の荒い呼吸が、静かな炎へと変わっていく。彼が手を開くと、指先には炎が渦巻き、腕には氷が舞った。風は彼の呼びかけに応じ、土の鼓動を感じる。

 そして深淵から……竜の唸り声が響いた。

 十一は立ち上がった。以前よりも強く、高く。

 サカタは頷いた。「さて、ここからが本当の修行だぜ」

 十一は拳を構え、瞳を輝かせた。「……行こうぜ」

 サカタは野性的で激しい笑みを浮かべた。「……覚悟しろよ。次は本気で行くからな」


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