第16話:偽りの微笑みの夜
ブランヒルド市をランタンの光が包み込み、ラインハルト公爵邸の二晩目の宴が始まった。庭園からはハープの音色が流れ、貴族たちの笑い声とグラスの触れ合う音が響いている。
十一は屋敷の大広間の大理石の柱に寄りかかり、一口も飲まずに赤ワインのグラスを揺らしていた。
「今日も今日とて、金持ちのフリか」十一が低く呟く。「もっとデカい帽子でも被ってくるべきだったかな」
隣に立つ紺色のドレスを纏ったサクラが彼をたしなめる。「……集中しなさい」
「してるって。……自分がどれだけ退屈してるかに、な」
今夜の任務は明確だ。公爵の私室に近づき、闇の軍勢との結託を示す証拠を掴むこと。
エドガー・ローランが、いつもの無害な微笑みを浮かべて近づいてきた。「衛兵の交代が終わりました。西棟の警備が手薄です」
「ようやくか」十一は柱から身を離した。「本番といこうぜ」
三人は手際よく、だが自然な動作で群衆を抜けた。十一が酔った貴族の相手をして目を逸らさせている間に、サクラが衛兵から鍵を盗み出す。エドガーの案内で、タペストリーの裏に隠された使用人用の通路へと滑り込んだ。
西棟の薄暗い廊下に入ると、会場の喧騒は厚い石壁に遮られ、自分たちの足音だけが響いた。
「こちらです」エドガーが重厚なオーク材の扉へと導く。
サクラが盗んだ鍵を差し込み、扉が開いた。そこは古い書物や巻物が並ぶ壮麗な書斎だった。中央の机には書類が散乱し、奇妙な黒いインクで書かれた地図が置かれている。
当たりだ。十一とサクラは手早く書類を精査し始めた。公爵の封印が押された書状、隠された同盟者の名前、そして闇の軍勢の紋章をつけた傭兵への支払い帳簿。
「これよ……。これで奴を告発できる」サクラが興奮を抑えて囁いた。
「楽勝だったな」十一がニヤリと笑う。
だが、その時――。
ガチャン!
背後の重い扉が激しく閉まった。
十一が振り返ると、そこには内側から鍵をかけるエドガーの姿があった。
「エドガー?」サクラが困惑の声を上げる。
エドガーの顔から微笑みは消え、その瞳は氷のように冷たかった。
「……すまない」エドガーの声は低かった。「私にも、守らなければならない家族がいるんだ」
影の中から武装した衛兵たちが現れ、クロスボウの矢先を十一とサクラに向けた。
十一は溜め息をつき、掴んでいた書類を空中に放り投げた。「……展開が早すぎるだろ」
エドガーは二人の目を見ることなく、背を向けた。「許してくれ……」
十一は指の関節を鳴らし、サクラに笑いかけた。「どうやら、本当のパーティーが始まるみたいだぜ」
サクラはドレスの下から短刀を引き抜いた。「……ぶち壊してやるわよ」
裏切りの序曲:エドガーの悪夢
その数日前、ブランヒルドのうらぶれた宿の一室。エドガーは一人、冷えたワインカップの縁をなぞりながら絶望の中にいた。
十一たちが去った直後、彼の背後に冷たい気配が立ち込めた。
「面白い連中を囲っているようだな、商人」
声の主は黒いローブを纏った男。エドガーの目の前に、不気味な紋章が刻まれた羊皮紙が突きつけられた。
「お前の妻だ。彼女は我々の監視下にある。一歩でも間違った動きをすれば、彼女はこの世から消える」
男が取り出した魔法の宝玉の中に、暗い部屋で縛られ、恐怖に目を見開く妻の姿が映し出された。
「なぜ……なぜ俺なんだ?」エドガーは声を震わせた。
「お前は奴らに近づける。それだけで十分だ。奴らの計画を流し、任務を遅らせろ。……それが終われば、妻は返してやる」
エドガーは震える手で、闇の封印が押された手紙を握りつぶした。
十一……サクラ……。彼らは俺を信じてくれた。
だが、妻を見捨てることなんてできない。
街の灯りが窓の外を照らす。今夜、運命の歯車が回り出す。
裏切りの嵐が、静かに、だが確実に彼らを飲み込もうとしていた。
つづく




