第13話:影の誘い
朝の光が「竜の休息亭」に降り注ぎ、木の床を黄金色に染めていた。十一は椅子に深くもたれかかり、パイの最後の一口を堪能していた。サクサクの生地に、スパイスの効いた果実の甘みが広がる。
間違いなく、この世界に来てから一番の馳走だった。
「そのパイ、本当に気に入ったみたいね」アリラが頬杖をつきながら、からかうようにニヤリと笑った。
十一は口元のクズを拭い、軽く笑った。「ああ、最高だ。出発前にもう一つ食べておきたいくらいだよ」
リライアは温かく、どこか名残惜しそうな微笑みを浮かべた。「いつでも歓迎するわ、十一。でも、今日はやるべきことがあるんでしょう?」
彼は頷き、立ち上がって大きくあくびをしながら背伸びをした。「……ああ。親父を見つけるなら、どこかから始めないとな。冒険者ギルドってのは、手始めには丁度いい場所だ」
十一は装備を整え、活気ある通りへと踏み出した。立ち並ぶ屋台、路地を駆ける子供たち、パンとスパイスの香り。世界は鮮やかで、ようやく「現実」として感じられ始めていた。
地区の中心にそびえるギルドの建物は、クリロード王国の紋章が刻まれた立派な石造りのホールだった。まさにゲームで見たような光景だ。
中に入ると、汗と焼いた肉、そして鋼の匂いが混じり合った独特の空気が漂っていた。
受付に向かうと、一人の美しい女性が彼を迎えた。アリシア・クリントン。眩しいブロンドの髪と、規律の中にも悪戯っぽい魅力を湛えた瞳。彼女のギルド制服は、周囲の冒険者たちの視線を集めるほどその肢体を強調していた。
「冒険者ギルドへようこそ」アリシアは面白そうに言った。「私はアリシア・クリントン。御用件は?」
「登録をお願いします」十一は姿勢を正して言った。
アリシアは登録用紙を差し出し、十一は情報を記入した。その後、魔力測定のために奥の部屋へと案内される。石の台座の上に、魔力の結晶が浮かんでいた。
「結晶に手を置いて」アリシアの指示に従い、十一が手を触れる。
結晶は微かに脈動し……そして、暗く沈んだ。
アリシアは眉をひそめた。「……魔力レベルが極めて低いわね。これだと、ランクはDだわ」
「Dランク?」十一が呟く。
「その魔力じゃゴブリンの群れにも太刀打ちできない。正直、Dランクでもおまけした方よ」
十一はため息をついた。やはりか。彼の内にある「万能竜」の力は、この世界の魔力センサーでは検知できないほど深くに眠っているのだ。
ギルドカードを指先で弄びながらホールに戻った時、空気が一変した。
一人の男が近づいてくると同時に、冒険者たちの会話が止まり、息詰まるような沈黙が広がった。
男は亡霊のように動いた。ボロボロの黒いマントを纏い、フードの影が顔を隠している。土と鋼の匂いが、第二の皮膚のように彼に染み付いていた。
男はカウンターにクシャクシャの羊皮紙を叩きつけた。「この依頼を受ける」
アリシアは用紙を読み、目を細めた。「……これは高難度の潜入任務よ。公爵による反逆の証拠を掴むための密偵。それに、これは二人一組の依頼のはずだけど」
男はゆっくりと首を動かし……その視線が、十一に止まった。
「こいつでいい」
十一が反応する前に、強靭な手が彼の肩を掴んだ。
「うわっ!」十一は反射的に腰のナイフに手をやる。「……何の真似だ!」
「ランクを上げたいんだろう?」男が問う。「なら証明してみせろ。これは臆病者のための任務ではない」
アリシアが躊躇する。「彼は登録したばかりよ……」
「やってのけるさ」男の口調に反論の余地はなかった。「火を灯すには、時には背中を押す刺激が必要だ」
十一の心臓が激しく鼓動する。この男を信用したわけではない。
だが、親父の背中を追うための熱い衝動が、腹の底で吠えていた。
十一は拳を握り、男の目を見据えた。「……分かった。あんたについてってやるよ」
男は手を離した。「いいだろう。すぐに出発する」
アリシアはため息をつき、羊皮紙にスタンプを押した。「二人とも、死なないようにね」
十一はギルドカードをポケットにしまい、溢れ出すアドレナリンを感じていた。
温かいパイも、のんびりした朝も、もう終わりだ。
本当の旅路が、今ここから始まる。




