1-4〈俺の妹は負けヒロイン〉
入学式は一時間程度で終わったらしい。そこから一年生はそれぞれの教室で初ホームルームを行なう。各種プリントを受け取ったり、明日以降の予定を伝えられてから解散となる。各々家に帰るか、あるいは初日でもう友人が出来た者などは親睦を深めるため遊びに行ったりするのだろう。入りたい部活の見学に行く者もいるかもしれない。普通はその三択のどれかだ。普通は。
しかし我が妹は違う。入学初日にいきなり先輩である俺達の教室へとカチコミをかけてきた。
「志賀くん、なんか新入生の子が会いたいって」
教室の入り口で、芳子達の応対をしたクラスメイトから声がかかる。席を立とうとした志賀を抑えて、俺が代わりに行くことにした。
「お前が出るまでもない。あんな奴、俺一人で十分さ」
「おいおい、芳一……」
「なんか、噛ませの敵キャラみたいなセリフじゃない?」
黒姫の痛烈な例えを華麗にスルーして、俺は芳子の元へ向かった。
「なんで芳一が出てくんだよ」
芳子が不満げに言った。その隣の澪ちゃんは、二年生だらけの周囲を見て居心地悪そうにしている。澪ちゃん……妹の暴走に付き合わせてしまってすまない。
俺は魔王の扉の前に立つ門番を意識した芝居がかった口調で言った。
「志賀に会いたくば、まずは俺を倒してからにしたまえ」
「ウザ……」
芳子が呟く。舌打ちもした。
「おーい、聞こえたぞー」
「聞こえるように言ったんだよ、このお化け耳」
家族だから当然だが、芳子は俺の耳の良さを知っている。
「どけよクソ兄貴!私は志賀先輩に用があるんだから」
「口が悪いねぇ……親の顔が見てみたいぜ」
「あんたの親と同じ顔だわ」
「……だいたい芳子お前、志賀に会ってなにするんだよ」
「なにってそりゃあ……さっきの告白の続きだよ。聞こえなかったみたいだからさ、ちゃんと言わないと」
ほんのり頬を染めつつ、髪を弄りながら言う。まったく、見てらんない。
「そういうことなら、俺も全力でお前を止める。愛する妹が失恋するところを目の前で見たくはないからな」
「なんで振られるの確定なんだよっ⁈」
「自分の立場を自覚しなさい。負けヒロインのくせに」
「誰が負けヒロインだっ⁈お兄ちゃんは知らないと思うけどさ……私だって、結構モテるんだぞ‼︎」
彼女の言うことはあながち嘘でもない。噂によると、中学時代に芳子と澪ちゃんは学年の二大美少女としてその名が通っていたらしい。『普通に美少女』の澪ちゃんと、『黙ってくれれば美少女』の芳子。『くれれば』の部分に、どうか静かにしてほしいという祈りが込められている。いったいどういう学校生活を送ったらそんな肩書きがつくのやら……まあ良い。
実際、今もクラス内からこんなヒソヒソ話が聞こえてくる。
「なんだあの子?新入生?可愛いな」
「あら、綺麗な子……誰かの知り合い?」
「え、苗場の妹?うっそ、マジ?信じられない!」
妹の顔が褒められるのは悪い気はしない。それはつまり遺伝子が褒められてるわけで、兄である俺の顔も整ってるという証明になるからだ。うん。悪くない……信じられないとか言われてたが……うん。悪くない。
「お前ら、何を賑やかに話してるんだよ」
そう言って、俺の背後から志賀が現れた。芳子の頬の赤みが増す。
「志賀先輩!」
「俺に用があるんだって?どうしたの」
「私はあなたのことが好——」
そこまで言いかけたところで、澪ちゃんが両手で芳子の口を塞いだ。
「⁈んん〜〜!!?」
さすが名軍師。このタイミングでの告白は絶対に上手くいかないと悟ったのだろう。なにか喚きながらジタバタする芳子を宥めつつ、澪ちゃんは言う。
「『私はアナゴのトロが好き』、って言いたいそうです」
「朝言ってたやつか……なあ、ほんとにアナゴにトロってあるの?」
志賀はずっとそれが気になっていたらしい。
「ありますよ。大ぶりで肉厚な身がやわらかく、とろけるような食感だそうです」
「それは美味そうだ」
「ん〜!!!」
ずっと暴れていた芳子が、澪ちゃんの腕から解放された。
「ごめんね、かおるちゃん」
「な、なんで邪魔するの澪⁈」
息をきらしながら文句を言う芳子へ、澪ちゃんはそっと耳打ちする。
「このタイミングで告白しても上手くいく可能性は低い。もっとロマンティックな舞台を整えてあげるから、それまで待ってて」
「ほんと?」
「うん」
「お前らこそこそと、何話してんの?」
志賀が不思議そうに聞いた。彼からしてみればわざわざ呼び出されてこの状況だから、そりゃ不思議だろう。
「ごめんなさい先輩……今はまだ言えないんです」
芳子は、芝居がかった大仰な仕草で言った。
「澪がロマンティックな舞台を整えるまで待っててください!」
「演劇でもするのか?」
「そんなところです」
そうフォローしてから、澪ちゃんが小さくため息をつくのを、俺は聞き逃さなかった。あの馬鹿の友人をやるのも苦労する。頑張れ澪ちゃん。
「あなた達、教室の入口に溜まるのはやめなさい。通りたい人が困るでしょ?」
黒姫がやって来て言った。さすがは元生徒会長。たとえ友人に対してでも、『悪い』ことは『悪い』ときちんと注意することができる。
「すみません」と澪ちゃんが謝ると、その横の芳子は「叶恵先輩!あなたには負けませんから!」と謎の宣戦布告を繰り出した。
「はいはい、分かったから。場所を空けて」
やいのやいのと食ってかかる芳子と、それを軽くいなす黒姫。中学時代によく見た光景だ。一見冷静な黒姫が圧倒的優位に見えるが、実のところそうでもない。
「かつて『山巓の女王様』を名乗っていた叶恵先輩ともあろう方が、私なんかに怖気づいているんですか?」
芳子がニヤリと笑って挑発する。黒姫の顔が真っ赤になった。
「ちょっ……!人の黒歴史を掘り返さないでよ⁈」
「なんですか?『山巓の女王様(笑)』」
「笑うなぁ‼︎」
そう。それは中学時代の彼女の通り名だ。我らの母校『山巓中学校』の女王様と言う意味。うん。まあ、俺はこの名前、好きだぜ。
追い詰められると、先程の冷静はどこへやら。大人げというものをかなぐり捨てた黒姫が反撃にかかる。
「そういう芳子だって昔、生徒会の書記ノートに自分を主人公とした恋愛小説を書いてたじゃない?お相手の男性は……設定が誰かさんに似てたような……?」
チラッと横目に志賀を見る。志賀は不思議そうに黒姫を見返した。
「俺、それ読んだこと無いんだよな。皆は知ってるくせに俺だけ隠されて。ちょっとどんな内容だったか教えてくれね?」
「ええっと、たしか芳子と先輩の男子生徒とのラブロマンスなの。それでその男子生徒の特徴って言うのが……」
「んにゃああああああああああ‼︎」
謎の奇声を発して、真っ赤な顔で芳子が黒姫の言葉を遮る。積極的に志賀への好意を伝えられる芳子にとっても、自身の妄想内で美化された志賀像を語られるのは流石に恥ずかしいらしい。ポカポカと黒姫を叩きながら抗議した。
「何言おうとしてるんですか⁈最低です!それは反則!」
「どんな特徴なんだ?その男子生徒。モデルとかいるの?」
「志賀先輩は知らなくて良いんです!」
やいのやいのとはしゃぎ合うヒロイン二人と、巻き込まれる主人公。周囲のクラスメイト達も面白がりつつ温かく見守っている。
「志賀くん楽しそうねー。素敵」
「黒姫さん、あんな一面もあるんだ。可愛いわね」
「おいおいおい、黒姫だけじゃなく、美少女後輩とも知り合いなのかァ?志賀の野郎、爆発しろ!」
「まあ待て、志賀を爆破したら、俺たちは黒姫さんに恨まれることになる」
「そうかァ……じゃあ代わりに苗場を爆破しよう」
そんな声が教室中から聞こえてくる。うんうん。悪くない光景だ。なにやら物騒な会話もあったが……聞かなかったことにする。
俺が一人で頷いていると、澪ちゃんが音もなく横に近づいて来て囁いた。
「……芳一くんも、私と同じ気持ちだよね?」
「え?同じって?」
「『悪くない光景だ』」
芳子達を見ながら、澪ちゃんは言った。なるほど、確かに俺と同じ気持ちだ。
「君は心が読めるのかい?」
「単なる推測。当たってた?」
ふふっと、小さくドヤ顔を浮かべてから、澪ちゃんは続ける。
「それにしても久しぶりだね、芳一くん達が卒業して以来」
「おお、久しいねぇ!ちょっと見ないうちに大きくなってまあ……」
「それはどこを見て言っているの?」
「……え?いや、背丈よ!当然!」
いや、そりゃ確かに中学時よりも大人っぽく成長してはいるけれど、そんなこと妹の友人に言わないって。女好き軽薄クソヤローな俺と言えど、妹の友人……しかもちっちゃい頃から知ってる子に対しては、邪な気持ちよりも親戚じみた気持ちの方が強くなる。
「健やかに育っちゃって……俺も歳をとるわけだわ」
「そうだね……ところで芳一くん、志賀先輩の好みの髪型分かる?大親友のあなたなら知ってるかと思って」
……おっと?これは、探りを入れてきた。真っ直ぐ見つめるその目を見返して、俺は茶化すように笑った。
「もちろん。俺は大親友だからね。志賀は実はスキンヘッド女子が大好きなんだ」
「………………そう。かおるちゃんにそう伝えとく」
「………………やめて。あいつならマジでやりかねん」
我が妹のスキンヘッドは流石に笑えない。
「それで、実際は?」
「ははっライバルである君に簡単に教えることはできないな」
「ライバル?」
「澪ちゃんは、芳子のことを応援してるんだろ?俺は黒姫嬢を推してるからさ」
「なるほど」
ジッと観察するように黒姫を見てから、澪ちゃんはまた聞いてきた。
「志賀先輩は、髪を後ろで結んでいるのが好きなんだ」
当ててきた。流石の俺様もびっくりだ。
「君……探偵?」
「簡単な推測。芳一くんは叶恵先輩を推している……つまり叶恵先輩に志賀先輩の好みを教えてる可能性は高い。そして、今日の叶恵先輩はハーフアップだけど、志賀先輩がそんな細かいとこまで女性の髪型に詳しいとは考えづらい。ということはシンプルに、『髪を後ろで結んでいるという』部分が好みポイントなのかなと」
「……完敗だね」
俺は肩を竦めて笑うしかなかった。手強い。単体では負けヒロインでしかない芳子だが、このブレインがついてるとなれば途端に侮れなくなってくる。
名探偵澪ちゃんは、さらに追求を続ける。
「男の人って、みんなああいう髪型が好きなのかな?」
「別に男全員がそうとも限らないと思うけど」
「……芳一くんは?」
「俺は好きよ……けど贅沢を言うなら、俺は今の黒姫の髪型よりもシンプルなポニーテールが好きかな」
「なんで?どちらも後ろで結んでいるのに」
「だって今の黒姫、うなじが見えないじゃん?俺、首フェチだからさ。色白の肌と、シュッとした曲線美。髪が揺れるとチラッと見えるその感じがまた良くて——」
あえて爽やかな笑顔で、俺はサムズアップして話す。澪ちゃんはキョトンとした顔でこちらを見ていた。
……妹の友人に俺は何を語ってるんだろう。遅効性の恥ずかしさが押し寄せた。
やがて嵐のように襲来した芳子達は、我らがクラスから去って行った。
そして次の日もまた来た。
「志賀先輩ー!見てください!私、どこが変わったか分かります?」
「また来たのかよお前⁈自分の教室に帰りなさい!」
「うるさい芳一!」
「芳子どうしたの。私とお揃いにしたかったの?」
「違います!叶恵先輩からこの髪型を奪いに来たんです!」
「髪型変えたのか。似合うじゃん」
「志賀先輩!さすが、気づいてくれると思いました!」
「なっ……!志賀くん、わ、私も同じ髪型なんだけど……」
「叶恵先輩はいつもそれだから新鮮味がありませんよ!」
ああだこうだと騒いで目立つ芳子のその横で、しれっと澪ちゃんの髪も変わっている。高めの場所で後ろに結んだ、シンプルなポニーテールであった。
なぜ澪ちゃんまで、志賀好みの後ろ結びを……まさか、彼女も密かに志賀を……?いや、芳子に便乗しただけか?
結んだ髪がなびいて、うなじがチラリと見える。俺は慌てて目を逸らした。首フェチではあるが……いや、だからこそ、妹の友人のそれをガン見するのは何かまずい気がする。背徳感がすごい。
「芳一くん」
俺の視線に気づいていたらしい澪ちゃんが、声をかけてくる。
「私、負けないから」
ボソッと呟くように言った。
……芳子を勝たせるという意味の宣戦布告だろうか?だとしたら俺も負けていられない。志賀を巡るヒロインレースにおいて、俺は絶対に黒姫を勝たせる。そう決めているのだから。




