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第3章 12.大いなる木

            第   三   章



          大 い な る 木


 つい先ほどまで〝見えない村〟を、外から見ていたハルとハク。今、その村の中にいる。

 実のところ、ハクにも村が見えていた事はハルも少しは驚いた。

―ハクは、実は天系の犬なのか?

 あの橋を渡った時から、薄々ながらそうは思ってはいたのだが、この場でハクが言葉を話し出した事でそれは確信へと変わった。

 ハルとハクが今、二つの空間の境に並び外の様子を見ながら立っている。〝外〟とは、見えない村から見ての〝外〟の事、つまり今までキコや他の者らと共にいた場である。

「ハル様、大伴主様の剣とはあのような由来があったのですね」

「そのようだな、〝光の剣〟か」

 二人はこの空間に入ってから暫く外の様子を見ていた。この空間からは外の様子を見る事はできるが、外からこの空間を見る事はできない。両空間の境は一方通行でできているらしい。それは公弐宮の歩く実験でも確かめられている。故に声も外の声は聞く事ができるが、この空間の音は外へは伝わらないらしい。

 彼ら外の面々が解散したあと二人は向きを変え、この空間の道に足を進めた。歩きながら人の言葉で話す事を始めたハクが言う。

「ハル様、さきほどから感じていた事なのですが、私はこの村、何故だか記憶にあるのです」「ん?記憶にある?」「はい、記憶にあるのです」

「何故だ?初めてここに足を踏み入れたのではないのか?」

 ハルの当然の問い掛けだ。まだ幼いハクが、先の軍神の漲る力を浴びて目覚めたばかりのハクが、何故、今までその存在すらまともに知る事の無かったこの村の事を、記憶にある、と言うのか。

「何故だか理由は私にも分りません。けれど、何となくなのですが、微かに見覚えのあるような、…そんな気がするのです」

 二人は多少の疑問はあっても迷いの無い足取りで、恐らくはこの村の中にあるであろう〝力の木〟を目指して歩いていた。これをハルとキコが千世にいた時には〝御印〟と呼んでいた。ただ、それが同じ物なのかどうかは、まだはっきりとしてはいない。

 二人の歩いている道は真っ直ぐで、両脇には漆喰の色なのか壁の色が輝くように白く背の低い、ほぼ同じ形の家々が連なっている。街の見た目から、この村はさほど大きいという印象はない。端から端まで歩いても、恐らくは数十分ほどで通り抜ける事のできる大きさの村ではないだろうか。ハルは何となくだが歩きながらそう思った。

 ハル達の歩いている真っ直ぐの道の先、少し遠くに広場らしき空間があるのが見えている。そしてその真ん中、二人が歩くこのメインストリートを遮るように、大きな木が聳えているのが、ハル達のいる距離からでも圧倒的な存在感で見えている。

―あれは〝御印〟なのか?   ハルは今、そんな心持で歩いていた。

 メインストリートには時折路地がある。よくある地方の村では、このような路地の奥では何人かの子供達が、メンコや喧嘩ゴマなど何がしかの遊びに興じているのが普通だが、ここの路地からはそんな楽しいざわめきは聞えてこない。誰もいない。そればかりかこの村に二人が入り込んだ時は昼間のはずなのに、このメインストリートと思われる道でさえ、子供どころか誰一人として歩いている姿を見掛けない。実に静かだ。物音が殆どしない。この時二人は、ここは異様に静かな村だと歩きながら感じていた。

「ハル様、静かですね」「あぁ静かだ、…静か過ぎるな」

 どこか映画のロケセットのような、人工的とも言えるくらいに簡素な街造り。人の気配が全く感じられない。二人はこの空間に違和感を覚えつつも、見えている大木に向って足を進めていった。そして道の途中、広場がその形を現す少し手前に一本の路地があった。二人がその路地を横目に通り過ぎようとした時、路地の奥から大きな物体が出てきた。

この村に入って初めての動く物体だ。

―のっし、のっし、のっし   何だ? ハルが足を止めた。もちろんハクも。

―のっし、のっし、のっし   動物だ。ん?あれは、…猫か?

 その姿形は明らかに猫だ。しかしその大きさが尋常ではない。大きい。どれくらい大きいのか、ハルとハクを遥かに上回る、上回るどころでなく、同じ猫科のライオンやトラを倍以上に大きくしたような、牛と言っても良いほどの大きさの猫だ。さすがのハルも目が点になった。もちろんハクも。二人の前を悠然と、その大猫は足取りもゆっくりと横切っていった。横切る際にチラっとだけ、ボー然としている二人を横目で見ていったが、どこ吹く風という感じでそのまま何事も無く、逆側の路地へと消えていった。

「い、今のは、猫、ですよね?」ハクが呟いた。

「あ、あぁ、多分な」ハルはそれだけ言って、また足を進めた。

 漸く広場の端まできた。そこはこの村の端からでも見えていた大木を中心に、ほぼ円形の、大木以外には何も無い広場だ。その広場をグルッと取り囲むように同じ形、同じ白い壁の屋根の低い家々が建ち並んでいる。そしてここも人気は全く無い。と、思った時、広場に通じる一つの細い路地から何か出てきた。二度目の動く物体だ。

 黙って立っている二人の目がその動く物体に向けられた。

―のっし、のっし、のっし   また大きな動物だ。

―のっし、のっし、のっし   今度は犬のようだ。やはり牛のようにでかい。

 二人はただその大犬の動きを見ていた。大犬は路地から路地へと広場を横切り、何が目的なのか分らないがゆっくりと歩いていった。この大犬には二人の存在は全く無視された。

 この村の住人は大きな動物なのか?そう二人が感じてもおかしくはない。

「ハル様、何なんでしょうか、この村は?」ハクが呟く。

「うん、分らないが、先ずはこの木の近くに行ってみるか」「はい」

 二人はとりあえず、その目の前に聳える大木の近くまで歩いていった。

 この大木、高さは三十m以上はあるのだろうか、幹の太さは優に直径で三m以上はあろうかという、正に大木だ。その葉の一つ一つはホウの木の葉のように楕円で大きく、団扇二つほどの大きさがあり、色が緑ではなく黄緑色というよりは黄色に近い色だ。そしてこの大木の枝葉が四方八方に広がり、この広場全体を覆うくらいまで広がっている。広がる枝一本一本も太く、その枝一本で通常の木の幹ほどもある。二人が大木の幹に近付くに連れ枝葉で日光が遮られ、幹の近くは木漏れ日は殆ど無かった。真夏の暑い日差しも完全にシャットアウトで、抜けて行くそよ風がとても涼しく感じられる空間となっていた。といってもこの時二人は、そんなリラックスムードなど露ほども無く、大猫、大犬の余韻もそこそこに、神妙な面持ちで更に大木の根元に近付いていった。

 大木の根元から五mほどの距離まで来た二人は、幹を下から上へと見上げていった。何本もの太い枝が邪魔をして最上部までは見えなかったが、見上げる二人には、何がしかの圧する空気が感じられた。木の下の空間は抜けていくそよ風で涼しくはあったが、それとは別にこの幹から発せられているのか、辺りを覆う何かの〝気〟が感じられる。そのせいなのか二人は、大木の圧倒的な存在の幹の直ぐ傍までは、足を進める事ができなかった。行こうとしてもその〝気〟に気圧され、これ以上近づく事ができない、と感じていた。ハルと、そして幼いハクでさえも、それぞれ言葉にできない何かを感じていた。

―これこそ〝御印〟だ

―これが藤ノ宮様の言っていた〝力の木〟

 今二人は、大木の幹からある程度の距離のところで立ち止まり、彼らの上部に広がる、この世に手を差し伸べる千手観音のような、四方八方へと広がる枝々を何ともなしに見上げている。ハルでさえ、それ以上なす術が無かった。

長い道のりを苦難を乗り越え、やっとたどり着いたはずなのに、いざこの場に来て、まだ確証は無いにせよこの圧倒的な存在感から、恐らくはこの大木が彼らの旅の目的であった〝御印〟であろう、と思えるはずなのに、ハルはこの木を前にして何をすべきなのか分らなかった。と言うよりは何も頭に思い浮かばなかった。その場で立ち尽くし、何がしかの気を発して存在するこの大木を、ただ見ているしかなかった。

―千世の皆が待っている

―伽羅都の住民が待ち望んでいる

―この地の世界の平和を

 今まではこんな言葉を頼りに、そしてそれを力としてここまで来たのに、この時のハルの頭の中に、全くこれらの言葉は思い浮かんでこなかった。頭の中は、自分の体と同じように真っ白に近かった。横でハクが呟いた。

「この木が、そうなんですね」

「恐らくな」

 それ以上の言葉は、二人の口からは出てこなかった。身体が目が、この大木に吸い取られるような感覚で、二人は立ち尽くすだけだった。

立ち尽くす二人の前で、―よく来たな と言うかのように、大木は悠然とその枝葉を風に揺らしている。



 考えてみるとこの〝御印〟を探す旅の始め、この旅はどのくらいの困難が伴うのか、探し当てるまでにどのくらいの時間が掛かるのか、何も分らず手探りで始まった旅であった。

 それが今こうして、恐らくではあるがそれだと思われる木を目の前にして、この〝見えない村〟に入ってからは実に簡単に、この目的の木の前に二人は立っている。ただメインストリートを何の障害も無く歩いてきただけだ。しかしこの後、どうすれば良いのか。

 ハルが漸く我に帰った。

「ハク」「はい」「俺達はこの後、何をすれば良いんだ」「…」

 もちろん、ハルに分らない事が幼いハクに分かるはずもなく、ハクも応えに窮した。

「俺達は千世の街を出る際、長老の風福様にこの木の事を、いや、その時はそれは木かどうかも分からなかったのだが、〝御印〟が地の世界を救うのだと話しを聞いてはきたが、どうやってその力を発揮してもらうのかは、何も聞いていない」

「…」もちろんハクは何も言えない。その後、ハルも何も言えなくなった。

 確かに考えてみればあの時、彌織もハルには分かると思っていた節がある。キコに対して、分らない事があればハルに聞きなさい、と言っていた。しかし現にハルがこの地にたどり着き、御印と思われるこの木を今目の前にして何も分からないでいる。天系の犬ハルでさえも、頭の中は真っ白になってしまった。二人はまた無言となった。

 いつからいたのか太い木の枝に鳥が留まっている。何の鳥か分らないがやはりでかい。まるでペリカンか大鷲かというくらいの鳥だ。この村に入って三番目の動く物だ。その鳥が突然声を上げた。

―グゥワー、グゥワー、グゥワー   余り気持ちの良い鳴き声ではない。

 どうして良いのか分らず、ただ黙っていた二人の目の端に何か別の動く物が映った。この村に入ってから四番目に動く物だ。二人はその動く物へと目を向けた。今度はどうやら人のようだ。この村に入って初めて見る人だ。あの鳥はこの者達に反応したのか、どこかへ飛んでいってしまった。

 二人の立つ側から大木の逆側、広場の向こう側から二人が歩いてくる。いや、一人は歩いているがもう一人は先ほど見たような大犬に乗っている。歩いているのは若い女性、もう一人、大犬に乗っているのは小さな老人だ。その者達は次第に自分達のいる方へと近付いて来るようだ。何も話はせずに、若い女性はうっすらと微笑を湛え、老人は笑っているのかただの皺くちゃの顔なのかは判別できない。

 その女性、背は高くはない。細身で髪は短く、この時代としては珍しい出で立ちをしている。といっても、時代を進ませれば、現代でいうただの白系のワンピースだ。老人はいわゆるこの時代の普段着だろう、麻布を麻紐で結わえただけの簡素な身形だ。

 大木の広がる枝葉の下、二人の立つ直ぐ近くまでその者達は歩いて来ると、数m手前で立ち止まった。すると女性は徐に振り返り、大犬の上で長い毛の中に埋まるように座る老人を抱きかかえ、地面にゆっくりと下ろした。地面に下りるとこの老人、立っているのかどうかも分らないくらいに背が低い。そしてそこにハル達がいる事を無視でもしているのか、ただ単に気付いていないだけなのか、二人の存在を全く気にせず話し始めた。

「都さん、この地の世界がそろそろ収まる事を望んできたようじゃ、貴方の力が必要なのじゃよ、ふむふむ」老人、皺くちゃの瞼を少し上げ、横に立つ女性を見上げた。

「はい、そのようですね、私もそう感じています」

―この女性は〝みやこ〟と言うのか   ハルが思った。

「それを考えると貴方がこの村に来られた事は、やはり必然的な事なのだと思えるのじゃよ、ふむふむ」「そうなのでしょうか」

―この女性に何かあるのだろうか   ハルは老人の言葉からそう思った。

「貴方はこの〝御柱〟を目覚めさせねばならんのじゃ、ふむふむ、しかしのぅ、そこには一つだけ問題があるのじゃが、ところで…」

―〝御柱〟?〝御印〟の事か?目覚めさせる?この女性が?

 ハルは老人の言葉に疑問と共に、この者達がここにきた時から感じていたある種の強い〝気〟が、この女性から発せられている事に気が付いた。それは何もせずとも気が付くほどの強い〝気〟の力だ。

―この女性は何者なのだ?   と思っていた時、

「御主達はどこから来たのじゃね?」老人が不意にハル達二人に話し掛けてきた。

―この老人、俺達が話のできる事を分っているのか? ハルは声を発する前に思った。

 ハルは少しだけ背中の毛が盛り上がっていたが、老人から都と呼ばれたその女性に視線を向けた時、その少しの警戒心も消滅した。その女性の柔らかな微笑を見た時、ハルの心の中で暖かい何かが、自分をそっと抱き寄せてくれたような気がした。

「私達は…」ハルの意識が変化をもたらしたのか、何も隠さず素直に言葉が出てきた。

「この地の世界の混乱を収めるため、この木を探してここまでやって参りました」

 その女性と老人は笑顔で、多分老人も笑顔と思える顔で、犬であるハルが発した人間の言葉を、何の驚きも無く当たり前のように聞いている。

「私はハルと言います。千世の街から、ここにいるハクは伽羅都からやって参りました」

「ほぅ、それはそれは遠路はるばる、ご苦労なことじゃたのぅ」

 老人、その辺の年寄りの会話のように言う。

「貴方達は何故、この木の事を知っているのですか?」都という女性がやんわりと尋ねた。

 ハルはその問に、千世で起きている四方津国からの死人の事や、天系の長老の風福の言い伝え話、千世を出てから今まで起きた影との戦い、軍神を呼び覚まし助けてもらった事、ハクは伽羅津の国津神と一緒にいた事など、順を追って話をした。

 この時、この女性の事も老人の事も何一つ一切を知らないハルであったが、それでもハルの心は素直に話せと、そう言っている気がしていた。そしてハルの言葉をたまに相槌のように、小さくコクコクと頷きながら聞いていたこの女性が、ハルの話の中から、

「軍神?」この名前を言い掛けた時、横から老人が言葉を挿んだ。

「ほぅ、お主達は軍神を呼び起こしたのかね?」

「はい、実際に呼び出されたのは彌織様という、天系の、ウズメの命の子孫の方です」

「な、何と!」老人はこの言葉に驚いた。

「ウズメの命の子孫がいらしたのか、…ほぅ」老人、かなり驚いた様子だ。

「もしそれが本当ならば、軍神も呼び起こせるわけじゃ、ほぅ、ほぅほぅ」

〝ウズメの命〟この名前、確か軍神が一度口にした名前、それをハルが口にした事に、当のハル自身も驚いた。勝手に言葉となって出てきた、とハル自身が思った。

「そうなのか、天系の子孫の街があったとはのぅ、知らなんだわ、ふむふむ」

 老人は驚いた後、一つの重要な言葉を言った。

「お主らの探す言い伝えの〝御印〟とは、恐らくはこの木の事じゃろう、のぅ、都さん」

「えぇ、そう思います。明らかにこの〝御柱〟の事だと思います」

 女性はそう言って木の幹の方へと手を伸ばし、指し示した。

「地方での言い伝えは色々あるのだろうが、その話の根幹は皆同じ、この地の世界を収める力のある木とは、この木以外には無いのでな」老人は小さな目をハルに向けた。

 ハルにとっては身体の震えるような嬉しさであった。千世の皆から期待され、そして何度かの苦難を乗り越えここまで来たのだ。その目的の木が今ここに、目の前にある木だと言う。もちろんこの話をしているこの目の前の二人が、何者なのかは未だに分らないのだが、その発せられている気からして、明らかにただ者ではない事は分かる。その二人が言った言葉だ。

―〝御印〟が、ここにある木である

 それは、今の今までハル達が旅をしてきた目的が、単に言い伝えに過ぎぬ話を基にしての旅であった事、それが今、目の前に現実として現れたという事だ。もちろん、それはこの素性の知らぬ二人の、その言葉を信じるという事が前提とはなるのだが、今のハルにとってそんな事は既に関係無かった。問題はこの木の力をどうやって引き出せば良いのか、どうすればこの木が、地の世界を収めてくれる力を発揮するのか、という事に頭の中の関心は移っていた。

 そして、ハルがその事を考え出した時、フッと女性の視線を感じた。

「そうなのです、貴方の思う事は当然で、私達もその話しをしていたところなのですよ」

 ハルが女性に視線をやると、その女性はハルの目に柔らかな視線を合わせてきた。それと共に、母親のような暖かい〝気〟を感じた。

―この女性は俺の心を見透かしている  ハルは驚くと共に何とも言われぬ畏怖の念を感じた。

「貴方は、伽羅都という街から来られたと、言われましたね?」

 都という女性は、今度はハクに視線を合わせた。

「はい」ハクは小さい頭を可愛くコクっと上下させた。

「貴方は…」女性が何かを言う前に、また老人が口を挿んできた。

「その小さい、お主」皺くちゃの瞼を片目だけ少し上げ、ジロっとハクを見ている。

「お主はぁ、何故か、う~む、わしはお主の事、知っているような気がするのじゃがのぅ、ふ~む」老人は、何故だかハクの事を知っているように言う。

 しかしハクはまだ幼く、今までは言葉も話さないただの小さな子犬に過ぎず、地方の国津神と共に過ごしてきた犬だ。まさかこの〝見えない村〟にいる老人が、そんな地方の犬一匹の事を知っているわけがない。老人自身もただそんな気がしただけなのか、話しを直ぐにハルの方へと変えた。

「そして、お主はこの後、どうしたいのじゃ?」視線をハルに合わせた。

「はい、はっきり言いまして、今この木を見ていて頭の中が白くなり、何も思い浮かばない状態になっておりました」ハルは今の自分の心の中を正直に話した。

「私達の旅の目的であったこの木に出会い、この後、どうすれば良いのか、正直分らないのです。どうやって、この木に力を出してもらえるのか、分らないのです」

 ハルは会ったばかりの正体も知らぬ二人に向け、本当に正直に心の中を話した。この時話さなければならぬと、自然とそう感じた。この二人の前では何も隠す事はできないと、そう感じたのだ。

「そうかい、そうかい」老人は僅かに微笑んだ、と思える顔をした。

 老人はハルの言葉にこの犬の心が正直だと感じたのか、コクコクと頷いた。そしてハルを品定めのつもりなのか、一度視線をジロっと向け数秒見続けた後、今度は皺皺の顔を更に皺皺にして大きく微笑んだ。

「お主の答えはここにあるのじゃがの、ホッホッホッ」

 老人は横の女性に短い指をさしている。ハルは都というその女性に視線を向けた。

―答えが、この女性?   何を言っているのか分らない。

「この方はの、お主達のようにここに来てまだ間が無いのじゃが、何故ここに来たのかがお主達と違っておってのぅ」老人の話す横で、女性は柔らかく微笑んでいる。

「この方はの、この木が呼んだのじゃよ、ホッホッホッ」

―この、木が、呼んだ?   その言葉にハルは何かを感じた。

「この地の世界が乱れ、お主達のようにそれをどうにかしたいと思う者が増え、天界もそれを憂えたのか、その辺はわしには分らぬ事なのじゃが」

「という事は…」ハルが女性に訊く。

「貴方様は、この木の力を蘇らせる事ができるのですか?」

 女性はやはりやさしい微笑を湛えたまま、ゆっくりと顔を横に振った。

「私にはまだ、分りません」女性は微笑を消し、キリっとした顔でハルを見た。

「確かに私は、理由も何も分らずにここに来たのです」

 都という女性は自分がどうしてここに来たのか、自分に何ができるのかは、自身では何も分からない事を話した。そして、ここに来てから自分に何かが起き始め、明らかに変わりだした事も話した。そして今感じている事、しなければならぬ事が自然と頭に浮かんでくるのだと、この女性も目の前のただの白い犬であるハルとハクに、包み隠さず心の内をありのままに話した。

「私はこの木の幹に触れていると、何か力を貰っている気がするのです。そして何をすべきなのかを教えてもらっている、そんな気がするのです」

 ハルは、自分達がこの木の〝気〟に気圧され、木の近くまで近付く事さえできずにいるのに、この方はその幹に触れる事ができ、しかもこの木に何かを伝えてもらっているのだと、やはりこの方は何かが違う、そう思った。

 その後、都という女性が話しを一段落させ、木の幹の方を向いた。そして少しの間の後、今度は老人が話し始めた。

「さて、お主達の考えは分ったのじゃが、問題が一つあっての」

 言いながら老人は、木の方を向いている都の背に視線を向けた。

「のぅ都さん、ここからはまだ貴方にもお話ししていない事なのですが、今、このように他の地方からも、この木の目覚めを必要としている者達がきている。この機会にお話し致しましょうかのぅ」その言葉に都はゆっくりと振り向いた。

 老人は大木の幹の近くにある一つの大きな石に向かうと、チョコンと腰を下ろした。その座った姿は立っていた姿と何ら変わらない。立っても座っても背の高さがほぼ同じだ。

「先ずは、わしはこの村でこの木を代々守ってきた一族の長なのじゃが、この村はの、今まで都さんも感じていたかと思うが、人が余りおらん、住民という住民は今は、もうわし一人くらいなものなのじゃ」

「御老人…」ハルはこの村に入った時から気になっていた事を訊いた。

「人がいない事もそうですが、先ほど見ましたが、大きな動物がいるのでは?」

「そうじゃのぅ、これは都さんには前に言った事なんじゃが、この村の住民はあのでかいやつらなのじゃよ、ホッホッホッ」老人、深い皺に更に皺を重ねて笑っている。

「その話、何とも不思議に思えますが、では、私をここまで連れてきてくれたハヤト君と他の子供達は、どうなのでしょうか?以前にお爺様は、あの子達の親も働いていて昼間はいないと、子供達も昼間は勉強などして、更にこの後の背丈は大きくならないという話しをされたと思うのですが」

 この村にくる前、都はあの出都の街に一度足を踏み入れている。そしてあの街からここまで、タケハヤトという子供に連れてこられた。そしてこの集落に入る前にはタケハヤトの仲間と言える、キャッキャとはしゃぐ三人の女の子もいた。

「そうじゃのぅ、あの子らは、ホッホッホッ、そんな話しもしましたが、実はの、親の話しは話の流れで言ったまでで、それはともかくあの子らはの、ある種の幻影とでも言って良いのかも知れんのぅ」

「幻影?そうなのですか? …でも、私は彼に触れたりもしましたけれど」

「ホッホッホッ、そうさなぁ〝実体のある幻影〟とでも言えば良いのじゃろうかのぅ」

「実体のある、幻影、ですか?」

 都は驚いた、というよりどちらかと言えば、残念、という顔付きだ。都をここまで連れてきた子供達が、幻影。都はあの子達を思い出しているのか、どこか空間を見詰めている。

 老人、短い顎髭に手をやり、多くの皺に埋まりそうな顔でそんな都を見て微笑んでいる。

「都さん、貴方はこの木が選んだお方じゃ。少なくともわしはそう思うとる。故にの、貴方がここに来られるまでに関係した者は皆、この木が作り出した幻影と思ってもおかしくはないのですぞ」老人は残念そうな顔の都を諭すように言った。

「それと、ハヤト君達に会う前にウサギさんが、途中まで私を連れてきてくれて」

「ウサギのぅ、都さん、恐らくそれも幻影の一部なのじゃろうのぅ、ホッホッホッ」

 都は更に残念な顔付きとなったが、老人は話しを次に進めた。

「さて、重要なのはこれからじゃ」そう言うと小さな目で、一度ジロっと都を見た。

「良いかの都さん、この木に触れ、この木から何かの教えを受ける事のできる者など、それは選ばれた者しかおらぬ事は明らかなのじゃ。誰もが勝手にこの木に触れる事などできぬのじゃよ、この事は既に貴方が証明しておる事じゃ」

 我に帰った都はその言葉にゆっくりと頷いた。ハルとハクは黙って聞いている。

「そしてこの木の由来、そして木の力の事も既にお話しした通りじゃ。お主達の話していた言い伝えの内容も、ほぼ同じ事なのじゃがの」老人、今度はハル達を見た。

「そしてじゃ、では、どうやってこの木に力を出してもらうのか、お主達が危惧していたように、どうすればこの木の力でこの地の世界を収める事ができるのか、その事が重要なのじゃが…」老人、そう言うともう一度、都、ハル、そしてハクの順に視線を向けた。

「もちろん、先ずは木を目覚めさせるのには都さん、貴方の〝気〟が必要じゃ。これは都さん以外にはできない事と、わしはそう確信しておる」都は何も言わず聞いている。

「そしてじゃ、それだけではこの木は力を出してくれはせん、目覚めるだけではだめなのじゃよ。ある物が必要なのじゃが、そこなのじゃよ、…問題はのぅ」

 老人、そう言うと口を閉じ、皺皺の瞼を閉じた。一呼吸待ってからハルが尋ねた。

「御老人、そのある物とは何なのですか?」当然の質問だ。都も疑問の顔をしている。

「ん、…そう、そのある物とはのぅ」

 老人の話ではこの地の混乱が始まる前、天地創造の神がその混乱を収めるために投げ入れたこの〝御柱〟は、その力が強い故に誰もがその力を目当てに集り、勝手に利用されてはならないと神は考えたらしい。そのためにある種のセーフガードとも言える安全策を施したのだと言う。それは三つのキーとなる物を神は用意し、もしこの地の世界を収めたければ、もしそのような状況になった際には、木の前にその三つの物を揃え、互いに力を及ぼし合い一つとならなければ、この偉大な力を持つ〝御柱〟のパワーを発揮させる事はできないようにした、という事なのだそうだ。

 天界の神も色々と手の込んだ事を考える。神も心配症なのか。

「そしてその昔、一度だけこの木の力が地の世界に及んだ際、どのようにそれらは集ったのかは全く分からぬのじゃが、その後、地の世界が平和となった後に、その三つの物はいつの間にかそれぞれどこぞへと飛散していってしまい、今では誰もその行方、そして存在すら分らないままとなっているのじゃよ、ふむふむ」

 老人、また瞼を閉じた。老人の言葉の後、暫し間があった。黙って聞いていたハルがもう一度同じ事を訊いた。

「御老人、その三つのある物が何なのかは、分っているのですか?」

「それはの」老人、ゆっくりとその三つの物の名前を挙げた。

「一つは〝赤の勾玉〟二つ目は〝光の剣〟」ハルがその名を聞いてピクっと反応した。

「そしてもう一つはのぉ〝月の鏡〟という物じゃ」

 老人が最後の物の名前を告げた時、今度はハクがピクっと耳を動かした。それと同時に都が眼を大きく広げ、何かに反応した。

「お爺様、う~ん、何か、良く分らないのですが、その鏡に何かを感じます」

 老人、ん?という風に都を見た。「何か、感じましたのかな?」

「その何かが、何なのかは、…分らないのですけれど」

 都は目を瞑り、その何かを考えているのか暫し口を閉じた。都とは別に、ハルの横でチョコンと座っていたハクも、その鏡に付いて何かを感じていた。

「あの、私はこの村に以前いた事があるような気がします」

 ハルが横で少し驚きの目でハクを見た。老人も瞼を上げジロっとハクを見た。

「ほ~ぅ、何と、まだ幼いお主がここにいた事があると申すのか、ふむふむ」

「はい、はっきりとは言えませんが、今おっしゃられた〝月の鏡〟という響きに、何か昔の事を感じるのです」ハクはチョコンと座ったまま、口だけ動かしている。

「ほ~ぅ、幼いお主が昔と言うからには、ここで生まれた、という事なのかの」

「それは分りません。その事は分かりませんが、しかし私の記憶がはっきりとした頃に、私を連れていたお方の名前は覚えています」「ほぅ、誰なのじゃ?」

「コノハナサキ女、という方です」「ほ~ぅ、何と何とぉ!」老人、深い声を漏らした。

 そして老人はその名前を聞くと、腰掛けていた石から立ち上がりゆっくりと歩き出した。

「ふむふむ、あの、サキ女と一緒にのぅ、ふ~む」

 この老人の反応が何なのか、都とハルは不思議に思った。そしてハクが続けて話す。

「はっきりとした記憶ではないのですが、サキ女様が話していた言葉の中に、今お爺様が言われたその鏡の名を、聞いた事があったように思うのです」

 老人、ゆっくりと歩き回り、ハクの言葉にジッと聞き入っている。ハクは続ける。

「そして、あの方が、確か、何かの呪文を使われた時に、恐らくその鏡を使われていたような、…そんな気が致します」ハクはチョコンと座ったまま、口だけ動かした。

 老人、足を止め、瞼をまた閉じ何かを考えている。暫しの沈黙があった。

「そうかの、ふぅ~む、サキ女がのぅ」と老人が言った時、都が尋ねた。

「お爺様、そのサキ女様という方は、ここの住人でいらしたのですか?」

 ハルが同じように疑問に思っていたのだろう、ウンウンと黙って頷いている。

「ん?そう、…そうなのじゃよ」老人、皺皺瞼を少しだけ上げ、都を見た。

「サキ女はのぅ、…そう、あやつはここの住人だったのじゃ、っふぅ~」

 老人、息を一つ吐いた後、ウンウンと一人頷き、さび付いた記憶の引き出しを何とかこじ開けるようとしてなのか、気だるさを纏った様子でゆっくりと話し始めた。

「あやつはの、この天界からの柱を守るという大事な役目を負った、わしら山積一族の一人でな、幼い頃はここにいたのじゃよ」

 老人の話では、昔は何十人も一族の者がいたらしく、この村でそれぞれ何がしかの役目を負っていたらしい。しかし長い平和が続いた頃、何事も起きないこの村で木の世話をしているだけに飽き足らず、一人去り二人去りと次第にその数が減っていき、今この時この村にいる一族の者は、実際にはこの老人一人になってしまった。ただ、住民と言えるかどうか、老人が先に言ったようにあのでかい動物達が、いるにはいる。

「そして一族の中でも、あのサキ女は幼少の頃から怪しい力が強くてな、それはそれで一族としては意味のある事だったのじゃが、あやつに取ってこの小さな村は退屈でしかたなかったのじゃろうのぅ、そのあり余る力を持て余し、事ある毎に問題を起すようになっての、気が付けば、いつの間にか村を出て行ってしまったのじゃよ、ふ~む」

 老人は残念という顔なのか悲しいという顔なのか、曖昧な顔付きでそう言い終えると、また木の根元の石のところへ戻り腰を下ろした。

「では、そのサキ女様はどこで、その鏡を手に入れられたのでしょうか?」

 老人が腰を落付かせるのを待って都が訊いた。

「ん、いや、それはわしには分らん、ここにいた時には持ってはおらなんだ。ただのぅ、この村を出た時、ここの犬を一匹連れていった、という事をうわさに聞いた事はある」

 老人は暗にそれがここにいる白い犬だという意味だろう、視線をハクに向けた。その言葉に合わせ都もハクに視線を向けた。

「そうしますと、やはり私はこの村で生まれたという事になるのでしょうか?」

 ハクはこの村に入った時に感じた、おぼろげな記憶を手繰るように、小さな円らな瞳を老人に向けた。

「サキ女が一緒だったという事は、恐らくはそうなんじゃろうのぅ、ふむふむ」

 ハクはおぼろげな記憶の糸が、ここから始まっていたんだという顔で、横にいるハルに視線を向けた。ハルはこの時何も言わず、一度コクっと頷いた。

「ところで小さいお主、…ハク、と申したかの?」老人は優しく言った。

「はい、ハクと申します」「サキ女がその鏡を手にしたのはいつ頃なのか、どこでなのかは分っておるのかのぅ?」老人、疑問を含めた曖昧な笑顔で問うた。

「いいえ、私が幼い頃には既にその鏡をお持ちになっていましたので、分りません」

「そうか、ではその鏡が〝月の鏡〟なのかどうかも分らないのだろう、のぅ」

 老人は顎鬚を触りながら、チラっと都に視線を向けた。

「そうですね、その鏡、何か特徴があったのですか?」都が訊いた。

「ん、そうよなぁ、特徴というよりも、もしそのサキ女が持っていたその鏡が、本当に月の鏡であったのなら、その鏡自体に力があっての、そうそう、ふ~む、いや、その鏡がもし本物であるとしたならば、サキ女が扱えるわけがないのじゃ」

 老人の話ではその鏡は天界からの物故にただの鏡ではなく、邪悪な力を封じ込める力があるのだという。白雪姫の話の中に出てくる鏡のように映った物その物の本質を現し、その邪悪性を封じ込める力があるのだという。何とも役に立ちそうな物、というよりは恐ろしさを感じる力を秘めているらしい。

「あ、そういえば…」ハクが何かを思い出した。

「サキ女様が何か呪文を唱えていた時に、その言っていた文言を少しだけ思い出しました」「ほぅ、何と言っておったのかね」

 ハクは少し考えるように目を閉じた。暫くすると小さく言葉を発し出した。

「何がし何がし、…、その物、天の力、及ぶなり、…、真なる御影の現すところ、己が秘めたる心象の映し、…、汝、示せよ、…、天の力、封印せよ、…、正邪の表し給うところ、己が秘めたる奥深の響き、…、何がし何がし、…」

 ハクは何かに言わされた、と思えるような幼いハクとは思えぬ口調で、その文言を口にした。ハクの言った言葉は何の意味なのか、そこにいる誰もが良く分らなかった。短い言葉であったがその言葉を聞いた老人は、閉じていた瞼をゆっくりと開けた。

「その言葉、何やら、わしは、恐ろしげな力を感ずるのぅ」

 横に立って同じように目を閉じて聞いていた都も、やはり同じように感じたのか、

「そうですね、私も何やら、暗い物を感じました。言葉では言い表しにくい何か、底深い物を感じました」

 そこにいた者皆が、心に重石を乗せられたように押し黙った。老人は重い心のままだからなのか、ただでさえ皺枯れた声が一層深い擦れたような声をして、問題はその後だ、というように話し始めた。

「ともかくじゃ、今、鏡がどこにあろうとも、先ずは我等が今なさねばならぬ事は…」

 老人は話しながら背側で聳える木をチラっと見上げ、短い片手を上に向け伸ばした。そして頭上で人差し指をピンと立て、声を次第に強くしていった。

「この木を目覚めさせ、そして力を蘇らせなければならぬのじゃ。そのためには先に話した〝赤の勾玉〟〝光の剣〟そしてその〝月の鏡〟をここに揃えなくてはならぬ、その事こそが重要、分るかのぅ」老人はあくまで、確認、の意味で言った。

 聞きながら他の者それぞれが頷いている。そして、ハルが口を開いた。

「御老人、その事なのですが、私達は〝赤の勾玉〟〝光の剣〟と思われる二つの物を、既に知っております」簡潔に言った。

「ん、二つを、既に知っている? ほぅ」老人は少し驚いた顔で瞼を上げた。

「確信はありません。恐らくなのですが、その物の持つ力を考えると、それらはご老人が言われた物に相違ないのかと、そう思うのです」

 ハルの言葉を聞いていた都が、一度老人と視線を合わせた後、尋ねた。

「それら二つまでを何故、貴方達が知っているのですか?そして今、それらはどこにあるのですか?」当然の質問だ。

「〝赤の勾玉〟と思われるそれは、今は私のいた千世にあります。先に申しました軍神を呼び起こすために使いました。そして私をここまで導いてくれたのも、その勾玉なのです」

「ほ~ぅ、そうなのかえ、ふむふむ」「はい、実は…」

 ハルはこの村に入るまでの事を二人に説明した。

〝赤の勾玉〟は元々天系の子孫に受け継がれ、長老の風福が持っていた事、そして今その勾玉は、今の千世の危機的な状況の中で、キコが軍神を再度呼び起こすために持ち帰っている事を告げた。

 そしてもう一方の〝光の剣〟に付いては、これは官之宮の話に因るのだが、と前置きをして、出都の長である大伴主の先祖が怪物の尾から見付け出し、代々家宝として長の力の源になっている事、そして今怪しの奥方に大伴主が囚われ、官之宮と藤ノ宮が助け出そうとしている事、そしてその後に怪物から住民を助けようとしている、という事、等々順を追って話をした。

「そうかえ、それはそれは、御主達は色々難儀な事があったようじゃのぅ」

 老人は頷きながらしっかりと話しを聞いた。そして顎鬚を触りながら暫し考えた。

「ふ~む、確かにのぅ、もし、…もしもじゃ、お主の話しを疑うわけではないが、その話が本当であればじゃ、その勾玉もその剣も、わしにはそれぞれが我らの求める物と相違無いように思えるのじゃが、のぅ、どう思われるかね、都さん」

 老人、顎髭を撫でながら目をつぶり、ハルの言葉を頭の中で一つ一つ確かめてでもいるかのようだ。

「はい、私もそう思います」都、老人を一度見て頷くと、直ぐにハルに視線を変えた。

「それら二つは、ここに揃える事ができそうなのですか?」

「はい、それらの今の状況さえ収まれば、なのですが、ただ…」

 ハルは余り感情を話しには紛れ込ませない。話の内容を正しく簡潔に相手に告げて、どう判断するかそれは聞いた者に任せる。この時も事実だけを告げている。

「収まるまでにどのくらいの日数が掛かるのかは、私には分りません」

 それを聞いた都と老人はお互い視線を合わせ、それぞれ少し考えた後、老人がコクっと頷きハルに告げた。

「お主の言う事もっとじゃ、どちらにせよ、我らにはもう一つの問題がある」

「そうですね〝月の鏡〟、先ほど話しにあったサキ女様の持つ鏡が、果たしてその鏡なのかどうか、更には、そのサキ女様が今、どこにいらっしゃるのか、それを探さなくてはならないのですね」都はハルとハクに向かい、しっかりとした口調で言った。

「恐らくお主の言った物がそうなのだろう、と言ってはおくが、行方の分っておる二つの物の事は御主等に委ねる事として、先ずは行方の知れない〝月の鏡〟を先に探さねばならんのぅ」

 この老人の言葉により、今この場の進む方向が決まったようだ。ここにいる者皆がそれぞれ納得したように揃って、ウン、と頷いた。



 ハルとキコが千世を出てから、何日が経ったのだろうか。

 当初、風福の婆様や菟酉が考えていた日数よりは、意外に早くハル達は、目的地である〝御印〟の立つ、この場へと辿り着く事ができたのではないか。それは公弐宮や藤ノ宮、ハク、更には官之宮等の助力もあっての事だが、もちろん最後には、勾玉の誘導も早く辿り着いた理由の一つだろう。

 そしてこの旅の始まりから懸念していた〝御印〟がどこに存在するのか、本当に存在しているのか、そして本当にこの地の世界の混乱を収める事ができるのか、という事が、今ここにきてある程度払拭されつつある。

〝ある程度〟というのは、まだこの目の前の木がその力を発揮していない以上、その本当のところは確かめようが無い、からである。ただこの木を守る一族の長という者が、ハル達が言い伝えとして聞いていた、この地の世界の混乱を収める力のある木、それがこの木である、と言っている。ハルとしてはそれを信じるしかないのだが、しかしそれはもうハルの手の届くところにある事は確かだ。

 そして今、ハルの目の前にもう一人、その存在から周囲に強い気を発している女性がいる。この女性もまた、この〝御柱〟と呼ぶ木を目覚めさせるために、この木に呼ばれたのだという。

見えない村、木を守る一族の長、木に呼ばれた女性、それと御印と思われるこの大木。

これらが今、ハルの目の前にある。言い伝えでしかなかったハル達の思いが、今現実になろうとしている。

その存在が不確かな上に、その道のりがどこまで果てしないのかも分からぬ旅路が、意外にも早く、今はまだ恐らくと言うしかないが、その目的である存在がこれだと思われるところまで到達しえた事に、ハルは驚きとこの後の期待とそして責任を、この時ヒシヒシと感じていた。

 しかし、この木を目の前にして、もう一つ乗り越えなければならぬ問題が生じた。

―三つの物を木の前に揃えねばならぬ   と木守一族の長が言う。

 その三つとは〝赤の勾玉〟〝光の剣〟そして〝月の鏡〟だと言う。その内二つは偶然にもハルの知るところにあった。何という偶然だ。但しまだ確証は無い。それらの持つ並外れた力から見て、そうであろうという推測だ。問題は最後の一つ〝月の鏡〟の行方が知れていない。さてどうするのか。

 一つだけそれと思われる可能性のある道があった。ハクだ。ハクの元の使えていた主が、それと思われる鏡を持っていたという。これもまた推測でしかないが、確かめてみる意義はあろう。何も無いよりははるかにましだ。

〝御印〟〝力の木〟そして〝御柱〟その呼び名は各地でまたは各人で、色々と呼ばれてきたが、それらは全てこの木の事に相違無いと思われる。そんな途方も無い力を持つ特別な〝木〟など、そこらに何本もあるはずもない。それにここは〝見えない村〟の中、ここもまた特別な地だ。

 地の世界の者が皆待ち望んでいる、地の世界を平和に、そのためにこの木に力を発揮してもらわねばならない。それには三つの物をこの木の前に揃えなければならないという。

それらを集めるため、今ここにいる皆がそれぞれに行動を起さねばならない。地の世界の平和の実現の鍵は、ここにいる者達が握っている、と言っても過言ではない。

 老人が各人に指示を出した。

 ハルは千世に向かい、混乱を収めその〝赤の勾玉〟と思われる物を持ち帰る。ハクは藤ノ宮と官之宮のところへ行き、出都の混乱が収まり次第〝光の剣〟と思われる物、名前こそ同じではあるが、大伴主所有のそれを持ち帰る。そして都は、どこか行方の知らぬ〝サキ女〟と言われる女性を探し出し、その〝月の鏡〟と思われる物を持ち帰る。もちろん木守の老人は、ここを離れるわけにはいかない。

 木を目覚めさせるため、皆が皆、それぞれ重い責任を負った。

 これが必然の成り行きなのか、時の流れなのか、以前にこの木が力を発揮した時はどうだったのか、それを知る者は誰一人としていないのだ。それは伝説の中にある。今はただ、皆が一つの目的に向かい事を成すだけだ。




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