11.見えない村
見 え な い 村
目の前に清らかな流れが横たわる。魚は、いないようだ。これだけ綺麗な川に魚がいないとはおかしな話だが、確かにいない。以前出都に入る前、一行が見えない橋を渡った際には、水中を楽しく泳ぎ回る魚が何匹も見えたはずではないのか?何故同じ川で、この場所では魚がいないのだ。これは同じ川なの?キコは頭の片隅でフッと、そう思った。
その川の流れの向こう側、美しい甍の波が続いているのが見える。尖塔のように一際高い建物の先端も微かに見える。あれは五重塔ではなかった。異常に高い基礎を持つ社だった。川の逆側、土手の背後には黄緑色の背の高い草地が、永遠と地平線まで広がっている。それ以外は何も見えない。風の流れに一斉になびく草穂の波は、美しいと表現しても良いだろう。時にユラユラと、そして時に渦を巻き、分かれたかと思えばまた一斉に同じ方向になびき、それは一つの統制の取れた動く芸術品のようで、時を忘れて見ていたくなる。
キコがその芸術品を見ている。
「綺麗ねぇ」そして振り返り、今度はハルを見た。
「ねぇハル、あの屋敷って、何だったんだろうね?」「長の屋敷さ」
ハルはあの屋敷から離れ、既に毛も収まり目も赤くはない。
「そうねぇ、官之宮殿はあそこにいるのが窮屈そうな感じがしたわよねぇ」
「そうよなぁ、あやつに何事も無ければ良いのだけども、のぅ」「クゥクゥクゥ」
一行は官之宮を待つ間、それぞれの思いを語っていた。彼らはあの屋敷の地下から続く通路を暫く歩いてきた後この目の前の川、弥寿々川の下を潜り、対岸の土手の下から外に出る事ができた。官之宮の言った通りだ。
そして皆土手に上がり、黄緑色の草原を渡るそよ風を受けながら、先ほどまでいた遠くに見える出都の街並みを眺めている。後から来るであろう官之宮を待っているところだ。
「ねぇ藤ノ宮、五十年前に、もしかしてここを抜けて出都に入ったんじゃないの?」
公弐宮が出都の遠景を眺めながら、自分達が出都に入る前の事を思い出して言った。
「おぉぅ、そうなのかもしれないのぅ」藤ノ宮は両手をポンっと叩き、思い出したようだ。
「でも本当に、あの方は誰だったのかしらねぇ」今度はあの不思議な人物についてだ。
「そうですよねぇ、何故、私達を…」キコが言い掛けた時、
―タッタッタッタッタ、っはぁ、っはぁ、っはぁ
「おぉ~う、皆々、お待たせ致したの~ぅ、っはぁ、っはぁ」
官之宮が土手の下から、その大きな体をヌーっと現した。そして出てきて直ぐに腕を川の下流に向け、皆をその方向へと行くように促し、自らは土手の下を直ぐに歩き出した。
「皆々、こちらだ」官之宮は土手の上の一行に声を掛けた。
途中から官之宮も土手の上に上がり一行と合流した。もちろんハルとハクが先頭を歩き、その後ろをキコと公弐宮、そしてその後を藤ノ宮、官之宮と続いた。歩きながら、早速キコと公弐宮は出都での事を問い始めた。官之宮を待つ間、訊きたくてウズウズしていたようだ。
「官之宮様、あのウサギや小人は何なのですか?」先ずはキコだ。
「あいつらはただの使用人さ。お、一人だけ、最初に屋敷の大扉に出てきた奴がいただろう。あいつは本当に嫌な奴でな、小人の中でもあいつだけは術が使えるのさ」
「術が使えるのですか?ふ~ん、国津神みたいな、ですか?」「そうだな、そんな物だ」
官之宮はいかにも気さくに、屋敷の前にいた時とは別人のようにスラスラと、実に楽しそうにその大きな顔で大きな笑顔で話しをした。
「でもな、あいつはあの街の長、大伴主殿の奥方、浮芹と言うのだが、その人の手先でな、使用人のウサギや小人からあいつに色々話が伝わると、これが厄介な事になるのさ。まぁ、今回、あんた達は上手く抜けてこられたみたいだがな、ハッハハハ」
官之宮は大きく笑ったが、キコは申し訳無さそうに下を向いた。
「いえ、官之宮様、実はここに来る前に通路の中で、私が声を出してしまってぇ」
「そうなのよ、官之宮殿、それがね…」
公弐宮も早く話がしたくて、横から話しに割って入った。
「あの者達が小さな扉から突然出てきて、それにぶつかってしまったのよ。それで思わずキコが叫んでしまってね」「何と、では、その後どうした?」
「あのですね」「それがねぇ」キコと公弐宮が同時に応えた。
公弐宮がその後、通路で一行を救ったあの謎の人物の事をかれこれしかじかと、描写も巧みに官之宮に話した。官之宮は少し考えた後、恐らく、という感じで口にした。
「それはな、俺もここに長くいるが、直接会って話をした事が無いのだが、恐らく、それは〝ツキヨビ〟という人物なんだろうな」
「ツキ、ヨビ、様?」「ツキヨビ?」また二人が同時にオウム返しで応えた。
「そう、ツキヨビ、その人物はな、あの屋敷には俺の他に、国津神ではない何人かの当たり障りのない使用人はいるのだが、彼らの話ではな、誰もが直接会った事、話しをした事は殆ど無いようなのだよ。しかし昔から言われておるのは…」
官之宮の話では、その人物、今の大伴主が当主になった頃からいる人物らしく、その大伴主と近い間柄のようで、しかし当初はいなかった〝浮芹〟という奥方が後添えとして来てからというもの、大伴主も屋敷の外に出なくなり、そのツキヨビという人物もいるのかいないのか、その存在すらよく分からなくなってしまったらしいという事だ。
「そうだったなぁ、確かぁ、わしが五十年前にここにきた際には、その〝浮芹〟という奥方はいなかったように思えるが、のぅ」藤ノ宮が話しに加わった。
「そうなのだ、とにかくあの奥方がきてからというもの、全てが変わってしまったと言って良いのだよ、うん」官之宮の話がいつの間にか、ツキヨビから奥方の話へと変わった。
「おっと、こんな話、あの屋敷の前では一言も口に出す事はできんのでな、ハッハハ」
官之宮、屋敷から離れて話しをする事が余程嬉しいのか、更に大きな顔大きな笑顔で笑った。
「そうだろう、あの時のお主の話し方や姿はでかい図体の割に、何とも卑屈に見えていたわいな、ハッハッハッ」藤ノ宮も笑顔で、官之宮を楽しそうにけなした。
「おぉそう言えば、お~い、ハル殿ぉ~!」官之宮、先を行くハルに大声を上げた。
「あの時はぁー、大変失礼をば、致したぁ!諸事情ありましてなぁ!」
ハルは足を止めず前を向いたまま、いつものように、尻尾をピンッと張って、気にするな、と言っている。もちろん背中の毛は逆立ってはいない。キコがピンと立った尻尾を指さして、その意味を官之宮に伝えた。
「あ、官之宮様、私達があの通路を去った後は、どうなっていましたでしょうか?」
キコはずっと気になっていたのだろう、あの空間を浮遊していたウサギや小人の事だ。
「おぉ、あの通路はな、俺が通ってきた時にはもう何も無かったのだよ。故に俺はあんた達が何事も無く、ここまできたものとばかり思うておったのだ、うん」
「そうなんだぁ」キコは不思議顔で、横で聞いていた公弐宮と目を合わせた。
「あ、そうそう、それとね、官之宮殿」今度は公弐宮の番だ。
キコの通路の話でもう一つ何かを思い出したらしく、ポンっと手を打った。
「あの通路でね、私達がこちらへきた逆側から何か異様な音が聞こえていたけど、あちらには何があるのかしらねぇ?」公弐宮はあの僅かな異様な音を、聞き取っていたらしい。
「う~ん、実はな、あんた達を通路へ行くように言った後、俺はある事を告げるのを忘れておってな、しまったぁ、と思っていたのだよ」官之宮は申し訳ないと頭を掻いている。
「それは、その通路の逆側の話し、という事かしらね?」
官之宮はそうだというように、軽く頭を上下させた。
何でも、官之宮はその通路の奥には実際には行った事が無いらしく、というのもその部屋に行けるのはウサギと小人だけで、屋敷の他の者が入ろうとすると、この者達が寄って集って外へ追い出すのだそうだ。
「しかしな、これは昔の話なのだが、ある使用人がどうやってなのかは分らぬが、誤ってその部屋に入り込んだ事があったらしいのだ」「そうなの、それで、それで」
キコと公弐宮はこの話に興味津々という顔で、足元の状況もそこそこに両脇から官之宮の方へと耳を近付けていき、三人が寄り添うような形で歩いている。見ようによっては微笑ましいと言うか、何も知らない者がこの情景を目にしたら、風に吹かれて土手を散歩する犬を連れた一組の親子、と思ってもおかしくはない。
「うん、何でもな、あそこにはでっかい怪物が飼われているそうなんだよ」
「でっかい」「かいぶつぅ?」キコと公弐宮のハーモニー。
「そう、獅子のような頭が八つ、身体の太さが、こ~んなに太い蛇みたいな身体の怪物だそうだ」官之宮は長い両腕を目一杯に広げて見せた。
「何で、そんな怪物を飼っているわけ?」「そうですよねぇ」
「うん、その話ではな、その怪物は奥方が来てからそこにいるらしいのさ」
「じゃあ、奥方が怪物を連れてきたって、事なのかしらねぇ?」「花嫁道具ですか?」
官之宮は真面目に言ったキコを見て、
「ハァ~ッハッハッハッハ、面白い事を言うなぁ、まぁ、花嫁道具ではないのだろうが、その怪物はな…」官之宮、一転して真面目な顔となり、
「これも話なのだが、あの怪物、この街の住民を喰らって生きているらしいのだ」
官之宮はショッキングな内容の話しを簡単に言う。それに対して両脇の二人は、
「この街の!」「住民を喰らって!」顔を見合わせ「えーっ!」同時に叫んだ。
「これはな、飽く迄も伝わり聞いた話の事だ、俺の周辺に実際に見た者はいない」
「でも、あの街、歩いている人が」「いなかった、ですよね」
「う~ん、確かにな、俺が長年あの街に住んでいる間、人の数が減った事に間違いは無いが」キコと公弐宮は、やっぱり、という顔で官之宮を両側から見上げた。
「ん?ただな、それだけで人間があれだけ減っていくとは、ちょっと考え難いのだよ」
「でも、何故、そんな怪物を飼って、住民を喰わせているわけ?」
「実際、その怪物って何なんですか?」「一体、その奥方っていう人はどんな人なの?」「大伴主様って何しているんですか?」
など、など、など、両脇の二人は、何度も質問を官之宮に浴びせ続けたが、既にその答えなど出る事の無い問い掛けとなっていた。
この後暫くの間、一行は質疑応答をしながら和気藹々と土手を歩いていった。
この一行の姿は、とても今初めて話しを始めた間柄とは思えぬほど、実に良い雰囲気に見える。彼らも実際に会話を楽しんでいるのだろうが、もちろん一行の目的は別のところにある。それは誰も口には出さぬが、ただこの時ぐらい、今までの長い旅路を思えば、これは一時の肩を緩ます、ご褒美の時なのだと思えばいいだろう。
どれくらいの時が過ぎたのだろうか。澄み渡る空はどこまでも晴朗で、風も穏やか、景色は長閑、ピクニック日和と言っても良いくらいの陽気だ。
一行は既にかなりの距離を歩いていた。振り返り元きた道の先を見ても、もう出都の美しい甍の波も、五重塔の尖塔かと思えた異常に高い社の影も、もう見えなくなって久しい。風の匂いも変わってきたように感じる。
彼らの横をサラサラと流れる清流に、まだ魚は見えない。それはおかしな事なのだが、この一行の中で誰もそんな事を気に留める者はいない。その清流の流れに沿い、ずっと土手を歩いていた一行が足を止めた。
「ハル殿、この辺りで足を止めて下され!」官之宮が先を行くハルを呼び止めた。
この辺りから弥寿々川が、その清らかな流れの向きを変え幅が狭まってきた。一行はその狭まったところから少し先にいったところにいる。
そこで官之宮が何かを指さしている。
「ハル殿、あの川床が一段下がったところで出都の領域から外れます。そしてあの窪地に舟が一艘あるので、それで川の下流へ向います。宜しいですかな」
ハルに確認の視線を向けた。
「そうか、分った」「この川の下流に、その〝見えない村〟があるのですか?」
キコが下流の方角に目を細め、遠くを見ている。
「そう、この川の下流、川岸のどこかにその村はある。あるのは分かっているのだが、しかし名前の通り見る事はできない。故に、それがどこなのかは分らないのさ」
官之宮にあの軽い感じはもう無い。至って真面目に受け答えしている。
「官之宮殿、では、どうやってその村を探せば良いのかしら?」公弐宮から当然の疑問だ。
「うん、先ずこの川はこの先、大きく二手に分かれている。その一方に進むと更に何本かの支流に枝分かれしている。その辺りは断崖が続き村などありそうもないのだが、その一つの支流を進んでいくと穏やかな畑作風景が現われ、そのどこかに〝見えない村〟があるはずなのだよ」官之宮、腕を大きく振り、さながら風景を見ながら話しているかのようだ。
「俺が知っているのは、その一つの支流の入り口までだ」そう言うと、皆を見回した。
「じゃあ、その後は、手掛かりは、無い、って事ですか?」キコが訊く。
「天系の者にはその〝村〟自体が見えるそうだ」官之宮、ボソっと言ってハルを見た。
ハルを見た官之宮の頭の中で今、この場所でこうやって話しをしている数時間前の場面が、走馬灯のように流れた。
ハル達一行が出都宮の大扉のところへきた際、藤ノ宮が五十年振りに顔を見せ、官之宮は驚いた。そしてその藤ノ宮の口から〝見えない村〟の事に付いて話しを聞かせて欲しい、という言葉が出てきた。官之宮、ここで更に驚いた。古い知り合いが五十年振りに突然訪れてきただけでも驚くのに、会ったかと思うと、普段口にする事も決して無い内容の話しを持ち出したのだ。そして、輪を掛けるように驚いたのが、ハルという、天から参ったという犬が一緒なのだと言う。官之宮はこの時、頭の中である考えを一瞬で巡らせた。それは官之宮自身がボソッと言っていた事だ。
官之宮は以前、藤ノ宮に会ってから五十年、始めは良かったこの街も、途中から状況がガラリと変わり、自分の立場が非常に苦しい立場となってしまった。その苦しくなった立場でこの屋敷にいる事は、もううんざりだ、と思っていた。そのような時にこの一行が顔を出したのだ。そこで、藤ノ宮から出た言葉を利用しようか、官之宮はその時、瞬時にその考えが頭の中を駆け巡ったのである。利用するといっても、もちろんそれは悪意のあるものではなく、あくまでも自分の立場を変えるのがその主たる目的だった。では、何をするか。それはたまたま彼らが望む〝見えない村〟に関して、自分は知っている事がある。何故だか藤ノ宮は、その事を知っていた。それを梃子にして、この出都宮からの脱出を図る、という計画が頭の中で閃いたのだ。
そして今、自分にはできない事のできる者が、目の前にいる。
「天系の者にはその〝村〟自体が見えるそうだ」官之宮はハルを見た。
「分った、行こう」もちろんハルの行動は早い。事が決れば直ぐに動く。
ハルは官之宮の言う窪地にあるという舟に向かい足を進めた。直ぐに他の者も後を追った。皆が向った川淵は小さな河岸段丘となっていて、草地から一段下がったところに窪地があった。そこにひっそりと一艘、小さい船があった。
舟に一行全員が乗るとギュウギュウで、下手に舟が揺れると誰かが落ちてしまうのではないか、と思えるほど狭かった。
「この流れに急流は無いはずだ。しかし実はな、俺も出都の領域外へは行った事が無いのだよ。だからこの流れの先は、俺が知っている通りになっているのかどうかは、実際は分らないのでな、ハッハッハッハ。」
「ハッハッハッ、って、官之宮殿、随分無責任な事言ってくれるわねぇ」
公弐宮が横目でジロっと睨んだ。そしてキコも、
「えーっ!官之宮様、行った事があるわけじゃなかったのですかぁ?」
「いやいや、俺は一言も〝行った事がある〟とは言っていないぞ、うん、言っていない。〝知っている〟と言ったまでだ、ハッハッハッハ」官之宮、まったく悪びれる様子は無い。
「よし、舟を出そう」ハルが言う。
彼らの舟は小さいながらも重さがあるためか、以外に安定していた。川の流れは幅を狭めた分、出都のある辺りに比べると幾分流れは早くはなっているが、問題は無さそうだ。
舟は弥寿々川のやや速めの流れに乗り、櫂を漕がずともそこそこの速さで、段差の無い水面を滑らかに進んでいった。途中川岸には黄色や白の花々が咲いていたり、この辺りは最早草原ではなく、林とまでは言えないある程度の木々の群れも見る事ができた。そして平らな大地も少しずつ丘が見え出し、進むにつれて岩場が多く見られるようになってきた。
船上の一行も、その川岸の向こうの景色の移り変わりを、旅行者気分になって楽しそうに眺めていた。たまにキコが鼻歌交じりで風景を楽しみ、公弐宮はあの花は何だこの花はあれよ、この木々は何々だ、などと要らぬ知識を披露していた。
そして暫く弥寿々川の本流の流れに任せていた彼らの目の前に、最初の川の分岐点が現われた。辺りは既に風景はガラッと変わり、大きく蛇行している川の両岸は高さのかなりある断崖絶壁で、彼らの目の前には、川を真っ二つに分けている大きな岩が見えてきた。
その岩は高さ何十mかの断崖の上にあり、舟が川の蛇行しているその先に進み、その大岩に次第に近付いてくると、その迫力に彼らは圧倒された。
「うわぁ~っ、大きい岩ねぇ~!」キコが殆ど真上を向いて口を開けている。
「あれってぇ~、落ちてこないのかしらぁ~!」公弐宮、殆ど無い首を曲げ叫んだ。
その大岩の下にくると、右と左に川筋が分かれている。官之宮が言う。
「もう俺はこの先は知らんのだが、この先の更に支流に、その〝村〟はあるはずなのだ」
「えーっ!もう知らないんですかぁ!」キコが官之宮目掛けて非難の声を上げる。
「どっちへ行けば、良いんだろう、もう直ぐ分かれ目よ~ぅ!」公弐宮が指をさす。
二人が慌てる中、ハルがキコに向って落ち着いて一言言った。
「キコ、勾玉を出すんだ」「えっ、勾玉?」
キコが言われるまま、自分の身に付けている袋に手をやった。
「勾玉が俺達の向っている〝木〟が、どこにあるのかを示してくれるはずだ」
ハルはいつも冷静だ。キコは直ぐに袋から勾玉を取り出した。ハルが言う。
「その勾玉を船首に置くんだ」「うん、分ったわ」キコが船首に勾玉を置いた。
勾玉は丸い形にもかかわらず、何故だか船首の板にピタッと留まっている。
舟はそうこうしている間にも、どんどん川面を進んでいっている。もう川の分かれ目の直ぐ近くまできた。すると置かれた勾玉が仄かに光り出した。船上のハル以外の皆が、もう分かれ目がくるとハラハラしているその時、勾玉が仄かに赤く光った。するとどこかにロープが張られてでもいるかのように、船首がククっと動いた。船首に置かれた勾玉が舟を行くべき方向へと導いているのだろうか、それともただ偶然に、そちらの流れへと舟が流れに乗っただけなのだろうか。流れの右側へと船は〝自然に〟進んた。
勾玉はそのまま船首に置かれたままとなっている。今は光ってはいない。そしてまた川の流れに支流が現われ、舟の行き先を決めなければならない時には仄かに光り、船首がククっと動いた。その後何本かの支流の入り口に来ると、その都度船首は自然と動き、その流れに乗った。
そして勾玉の〝選んだ〟流れに任せ進んでいくと、河岸を越えた景色が次第に変わってきた。
「皆々良いか、今まで、俺が言った通りの川筋となっていたが、恐らくもうこの辺りの土地のどこかに、あんた達の目指す〝見えない村〟があるはずだ」
船尻で官之宮が落ち着いた声で言う。
「そうね、官之宮殿の言った通りだったわね」公弐宮が皮肉を込めて言う。
「どこにあるんでしょうね、ま、が、た、ま、が、連れてきてくれた、その村は」
キコが強調した声をわざと官之宮に向けて言った。
「まぁ、そうだな、勾玉は正しい道を選んでくれたのだろうな、うん!」
官之宮以外の者はその声を聞き流し、見えない事は分かってはいても辺りを見回しながら、流れに乗った船上で揺れていた。
その船上でこの時、もう誰一人として旅行者気分の者はいなかった。これから先、今までの旅の原点であり目的であるその村を、見えずとも感じなくてはならない。キコも公弐宮も途中参加の藤ノ宮でさえも、気を引き締め集中していた。今や饒舌となった官之宮もこの船上の雰囲気を感じ取り、その後はただ黙って操舵していた。
実際のところ、その村が見えるのはハルだけだ。そのハルは何も言わず、船先に四足でしっかりと立ち、ジッと前方に視線を向けている。ハルは皆より先に既に集中していた。
キコも公弐宮も、藤ノ宮も官之宮も、ハルの後ろでちょこんと座るハクも、それぞれがただ前方のどこかを見ていた。それは誰もが見えずとも、頭の中で自分なりの〝見えない村〟を思い浮かべながら、その姿を探し求めていた。
いつしか川の流れは穏やかとなり、川幅も既に狭まり三mほどだろうか、二人で両手を広げれば両川岸に届きそうなくらいとなってきた。川岸から見える風景が、いわゆる日本の原風景と言えば良いのか、この場合田んぼは無く、畑の広がる風景となっていた。風はそよそよと穏やかに抜けていき、太陽もこの景色に合わせたように薄曇りで、下界の者に優しい日差しを降り注いでいる。
「長閑だわねぇ」気を張っていた公弐宮が、フッと息を抜いた声を出した。
「そうですねぇ、普通、こんなところに村がありますよね」
キコは船上で立ち上がり、一面ほぼ平らでどこまでも遠く見渡せる畑作風景を、目を細めて眺めた。船尾から官之宮がその言葉に答えるように口を開いた。
「俺が知っている話でもな、凡そこんな風景の中にその村がある、と言われていたはずなんだがな」言いながら、官之宮も立ち上がった。
もう操舵する必要が無いほど流れは緩やかとなり、官之宮も手を額にかざし辺りを見回している。何も言わぬ藤ノ宮も、縁側に座る爺さんのような笑顔で辺りを見回している。
皆が皆、見えないはずの村を探すように辺りを見回している。そんな中、唯一人見えるはずのハルは未だに何も言わず、みやげ物屋の木彫りの熊の如くにピクリとも動かず、四足でしっかりと立ったまま前方に視線を向け続けている。やや暫くそんな状態が続いた。
そよ風と同じくらいの速さで動く船上、突然ハルがピクッと動いた。そして空を見上げると舟の背後に顔を向けた。と同時くらいに、バタバタバタ、と騒々しい音が降りてきた。
「やぁ、暫くだな」ハルが普段と変わらぬ口振りで言った。
「クワァ、クワァ、クワァ」カラスだ。久々にウタカラスが来たようだ。
「うん、うん」何事かあったようだ。
「うん、うん、そうか、うん、分った」少し長めの情報のようだ。
ハルが返事をするや否や、バタバタバタ、とカラスはまた直ぐに飛び立って行ってしまった。いつもそうだがこのカラス、どうしてハルの居場所が分るのか、実に不思議だ。
「ハル、カラスは何だって?」キコが直ぐに訊いた。
「うん、…その前にここで舟を留めよう」ハルは鼻先を川岸に向けて振った。
官之宮が、ここか?と言って直ぐに反応した。舟を川岸の窪地になったところを選んで寄せていった。この時他の者は何も訊かず何も言わず、ただハルの指示に従った。
皆が川岸の上に上がると、一同揃い無言でハルを見た。もちろんハルがここに舟を留めようと言う以上、ここの近くに目的の村があるのだろうと皆は思ったからだ。その村が見えるのはハルだけなのだ。
「ハル…」キコが期待を込めて、皆を代表するように一言声を掛けた。
その期待に答えるように、ハルが皆の前を通り過ぎると鼻先をある方向に向けた。
「勾玉を見てみるんだ」皆が揃って勾玉に視線を向けた。
勾玉は止まった船の舳先で今まで以上に強めに、怪しい光を放っていた。それに合わせるようにハルが言う。
「あそこに村が見える」ハルの鼻先は畑作風景の中、どこかをさしていた。
もちろん他の者には、ハルの言う方向を見ても何も見えない。ただ周りと同じような畑作風景が、延々と広がっているだけだ。それがどのように見えているのか、どんな形の家々が建ち並んでいるのか、どんな人々が歩いているのか、他の者は直ぐにでも訊きたいところだった。
「先ずはあの村に行ってみよう」ハルは動き出した。
皆は何か色々と訊きたい事があったのだが、それを訊く前に、もうハルは先を行ってしまった。他の者は黙ってハルの後ろを付いて行くしかない。キコは船首に置かれていた怪しく光を放ったままの勾玉を手に取り、大事にゆっくりと腰の袋に入れた。
一行は一列に並んで歩いている。もちろんハルが先頭で、その直ぐ後ろを親子のように、ハクがヒョコヒョコと付いていく。更にその後ろを少し離れて公弐宮、その後に藤ノ宮、頭二つほど高く一番大きな官之宮が何も言わずに歩き、キコが遅れて最後尾を急いでいる。
川岸から離れ五百mほどの距離なのだろうか、その辺りでハルが足を止めた。一番後ろからやっと追い着いたキコがそのままハルに近寄って行った。
「ねぇハル、教えて、ここにその村が見えているの?」キコはやっと訊く事ができた。
「あぁ見えている。ここから向こうはその村だ」鼻先を畑作風景の方へ向けた。
ハル以外の者の目には、只々長閑な畑作風景しか映ってはいない。いくらハルがここに村がある、と言っても、誰も気持ちが盛り上がってきていない顔付きをしている。ボーっとハルの言う方向を眺めているだけだ。
「そのぅ、何て言うのかしら、そうねぇ、例えばよ、この村は伽羅都のように、家々が建ち並んでいるのかしら?」公弐宮、何となくその方向を見ながら言う。
「あぁ、白い家が建ち並んでいる」ハルの答えは簡潔だ。
「ハル殿、ここが、貴方達がはるばるやってきた、その目的の地〝見えない村〟のようでありますかな?」藤ノ宮が言葉を噛み締めながら言った。
「あぁ、そうだと思う」ハルは軽く頭をコクっと上下させた。
「ハッハハハハ、そうかぁ、俺が聞いていた通りに、そうかそうか、ここにその村があるのかぁ!」官之宮だけは質問ではなく、自分の言葉に嘘が無かった事を喜んでいるようだ。
ハル以外の者は、言い伝えを元にこの地まで来たのは良いが、本当にその村は存在するのかどうか、今の今まで各自の心の中で確信として形になってはいなかった、というのが本当のところだろう。しかし今、自分の目では確かめる事はできないが、ハルの言葉を通してその村が実際に存在していた事に、各自驚くやら戸惑うやらで、まだ頭の中で整理できないでいるようだ。この反応は当然と言うべきか、ハルの言う事を信じて〝そこに村がある〟と、自分に言い聞かすしか手が無い以上、大きな感情の動きが起きないのが自然な反応であり、戸惑うのが普通だろう。
そんな中、ハルだけは冷静だ。
「公弐宮、一つ確かめたい事がある。この先を少し向こうの方へ、歩いて行ってみてくれないか」ハルは目の前の畑作風景に向けて鼻先を振った。
「歩いて、…行けば、良いのね、…あっちへ、…分ったわ」
公弐宮は戸惑いを隠さず、しかしハルの言う事だからと足を進めた。
公弐宮は少しオドオドした感じで、何かがそこにあるのだという感じで、足で何かを探るようにゆっくりと歩いて行った。暫く歩いて行き、五十mほど行ったところで足を止めた。
何も起きない。公弐宮はクルッと振り返り声を上げた。
「ハル殿ぉ~、どうなのかしらぁ~、何か起きているのかしらねぇ~」
ハルは公弐宮の声に少し間を置くと、
「分った。もう良いぞ、戻って来てくれ!」ハルは言った後、皆の方に向きを変えた。
公弐宮が戻ったところでハルが穏やかに話し始めた。
「みんな、今ここに〝見えない村〟がある」今一度、確認のつもりで言った。
しかし一同皆、顔はその方向を向いてはいるが、ぼんやり顔だ。
今言った言葉を一度ハルは言っている。それは既に分っている事なのだが〝見えない村〟は他の者には当然の事ながら、何度言われようが見えないのだ。しかも、今ハルが確かめたいと言って、公弐宮を歩かせてその方向へと行ったにも係らず、そこでは何事も起きなかった。公弐宮はただ行って帰ってきただけだった。公弐宮自身も何も感じはしなかったようだ。そんな状況でハルが、ここにその〝村〟がある、と言えば、やはり不思議に思うしかない。ハルは続ける。
「今、公弐宮に確かめてもらったのだが、公弐宮が行った先にあるこの〝村〟は、違う空間にあるようだ」
言っている事がよく分らない、とここにいる者皆、そう言う顔をしている。
「ハル、…分らないわ、どういう意味なの?」当然キコが訊く。
「俺の目には今、村の入り口が直ぐそこにあり、そこから通りが真っ直ぐに続き、その通り沿いに白い家々が、村の中心に向って連なっているのが見えている」
「どうして私が歩いていっても、何も感じなかったのかしらねぇ?」
公弐宮は自分の行った方向に指をさした。
「だからそれを確かめてもらったのさ。さっきも言ったが、空間が違うんだ」
今、ハルの言っている事はここにいる誰もが理解できないでいる。
この時代に〝空間〟という言葉を使ったところで、その意味を誰が理解できるだろうか。ハルは天系の犬だからなのか、考えずともその言葉が自然に口から出た、ということなのだろうか。
この場合、当然なのだが、ハルは無理に皆を理解させようとはせず、先ず事実を伝え、自分の言う通りに動くようにと指示を出した。それが妥当な選択だろう。今ここで空間がどうだこうだと、そんな講義をしている時間も無いし、説明をしても理解できるものではない。
ハルは続けた。
「良いか皆、聞いてくれ、とにかく今は動くしかない。先ほど来たウタカラスが伝えてきたのは、千世の街が今、あの影と空の化け物に荒らされている、という事だ」
「えぇ~!」キコが驚く。「あいつら、まだ、他にもいたのね!」公弐宮だ。
「あの化け物達が、他の街に現われたのか?」藤ノ宮が顔をしかめて言った。
ハルは今、目の前にあるこの旅の目的地である〝見えない村〟を前に、ある決断を迫られていた。
もちろん彼らは、この地の世界を鎮める目的でここまで来たのだが、千世に起きている事は差し迫っている。それはここに来る前に官之宮以外の者は、身を持って体験してきた事だ。ここまで来たは良いが実際にその〝御印〟〝力の木〟というのは存在しているのか、もしくはその木が存在したとして、言い伝えにあるようなその木の〝力〟が本当にあるのか、〝御印〟とはその〝木〟なのか、はっきりとした確証はどこにも無い。ハル達はここでそれを確かめなくてはならないのだ。しかしその村はハルにしか見えず、ハルが言うには村の存在する空間が違うのだと言う。つまりその村は〝見えない〟ばかりか、ハルしか立ち入る事ができないのではないか、という事だ。
―千世の状況は差し迫っている、時間が無い
ハルは目を閉じ、しばし考えた。そして決断した。
「キコ、恐らく俺以外の者はこの村に入る事ができないのだろう。それを今、公弐宮に確かめてもらった。だからキコは直ぐに千世に戻るんだ。ここにいても意味は無い」
「えっ!ち、千世に、戻るの!ど、どうして?」キコは目を見開き驚いた。
「良いか、キコ、千世が危ないのは分るだろ、今あいつらに襲われているんだ。だから公弐宮と空間移動の呪文で千世に戻り、勾玉を使うんだ。あの時のように軍神を呼び寄せるんだ、分るか」ハルの決断はそういう事だ。
もちろんキコはうなずけないでいる。真っ直ぐにハルを見たままでいる。
ここでハルの話しを聞いていた藤ノ宮がキコに近づき、ハルの言葉を補足した。
「キコ殿、貴方の街を伽羅都のようにしないためですよ」軽い笑顔でポンっと肩を叩いた。
キコはその言葉でやっと理解したのか、フッと笑顔になった。しかし、下を向いて少し考えた。無理も無い。ここまで〝力の木〟いや、キコにとっては〝御印〟を目指して、ハルと共に危険を犯してまで旅をしてきたのだ。そして見えずとも、今その村の真ん前まで辿り着き、それを自分の意に反して帰らなければならないという、何とも遣り切れない思いだろう。頭の中で、何故戻るの?という言葉と、千世が危ない!という言葉が互いに譲らないで押し合いをしている映像が浮かんでいる。すると今度は横で聞いていた公弐宮がキコに近づき、藤ノ宮のように肩を軽くポンっと叩いた。
「キコ、分るわ、ここまで来て自分でその、何て言ったかしら、その木を見てみたい、その力を見てみたいのは当然よね。でも考えてみて、私達が戦ってきたあいつらが、今貴方の街を襲っているのよ。今貴方の街が助けを求めているんじゃないの?確か、あの軍神は後一回助けてくれるはずでしょ、それなら助けてもらわなきゃ」
公弐宮は珍しく母親のように優しく諭すように話した。すると二人の後ろから、今まで黙っていた官之宮が、突然勢い良く口を開いた。
「キコ殿!今の皆の話しを聞いていて、俺も思った事が一つある!」
官之宮、言いながらハルの前に歩み出た。
「ハル殿、その、地の世界を鎮めてくれる〝力の木〟の事はあんたに任せる」
ハルにしてみれば、わざわざ官之宮に言われるまでも無い事なのだが、何故だか官之宮は胸を張ってハルを指さして言った。
「どっちにせよ他の者は、この目の前にあるのかどうか見えないが、この村へ入る事はできないようだから、俺は藤ノ宮と共に出都へ戻り、あそこの住民を怪物から助ける事にした。俺のこれからの生きる道はそこにあると感じた。とにかく俺はここまで来た事、この村をあんた達に案内できた事で、先ずは納得だ、うん!」
今度は腰に両手を当て、一人納得して偉そうに大きく胸を張った。その一人納得の話しを聞いていた藤ノ宮、頭を傾げながら、
「お、おい、ちょ、ちょっと待て、い、今、何と言った?」疑問顔で官之宮を見た。
「ん?何だお前、今俺が言った良い話の意味が分からなかったのか。良いか、よく聞け、お前は俺と共にだ…」やはり腰に手をやり、偉そうに言っている。
「ま、ま、待て、待て、わしは、何も、お前と、…な、何で、お前と」
「良いんだ、お前は俺と出都の住民を助けるんだ、良いな。それとも何か、お前はここで見えない村を、あーだこーだと想像でもしながら、ただ突っ立っているのか?ハル殿が何かして下さるまで黙っているのか?なっ、おかしいだろう、無能だろ、な、ハッハハハ」
官之宮はかなり強引な理由で、藤ノ宮を自分の行動に組み込んだが、言われてみると確かにそうだ。見えないばかりか入る事のできない村の前で、藤ノ宮は何もできる事は無いことは明白。その事は藤ノ宮も薄々頭の中で感じていたのか、官之宮の言葉に始めは反発したが、今の状況に照らし合わせ強引な理由ではあるが、それなりに理解はしたようだ。
「う~ん、ま、確かにのぅ、今ハル殿がここにあるだろう村に入って、その木の力を発揮させてもらえば、この地の世界全体が平和になるのだろうから、わしらがここで、ただそれを見ているだけ、というのはの、う~ん、そうよのぅ、わしらも何かをせねばならんのだろうて、それもそうだの、ハッハッハッ」
「そうだ、そうなんだよ、藤ノ宮、お前、分かっているじゃないか、ハッハハハハ」
キコは、今の二人のやり取りの最中考えていた。自分にできる事は何か、そして自分にとって何が最適なのか重要なのか。今のこの状況の中でどの道を選べば良いのか、皆が皆、それぞれ自分にとっての最適な道を行けば良いのだと、自分なりに考えた。今キコにとっては、ここでハルが〝御印〟の力を発揮させるのをただ待っているのが、それが最適だとは思わなかった。藤ノ宮と同じく自分にもやるべき事がある、のだと。
―千世が危ない そうだ、今他の者達が言っていた。
―千世の街を助けなければ キコの頭の中でこの言葉が大きくなっていった。
―助けなければ、そう、助けなければ、うん、私が行くしかない、勾玉と共に
「ハル、分ったわ、私、千世に戻る!軍神に千世を助けてもらうわ、…あっ!」
キコは自分の気持ちを決めたのは良いが、何かに気が付いた。
「は、ハルは、この村に入るのよね」ハルに近寄った。
「ハルが、いないじゃない!軍神は…」「彌織様がいる」ハルはいつも冷静だ。
「あ、彌織様」「キコ、彌織様に軍神を呼び戻してもらうんだ、良いな」
「うん、そうだわ、彌織様にお頼みすれば良いのね、…そうね、分ったわ」
一行は、結果的に彼らの旅の目的地である〝見えない村〟の前まで来る事はできた。しかしまだ、最終目的地の〝御印〟〝力の木〟までは行き着いてはいない。が、そこに至るまでは、ここにいる全員が行けるわけではない事が明らかになった。行けるのはハルだけだ。他の者はハルの帰りを待つだけ、というわけにもいかない。つまりここで一行は、各自それぞれの道に分かれなければならなくなった。
その前にハルが皆を集めた。
「みんな、この村の中の事は入ってみなければ分らない。だからもし本当に〝力の木〟いや〝御印〟があったとしても、その力が本当に発揮されるのか、それは分らない。ましてやそこに至るまでの時間がどのくらい掛かるかも分からない、という事になる」
ハルは各自の目を見ながらゆっくりと話した。皆黙って聞いている。
「キコ、千世の街を頼む」「はい!」キコは、今は確信を持って返事をした。
「公弐宮、キコを宜しく頼む」「分ったわ、任せて!」公弐宮、ポンっ、と胸を叩いた。
「藤ノ宮、官之宮、ここまでの道、案内してもらって感謝する」
「何のこれしき、ハル殿もまだ分らぬこの先、気を付けてお行きなさいませ」
藤ノ宮も笑顔で言うと、ハルに向け深々とお辞儀をした。
「ハル殿、地の世界を平穏にして下されよ!頼みましたぞ!ハッハハハハハ」
官之宮はこの世界を意味するつもりなのか、両手を広げ豪快に笑った。
最後にハルはハクに目をやった。ハルが目をやると同時に、皆もハクがどこにいるのかそれぞれ顔を辺りに回した。するとハクが一人、皆のいる場所から少し離れた位置で、どこか空間を見ながら、チョコンとお座りをしていた。藤ノ宮がその姿に気付き、少し大きな声で呼び掛けた。
「さぁ、ハクやぁ、一緒に出都へ戻るぞぉ、良いかのぅ」ハクが藤ノ宮を見た。
「クゥ、クゥ、クゥ」ハクは皆の耳にやっと聞えるくらいの、小さな声を発した。
「ハル、今ハクは何て言ったの?」キコがハクの方を見たままで訊いた。
「クゥ、クゥ、クゥ」ハルはキコに応えず、一呼吸置いてハクに何事かを言った。
そしてハルはゆっくりと歩き出し、ハクのいるところまで行った。そしてまた、犬語で何事かを話している。その間、他の者達はジッと二人のやり取りを見ていた。するとハクが立ち上がり、一度、クゥ、クゥ、と藤ノ宮に向って鳴くと、前方に向って歩き出した。
「あっ!」「な、何ぃ!」「な、何と!」「おぉ、これはこれは!」
ハル以外の四名がそれぞれ、大きな驚きの声を発した。
ハクはゆっくりと小さな足を、一歩ずつ、トッ、トッ、トッ、と、前へ出していった。そしてある場所からハクの体が順に、薄くなり次第に消えていく。始めに頭、胸、前足、胴体、腰、後ろ足、尻尾、という順で、薄くなり、そして消えていった。
「は、ハクやぁ~!」藤ノ宮の声が畑作の長閑な風景の中、そよ風と共に流れていった。
ハルは、何事も無かったようにその光景を眺め、ただ黙って立っている。そこから少し離れた位置で、藤ノ宮が口を開けたまま、官之宮は少し笑っているのか驚いているのか、よく分らない顔で動きが止まっている。キコと公弐宮も目を瞬かせ、何があったの?という顔で、ハクが消えた空間を見詰めている。
彼らにはその瞬間は、まるでスローモーションのように見えたのだろう。ハクの体が次第に消えていく。これがハルであったのなら何も問題の無い光景だった。しかし今消えたのはハクだ。名前は似ているが違う。
この〝見えない村〟は、天系の者にしか見えないのではないのか?そしてその者しか入る事はできないのではないのか?ここにいる皆がそう思っていたところ、ハクがその空間に消えた。という事は、天系以外の者がこの空間に入る事ができるのか?という疑問が生じる。もしくは、これは意外な事だが、もしかしたらハクは天系の犬なのか?これは可能性の話だ。
ハルはハクが消える前に何事か話しをしていた。それをキコが一度訊いている。
「ハル、さっき、ハクは何て言っていたの?」我に帰ったキコが再度訊いた。
「ハクはあそこへ行って良いかい、って言っていたのさ。もちろん行って良いぞ、と言ったのさ」
「えっ!ハクは、…見えていたの?」もちろん〝見えない村〟の話だ。
「ええー!」これは公弐宮。「は、ハクがのぅ」藤ノ宮。「ふぅ~ん」官之宮だ。
「すると、ハクは、…てんけいの、犬なの?」再度キコだ。
「恐らくな、俺にもはっきりとは言えないが、キコ、あの見えない〝橋〟の事を覚えているか?」ハルが振り返りキコを見た。
「えぇ覚えているわ、皆が川をどうやって渡ろうか考えていた時に、いつの間にかハクがあの川の上を歩いていて、驚いたんだわ。あそこに橋があったのよね」
キコがどこか上の方を見ながら思い出している。
「そうだ」「でも、あれは、ハルが教えた事なんじゃないの?」
「いや、俺はあの時何も言っていない」「えっ!そうなの!」
〝橋〟の話しを知らない官之宮以外、公弐宮と藤ノ宮も、エッ!っという顔をしている。
「そうさ、あの時に俺は、ハクはもしかして天系なのか?と思ったのさ」
「でも、天系の貴方が、ハクが天系かどうか分からなかったの?」
「うん、分らなかった」ハルにも分らない事があるんだ、とキコは思った。
「でもあれねぇ…」公弐宮が話しに加わった。
「ハクはまだ話す事ができないわよねぇ?」「あっ、そうよ、ハルもそうだったのよ!」
キコは思い出した、とばかりに人差し指を立てた。
「あらっ、そうなの、ハル殿も話す事ができなかったの?」「そうなの、この旅に出る前までは、ハルもクゥ、クゥ、と言っていたのよ」
「俺はクゥクゥ、とは言っていなかった」ハルはいつも冷静だ。
その後キコは千世での、あの軍神の蘇りの話しを国津神三人に話して聞かせ、その後この旅に出て、ハルが突然言葉を話し出した事を話した。
「…とするとだ、ハクも一度軍神の、あの漲る力に触れたからのぅ、この後言葉を話す事ができるようになるかも知れん、という事かのぅ」藤ノ宮がキコに向って訊いている。
「そうかも知れません、…多分」
キコのその言葉に、そこにいた全員が揃ってハクの消えた空間に視線を向けた。そしてハルはこの話しをした後、ここにいる四人に再度別れを告げた。
「では、皆、それぞれがんばってくれ、この地の世界が鎮まったらまた会おう」
「ハル、私、心配していない。ハルはその木に会えると思う。千世で待っているわ」
「うん、待っていてくれ」キコは少し硬い表情だが、作り笑いで別れを告げた。
「ハル殿、私もキコと千世にいると思うから」公弐宮は笑顔だ。
「うん、待っていてくれ」ハルの表情はいつも同じだ。
キコと公弐宮がハルの前で頭を下げると、横から二人が前に出た。
「では、ハル殿、お達者で、色々とお世話になりましたのぅ、ハクをお頼み申します」
「ハル殿、短い間であったが楽しかったですぞ、皆に会って、俺も何かの力を得た気がしましたぞ。またお会いしたいものですな、ハッハハハハ」
藤ノ宮と官之宮も、それぞれ大きな笑顔で頭を下げた。
「うん、では」ハルは簡潔に返事をすると、鼻先を畑作風景の方へと向きを変えた。
皆が見ている前で、ハルは一歩ずつある空間に向けてハクがそうしたように、少しずつ足を進めた。頭、前足、胴体、腰、後ろ足、そして尻尾の順に、ゆっくりとその砂糖のように白い身体を消していった。やはり他の者にとってそれは、殆どスローモンションの映像のように見えていた。その光景は実に不思議なもので、後ろに長閑な畑作風景が広がり、その景色を背景に目の前の空間へとハルの体が少しずつ消えていく。それは恰も、白い体が背景に同化していくようにも、ハルの体が氷のようにその空間で解けていくようにも、若しくはハルの体が少しずつ雨散霧消していっているようにも見えて、その事が〝見えない村〟が正にここにあるのだという、唯一の証拠にもなると言っても良いのだろう。
そしてハルは消えた。その村へと入って行った、はずである。これは見えない以上、他の者には確かめようがない。他の者には、そう信じるしかないのだ。
薄曇の空から柔らかい日差しが降りてくる。弥寿々川から僅かに湿り気を載せたそよ風が、辺りの空気を冷やしているようにも感じている。畑作風景はどこまでも続き、まさかこんなところに天系の村があるなんて、誰もその存在を感じる事などできないだろう。恐らく、と言うしかないのだが、ハルがその村へと消えてから残る四人にやや暫く間があった。皆がその空間をただ見詰め立ったままでいた。
ピクっ、とキコが動いた。
「行ってしまったね」キコが呟いた。その言葉に促されたように、
「そうね、行ったわね」公弐宮も呟いた。
「そうじゃのぅ、行ってしまわれたのぅ」藤ノ宮も呟いた。
「ハッハハハハ、見事に消えてしまわれたもんだ!」官之宮は大声だ。
それぞれが動き始めた。キコが官之宮に尋ねたい事があるようだ。畑作風景を見ていた顔を官之宮の方へと向きを変えた。
「官之宮様、先ほど言われていた、出都の住民を助けたいとは、どのような事なのですか?」
官之宮、お、待っていました、とばかりにやけに嬉しそうな顔をしている。
「ん、おお~ぅ、その事な、あのなぁ…」言いながら藤ノ宮の肩をポンっと叩いた。
「俺はな、こいつと以前会ってから五十年、あの窮屈な出都宮に何でいたのか、っていう事なんだが、大伴主殿のためなんだよ」そう言って今度は腕を組んだ。
官之宮は足を大きく広げてしっかりと立ち、皆に話しを聞かすという態度で話し始めた。
官之宮の話では、何でも大伴主はそれはそれはすばらしい国津神だったらしい。治めていた出都の住民にも優しく、他の近隣の貧しい村々にも手助けをしたり、襲ってくる怪物やら他の脅威にも勇敢に立ち向かい、撃退したり防御したり、それはそれは出来た国津神だったらしいということだ。それが前に出都で話したように、新しく娶った浮芹という奥方というのが、実は怪しい術を使う物の怪だったらしいのだ。もちろん大伴主は、そんな怪しい力に通常なら屈する事は無いのだが、その奥方は大伴主の力を削ぐ為に、ある物を密かに大伴主から奪っていたそうだ。
「そのある物って、何ですか?」キコが訊く。
「おぅ、何でもな、剣らしいのだ」「つるぎ?」「そうだ、剣だ。良いか、これはあくまでも言い伝えの話だ、誰もその信憑性は明らかにはしていないのだが…」
更に話では、その剣、古から伝わる大伴主一族の家宝で、また大伴主の首長の力の源にもなっているらしい。その剣に触れる事で、それまでの歴代の首長は力を得てきたそうなのだ。その不思議な力を持つ剣の出所は、言い伝えでは古の荒れた時代、暴れまくっていた怪物を倒した大伴主の初代の首長が、その倒した怪物の尻尾から、見た事も無い大きな剣を取り出した、という事なのらしい。
「へー、尻尾からねぇ~、剣が、出てきたわけぇ~」公弐宮が興味津々だ。
「何と言う剣なのですか?」キコが訊く。
「何でもな、話ではその怪物を倒した時、空一面を覆っていた雲が俄かに分れ、一筋の天光がその怪物の尻尾に降り射したそうなんだ。初代首長はその天光の当った部分を切り開いて見たところ、その大きな剣が現われ、天光に当り光り輝いたそうなんだよ。故に初代首長はその剣を〝天の光の剣〟と名付けたそうなんだよ」
「あめの…」「ひかりの…」「つるぎ、のぅ」キコと公弐宮、藤ノ宮のハーモニーだ。
「そうなんだ、その剣はそれから代々、大伴主一族の首長に引き継がれたんだが、不思議な事にな、もし首長以外の他の者がその剣を手にしたとしても、何事も起きなかった。大伴主家の首長のみが、その剣の力を引き出す事ができるそうなんだよ」
「あら、不思議なものねぇ」公弐宮だ。
「それじゃあ、その怪しの奥方が、その剣を手にしたとしても意味が無いのに、何故、大伴主様から剣を取り上げたの?」キコが官之宮に疑問の目を向けた。
「だから言っただろう、奥方は何も剣からは得る物は無いけどな、大伴主殿の力は出ないのさ、分るか、奥方は元々力のある怪しだ、その剣の絶対的な力さえなければ、大伴主殿の力を凌妖力があるんだろうな、恐らくな」
話の続きとしては、先に官之宮が言っていたように、その奥方が連れてきた、怪物を屋敷の地下に住まわせ、餌として出都の住民を捕まえては喰わしているという、何ともおぞましい事をしているのだという。官之宮はそれを知りつつも、先ずは何とか大伴主を救い出そうと手を尽していたが、なかなか奥方を欺く事が叶わず、大伴主を救い出せないで今日までに至ってしまったらしい。と、本人は言っているのだが、
「官之宮様、大丈夫なのですかぁ、五十年も恐ろしくて怯えていた奥方を相手に、戦えるのですかぁ?」キコは半分以上疑いの目で見ている。
「そうそう、住民を助けるだ何て言っているけど、本当にできるのかしらねぇ」
公弐宮もキコの疑いの目に合わせるように、官之宮に疑いの視線を送った。
「お、お、な、何だ、何だ、お前らな、そんな目で俺を見るなよ、だから言ったじゃないか、俺一人でやるわけではないぞ、良いか!ここにいらっしゃる、大国津神の藤ノ宮殿の力をお借りしてだ、なっ、二人協力して、怪しだろうと、物の怪だろうと打ち負かし、大伴主殿をお助けするのだよ、ハッハハハ、なっ、そうだよな、藤ノ宮!」
官之宮、横で話し半分で聞いている藤ノ宮の肩を、パシっと叩いた。
「痛っ!おいおい、わしはそんなに頼りにならんからのぅ、もう、この年だからのぅ、ハッハッハッ」と言いながら、後ろ手に腰をポンポンと叩いた。
辺りは長閑な畑作風景、静かと言えば静かな空間だ。藤ノ宮の力の無い笑い声がその空間に、木霊もせずに流れ去っていく。ハルの消えたその空間の前で、残された者のほんの僅かな和気藹々の和やか時間だった。
それから間もなく別れの時がきた。
「じゃあ、そろそろ行かなければね、キコ」公弐宮がキコを促した。
「千世の街が貴方を待っているのよ」「はい、そうですね」
キコは近くに置いてあった荷物を持つと、藤ノ宮と官之宮の前に立った。
「では、藤ノ宮様、官之宮様、ここまでの道、本当に有難うございました」
キコは二人を前にして、大きな笑顔と共に深々と頭を下げた。
「いやいや、キコ殿、我々伽羅都の者は皆感謝しておりますぞ。貴方達が助けにきて下さらなかったら、今頃我々は、あの影の餌食になっておったところですわ、ハッハッハッ」
藤ノ宮にとっては、これは本音の別れの言葉であろう。実際にあの岩山で囚われていた時の事を考えると、今のこの状況が嘘のように感じられる。
「キコ殿、公弐宮殿、それぞれ向う先は違うけどな、この地の世界を穏やかに平穏にしようとする思いは皆同じだ。俺は何とか大伴主殿を助け出し、出都を平穏にするつもりだ。あんた達も、その、何だかという街でがんばってくれ」
官之宮、そう言うと大きな手で二人の肩をポンポンと叩いた。それぞれの別れの挨拶が終ると、公弐宮が一歩下がり静かに直立不動となった。目を瞑り何事かを呟き出した。そして少し呟いた後、軽く目を開けキコを見た。
「じゃあキコ、私の肩に手を載せてちょうだい。良い事、肩から手を離さないでよ、どこか知らないところへ飛んで行ってしまうわよ、良いわね、フフ」
公弐宮、冗談とも本気とも取れない微笑をキコに向けた。キコは言われた通りに公弐宮の肩に手を載せると、その様子を見ている目の前の二人に最後の言葉を残した。
「では、行きます。お元気で」その間、公弐宮はブツブツ呪文を唱えている。
藤ノ宮が、ではキコ殿…、と言い掛けた時、フッ、と二人はその場から消えた。藤ノ宮と官之宮の視線の先に、消えた二人の残像が数秒残ったが、その空間は直ぐに背後に見えていた土の地面と、草や小さな野花の咲く景色へと変わった。
残された二人、暫し黙ったまま突っ立っていた。
―ピーヒョロロロ~ 鳶だ。
―ピーヒョロロロ~ このような風景にはピッタリの演出ではある。
「それで、お主、その怪しの奥方への対策は、…何か考えておるのかね?」
唐突に藤ノ宮が話し始めた。ん?という感じで、おもちゃのロボットがスイッチを入れられた時のように、意識の無かった官之宮がその言葉を切掛けに動き出した。
官之宮は藤ノ宮の問い掛けに応えるのではなく、彼らが今見ていた前方に向って、何故だか歩き出した。藤ノ宮が問い掛けの後、黙って官之宮の動きを見守っていると、官之宮は暫く歩いて行き、ピタっと止った。
「う~ん」立ち止まったまま唸り出した。「お主何を考えておるのだ?」
「う~ん」官之宮は立ち止まったその場で、クルリと向きを変えまた唸っている。
「のぅ、お主、何を、考えておる?」藤ノ宮が同じ質問をすると、
「本当に、ここから先にそんな村があるのかと思うとな、う~ん、おかしなもんだ」
どうも官之宮には、怪しの奥方への対策の事はさて置き〝見えない村〟の存在が頭の中でしっくりきていない様子だ。
「何を考えているのかと思えば、ハハ、官之宮!そろそろ行こうではないかぁ!」
藤ノ宮、真面目に考えていて損をしたという顔で、自分の向きを変え、元来た川に向って歩き出した。歩き出した藤ノ宮を見て官之宮が後ろから大声で叫んだ。
「藤ノ宮!お前、公弐宮殿のような瞬間移動する呪文は無いのかぁ!」
「岩山に捕らえられていた時に、どこぞの国津神が一つ呪文を教えてくれたがのぅ、そん時の一回唱えただけで、もう忘れちまったわい!残念じゃのお!」
藤ノ宮は振り向きもせずに言い捨てた。
「そうかぁ、じゃあ、川を遡るしかないのかぁ、ああーほんとに残念だ!俺もあんな気の利いた呪文を知っていたらなぁ!」
先にすたすた行く藤ノ宮が、歩きながら顔を横に振った。
官之宮はまた少しの間だけその場をウロウロしたが、諦めたようにがっかりした顔付きのまま、先を行ってしまっている藤ノ宮の後をゆっくりと大股で追った。
「おいおい、待てよ~、藤ノ宮ぁ~、急いだって良い事無いぞぉ!」
藤ノ宮、歩き続けながらまた顔を横に振った。




