表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/16

第8話 ヌカヌカコーラとベップシ

# 第8話 ヌカヌカコーラとベップシ


##


ホテル・ミラージュのVIPルームに入った瞬間、俺は足を止めた。


マロンがソファーに座り、見慣れない青い缶を傾けている。銀色のラベルに、流れるような文字で『Bepsi』と書かれていた。


「おかえり、ホークス!」


マロンは缶を掲げて俺を迎えた。


「データは無事に手に入った?」


俺は返事をせず、その缶を凝視した。青と銀のグラデーション。爽やかそうなデザイン。そして何より、放射能警告マークがない。


「......何を飲んでるんだ」


「ベップシだよ! 騎士団が作ってる炭酸飲料」


マロンは嬉しそうに缶を振った。


「甘さ控えめでフルーティーな味わい。ビタミンも入ってて健康的なんだ」


「泥水か」


俺は吐き捨てるように言った。


「は?」


「それは泥水だ。炭酸飲料の名を騙る、ただの泥水」


マロンの表情が固まった。パティとメイドのアノマリーも、微妙な空気を感じ取ったのか、少し距離を取る。


「いや、美味しいよ? 飲んでみる?」


「遠慮する」


俺は両手いっぱいのヌカヌカコーラグッズを床に置き、懐からフュージョン味を取り出した。


プシュッ。


青く光る液体が、室内の照明を反射する。一口飲むと、核融合を思わせる強烈な刺激が喉を焼いた。


「はぁ......これだ」


「それ、さっきから気になってたんだけど」


マロンが身を乗り出した。


「放射線量計が反応してるよ。かなり危険なレベルで」


「だから美味いんだろう」


俺はもう一口飲んだ。


「炭酸飲料ってのは、体に悪いから価値がある。健康的な炭酸飲料なんて、矛盾した存在だ」


「いや、それは極論でしょ」


「極論?」


俺は空き缶を握り潰した。


「じゃあ聞くが、その泥水は飲んだ後に何が残る?」


「え? 爽やかな後味と......」


「違う」


俺は首を振った。


「ヌカヌカコーラは、飲んだ後も舌に放射性物質の痺れが残る。胃の中で炭酸が暴れ回る感覚。そして、いつ死ぬか分からないスリル。それが炭酸飲料の醍醐味だ」


マロンは呆れたような顔をした。


「君、頭おかしいよ」


「下級市民だからな」


##


俺はソファーに腰を下ろし、プロジェクト・クァンタムのディスクを取り出した。


「仕事は終わった。約束のデータだ」


「おお!」


マロンは目を輝かせてディスクを受け取った。すぐに端末に差し込み、中身を確認し始める。


「すごい......クァンタム・ドゥーム、クァンタム・ソルジャー、クァンタム・デビルズクロー......全部入ってる!」


「レシピは入ってないぞ」


「いらないよ、そんなの」


マロンは画面に夢中になっている。データを高速でスクロールしながら、時折メモを取る。


「ねえ、これ見て! 放射性物質を動力源にする技術! 効率は悪いけど、アイデアは面白い」


「ほう」


俺は興味なさそうに相槌を打ちながら、ダークマター味を開けた。


黒い液体が、光を吸収するかのように鈍く輝く。一口飲むと、舌の上で重力が歪むような感覚。


「うまい......」


「そういえば」


マロンが顔を上げた。


「ヌカヌカコーラ社は無事だった?」


「ああ。データをコピーしただけだ。誰も殺してない」


「珍しいね」


「当たり前だ。ヌカヌカコーラの生産に支障が出たら困る」


俺は貰ってきたグッズを広げ始めた。限定版ジャケット、ネオンサイン、等身大ボトルクッション。


「......君、本当にヌカヌカコーラが好きなんだね」


「ああ」


「でも、体に悪いよ?」


「だから?」


俺はマロンを見据えた。


「この腐った都市で、下級市民として生きていて、体にいいものなんてあるか?」


マロンは言葉に詰まった。


「空気は汚染され、水は濁り、食べ物は合成品。どうせ早死にする運命なら、好きなものを飲んで死にたい」


「それは......」


「お前たち騎士団の人間には分からないだろうな」


俺は窓の外を見た。灰色の空、煙を吐く工場、うごめく人々の影。


「恵まれた環境で、きれいな水と空気と食べ物に囲まれて育った連中には」


「......」


マロンは黙ってベップシを見つめた。


##


「まあ、いい」


俺は話題を変えた。


「次の仕事は何だ?」


マロンは気を取り直したように、新しい資料を取り出した。


「実は、ちょっと変わった依頼なんだけど」


「変わった?」


「騎士団内部の掃除」


俺の手が止まった。


「......どういうことだ」


「最近、騎士団の中に企業のスパイが紛れ込んでるみたいでね」


マロンの表情が真剣になる。


「機密情報が漏れたり、妨害工作があったり。でも、誰がスパイか分からない」


「それで、俺に?」


「君なら、怪しまれずに調査できるでしょ? 下級市民の清掃員なんて、誰も気にしないから」


なるほど、理にかなっている。


「場所は?」


「騎士団領、第三駐屯地」


マロンは地図を広げた。


「ここに、騎士団の補給物資が集積されてる。食料、武器、そして――」


彼女は少し間を置いた。


「ベップシの製造工場」


「......は?」


「だから、ベップシの製造工場があるの」


俺は深いため息をついた。


「その泥水工場に、俺を行かせるのか」


「別に工場を壊せって言ってるんじゃないよ」


マロンは慌てて手を振った。


「スパイを見つけて、排除してくれればいい」


「分かった」


俺は立ち上がり、アンチマター味を懐に入れた。


「ただし、条件がある」


「何?」


「その泥水を二度と俺の前で飲むな」


マロンは苦笑した。


「......分かったよ」


##


部屋を出る前に、俺は振り返った。


「そういえば、一つ聞きたいことがある」


「何?」


「なぜ騎士団は、放射性物質の入っていない飲み物を作るんだ?」


マロンは少し考えてから答えた。


「騎士って、長生きしないといけないから」


「長生き?」


「魔物と戦い続けるには、健康な体が必要でしょ? 放射能で早死にしたら、人々を守れない」


「......なるほど」


俺は苦笑した。


「守るべき人々は、放射能まみれの飲み物を飲んでるのにな」


マロンは複雑な表情を浮かべたが、何も言わなかった。


俺はドアを開け、廊下に出た。


騎士団領への潜入か。面倒な仕事だが、仕方ない。


ポケットの中で、アンチマター味の缶がカラカラと音を立てる。


この音を聞いていれば、どんな仕事も耐えられる。


たとえそれが、泥水工場への潜入だとしても。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ